第二〇八話 ソフィアさんを操作
「どうやら、私はまだまだミコトさんのことを侮っていたようです」
皆のもとへ戻った私へ掛けられた、ソフィアさんからの第一声はそれだった。
けれどそれ以上の追及だなんだというのは特に無く、彼女は何時になく神妙な面持ちで黙ってしまった。
ハイエルフの技を、私が使えてしまったというのはそれだけ、重い意味を持っているのかも知れない。
軽率だったと、反省の念を禁じ得ず、先ずは謝罪を述べておく。
「えっと、つい興味本位に真似ちゃいましたけど、ハイエルフ族にとってやっぱり大事な技術だったりしたんですよね? それを許可もなく、ごめんなさい!」
「! ああいえ、まぁ……そうですね。そもそもハイエルフ族以外が【閃断】を使えるだなんて、まったくの想定外ですからね。許可がどうこうという決まりがあるわけでもありません。なのでそれは別にいいのですが……少しだけ、ミコトさんのポテンシャルが怖く感じてしまいました」
「え、えぇ……怖くないですよ? 無害ですよ?」
「それは知っています。けれど、あなたの正体を今後調べるに当たり、一体どんな真実が顔を出すのか。それが少し恐ろしく思えた、という話です」
そう言って彼女は、少しの苦笑を浮かべた。
閃断を再現することは、少なくともソフィアさんにとってそれだけ衝撃的なことだった、ということだろうか。
私にとっては『頑張れば出来ないこともない難しい技』程度の認識だったので、いまいち事の重大性というやつを感じられないでいた。
するとここで、何だか妙なシリアスさを孕んだ空気を察したココロちゃんが、ポンポンと手を叩いて話題転換を試みる。
「まぁまぁソフィアさん、ミコト様がすごいのは当たり前のことなのです。今更そこに驚くだなんて、自称ミコト様の妻が聞いて呆れちゃいます」
「む」
「そんなことより、ソフィアの実力審査についての話」
「そうだな。ミコトの暴走ですっかり逸れていたが、しかとその実力は見せてもらった」
珍しく挑発的なココロちゃんの言で、真面目ムードだったソフィアさんのほっぺたがぷぅと膨らんだ。表情は変わらないのに、カチンと来たらしい。
けれどそれもさっさと流され、話題はようやっと本題へ帰還した。即ち、ソフィアさんの実力審査試合についてだ。
驚くべきハイエルフの固有スキルでもって、瞬く間にオルカたちの分身体を消し去ったソフィアさん。
皆は流石特級の実力者だと、一様に唸ったのだけれど。
しかしそれと同時に、些か消化不良を感じてもいた。
というのも。
「しかし、何だな。確かに恐ろしいスキルだったが、それ一つで試合が終わってしまったため、ソフィア殿の身のこなしや戦術の組み立てなどはほぼ見られなかった」
「確かに。これで合否を決めるのは、ちょっと難しい」
「閃断と言いましたか。確かにあれ一つでも、恐るべき能力ですけどね。でも、万が一それが通じない場合も考慮しなくてはなりませんから」
ということで、オルカたちは何とも難しい顔をしている。
そこで、ならばもう一度、次は閃断を使わずに戦ってくれないかという提案が挙がったのだけれど。
それに対してソフィアさんは、思いがけない提案で返してきたのだ。
「それならば、ミコトさんにキャラクター操作を使ってもらうというのは如何でしょう? そうすれば私の能力も丸裸ですよ。それにステータスを確認してもらっても構いません」
「それ、単にソフィアさんがキャラクター操作を体験したいだけなんじゃ?」
「無論です。が、実際PTリーダーであるミコトさんが、私のことを深く知るのに最適な方法だという点も事実です」
「まぁ……確かに」
彼女の言い分に一理あると見た私たちは、短い審議の後それを採用することとした。
すると途端に目を輝かせ始めるソフィアさん。
どうやら本当に、キャラクター操作を体験したくてウズウズしていたようだ。
「そうと決まればミコトさん、早く早く!」
「はいはい、そう急かさないでください。それとこのスキル、すごい疲れるんですから気をつけてくださいよ? フルタイムでやると、確実に寝込むハメになりますから」
「覚悟は出来てます!」
「なんでフルタイム前提なんですか! ちょっと試したらすぐ解除しますから!」
「ふ……出来るものならそうしてください。きっと執念で走り切ってみせますので」
「いやいや、解除は私の意思一つで可能なはず……」
