第一九一話 鏡のダンジョン攻略開始
時刻は午前一〇時。場所はアルカルドの北門を出てすぐの平原だ。
昨夜はシトシトと空模様も崩れ気味だったけれど、今朝には雨も上がりキリリとした空気が気持ちいい。
私たちは一先ず人目につかぬ場所までのんびりと歩きながら、たわいのない話をちらほらと交わす。
そんな中、不意に彼女が問いを投げてきた。
「それで、鏡のダンジョンへの道程はどうなさるおつもりなのですか? 普通に行けば一週間は掛かる道のりです。道中に現れるモンスターも、今の皆さんなら問題なく対処可能な相手でしょうけれど、決して雑魚というわけではありませんよ」
「本当に当たり前のようにいるんだもんなぁ……」
そう。ソフィアさんだ。
旅支度を整え北門で普通に待ち構えていた彼女は、当然のごとく私たちに合流するとそのままついて来たのである。
まぁ今更誰も驚きもしなければ、咎めもしない。彼女の尖った行動力にも随分慣れてきたものだ。
と、それはさておき。
「良い機会なので、旅程についておさらいも兼ねて説明しておきますか」
「宜しくお願いします」
「とは言っても、旅というほど大変なものではない」
「ですねぇ。まず移動はココロがミコト様を背負わせていただき、空を飛んでいきます! その間他の皆さんはストレージに入っていただくことになりますね」
「ダンジョンに着いたなら、先ず第一階層のマップ埋めを最優先とし、ミコトのフロアスキップをアクティベートする」
「その後は一階ずつマップを埋めつつ、じわじわ時間を掛けて攻略する予定かな。無理せず疲れたら一旦帰る感じで」
と言った具合に、事前に話し合っておいた予定をソフィアさんに語って聞かせた。
尚、クラウのためになるべく戦闘は積極的に行っていくつもりだ。たとえ簡単に勝てるようなモンスターが相手だったとしても、全然経験にならないなんてことはないからね。
とまぁ、そうした一通りの説明を終えると、それを聞いたソフィアさんは珍しく難しい顔をして、ぼやいた。
「随分と常識を外れてしまったものですね……他の冒険者がこれを知ったら、一体どんな噂が立つか分かったものではありませんよ」
「む。そう言えば、最初の頃は確かにもっと不便だったっけ」
「私たちも大分非常識に侵された感じは否めない」
「それもこれもミコト様のお力あってのことです。こういうのを、キカクガイっていうんでしたっけ?」
「それなら母上が先日、良い言葉を教えてくれたぞ。『よそはよそ、うちはうち!』なのだそうだ!」
なんて呑気に話してはいるけれど、スキル大好きソフィアさんがこんなまともな懸念を口にするなんて、それだけヤバいってことだ。
今後も部外者にはなるべくスキル関連の情報はもとより、普段の冒険者活動についてもなるべく伏せたりぼかしたりした方が良いだろう。
などと、ソフィアさんの真面目な一面が見られたのも束の間。
「それはそうと、今回はたっぷりスキルについてのお話、聞かせていただけるんですよね? 期待してますからね?」
という普段の彼女らしさも健在のようで、私たちはもはや苦笑を返すのみである。
そうして程なく。十分に人目もなければ、マップに人の気配もない草原の只中までやって来た私たちは、早速予定通り移動の準備に取り掛かった。
オルカ、クラウ、ソフィアさんの三人がPTストレージ内に入ると、私はココロちゃんの小さな背に背負われる。
その際、普段は背中に担いでいる彼女の金棒もストレージへ収納された。
ココロちゃんの身長は小柄な女子小学生ほどしか無く、私よりも当然二回りほど小さいわけで。
そんな子の背に負ぶさるというのは、なんとも言えない負い目めいた気持ちが湧いてくるのだけれど。
とは言えココロちゃんはやる気十分だ。それに人選にもちゃんと意味がある。
空を飛ぶとは言うけれど、その実態は重力魔法で体を軽くし、空中をステップの魔法で蹴りながら進むわけだ。つまり空を駆けるという表現のほうが厳密には正しい。
であれば、最高速も加速力もPTで一番高いココロちゃんこそが、私を背負う役として適任という結論に至るわけで。
「ココロちゃん、重かったら言ってね? 急いで痩せるから」
「何を仰っているのですかミコト様、ミコト様が重いなんてことあるはずありません! というか、どの道重力魔法で軽くなるのですよね? ……いえ、それ以前に急いで痩せるってどういう意味ですか?」
