第二七話 ココロヒストリー
空は朱を帯びはじめ、やがて街並みを染め始めようという頃。
私は街中を駆け巡って、ココロちゃんを追跡していた。
足跡代わりに辿っていた、踏み砕かれた石畳も途中で途絶え、結局聞き込みをしたり足で探す他無かった。
が、懸命な捜索の結果、どうにかココロちゃんの居場所を突き止めることに成功する。
ここアルカルドには、一際背の高い教会がある。てっぺんには大鐘を備え、祝祭や年越しの際に鳴らされるそうな。
そんな場所だから、当然普段人が近寄ることもないのだけれど。
「はぁ……シスターがこんなところで黄昏れてていいの?」
「! ……ミコト様」
仮面の気配遮断を利用し、こっそり大鐘のもとまで昇ってくると、そこには放心して街並みを見るともなしに視線を浮かべているココロちゃんの姿があった。
小さい背中は、いつもより一層頼りなく見える。振り返ったその目元は赤く、泣いていたことが窺い知れた。
「えっと、ありがとうね。私のために怒ってくれて」
「…………いえ」
「それと、ごめんね。私のせいで嫌な思いをさせて」
「……ミコト様に謝っていただくようなことなど、なにも……全てはココロの至らなさが招いたことです」
そう言ってココロちゃんは改めてこちらに向き直り、居住まいを正すと深く頭を下げてきた。
「私がミコト様のお側を離れたばかりに、大変なご迷惑をおかけしてしまいました。それにお見苦しい姿も見せてしまいました。誠に、申し訳ありません……っ」
「ココロちゃん……」
ココロちゃんは酷く落ち込んでいる。それは火を見るより明らかだ。表情からも、佇まいからも、いつもの快活さがまるで感じられない。
ココロちゃんのせいじゃないよ、だなんて月並みな言葉が慰めになるとは、とても思えなかった。
先程の光景がふと思い起こされる。
烈火の如く怒り、怪力を暴力に変えて振り回したココロちゃん。男たちを一瞬で叩き伏せたその様は、以前対峙したドレッドノートをも凌ぐような迫力さえ孕んでいたように思う。
キレたら恐い、だなんてそんな生易しいレベルの話じゃないだろう。
きっとあれが、あの様こそがココロちゃんが内に抱えているコンプレックスなのではないだろうかと、そんな気がした。
「やっぱり、私のような者がお側にいてはご迷惑でしたよね……いつかこういう事が起こると、分かっていたんです。それなのにココロは……」
「……ねぇココロちゃん。この際だから、出来れば聞かせて欲しいんだけど。あなたはどうして頑なに、私を信仰の対象みたいに扱うの?」
「それは……そうするしか、なかったから……です」
ココロちゃんは語り始めた。
私を神様だと言って憚らないその訳を。
★
とある国のとある小さな村。ココロはそこで生まれ、育ち、暮らしていた。
優しい両親に、親切な村人たち。裕福でこそなかったけれど、ココロは幸せに過ごしていた。
幼いココロは漠然と、何れ大きくになったら自分もこの村で仕事をして生きていくのだと。そう思っていた。
「明日は収穫祭の日よ。ココロ、今日は早く寝なさいね」
「はっはっ、ワクワクして寝付けないんじゃないか?」
「こ、ココロはもうそんなにコドモじゃないもん!」
年に一度催される、小さな村の小さなお祭り。一年の労をねぎらい合い、次の年の豊穣を願うささやかな祈りの日。
振る舞われるごちそうに、子供は誰もが大喜び。振る舞われるお酒に、大人は陽気に笑い合う。
そんな、一年で一番楽しい日。
その前夜に、それは起こった。
何やら妙な物々しさを感じ、目を覚ましたココロ。両親の姿はなく、一人ぼっちの心細さに身を縮める。
「おとーさん、おかーさん、どこ……?」
灯を求めて窓から外を覗く。すると、妙に煌々とした光が村の景色を彩っていた。それは、オレンジ色の照り返しだった。
しんと耳の痛くなりそうな夜の静寂は、何やら遠くからは聞こえてくる不穏な声が打ち消している。
