第一七話 激闘後
私の放った矢は、狙い違わずドレッドノートの腹を突き破り、コアを貫くことに成功した。
スキルの消音効果によってその断末魔さえ響かせることなく、奴は黒い塵となって世界へと還元されていった。撒き散らした血肉、寸断された手足さえ例外なく、だ。
そうして奴が消えた後に残ったのは、地面に突き立った矢の残骸と――。
「! これが、ドレッドノートのドロップアイテム?」
(詳細は分からないけど、きっと強力な装備。それよりミコト、この後のことだけど)
「あー……うん。そうだね……」
ドレッドノートが残したのは、奴の荒々しさとは対極にあるような洗練されたデザインの足具だった。
今すぐにでも装備して試してみたいところではあるけれど、残念ながらそんなわけにも行かない。
というのも、現在は【キャラクター操作】のスキル効果で私はオルカと融合している。そのおかげでこうして呑気にしているけれど、私の本体は目も当てられないような重傷を負っているのだ。
このスキルは長く使えば使うだけ、解除した際の反動が大きくなる。そして私の体には大きな反動に耐えられる程の余力がない。ぶっちゃけショック死しても全く不思議じゃないのだ。
スキルを解除すれば地獄の苦しみが待っている。それに、そうだ……左腕を失っちゃったんだ。
急に気持ちが鬱々としてきた。無事に生き延びることが出来たとしても、以後は隻腕の生活を送ることになるのか。はぁ……かと言ってずっとこのままというわけにも行かない。スキルのタイムリミットは一〇分間。時間いっぱいスキルを使い続けては、反動の大きさに間違いなく体が耐えられないだろうし。
生き延びるためには、一刻も早くスキルを解除しなくてはならない。でもそうするとあの苦しみを再び味わうことになる。はぁ……。
「オルカ、私助かるのかな……?」
(っ……だ、大丈夫。私が必ず助けるから!)
「でも街までは結構掛かるし、私の体力が持つかどうか……」
(そんな……そんな事言わないで! なんとかする! きっとなんとかするから!)
「……まぁ、そうだね。凹んでても仕方ないし。とりあえず私が持ち堪えられるだろうギリギリまで、街に向けて走りますか」
足具を回収した後、私はとにかく全力で駆けた。
途中、幾つもの肉塊が無残に打ち捨てられており、いまだ降り止まぬ雨に打たれていた。吐き気を催すような光景だった。私は押し黙り、黙々と駆けて森を抜け出る。
正直経過時間の表示があるわけでもなし、ドレッドノートとの戦闘にどれくらい費やしたのかも正確には分からない。全ては体感でしか測れないため、チキンレースの様相を呈してきたように思う。
一〇分を超えたら私は死ぬ。時間を消費すればするほど危険性は上がる。なのに肝心の経過時間が分からない。
オルカは度々、もう解除するべきだと告げてくるけれど、私が半端なところでスキルを解除し融合を解いてしまうと、それだけ街までの距離が残るわけで、それはそれで大きなリスクになるのだ。
どうせなら出来る限り街まで近づいてスキルを解除するべき。でも、その分生存率が下がる。それにオルカも反動は受けるのだから、その点も考慮しなくちゃならない。ジレンマに冷や汗が流れる。
超人の体を手に入れたため、普通に歩いて数時間かかる道のりを僅か数分で走破しようという勢いではある。が、残り時間を鑑みるにかなり際どい。
流石にマッハで移動できるわけでもなし、当然限度はあるのだ。
一心不乱に駆けながら、私はオルカへ告げておく。
「ねぇ、オルカ。もしさ、私が助からなかったとしても、オルカはなんにも悪くないからね。寧ろすごく感謝してる」
(やめて……助からないなんて言わないで。私が助けるから……信じて、くれるんでしょ?)
「! そうだったね。私はオルカを信じているよ」
(それなら、安心していて。ミコトは絶対死なせないから……!)