「丁寧なツッコミありがとうございます……」
乙女の恥じらいにマジレスが返ってきた。普通に恥ずかしいです。
何にせよ、ココロちゃんは言うだけあって本当に私が負ぶさってもへっちゃらな様子。それどころか高揚さえしているようだった。
それからすぐに重力魔法で二人分の体重をほぼゼロにし、軽い調子で雲の高さまで飛び上がると、マップをよく確認の後早速出発である。
「それでは、行きますよミコト様! 舌を噛まないよう気をつけてくださいね!」
「りょーかい! れっつご!」
この移動方法は既に、イクシスさんで慣れている。そのため風圧無効化も重力負荷の無効化も、ついでに防寒対策だってバッチリだ。
ココロちゃんが宙を蹴ろうとするタイミングに合わせ、ステップの魔法を発動するのだって容易いことである。
早速とんでもないスピードで空を突き進んでいく私たち。
しかし地上の景色は、さながら強風に流される雲みたいな、のんびりとしたスクロールめいた速さでしか流れていかないため、私たちの移動速度というのは実際なかなか実感しづらいものである。
それでもマップを見れば、確かに徒歩とは比べ物にもならない速度で動いているのが分かる。
流石にイクシスさんのそれには及ばないまでも、普通に飛行機なんかより余程速いんじゃないだろうか。
まして空を飛んでいるのだから、地上だと問題になるあれこれが一切関係なく、しかも一直線の最短距離で移動できるという強みは絶大だ。
斯くして僅か十数分の移動時間を経て、私たちは無事地上へと降り立ったのである。
そうして早速みんなをストレージから取り出すと、一瞬キョロキョロと視線を彷徨わせた彼女らは、一様にそれへ目を奪われることとなった。
「これが、鏡のダンジョン……!」
オルカのつぶやきの通り、私たちの眼前には断崖に彫刻でもってこさえたような、神殿がごとき巨大で立派な入り口が聳え立っていたのである。
周囲を見渡せば、立派な木々が生い茂り、清らかな川が流れ、太い滝が落ち、落差の激しい断崖絶壁が頻繁に見て取れる。そんな厳しくも雄大な自然の風景に囲まれた中に忽然と、それは溶け込むように存在していたのだ。
上空よりそれを見つけた私とココロちゃんも、流石に息を呑むほどの壮観であった。
「やぁ、観光の名所になってもおかしくないくらい、すごいところだよね」
「ああ。確かにな……」
「でもここ、歩いてくるなら絶対大変な道のり」
「空から見た限り、それは間違いありませんよ。なにせそもそも道がありませんでしたから」
「それを鑑みれば、実際の道程は一週間で済みそうにはありませんね。帰ったらギルドの情報を修正しておく必要がありそうです」
各々が一通り感想を言い終えると、早速とばかりに私たちは目配せをし合って、誰からともなくその神殿めいた入り口へ向かい歩み始める。
古めかしい階段は横に広く、それを幾らか昇った先には等間隔に並んだ巨大な石柱がこちらを見下ろしてくる。
その間をすり抜けるように、いよいよ建物の内部へと足を踏み入れていく。
石に囲まれた日陰には、特有の涼やかさがある。肌寒くさえ感じる気温のもと、私たちはひび割れた石畳をコツコツと鳴らしながら、奥へと進んでいく。
巨大な入り口に相応しく、内部もまた無駄に広かった。それこそ本当に、何かの神殿かと見紛うような石造りの内装は荘厳さすら感じるもので。
そのくせ光源という光源もないのに、視界がしっかり確保できてるこの明るさはダンジョン特有のそれだった。
だが、マップを見る限り未だちゃんとダンジョン第一階層に入ったというわけではなさそうだ。
ならば第一階層へ続く真なる入り口はどこかと、マップと目の前の景色を見比べ皆がそれぞれに視線を彷徨わせれば、自ずとそれらは一点へ吸い込まれることとなる。
「あそこかな?」
空間の最奥。さながらそれは玉座のようでもあり、或いは祭壇のようでもある。一段高い位置に設けられた台座は、しかしどうやらその裏へ回り込むことが出来そうだった。
それにしても、その奥に見える壁に施された彫刻の見事なこと。生前に画像で見た、海外の教会を思わせるような手の込んだ造形美が、私たちを迎えるように静かに佇んでいる。
それを横目にしながら、私たちはぐるりと祭壇らしきそれを回り込みその奥を覗き込んだ。
すると確かにそこには、地下へと下る階段が存在していたのである。