何かが起きている気がして、けれど幼いココロにはただ漠然とした不安や恐怖という形でしか、それを捉えるすべがなかった。
求めるのは親の姿。暗闇を手探りで彷徨い、ココロは寝室を出た。家の中を探し回り、ついには外に出ようかと考え始める。
けれど外は恐い。夜はオバケが出るんだって、寝物語に何度も聞かされた。あまりの不安にべそをかきそうになる。
その時だった。
「ココロ!」
「おがあざん!」
扉を開けて、家の中へ飛び込んできたのはココロの母親だった。
ココロはひしっと母親に抱きついたけれど、母親はいつになく切羽詰まった様子でココロの手を引き、彼女を物置部屋へと連れて行った。
母親は、急いた様子でガサゴソと物置の地下収納スペースへ、ココロと二人潜り込むと、入口を閉じてココロに言った。
「よく聞いて、ココロ。今みんなでかくれんぼをしているのよ。ココロはおかあさんといっしょにここでオニが諦めるまで隠れるの」
「そうなの……? でもここ、暗くて怖いよ……」
「大丈夫よ。お母さんが一緒だもの、怖くないわ」
そう言って、自分の手すら見えないような真っ暗闇の中、ココロは母親に抱きしめられた。いつになく、強く。
その腕は小刻みに震えており、ココロは不安を払拭することが出来ずにいた。
そしてその直後である。ドガンと、居間の方で乱暴な音がした。
続いて足音がする。音だけで分かる。父親ではないと。
「お、おかーさん……」
「しっ。静かにして……」
「…………っ」
足音は家の中を歩き回り、ガサゴソとときおり何かを物色するような物音もする。不安で、不快で、強烈なストレスをココロは覚えた。
母親は何も教えてくれず、誰とも知らない人が勝手に家の中を歩き回っている。それがとても、ココロを嫌な気持ちにさせた。
そうしてふと思う。そうか、もしかしてオバケかも知れない、と。
夜はオバケが出てきて、外に出ると攫われてしまうって。そして母親は外にいた。だから、オバケが来てしまったのかも知れない。
オバケに見つかると、連れ去られてしまうという。もしかすると母親は、オバケに見つかったからこうやって隠れているのだろうか。
それなら自分も、息を殺してやり過ごさなくてはならない。自分のせいで母親が見つかってしまっては大変だから、と。
そう思い、ココロは必死に息を潜めた。母親に強く抱きつき、必死に不安や恐怖を押し殺し続けたのだ。
けれど、その努力は無駄に終わることとなる。
足音は段々とこちらへ近づいてきて、頭の上、物置の中を乱暴に物色する音がしばらく鳴っていた。
ココロと母親は極度の緊張で身を固くする。早く何処かに行ってくれと、どうか足元の入り口を見つけてくれるなと、必死に祈った。
なのに。
「あ? なんだ、地下があるのか?」
「「っ…………!」」
願い虚しく、地下収納の蓋はあっけなく開かれてしまった。
だが、次の瞬間。オバケめがけて母親が飛びかかった。そして叫ぶ。
「逃げて! ココロ、出来るだけ遠くへ逃げるの‼ お願い早く‼」
「っクソが、何だこのアマっ! 邪魔だ‼」
「っが! ぐ……ココ、ロ……!」
そいつは、オバケなんかじゃなかった。
汚い身なりをした、大人の男だった。
そいつが母親を殴り、壁に叩きつけ、足蹴にする。
「や、やめて! おかーさんにひどいことしないでっ‼」
「あ?」
男の持つランタンの光源がココロを捕らえ、その存在を看破される。
男は一つ舌打ちをすると、母親を更に一つ蹴飛ばし、ココロへ向けて手を伸ばしてきた。
けれどそこで、再び家の扉が乱暴に開かれる音がした。
「ココロ! 無事か……っ!?」
父親の声だった。一瞬男の意識がはぐれた瞬間に、母親がしぶとく男へ掴みかかる。そしてお父さんのところへ逃げなさいと叫ぶように言った。
ココロは歯を食いしばって、男をすり抜けて物置部屋を飛び出す。