そんな具合に、一抹の不安を抱えながら私とソフィアさんは向かい合った。
オルカたちがなんとも心配そうな視線を投げてくる中、私は徐に目を閉じ、意識を集中した。
そして。
「それじゃ、行きます。【キャラクター操作】発動」
「!」
瞬間、私の意識は刹那の暗転を経て、彼女の中で目を覚ました。
先ず自覚するのは視界の変化だ。目を閉じる前までに見ていた景色は変じ、ばかりか異様に遥か遠くの景色がハッキリと確認できる。
ソフィアさんはものすごく目が良いという話だったが、それが如何ほどのものかを今理解した。なるほど確かに、これはすごい。
生前テレビで、アフリカかどっかの人が遠くにいる動物を素早く見つけ、しかもその種類まで言い当てる、だなんて場面を見たことがあるけれど。
私はそれを些か不思議に思っていたんだ。だって、幾らくっきり見えるにしたって、米粒よりも小さく見える動物をどうやって判別してるんだ、って。
だけど、実際目が良くなってみて分かった。米粒より小さくたって、判別できるくらいくっきり見えるんだもん。そりゃ見分けられるよ。
斯く言う生前の私は、ゲームばっかりやっていたせいで視力は結構低めだった。メガネを常用するほどではなかったけれど、本を読むときなんかにはお世話になったものだ。
視界の変化に驚いたのも束の間、次いでオルカたちと融合した時とは違う、全能感にも似た感覚に驚いた。
ステータスの高さからくるものだろうか。はたまた、ハイエルフが持ち得る独特の感覚なんかがあるのかも知れない。
いつも以上に魔法を自在に操れるような、そんな確信めいた予感があった。
試してみたい気もするけれど、正直少し怖くもある。上手く加減を出来るか心配なのだ。
しかし折角キャラクター操作を試用したにもかかわらず、何もせぬままスキルを解除するというのもよろしくない。それではソフィアさんの持つ能力というのを確認できないから。
一先ず、体を軽く動かすところから始めようかと考えていると、そこへソフィアさんの意識がテンション高く語りかけてきた。
『す、すごいです! これがキャラクター操作! これが融合なんですね!! これでミコトさんには届いているんでしょうか? 感じますよミコトさん。今の私たちなら、きっとなんだって出来ます! こうしてはいられません、早速能力を確かめてみてください!』
『聞こえていますよ。今やろうと思ってたところです。そうですね、とりあえず軽く走ってみましょうか』
『う。私、身体能力はそれほど高くはないので、その点は期待しないでほしいのですけれど』
一先ず試しとばかりに、軽く体を動かしてみたところ、確かにオルカたちの時と比べるとおとなしい印象を受けた。
二人分の能力値を合わせたものであるからして、当然普段の状態に比べたなら随分と体も軽いのだけれど、どうやら身体能力に関しては当人の言う通り、それ程大したことはないようであった。
寧ろ、身体能力の飛躍的な上昇をより強く実感しているのは、感覚を共有しているソフィアさんの方だ。
『お、恐ろしく体が軽い……! 身体強化を行使した時でもこうはなりませんよ!』
『キャラクター操作の醍醐味ですよね』
感覚からして、ソフィアさんが別段運動音痴だとか、そういうわけではないようなのだけれど、所謂『運動が得意な人の体の使い方』というのにはイマイチ覚えがなかったようで、彼女からは随分と驚きと戸惑いの感情が伝わってきた。
言うなればそれは、私が万能マスタリーのスキル任せに体を動かしているときの感覚に近いのかも知れない。
普段の自分ならそんなふうに体を扱ったりはしないのに、なるほどこの時はそうやって力を込めれば良いのか! というような、目からウロコ的な感動があるのだ。
まして自分の体を他人が操っているという実感のある現在、ソフィアさんにとっては感心の連続だろう。
飛んだり跳ねたり駆けてみたり、或いは武器を振るってみたりと、簡単にではあるが具合を確かめてみて、ソフィアさん元来の体捌きなんかについては概ね把握した。
体には、覚えている癖やパターンってものが無数にある。他人の体を操作していると、思いがけずそれらに気づくことがままあるのだけれど、今回はそれを通してソフィアさんが、あまり近距離戦を得意としないことが理解できた。
また、ソフィアさんから逐一感じられる『そうやって体を使うんだ!』という驚きからも、逆説的に『普段はこのようには動かないんだ』という推察を得ることも出来る。
