第二四話 本と収納
この世界の水源事情について少し説明しておこう。
当然ながら、この世界にも泉はあるし、川も流れているし、海だってある。地下水もあるし雲もあり、雨も降る。
とどのつまり、そこら辺は地球と大差ないという話。
けれど飲食店などで取り扱われる水に関しては、特殊な場合があるのだ。
この世界に水道のようなものはない。代わりに井戸はあるのだが。
しかしギルドのような、戦力の集中する場所は街単位で見ても、国単位で見てもそれなりの要所であり、特にギルド内に設けられた飲食スペースなんてのは弁慶の泣き所になりうるわけで。
例えばギルドで利用している井戸に毒物を投げ込めば、それだけで冒険者の戦力を大幅に削ぐことが出来る、などという悪いことを考えるやつというのはいるものだ。
その対策の意味もあり、ギルドでは水を生成する魔道具、というものを用いて客に飲用水を提供している。勿論、料理にも用いるわけだが。
これにより、毒物混入の危険性へ対処しているわけだ。
もっとも、単純に便利だから、という理由もあるのだけれど。何せ井戸から水を汲み、運ぶ手間を削減できるのは大きいのだ。
まぁそんなわけで、水は飲み放題である、と。そういう話。
「では、お腹がはち切れん程飲みましょう」
「やってやる……やってやるとも!」
「私も、頑張る」
「今回は私だって負けません!」
我々は今、ギルドの飲食スペースで四人がけのテーブルを囲み、それぞれの手元には、綺麗な水がなみなみと注がれた木製のジョッキ。テーブル中央には水の入ったピッチャーが幾つも集められている。
これから我々が何をしようとしているのかと言えば、幻のスキル【アイテムストレージ】を求めて、試練に挑もうとしているわけで。
実際、副産物的にではあったけれど、ソフィアさんが二つも新しくスキルを開眼させたことで、私達のやる気は青天井になっている。
ソフィア理論は実績を示してみせたのだ。ならば後は、我々の努力と、ジョブとの相性次第!
「それじゃぁ皆、準備はいいね? 各々のタイミングで、限界を超えて飲み進めろ!」
「「「応‼」」」
今回行うのは、異空間収納の概念を体の中に感じ、無尽蔵に水を飲み続けてみようという試みだ。
お腹の中に無限の空間を想像し、体感することでアイテムストレージに目覚めようという荒行である。
果たしてこんなことに意味があるのか? なんて今更誰も考えない。
寧ろ、意味が無いなんてことこそないのだ。だって仮にアイテムストレージが手に入らなかったとしても、別のスキルに目覚める可能性があるってことが分かったから。
なので、もうバカバカしいなんて気持ちは誰の中からも消え失せていた。
私が、私こそが新しいスキルに目覚めるのだと。そう信じて真剣に取り組む。
やっていることは、ひたすら冷水を呷り続けるだけなのだけれど。大事なのはイメージなのだ。
胃の中に無限の宇宙が、或いはブラックホールがあると信じ、ひたすら水を飲む。飲む。飲む‼
「んっ……んぐ……ぐ……ぶはっ、もう一杯!」
「私も、まだまだ行ける」
「負けませんよぉ」
「皆さん、なかなかやりますね。ですがスキルを獲得した感覚を覚えている私にこそ、アドバンテージはあるのです」
「なんで勝負みたいになってるんだ……いや、その方が燃えるか。よし、負けないぞ!」
私達は、殆ど同じペースで水をジョッキになみなみと注いでは飲み干しを繰り返した。
段々と全員が顔色を悪くする中、また全員が新たに一杯、ジョッキに水を注いだ。そして手が止まる。
これ以上は、溢れる。そんな確信があった。ちょっとでも水分が下に降りるのを待たねば、物理的に溢れてしまうのだ。
だが心は折れない。手は進まないが、口は動く。
「皆知ってる? 人間は、水を一気に飲みすぎると死んでしまうんだ」
「それはいけませんね、ミコト様何卒あとのことはこのココロに任せて、ご自愛なさってください!」
「そんな事を言っておいて、実はもう限界なのでしょう?」
「無理は良くない。ココロもギブアップするべき」
「それはお二方もでしょう!?」
「いいえ、無理をしなくてはスキルなど得られません。スキルのためなら私はやれます!」
「ソフィアさん、無茶しやがって……」
啖呵を切ったと同時に、ソフィアさんがスパートをかけた。誰も動けぬのを嘲笑うかのように、グビグビとジョッキを一気に呷っていく。口の端から勢い余って水が溢れるのも構わず、豪快に呑み干していく。
とてもあのクールビューティーソフィアからは信じられないガッツだ。
そのままの勢いでジョッキを空にしたソフィアさんは、ドンとジョッキをテーブルに叩きつけると、ドヤ顔で私達を睥睨した。
が、次の瞬間顔を真っ白にさせ、口元を押さえながら何処かへ走り去ってしまった。多分トイレだ。
「皆少し熱くなりすぎだね。本来の目的を忘れた、大飲み対決みたいになってる。もう一度ちゃんと、イメージを立て直したほうがいい」
「それも、そうだね。ちょっと本題を、見失ってた」
