第二二九話 引越し準備
公衆浴場にて今日の疲れを落とした後、ソフィアさんおすすめの食事処でテーブルを囲う私たち。
店内の雰囲気は煩すぎず、静かすぎず。普段から馬鹿騒ぎをするようなタイプでない私たちにとっては、居心地のいいお店である。
ソフィアさんがPTに加入してからというもの、晩御飯までともにするのが当たり前となった。
そのため最近は宿の食堂ではなく、彼女の勧めてくれるお店で頂くことが多くなったのだ。
受付嬢として働いていると、どこのお店が美味しいだなんて噂も耳に届くとかで、気づけばそうした知識が頭に入っていたのだと彼女は語る。
それに対して私たちは、揃いも揃って食に対するこだわりというのが薄い。
勿論美味しいものが頂けるというのならば、それに越したことはないと思ってはいるけれど、味より何より食べられるものにありつけている。ただそれだけで有り難いと感じてしまうのは、職業柄『死』というものが身近に存在しているからかも知れない。
特に私なんて、一度死んでるしね……。
お肉料理なんかを見ると特に、何やかんやと脳裏を過ぎってしまいがちなのだ。
とは言え、冒険者全員がそうであるってわけでもない。普通にグルメな人もいるしね。であればこそ、ソフィアさんが美味しいお店を知っているわけなのだから。
とまぁ、それはさておき。
それぞれが美味しい料理に舌鼓を打ちながら、しかし存外話す内容は真面目なものだった。
即ち、赤髪の剣士レッカさんが向かったらしいバトリオへ向けての移動に関してである。
「これを機に活動拠点を移すとして、次はバトリオを中心に動く感じかな?」
「一時的な滞在なら、そこまでどっしり構えないほうが良いかも」
「とは言え、その剣士以外にはスイレンとやらだけが一応の手掛かりだからな。その先はどうなるかも分からぬし、何より闘技大会……血が騒ぐじゃないか」
「何にせよ、移動なら挨拶回りをしなくちゃですね。ココロ、お世話になった人が沢山いますから」
「それで言うと、私はこの街でそれなりに長く過ごしましたからね。次の休養日は朝から回る必要がありそうです」
「それなら私は、特にオレ姉と師匠たちに話をつけないとだ。師匠たちは多分何とかなるとして、オレ姉は修行に出てるからなぁ……置き手紙でも書けばいいかな?」
なんて話で終始した晩餐の席では、一先ず明日から三日ほど休みを設けて、休養も兼ねつつそれぞれ旅立ちの準備を行うことが決まった。
皆旅立ちの気配に、それと無い高揚感を滲ませていたけれど、同時に一抹の寂しさも覚えたようで。
特にこの街での生活が長いソフィアさんとオルカからは、そうした思いが際立って感じられた。
気分はお引越し前のそれに近い。
そう考えると、私も何だか急に胸が締め付けられるようである。
それぞれの思いを抱え、その日は解散となった。オルカたちは宿へ。ソフィアさんは自宅へ。そして私はおもちゃ屋さんへ。
★
以前より、睡眠学習の効率が良いみたいだ。
ああ、睡眠学習というのは比喩だ。その実態は、オートプレイスキルによる寝ながらにしての魔法やスキルの訓練である。
最近のダンジョン攻略時にも実感したことだけれど、前と比べて一日ごとの成長が自身でも分かるくらい著しい。
というのも、恐らくその要因となっているのは『奥魔の指輪』と『並列思考』の二点ではないかと考えられる。
奥魔の指輪は、魔法でMPを消費すればするだけ魔法強化のバフが掛かるという特殊能力を持つが、それとは別にMPの自動回復効果も持ち合わせている。
これにより、以前よりもMPに大きな余裕が出来たため、寝ている間の私は好き放題訓練を繰り返しているものと考えられる。
そこに拍車をかけているのが並列思考のスキルだ。
単純な話、並列思考を用いることで今までの倍、魔法の複数同時発動や操作が可能になったわけであり、MPにも余裕があるというのだから尚の事やりたい放題なのだろうと予想できる。