私自身、マスタリーに頼っている部分が多かったり、マスタリーで体を動かし続けているうちに体の使い方ってものを覚えてきた感じは否めないため、あんまり偉そうなことは言えないのだけれど。
それでも、体の癖に引っ張られて幾らかの窮屈さを感じるとうことは、運動神経というものの存在を実感せずにはいられないわけで。
こういった体の癖というのは、他のメンバーたちの場合だとそれほど顕著には覚えない違和感であるため、私としてもなかなかに新鮮な体験である。
と、そこへ様子をうかがっていたオルカたちが声をかけてくる。
当然ながらソフィアさんとのやり取りは、心の中、意識同士での掛け合いであるため、他者には聞こえるはずもない。
なので彼女たちからしてみると、私が黙ったまま運動を始めたように見えたのである。
「ミコト、どんな感じ?」
「ん、そうだねぇ。あんまり格闘戦は得意じゃないみたい、かな。だけど魔法の扱いは多分、とんでもない」
「なるほど。典型的な後衛タイプということだな」
「試しに何か、空へ向けて魔法を放ってみては如何でしょう?」
「そうだね、やってみようか」
流石というべきか、外見はほぼソフィアさんである今の私に対しても、ちゃんと『ミコトである』という認識を持って接してくれる三人。キャラクター操作の状態は、訓練含めて何度も見せているからまぁ、当然といえば当然なのだけれど。
姿が変わっても私と判別してくれる。それが何だか嬉しく感じられた。
それで、とりあえずココロちゃんの提案に従って、何か比較しやすい魔法を空へ向かって放ってみることに。
体を動かした時同様、色んな要素がソフィアさんの魔法に関する力の程を教えてくれるはずである。
私は早速大空へ向けて掌を掲げると、下級の火魔法を発動してみることにした。
ソフィアさんが得意とするのは風魔法だとのことだったけれど、風系統の魔法は基本的に目に見えづらいため、今回は敢えて比較の簡単な火魔法を選んだというわけだ。
極力私は体の覚えている動きに逆らわず、そのマジックアーツを唱え行使するのだった。
「【ファイアーブレス】」
それは言うなれば、ただの火炎放射だ。
通常は練度に応じた大きさ、勢い、熱量の火炎が掌や杖の先などより吹き出るという、至ってシンプルな魔法なのだけれど。
果たしてこの融合状態で放つファイアーブレスが如何ほどのものだろうかと、ワクワクしながら発動してみた。
その結果。
「「「「「…………」」」」」
私の手より吹き上がったそれに、誰もが言葉を失ったのである。それには私の中で同じくワクワクしていたソフィアさんとて例に漏れることはなかった。
それもそのはずで、天を仰いでいた私たちの視界は次の瞬間、空の青を容易く塗りつぶす紅蓮色に覆われてしまったのだから。
真上に掲げた私の手からは、放射状に火炎が吹き上がり天を焼いたのである。
とは言え、唐突に視界一面が炎に埋め尽くされてしまったため、それがどの程度の規模だったのか、正確に判断できる者は誰もいなかった。
だけれど多分、相当な高高度にまで達したはずだ。それ程に感じた手応えは、強烈なものだった。
それよりも心配なのは、思いがけず火炎が大きく高く広まってしまったことにより、もしかするとアルカルドの街からも観測された可能性がある点だろうか。念の為街からは十分離れていたつもりだったのだけれど、想定外である。
それともう一点、特筆するべきはその熱量にある。
炎を生み出す以上、その熱がこちらへ牙を剥く可能性は事前に考慮しなくてはならない。
だから何気に熱魔法を用いて、炎の熱が牙をむく方向というものを、須らく天上へと仕向けておいたのだけれど。
どうやら見積もりが甘かったらしく、そんな熱の制御を突破して、余剰分の熱が私たちへ降り掛かったのである。
とは言え熱制御のおかげでその大部分は絶たれていたが、体感したその熱波は私たちの肌を舐めるように焦がし、ともすれば火炎の根本に当たる私の足元は、草花がすっかり縮れてしまうような有様だ。
結果、魔法を行使した私自身に被害はなかったけれど、オルカたちは皆軽度の火傷を負うこととなり、現場はアチチアチと一時大騒ぎとなった。
このことから、ソフィアさんの魔法は文字通り『想像を絶する威力』であることが判明し、私たちは改めて超越者というものに畏怖とも畏敬とも付かない感情を抱いたのだった。