「うぷ……そうでした。私の胃袋は広大巨大……何をいくら飲み食いしても苦しくない。こんなジョッキくらい、まだまだいくらでも……うっぷ」
結局その後も三人で水をちびちび飲み続けたけれど、あんまり気持ち悪くなってきたせいで集中力も続かず、この荒行は棄権することとなった。
残念ながら、これで誰かがスキルに目覚めたということはなかったようだ。
だが、おかげで良い感じに頭が冷えたとも言える。
体調も何だか崩れてしまったので、今日のところは帰ることに。
トイレで排出してしまうまでは、皆ぐったりとして苦しんだ。何せ大量の水分が体の中を通り抜けていくのだ。それはもうしんどいったらない。
そう考えると、一足早くリバースして大放出したであろうソフィアさんはまだマシだったかも知れない。汚い話だけれども。
ともあれ、一度宿に戻って休んだ私達は、しかしじっとしているだけというのも勿体なかったため、大分調子が戻ってきたのを見計らって野営具の買い出しに出かけた。
オルカとココロちゃんのアドバイスもあり、なかなかいい買い物が出来たと思う。
とは言え異世界キャンプが日本のそれと同じかと言えば、まぁそんなわけもないので、出来れば野営をせずに済むようなスケジュールで動きたいなと内心では思った。
野営具だって嵩張るのだから、当然テントなんて持ち運べるはずもないからね。
やはり是が非でも、【アイテムストレージ】はマスターしたいものだ。今後も訓練は続けていこう。
★
それから数日。
私達は適度に依頼をこなしつつ、適度に休日も設けながら過ごした。
そう。休日という名のスキル訓練日を繰り返したのだ。ただ、これと言って大きな成果は得られていない。
だが、スキルに目覚めたソフィアさんという実例を見てしまった以上、無駄なことをしているという感じはしないのだ。おかげで奇行が捗っているわけだが。
ギルドでも宿でも街中でも、すっかり私達は頭のおかしな美少女集団として有名を馳せつつある。不本意だが、まぁ仕方がない。なんてったってスキルは冒険者にとって……いや、この世界に暮らす全ての人にとって、生命線とも言える重要なファクターなのだ。
それを思えば、新たなスキル獲得のために、他人とちょっと変わったことをしているだけのこと。別に憚るようなことじゃない。
……と、自分たちに言い聞かせながら頑張っている。
因みにこなしている依頼については、移動距離も鑑みたり、納品する素材の運搬を考慮したりして、ソフィアさんと相談しつつ、多少報酬が安くとも無理のないものを、着実に消化している感じだ。
貯蓄もじわじわ溜まっていってるし、平穏に暮らすだけなら今の生活も悪くはないと思う。
が、人とは常に利便性を求め、利便性のためならリスクも呑み込んでしまう生き物なのだ。
というわけで、今日も今日とてスキル訓練に励んでいるわけだが。
正直、【アイテムストレージ】の習得に関しては行き詰まりを感じていた。
いろいろと、異空間収納のイメージを実現させるべく試してはみたのだけれど、どうしたってスキル発動には至らないのだ。
今日はスキルの鍛錬日ということで、依頼を受けるでもなくギルドの訓練所でスキル習得のための奇行を繰り返していた。
最初こそ、ギルドの訓練場なんて誰が利用するんだ? なんて思っていたけれど、すっかり私自身が常連となっている。オルカもココロちゃんも一緒だ。
だってここなら、多少おかしな行動を繰り返していても、同じ冒険者やギルドのスタッフにジト目を向けられるくらいで済むから。
しかしそれにしたって、そろそろネタが尽きつつある。
「うーん……アイテムストレージ習得のために、他にやれることってなんだろう……んー」
「思いつく限り、色々試しましたからね」
「……もしかすると、考え方が違う、のかも」
「お? それって異空間収納っていう考え方がそもそも、ズレてたんじゃないかってこと?」
「そういうスキルも確かにあるのかも知れない。でも、アイテムストレージは違った、のかも」
「なるほど、行き詰まったら前提を疑うのは基本だもんな。だとすると、アイテムストレージの仕組みって……」
以前口にこそ出さなかったけれど、オブジェクトをデータ化して保管している、という考え方が頭を過る。が、流石にそれはどうだろうかという疑念もある。
保管と言うけれど、何処にどうやって保管しているのかが漠然としているわけだし。
まさかこの世界で、メモリーカードみたいなものが流通しているとも思えないし。
……いや、調べもしないで決めつけるのは良くないか。
「あのさ、ところでこの世界には……」
「皆さん、進捗はいかがですか?」
と、質問を投げてみようとしたタイミングで、性懲りもなく仕事を抜け出してきたソフィアさんがやってきた。
この人、スキル鍛錬の日には必ず参加してくる上に、毎回無茶をして痛い目を見ているのだけれど、本当に全く懲りない。
しかもやっぱり仕事はサボっているのか、上司に叱られている姿を何度か目撃してしまった。