狭い家だ。父親の元へはすぐに辿り着いた。殆ど灯はない中でも、父親はココロの存在を確かに察知し、強く抱きとめた。
「おとーさん、おかーさんが‼ へんな男の人に‼」
「なっ!? ココロは外に出ていなさい。後はお父さんがなんとかするから」
「う、うん……」
父にそう言われ、ココロは駆け出そうとした。だがそれより早く、ランタンを引っさげた男が母親の髪を鷲掴みにして、引きずりながら姿を見せた。
するとランタンの光が、父の姿をも照らし出す。
父は、血まみれだった。服には大きな大きな赤い染みが広がっており、未だに赤い血が流れ出しては床を濡らしている。
ココロはあまりのことに、悲鳴すら上げることが出来なかった。代わりに腰が抜けてしまい、尻餅をついてしまう。
「ココロ、逃げるんだ……早く‼」
父親はそう、怒鳴るように叫ぶと、男へ向かって勢いよく飛びかかっていった。
そんな父に男はランタンを投げつけ、一瞬怯ませる。その一瞬が、決定的だった。
ガシャンと、父の手で振り払われたランタンが、床にぶつかり壊れる音がした。
「っ……あ……が……コ……コロ」
「ココロ、逃げて……」
父が、力なく床へ崩れ落ちた。血溜まりが広がっていく。
壊れたランタンが床に油を撒き、火を灯す。燃えていく。
男の手には、血まみれの刃物が握られていた。ケラケラと笑い、ココロへと歩み寄ってくる。
母親がなけなしの力で男の足にすがりつくが、男の刃物があっけなく振り下ろされ、母の首筋を――――
☆
気づけばココロは、村の中央広場と思しき場所に立っていた。いつの間にか夜は明け、朝日が顔を覗かせている。直前までの記憶がない。
ぼんやりした頭で、ココロは辺りの様子をうかがった。見覚えのある場所。なのに自身のよく知るそれとは、大きく様変わりしている。
地面のあちらこちらが大きく抉れ、陥没し、建物や木々がでたらめに破壊されている。燃えているものもあり、煙の柱が至るところから立ち上っている。
そして足元。誰のとも知れない、肉塊が転がっていた。
ココロはようやっと我に返り、そして仰け反り腰を抜かした。
それは紛れもなく人の死体。けれどそれが誰の死体なのか、判別できないほどに原形を留めていない。あまりにグロテスクな光景に、堪らず股間を汚してしまうが、それどころではなかった。
遺体はこれだけではないのだ。周囲を見渡せば、ちらほらと人の手足や、ぶち撒けられたような血の跡が見て取れる。
そしてフラッシュバックする、父と母の姿。
ココロはフラフラと立ち上がると、必死に足を動かし我が家を目指した。
道中も、惨憺たる有様を目の当たりにし、ココロはそれを悪い夢なのだと確信した。それでも、どうしようもなく足は我が家を求めて駆ける。
肩で息をし、ようやっと家が見えてこようかという所まで至ったが、おかしなことにいつまで経ってもそれが見えてこない。
代わりに立ち上る煙は、この上なくココロの不安を煽り立てた。
そうして彼女が目の当たりにしたのは、炭と灰に成り果てた我が家だった。
いくら探しても、父も母も何処にもいない。
その日ココロは、唐突に一人ぼっちになってしまった。
幸せな収穫祭は、二度と訪れることはない。
どうも、お世話になっております。カノエカノトです。閲覧頂きありがとうございます!
さて、以前この後書きにてお知らせしておりました通り、木曜日の投稿はお休みさせていただきました。
正しくは、木曜〇時の投稿をお休みし、金曜〇時には投稿再開となります。
お休みしたことで、ちょこっとだけストックが出来ましたので、この調子で余裕を持って進めていけたらと思います。
さもないと、お話が一段落した時点で、しばらく更新を止めてでも先の予定を組む必要が出てきますからね。それはなるべく避けようと思いまして。
ということで、ご理解の程頂ければ幸いです。




