第一八五話 イクシス邸
結局の所、私は東京ドームに行ったことのないままこの世界にやってきてしまったわけで。
だから東京ドーム何個分という例えはなんとも、イメージするのに難しいのだけれど。
しかしここは敢えて言わせてもらいたい。
イクシスさんのこのお屋敷、絶対その東京ドームと比較しても負けないほど広いと。
まぁ流石に建物自体がというわけではなく、敷地面積を合わせてという話だけれど。
真面目に、屋敷の中で迷子になるレベルだというのは間違いない。
それほど巨大な屋敷なら、当然そこに常駐している雇われスタッフというのも相当数いるわけで。
私とオルカとココロちゃんは、正面玄関を潜るなりそんな大勢の人たちに礼でもって迎えられた。主にメイドさんだ。
私は二度目であるため、少しは事前の心構えも出来ていたのだけれど、オルカとココロちゃんはビクリと小さく体を震わせ、私の背にスススと隠れてしまった。やめなさい、盾にするんじゃない。
そんな私たちの様子を見て、待ち構えていたイクシスさんはにっこり。
「うむうむ。気持ちは分かるぞ三人とも。私も慣れるまでは大変だったからな」
そう言えばイクシスさんは、もともとこういったお屋敷とは無縁の冒険者だったのだっけ。
だとしたら、魔王討伐っていう偉業を成してこんなお屋敷を得たということになるのだろう。
それは戸惑うよな。暮らしが激変して、お家にたくさんの使用人を抱える生活が突如始まるんだもの。
しかしそれも今は昔のこと。流石に現在は、すっかり馴染み愛着のある我が家なのだろう。
イクシスさんはどことなく、いたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべ私たちを迎えてくれた。
「改めて、ようこそミコトちゃん、オルカちゃん、ココロちゃん。歓迎するぞ」
「う、うん。ありがとうイクシスさん」
「お招きに預かり、至極光栄」
「あ、あばば、ココロ礼儀作法なんてよく分かりませんよ!」
なんとも落ち着かない空気の中、しかし当のメイドさんたちはもっぱらその意識を私たちではなく、主にクラウにこそ注いでいた。
数年ぶりにようやっと帰ってきたクラウは、きっと誰の目にも見違えるような姿になっているのだろう。
特に小さかった頃の彼女を知る人達の目には、感慨深く映っているようで。
叶うなら今すぐ揉みくちゃにして胴上げでもしてやりたいと言わんばかりの、ものすごい歓迎ムードが彼女へ集中していることが伺えた。
一方で当人は、懐かしい馴染みの使用人たちに顔をほころばせつつも、私たちを置いてさっさと家に入ってしまったことにやらかしを感じているようで。
「えっと、その、皆すまない。どちらかというと私は饗す側の立場だというのに、客人を置いてさっさと屋敷に入ってしまって……は、母上が手を引くからだぞ!」
「まぁまぁ、固いことは良いじゃないか。それよりほら、こっちだ。一緒に来てくれ」
マイペースなイクシスさんは、まるで気にした様子もなく私たちを促し、ずんずん屋敷の奥へ入って行ってしまった。
これには使用人さんたちも苦笑い。
クラウは一つ溜息をつくと、私たちを引き連れて母の後を追うのだった。
お屋敷の中も非常に立派かつ洒落ていて、どうにも他所のお宅にお邪魔した感じと言うより、どこかの施設にやって来た感じがして仕方がない。
何というか、アレだ。友達の家の匂い、みたいなのってあると思うんだ。生活臭っていうかなんていうか。
それが感じられない。さながら立派なホテルのそれに近い印象を受ける。
だけれどきっと、クラウにとっては数年ぶりに帰った『我が家』という認識なんだろうな。
もしかするとここを誰より自宅であると強く認識しているのは、物心付く前からここで育った彼女なのかも知れない。
