第二五六話 脳筋オバケ
こういった大会で、大勢の強者達を目にすると、世界の広さというものを嫌でも実感させられる。
今大会の武術部門。いよいよ上位八人が出揃い一層の激戦を繰り広げる中、我らがクラウの出番は現在行われている試合のすぐ後となっている。
対戦相手の情報は既にあり、その試合も目の当たりにしたのだが。
正直、かなりヤバい相手だった。
通信の向こうからは、クラウの緊張した声が届いている。
『はぁ……ベストエイト止まりかぁ……』
「こらクラウ! 戦う前から気持ちで負けるんじゃない!」
「そうだぞ! やってみなきゃわかんねーだろ!」
必死に励ますイクシスさんとシトラスさん。
クラウ自身、勿論分かってはいる。寧ろ強大な敵に立ち向かうのは、バトルジャンキーであるクラウにとって望むところのはずだ。
しかしながら、そんな彼女の自信がしおれてしまうほどに、対戦相手のあの人はヤバかった。
『だって、サラステラおば様だぞ……無理だもん……。あの人の語尾、"パワー"だぞ? 常識が通じないんだ』
「えっと、サラステラさんっていうのは?」
はい、いつものやつである。また私だけが知らない、一般常識だ。
早速ソフィアさんが解説してくれた。
「邪竜殺しの英雄サラステラ。一言で彼女を評するなら、脳筋オバケです。強靭すぎる肉体と、比類ない膂力で万難を薙ぎ払っていくお方で、特級冒険者ですね。勿論超越者であり、イクシス様とは親しい仲だと聞き及んでいます」
「まぁ、悪いやつではないな。良くも悪くも裏表がなく、分かりやすい。基本的には善人だが、一度思い込むと何をしでかすかわからない恐ろしさも孕んでいる、とにかくヤバい女だ」
「イ、イクシスさんをもってしてヤバい女って……」
相当ヤバい人らしいってことだけは分かった。
それに彼女の二回戦、私たちも観てはいたんだけど。
全長三メートルを超えるような大剣を、ステージにパコンと一つ叩きつけ、真っ二つに叩き割ってしまった。あ、割れたのは剣ではなく、ステージである。綺麗に半分に。
対戦相手は剣圧だけで場外にぶっ飛び、会場は騒然。実況さんは大興奮。
なんでも、彼女が前回大会の優勝者らしく、今回優勝を決めたなら殿堂入りを果たすとか何とか。
実質、殿堂入りと銘打った出禁である。
イクシスさん以外に、あんな無敵超人がいるとか反則だろう。
でも、イクシスさんはそれ以上に強いというのだから、人は見かけによらないというか何と言うか。
ともかく、試合を次に控えてるにも関わらずクラウの自信はしおしお。誰の励ましも意味をなさない有様だった。
そしてついには。
『せめて、生きてステージを降りることだけは果たして見せる……!』
などと言い出す始末。
そんなにか。サラステラさんとやらは、そんなにヤバいのか……。寧ろ、逆に次の試合楽しみになってきたんですけど。
なんて言っている間に、ステージ上では勝負がついたらしく。
損傷したステージの修復が終われば、いよいよクラウの出番である。
決着と同時に観客が湧けば、その歓声で自身の出番が間近に迫っていることを察し、クラウが怯えた悲鳴を上げる。
こんなに弱々しい彼女は、初めてだ。
皆が順繰りに応援の言葉をかけるが、どうにも彼女の心を上滑りして流れていっているようである。
さて、私は何と声をかけてやるべきか。少し逡巡し、努めて明るい調子で私は言う。
「クラウ、やったね。チャンスだよ!」
『? どういう意味だ?』
「勝ち目がない相手と戦うってことは、極上の経験値を得るチャンスってことじゃないの? 超越者を目指すのなら、こういう機会こそ上手く使っていくべきなんじゃない?」
『は……っ! た、確かにそのとおりだ……!! だ、だが相手はあのサラステラおば様……』
「彼女を相手にすることが、経験値をみすみす見逃す理由になるの?」
『うぐぅ……っ』
グサッと、私の言葉がクラウにぶっ刺さる音が聞こえた気がした。どうやら効果はテキメンだったらしい。
しばし黙り込んだ彼女は、静かに覚悟を口にした。
『ミコトの、言うとおりだ……そうだな。すまないみんな、弱音を吐いてしまった。目標を改めさせてもらう。次の試合、私は全身全霊を賭して良質な経験値を獲りに行く! サラステラおば様に胸を借りるつもりで、精々ぶつかってみるさ。そして……い、生きて戻ってくる……!!』
震える声でそう言ったクラウ。
相変わらず根底にある恐怖は揺るがないようだが、それでも闘志には火がついたらしい。
これ幸いと、皆は再度一斉にクラウに激励の言葉を投げ、そうしてついに彼女の出番がやって来た。通話が切れる。
後は、他の観客たち同様客席より声援を飛ばすだけである。
さて、どんな試合になるのだろうか。
「クラウ様、大丈夫でしょうか……」
「あそこまで怯えるクラウは初めて見た」
「もしや何か、サラステラ氏に対しトラウマでもあるのでは?」
「そこのところ、どうなのイクシスさん?」
「むー……そうだな。心当たりは、色々あるな」
「俺も、クラウがあの人に相手してもらってる場面には何度か立ち会ってるぜ……」
そうしてイクシスさんやシトラスさんから語られた、幼いクラウとサラステラさんのエピソード。
曰く、小さなクラウをあやそうとして、雲より高く放り投げただとか。
剣の指導中うっかり加減を間違えて、当時クラウの大事にしていた剣を粉々にしただとか。