そのくせ上司のお説教は、素行不良に対する注意の一点に尽きており、業務の方はちゃっかり滞りなくこなしているらしい。普通にしていれば有能なのに。
加えて最近は、スキル鍛錬の影響でソフィアさんにも奇行が目立つようになり、どんどん名物受付嬢のポジションを盤石なものとしていってるらしい。
当人はそれらの目を全く気にしておらず、スキルのためなら相変わらずなりふり構わない姿勢はいっそ清々しく見えてきた昨今だ。
そんなソフィアさんが、何やら一冊の本を抱えて来た。
自ずと皆の視線は彼女の持つ茶色い表紙の本へ集まるわけだが、それを察してドヤ顔を作るソフィアさん。ちっ、普段は無表情なのに、ドヤ顔のときだけやたら表情が豊かになるソフィアさん。かわいいじゃないか。
「それで、何を持ってきたんですか?」
「どうやらミコトさんも行き詰まっているようでしたので、資料室から収納魔法に関する研究資料書をお持ちしました。アイデアの足しにでもしてください」
「おお、それは助かります!」
私はソフィアさんから資料書を受け取ると、パラパラとめくってみた。が、読めない。そうだった、未だに文字が読めないんだ。
これが地味に不便で、流石に数字と簡単な字くらいは覚えたけれど、ちょくちょく読めない看板なんかがあって眉間が狭まってしまう。
必要なことと分かってはいても、一から文字を覚えるというのはやはり大変だ。げんなりとした気持ちになってハードカバーを閉じた。
流石にこれを誰かに読み聞かせてもらうというのは気が引ける。やはり地道な勉強が必要なようだ。
しかし、読めない本に意味はないな。それならいっそ白紙のほうがまだ私にとって有益だ……んん?
「本……記録……あ。もしかすると……」
「? ミコト、どうかした?」
「その表情、何か思いついたみたいですね。読めないはずの本から何かを思いつくとは、恐れ入ります」
「当然です。何せミコト様ですからね!」
「ていうか、読めないと分かってて差し出さないでくださいよ!」
「そこはご愛嬌というものです。それで、何を思いついたのですか?」
アイテムやオブジェクトをデータ化して持ち運ぶ、という発想は一応あるにはあった。
ただ、いくらゲームみたいな世界とは言え、物質が情報体へ変換されるなんてことがあるものかと、その考えは否定していたのだ。
仮に起こり得るとしても、それを記録するようなものがないじゃないか、と。
だが、とても原始的ではあるが、本があれば記録できるんじゃないだろうか?
本でなくとも、要は記録でも記憶でも、情報を保管できる仕組みさえあれば可能性はある。
大事なのは、記録媒体さえあればアイテムを情報へ変換し、記録という形で収納しておけるかも知れない、という話。
異空間収納という考え方が間違いであったなら、そういったヘンテコな発想もこの際試してみていいんじゃないかって思った。
正直荒唐無稽で、世迷い言の類だとは思っている。物質を情報に変換なんて、ファンタジーと言うよりSFだ。
だけど、バカバカしいと思えることをここしばらく続けてきたのだ。ならば突飛な言動だって今更である。
「ざっくりと説明すると、本の中にアイテムをしまっておけないかな、って思ったんだ」
「ほ、本の中に、ですか?」
「本に、穴をあける……とか?」
「すみません、ココロにはよく理解できません……」
「まぁそういうリアクションになるよね」
本に物を収納するという喩え自体がそもそも正確じゃないからね。仕方ないんだけど。
もう少し別の言い回しをしてみるか。
「あー……例えば、収納したい物の名前を本に書き込んだら、それで収納したことになって、物が姿を消す。とか、そういう事ができないかなーって話なんだけど」
「! それは、とても夢のある発想ですね! 実在するのなら、是非私も習得したいスキルです!」
「その発想は、無かった」
「ココロもそんなこと、考えたことすらありませんでした。やっぱりミコト様は凄いです!」
「まぁ、私の発想っていうか、何処かで聞いたような話に例えただけなんだけどね」
ともあれ、なんとなく概要は掴んでもらえただろうか。
あとはこれをどうやって訓練するか、という問題があるんだけど。
白紙の本でも探してアイテム名をひたすら書き込んでみればいいのかな?
ああいや、待てよ……本ではないけれど、情報が記してあるものと言えば、アレがあるじゃないか。
もしもシナジー効果を期待できるとしたら、こんなに便利なことはない。
「ステータスウィンドウにアイテムがしまえるスキルとかだったら、最高なのにな……」
「そっ、それは反則です! それでは私が覚えられないではないですか!」
「ちょっとずるい……」
「ミコト様が特別なのは当たり前なのです!」
「言ってみただけだから! いいからとにかく、どうやったら覚えられるかを改めて考えてみよう」
そんなわけで、私達は異空間収納という発想から、情報としての保管という考え方にシフトし、新たなアプローチで訓練内容を思案し始めたのだった。