だからこそ、イクシスさんに続いて廊下を歩いているだけでも、非常に強い懐かしさというか、安心感めいた気持ちが彼女の胸中を満たしている。
そんなクラウの背を眺め、私は妙にほっこりしてしまった。
他方でオルカもココロちゃんも物珍しそうに、あちこち忙しなく視線を巡らせながら歩いている。
冷静に考えてみると、勇者の家にやってくるだなんて相当に貴重な経験なのかも知れない。それを思えば二人の様子も当然か。
そうして私たちが通されたのは、応接室でもなければ客間でもない。
イクシスさん自慢の収集品が、所狭しと並んだコレクションルームだった。
一体どれだけの広さがあるんだという大部屋には所狭しと飾棚が並び、武器種別に様々な品が展示されている。
中でも強力なものや貴重なものは、一層目立つ場所に見栄え良く飾られており、正に圧巻の一言に尽きる。
が、私は先日バカみたいに長時間イクシスさんのコレクション自慢につき合わされているため、正直この部屋を覗くと胃もたれがしそうだ。
しかしオルカたちはと言えば、冒険者たるものこれを見て心躍らぬはずもなく。感嘆の声を漏らして目を輝かせている。
クラウもそれは同じだが、それと同時に。
「母上、なんだか以前より大分増えている気がするのだが……」
「うむ、よく気がついたな! 流石クラウだ。ふふ、では一本一本解説してやるとしよう!」
「いや、それはまたの機会で……」
「まずこのメイスだが!」
ああ拙い、また問答無用のコレクション自慢が始まってしまう。
私がどう逃げようかととっさに思案を巡らせていると、しかしクラウが素早く対処に動いてくれた。
「そ、それより母上! ここへやって来た目的を後回しにして良いのか?」
「む! そ、それはいけないな。ぐぬぅ、だがしかし」
「ダガもシカシもない。ミコトを見てみろ、一見平気そうにしているが膝が笑い続けているだろう! あのスキルは負担が大きいんだ。斯くいう私も大分しんどいしな」
「ハッ! そ、それは気が回らなくてすまない!」
急に顔を青くしたイクシスさんは、オロオロとし始める。
が実際、クラウの言うことはまったくそのとおりで。どうにかやせ我慢で誤魔化してはいるが、正直今すぐにでもベッドに倒れ込みたい気持ちでいっぱいだ。
なにせ現在はイクシスさんと試合をやってから、少し話した後すぐここへやって来たのだ。
マルチプレイに2P操作のスキルから来る反動は、私に酷い虚脱感を齎している。
そしてそれは私と融合して戦っていたオルカたちにも言えることで、特にクラウのそれは私に次ぐほどキツいはずである。
その証拠に彼女の膝も、よく見たら小刻みに震えている。顔色だってあまり良くない。
イクシスさんは娘が久々に帰ってきた喜びから有頂天となり、そうした変化を見落としてしまっていたらしく、至らぬ自身に頭を抱えている。
が、それはそれで話がまた脱線しそうだったので、私からも一言添えておく。
「早く休みたい気持ちもあるけど、とりあえず折角だから、まずは用事とやらを済ませない?」
「む、そ、そうだな。分かった、では少し待っていてくれ」
そう言ってイクシスさんは、慌ただしく何やらゴソゴソとよく分からない行動を始めた。
棚に飾られた剣の位置をずらしたり入れ替えたり、杖に魔力を流してみたり、かと思えばとある剣を引き抜いて、コンパクトな動きながら見事な剣舞を披露したり。
そうして最後にその剣へ魔力を流し込むと、壁へ立て掛けてある鞘へ納刀。
最後にその柄を握り直し、さながらレバーを引くようにガシャリと手前に倒した。
するとどうやらそれは、喩えで終わらず実際レバーとして機能したらしい。
倒された剣は斜めの角度で留まり、イクシスさんが柄から手を放すとゆっくり元の位置へ戻っていった。
と同時に、壁と床の一部がスライドして地下室への階段が姿を現したのである。無駄に凝った作りだが、私としても大好物です!