クラウが脳筋理論に洗脳され、一時期パワー絶対主義の脳筋道に導かれかけただとか。
聞けば聞くだけ頭を抱えたくなるような、謎エピソードが次々に飛び出してきた。
簡単に言うと、サラステラさんはそのつもりもなしに、幼いクラウを碌でもない目に遭わせまくっていたらしい。
厄介なのはそこに一切の悪気がなく、そして目を覆いたくなるような大怪我をクラウが負った、なんて事実も全く無い。寧ろ彼女はクラウを猫可愛がりしていたとさえイクシスさんは語ったのだ。
そしてクラウの方も、なんだかんだで彼女には懐いているらしく、こういった真正面からやり合うような機会でさえなければ仲良しなのだと言う。
つまりクラウのあの怯えっぷりは、尊敬の裏返しということだろう。
サラステラさんの力をよく理解し、尊敬しているからこそ、自分がそれを打ち破るビジョンが全く想像できない、と。
彼女のパワーがもし自分に牙を向けば、きっとぽっくり命を失ってしまうだろう。幼い頃からクラウは、そんな漠然とした恐怖を懐き続けていたのかも知れない。
そして現在、唐突にそんな彼女と対峙する日が来てしまった、と。
いよいよ実況の声を合図に、クラウ扮するマスクちゃんと、前回大会優勝者であるサラステラさんがそれぞれの入場口より登場。
流石現チャンピオンであり、殿堂入りを間近に控えたサラステラさんは大人気なようで、彼女の登場に際して会場中が盛大に湧き上がった。その歓声たるや、正体不明のマスクちゃん登場時とは雲泥の差と言って良い。
そんな二人がステージに上り、舞台中央に於いて向かい合う。
私たちは望遠メガネなどでその様子をはっきりと捉えていた。
特に心眼持ちの私は、サラステラさんの変化にすぐ気づいてしまう。
「あ。サラステラさんって人、多分マスクちゃんの正体に気づいたね。すごく嬉しそうな感情が見えるよ」
「あいつは勘が鋭いからなぁ。顔を半分隠したくらいじゃ、誤魔化せないだろう」
「クラウは家出していたから、もしかして久しぶりの再会?」
「だとしたら、サラステラ様のテンションが上って大変なことになるんじゃ……」
「危険、かも知れませんね」
「そ、その時は俺が身を挺してでもあいつを守るぜ……!」
何やらステージ上では二人が言葉を交わしているようだが、流石にここからでは聞き取れない。
しかしココロちゃんの懸念通り、サラステラさんのテンションがゴリゴリに上っているのは分かる。
そしてそれと反比例するように、クラウの怯えは増していく。だ、大丈夫かなあの娘……。
そんなこんなでいよいよ試合開始である。
言葉を交わし終えた二人がある程度距離を離して位置につけば、満を持して実況が試合開始の合図を出した。
『武術部門第三回戦、マスクちゃん対サラステラ。用意…………始め!』
掛け声とともにゴングが鳴れば、いよいよ試合開始である。
珍しく先に飛び出したのはクラウの方だった。恐怖から来る自棄っぱち、というわけではない。
構えて様子見なんてしていたら、防御の上から潰されるという確信があるのだろう。
彼女の目標は、サラステラさんの胸を借り、可能な限りたくさんの経験値を稼ぐことにある。
なればこそ、守っていても仕方がないと判断したと思われる。
狙いを絞らせぬステップやフェイントを織り交ぜながら、接近を試みるクラウ。
対するサラステラさんは、どこからでもどうぞ打ってきてくれと言わんばかりの棒立ちだ。
彼女の容姿は、アマゾネスも裸足で逃げ出すゴリマッチョ……というわけではなく。
非常に均整の取れたスポーツマン然とした、アスリート体型だ。身長も多少高くはあるが、著しい長身ということもない。
あと、若々しい。イクシスさんと言い彼女と言い、もしかしてMPや魔力の影響とかで、強い人は老いにくいとか、そういう仕組があったりするんだろうか?
どう見たって二十代くらいにしか見えない、スポーツ万能そうなお姉さん。それが私から見たサラステラさんの印象である。
語尾に『パワー』が付くだなんて話だけど、少なくとも外見にそれほどおかしなところはない。
身の丈の三倍はありそうな大剣を軽々と肩に担いでるのは、まぁ確かにヤバいけど。
髪は明るめの灰色。肌は小麦色に焼けており、衣服はジャージっぽいラフな格好である。防具は見当たらない。強いて言えば服が防具なのだろうか?
そんな、ともすれば一般のアスリートにさえ見紛えそうな彼女に、しかし容赦なくクラウは切り込んで行った。
聖剣を躊躇いなく閃かせ、その刀身には青い聖光さえ纏ってのガチな一撃である。
それを彼女の背後から、鋭く振り下ろすのだが。
「……は?」
思わず、そんな間抜けな声が出てしまった。バトル漫画さながらの光景がそこにあったためだ。
聖剣を、容易く指で摘んで受け止めたサラステラさん。
そんな彼女の手からどうにか聖剣を引っこ抜こうと全力を込めるクラウ。内心大慌てである。
一瞬、早くも決着の付く未来が脳裏を過ぎったが、しかしサラステラさんはそれをあっさり手放し、クラウが退くのを許した。
あ。クラウ、半べそかいてない?
これはマジで勝てないやつだ。負けイベと言うにも甚だしい。
果たしてそんな相手にクラウはどんな立ち回りを見せてくれるのか。
いよいよ私も、楽しみより不安のほうが大きくなってきた。
頑張れクラウ! お願いだから生きて帰ってきて!