ファンタジー系のゲームで見たことがあるような、そんな造りだ。自然とワクワクしてきちゃうじゃないか。
私たちはいよいよ、鏡のダンジョン第一階層へと侵入していく。
「いよいよですね、ミコト様」
「このダンジョンで、ミコトについてなにか分かると良いね」
「ココロちゃん、オルカ……」
私が異世界から転生してきたって話を、早い段階から知ってるのはこの二人だ。あとソフィアさんもだっけ? 誰にいつ話したかとか、詳しいことまではちょっと覚えてないけど。
何にせよ、二人は私が妄言を吐いてると疑うでもなく、すんなりと信じてくれた。それが地味に嬉しかったんだ。
その後も親しい人には、別に隠し立てするでもなく私が転生者であることや、現在〇歳であることなんかもあけすけに語ってきた。
その内の誰もが、そんな荒唐無稽とも思えるような話を特に疑うでもなく概ね信じてくれている。
まぁ何か明確な証拠があるわけでもないから、多少話半分って場合もあるけれどね。
他ならぬ私自身、実は密かに悩んだこともあった。もしかして前世とか言ってる私の記憶がデタラメで、実際はそんな世界、私の頭の中にしか存在しないんじゃないの? なんて考えてみたり。
それくらい、私は本当に私自身のことが何も分からないから。
だから何にせよ、このダンジョンで受けられるという鏡の試練には期待しているんだ。
「鏡の試練は、自らの幻影と対峙する試練とされています。その幻影は単純に戦闘を仕掛けてくることもあれば、語りかけてくることもあるのだとか。……何れにしても、きっとそこで何らかの情報ないし、手がかりを得ることが出来ると思いますよ」
「ミコトの正体については無論、私も興味津々だからな。早く攻略を進めようじゃないか!」
「みんな……うん。そのためにこそ、ずっとここに来ようって頑張ってきたんだもんね」
ソフィアさんとクラウからも頼もしい言葉を貰い、私は小さく息をつくとマップを表示し、そこへ視線を落とした。
ちょうど階段も降りきり、マップを移したウィンドウには半径五キロ圏内の地図が映し出される。
流石に現段階でマップ端が確認できるような事はないみたいだ。そのことから、なかなかの規模であることが窺い知れる。
「一先ず、今日の目標は第一階層のマップコンプリートかな。調べた情報によると、鏡の試練があるのは一〇階層目だって話だったけど」
「はい。そしてボスフロアは一五階層目だそうです。しかしこのダンジョンは特殊なものに分類されるため、ボスを討伐したとしても一定期間で復活してしまいます。ですので無理に踏破を目指す必要はないでしょう」
「目的はあくまで第一〇階層」
通常のダンジョンは、ボスを倒してしまえばダンジョン自体綺麗サッパリ消滅し、入り口も何も無くなってしまう。
けれどこの鏡のダンジョンはそうした『野良ダンジョン』とは異なり、攻略しても消滅することはなく、それどころかリポップが如く勝手に復活して元通りになるという仕様らしい。
であれば確かに、無理に攻略を成す必要もないだろう。
冒険者がダンジョンを攻略する理由としては、勿論お宝や報酬目当てというのも大きいのだけれど、ダンジョンの『成長』を阻むという意味合いも大きいのだ。
例えばモンスターは、長く生きたものや多くの経験を蓄えた個体なんかが上位種へ進化することがある。
そしてそれは、ダンジョンボスにだって当てはまることなのだ。
ダンジョンボスも長らく生きれば進化するし、延いてはダンジョンの攻略難度も上昇することになる。
攻略が果たされぬまま放置されたダンジョンは、やがて手のつけられないような恐るべき脅威となり得るだろう。
そうなる前に潰しておかねば、もしかするといずれ第二の魔王だなんだというのがダンジョンの奥底より生まれ出るかも知れない。
そうした未曾有の危険を未然に防ぐことも、冒険者や、冒険者ギルドの存在意義と言えるわけだ。
その点この鏡のダンジョンは、階層も一五階とそれほど深いわけでもなく、場所も定かであり、攻略記録だってギルドでチェックしてある。慌てて潰さなければならないような類のものではないということだ。
であればこそ、今回は第一〇階層のみに目的を絞ることが出来るわけである。
「よし、それじゃぁみんな。油断せずサクサク攻略していこうか!」
「「「応!」」」
「おー」
斯くして私たちの鏡のダンジョン攻略が、ようやっと始まったのだった。