それを裏付けるように、この前宿の方に泊まった際、朝起きたらオルカが青い顔をしていた。
そして言うのだ。「もう、ミコトと一緒の部屋じゃ寝られない」と。
どうやら彼女は夜中、余程恐ろしい光景を目にしたらしく、冗談抜きのガチトーンだった。
あれは……ショックだったなぁ……。
そう言えばもう一個。実はステータスのMPとINTについてなのだけれど。
完全装着のスキルによって補われている私の能力値は、しかし装備を全部外した場合一般人とさして変わらないばかりか、何なら劣るくらいの数値しか無かったりする。
一応じわじわ成長してはいるのだけれど、そのスピードは異常なほど遅い。っていうか、初期の頃に比べてもそれ程変化はないとさえ言えた。
ところが、である。
最近になって、MPとINTが着実に伸びているのだ。ばかりか、他のステータスも伸びが良くなった気がする。
特にSTRとDEXは、ちょっと意識して体を鍛えてみただけで上昇が見られたほどだ。
タイミングから見るに、どうにも仮面の化け物を倒し、取り込んでからの変化って気がしてならない。
どうやらスキルを受け継いだだけではなかった、ということらしい。
あいつは近接物理特化型って感じだったから、それに応じたSTRやDEXが特に伸びやすくなった、ってことなのかも。
ただ、具体的にどういった理屈が働いてそうなったのか、という部分に関しては、未だ以てさっぱり分からないのだけれど。
ともかく、MPやINTの伸びに関しては、寝ている最中きっとバカみたいにスキルないし魔法の訓練を繰り返しているからであると確信している。
目覚めて早々、ステータスをチェックしてそんなことを思った。
ああちなみに、訓練は寝ている時に限ったことではない。ソシャゲ廃人ばりに、MPが頭打ちにならぬよう常に何かしらの方法で消費し続けている。
正に、寝ても覚めても日々鍛錬なのだ。
「さて、今日は挨拶回りか……」
ベッドから出てパジャマから部屋着へ換装。
寝ぼけ眼をこすりながら洗面所へと向かい、朝の身支度を整えた。
時刻はまだ朝の六時前。妖精たちの朝は早く、それに準じて私の朝も早い。
顔を洗ったり歯を磨いたりと、なんだかんだしている内に目も覚め、今日も今日とて朝から魔道具作りの修行である。
ようやっと半人前と認められた私は現在、師匠たちの製品作りに加わり、より実践に近いところで熟練の技やノウハウを学ばせてもらっている。
普段は友達感覚のモチャコたちも、この時ばかりは尊敬するべき師としての顔を見せる。
別に偉そうにしているとか、そういうことではない。純粋に彼女らの駆使するその技術力には舌を巻くばかりであり、日々学びの連続であるため、自ずとそう感じてしまうわけだ。
そんな朝の作業も一区切り付いたところで、私はモチャコたちへ拠点移動の件について切り出した。
その結果、モチャコの返答はある意味予想通りだった。
「そっか……それじゃぁこの街の子たちとはお別れかぁ」
「寂しくなるわね……」
「でもー、次の出会いがあるよー」
ということで、どうやらおもちゃ屋さんの移動に関しては任意に行えるらしく、バトリオまで付いてきてくれる気満々と言った様子だった。
そも、もともとおもちゃ屋さんは世界中を転々としており、長距離移動も問題ないとのことだ。
ただ私の修行の件もあって、今回は普段より長らく一つの街に留まったようで、その分この街の子たちとはいつも以上に交流を持ったのだと。
それ故に普段より一層さよならが辛いと彼女たちは語った。
「そういう意味だと、ミコトは本当にへんてこだよね。ミコトみたいな子は他に見たことがないよ」
「付与をスキルなしに使ったり、他の子達よりずっと大きかったり、転移のスキルを持っていたり。すごいわよねぇ」