「な、なんてロマン機構!!」
「ふふ、ミコトちゃんならそう言ってくれると思ったぞ! では少し待っていてくれ。取ってくるものがあるんだ」
そう言い残すなりイクシスさんは大慌てで階段を駆け下り、奥のドアを開け入っていってしまった。
それからものの一分で、彼女は用事を済ませたのか戻ってきた。
そうしてイクシスさんが再度レバー剣を操作すると、地下室への扉はものの見事に閉じられ、綺麗に隠された。
クラウを除く私たちはそれに大きな驚きを見せ、クラウもまた久々に見たと感心を示す。
「すごい仕組みだね!」
「ああ。この屋敷を建てる際、私がどうしてもと職人に無理を言って作ってもらったこだわりの隠し部屋なんだ!」
「母上、隠し部屋なのだから隠さないと駄目だろう」
「ここにいる者たちなら別に構わないさ。私だってミコトちゃんの、人には言えないアレな秘密を知ってしまっているわけだしね」
「確かに事実なんだけど、妙な言い方するのやめてもらえる?」
ともあれこれでコレクションルームへ立ち寄った用事というのも済み、次はクラウの自室へと案内される。
その目的というのは、イクシスさんから限界突破のスキルオーブを受け取り、そしてクラウがそれを使用するところを見届けることにあった。
というのも、限界突破というのは人生を大きく変えてしまうような、特別なスキルなんだ。
それを得る瞬間には、それに相応しい場所を用意したいと。イクシスさんがそんな事を言い出したのである。そして私たちもまた、それには賛成だった。
だって宿の一室でそんな劇的な瞬間を迎えるだなんて、流石にちょっと味気ないものね。
であれば、クラウにとってそんな人生を変える切っ掛けを得るのに相応しい場所は何処かと考えたところ、やはり実家こそが彼女には相応しいだろうということになったわけだ。
その際、であればそれに伴い、何か贈り物をさせてほしいと言い始めたイクシスさん。
コレクションルームへは、その贈り物とやらを取りに行ったわけで。どうやら何をくれるのかというのは予め決めてあったらしく、地下室に入ってすぐに出てきたことからそれは窺い知れた。
しかし、わざわざ隠し部屋から持ち出してきたものとなれば、否が応でも期待しちゃうじゃないか。
私たちは彼女の抱えた布袋をチラチラと意識しながら、なんとも優れない体調を押しつつイクシスさんとクラウの背を追って、広く長い廊下をぽてぽて歩くのだった。
そうして訪れたのは、クラウが家出を敢行した当時のままの、彼女の部屋だった。無論手入れはされていたのだろう、ホコリ一つ落ちてはいない。
それにしてもとりあえず、広い。当たり前かも知れないが、宿の部屋なんかよりずっと広い。
そしてなんともクラウらしいというか、どうしてこうなったというか。
女の子が好みそうな可愛らしいヌイグルミだとかなんとか、ファンシーな一角があるかと思えば、何本も木剣が並んだ剣立てなんかもあり、ともすれば兄弟と一緒にこの部屋を使ってたの? なんて訊きたくなってしまうような特徴的な一室だった。
っていうかそう言えば、クラウの兄弟姉妹の話は聞いたことがなかったっけ。
まぁけど、ベッドは一つしか無いし、やはり一人部屋ということで間違いはないだろう。
そんな独特な部屋の模様を眺めた当のクラウは、早速目頭を熱くし震えている。
「ああ……帰ってきたのだな……」
「ちゃんと手入れはしてあるが、当時の状態のままだ。ほら、お前の大好きなマリアンヌたんも健在だぞ!」
「み、みんなの前でやめてくれぇ!」
マリアンヌたんとは、どうやらぬいぐるみの名前のようだ。ドラゴンをモチーフにデフォルメされた、可愛らしい子である。
イクシスさん曰く、あの娘がマリアンヌたんを置いていくはずがないからという理由で、クラウの家出に気づくのが遅れたほどのお気に入りだったのだとか。
クラウに首を絞められ、ガクガク揺さぶられながら語るイクシスさんはなんとも楽しげだった。
「そ、そんなことよりだ! ミコト、バンクを繋げてもらっていいか? そこのクローゼットの中に仕込めばいいだろう」
「ほいほい」
実はイクシスさんのマジックバッグは現在、私のアイテムバンク内に格納してある。宿に置いて来るにはセキュリティー面でちょっと心配だったから、そう提案させてもらったのだ。
アイテムバンクは設置型のスキルであるため、出し入れ口を設置させてもらえさえすれば、ここからでもマジックバッグを取り出せるという寸法である。
私は指示通り、白とピンクで彩られた可愛らしいクローゼットを開き、ひらひらの愛らしい服にほっこりしつつそれを軽くかき分け、底板へとアイテムバンクのスキルを設置したのだった。
そうして早速イクシスさんのマジックバッグを取り出すと、振り返り彼女へ返す。
バッグの中には、イクシスさん預かりとなっていた限界突破のスキルオーブがしまってある。
それを皆が分かっていればこそ、少しの緊張が場に漂う。
いよいよ、その瞬間がやって来ようとしていた。