「おもちゃ屋さんも長くやってると、こんな出会いもあるんだねー。次の街にはどんな子が待ってるのか、今から楽しみだよー」
なんて沁沁と語るモチャコたち。
ともあれ、アルカルドを離れることに関して、モチャコたちは特に問題視したりはしないようで一安心である。
朝の修行が終わったなら、朝食を摂るためオルカたちと合流する。最早ルーティーンだ。
いつものように宿の食堂で顔を合わせると、そこにはソフィアさんの姿もあった。
ギルドの仕事は朝も早く、そんな生活に慣れているソフィアさんは、私たちが宿泊している宿まで朝イチでやってきて朝食をともにする程度、どうということはないとのこと。
斯くして今日も朝から食卓を囲うわけだけれど、そこでふと話題に挙がったのが、次の宿に関してだった。
「そう言えばバトリオにも、こういう女性専用宿ってあるのかな?」
「あったとしても、居心地がいいとは限らない。そもそも部屋が空いているかすら問題」
「闘技祭を控えているという話でしたよね。でしたら確かに、ここほど居心地のいい宿を見つけるのは難しいかもです……」
「むぅ、とは言え宿と冒険者は切っても切れないからな。あまり選り好みもしていられないだろう」
「最悪ここから通う、という選択肢も、ミコトさんがいれば可能ではありますが……やはり現地宿が取れるのなら、それに越したことはないでしょうね」
長らくお世話になっている今の宿は、女性専用ということで安心して利用できる稀有な宿泊施設だ。
生前のそれと比べたなら、この世界のセキュリティなんてかなり甘々であるため、一層女性専用という点は私たちのような女性だけの冒険者PTには有り難い存在である。
それだけ需要があるのだから、バトリオでも似たような宿は見つけられるかも知れない。
しかし、需要があるからこそお祭りを控えている今の時期、空き部屋なんてとっくに埋まっている可能性が高かった。
それにバトリオだけの話でもない。これから先、女性用の宿ばかりを渡り歩くというのも難しいだろう。
となれば、何かしらの手を考える必要がある。
私の場合はまぁ、おもちゃ屋さんに寝泊まりすれば済む話ではあるのだけれど、かと言って他のみんなを放ったらかしには出来ない。
「何とか手を考えないと……」
「そうは言っても、贅沢な悩みではある」
「ですね。ココロも昔は安宿ばかり利用していましたし」
「私もだ。それを思うと、この宿が如何に居心地が良かったか分かろうというものだな」
「そう言えばミコトさんは、この宿以外の宿屋に宿泊した経験がないのでしたね」
ソフィアさんにそう指摘され、言われてみたら確かにそうかと思い至る。
この世界に来て初めて泊まったのがこの宿であり、それからなし崩し的に長期宿泊をしているのだった。
まぁ私の場合、ちょいちょい外泊をしていたりするのだけれど。っていうか最近はほぼおもちゃ屋さんの方で寝泊まりしているんだけど。
しかしそれ故にこそ、他の宿ってものに警戒感が些か強く出てしまっているのかも知れない。
何にせよ、もしもバトリオで泊まれる宿がないというのなら、その時は何かしら手を打つ必要が出てくるだろう。
そんな懸念事項の話が粗方落ち着くと、話題はいつものように今日の予定へと移ろっていった。
皆、挨拶回りや備品の買い出し等で別行動になりそうだ。
斯く言う私も同様であるため、PT単位でお世話になったところには皆で赴き、個人での挨拶回りはその後でということに決まった。
差し当たってギルドやオレ姉のところ、あとハイレさんのところとか、薬屋のおばあちゃんのところにも顔を出しておかねば。
でも、私の交友関係って存外狭いからなぁ。余った時間は買い出しにでも回すことにすればいいか。
そんなこんなで朝食を平らげた私たちは、ぼちぼちと席を立つと宿を出て、先ずはギルドへと向かったのである。
その足取りは、こころなしか普段より僅かに重く感じたのだった。