草原をしばらく駆けると街道に出た。とは言っても、土を踏み固めただけの道だけれど。今は雨に濡れて泥濘んでいる。
この道を辿って走れば、やがて街にたどり着く事ができる。が、果たして何処まで行けるものか。
考える労力さえ惜しんで、私は駆ける。流石にこの体であっても、全力で走れば息だって切れるものだ。
オルカの制止を求める声はいよいよ強い緊迫感に染まっており、私自身綱渡りをしている自覚はあった。寧ろイメージで言えば、渡っている最中の綱がどんどん細くなっていき、いつ切れてしまうのか、果たして渡りきれるのか、という恐ろしい駆け引きを強いられている気分だ。
いよいよ頃合いと見て、最後にオルカへ言葉をかける。
「それじゃ、そろそろスキルを解除するよ。後のことは任せることになっちゃって申し訳ないけど」
(うん。大丈夫だから、私に任せて)
「……わかった。でもさ、もしものことがあったとしても、私は絶対オルカを恨んだりしないから。そこは安心してね」
(だから、そんなこと……っ)
「あはは、わかったよ。それじゃ、後はよろしく」
今から再び、あの苦しみに身を投じるのか。もはや紐なしバンジーだな……めちゃくちゃ恐い。いや恐いどころじゃない、清水の舞台から飛び降りるようなもんだ。
転生してまで清水の舞台が頭を過るなんて想像だにしなかった。ああ、懐かしいな修学旅行……。
半ば現実逃避しながら、私は敢えて深く考えないようにし、走る足を止める。
そして至って軽率に、スキル解除を実行に移した。オルカの強烈な不安と、覚悟めいた気配がすっと遠のいていく。
瞬間、全身に電撃でも走ったかのような衝撃を受けた。痛みと言うには余りに苛烈。それは到底許容範囲に収まるようなものではなく。
案の定、何の抵抗も出来ぬままに私は、実にあっけなく意識を手放してしまうのだった――
★
交易都市アルカルド。複数の街道が交差する流通の要所に築かれ、交易を中心に発展を遂げた都市であり、日夜多くの商人や冒険者が行き交い、賑わいを見せる大きな街です。
征く当てのない旅の道すがら、迷える子羊とお仕えすべき神を求め、私はこの街に立ち寄ることにしました。
その道中でのこと。
雨よけの外套が、未だぺちぺちと雨粒を弾く感触を布越しに受けながら、私は一人泥濘んだ街道を歩いていました。
いよいよアルカルドの街門が遠く見えてきて、ようやく一休みできそうだと安堵しかけたところ、私は見たのです。
到底人とは思えぬ速度で視界を横切る何かを。
すわモンスターかと目を凝らしてみると、どうにもその全容は華奢な人の、しかも女性のもののように見受けられました。
輝くような銀糸の如き髪をたなびかせ、靭やかなストロークで雨だれの中を泳ぐように疾走していく。
見惚れてしまうほどの美しさ、いえ、神々しささえ感じ、私は一瞬呆け立ち尽くしてしまいました。鼓動が熱を帯びていくのを感じます。
気づけば私の足は駆け出していました。さながら運命に導かれるように、あの方を追いかけ走っていたのです。心臓が高鳴る。高揚を感じる。
とても人間のそれとは思えぬ動き。現実離れしたその容姿。圧倒的な存在感を放ちつつも、同時に容易く見失ってしまいそうな儚さを持っている。とても自身と同じ生き物であるなどとは思えませんでした。そう、きっと神の一柱に違いありません。
そしてもしかすると、あの方こそが私のお仕えすべき女神様なのかも知れない。そう思うと、ますます胸のときめきは強くなっていきました。
最初の教会を追い出されてから、もうどれ程の月日が流れたか。真にお仕えすべき神を求め各地を彷徨い歩き、幾つもの教会で働き、何柱の神へ仕えて回ったことか。しかしその何れにも見放されてしまいました。
けれど巡り合わせとはいつだって思いがけず訪れるものです。ついに、ようやく、神は私の前にご降臨なさいました……!
決してこの機会を逃してはならない。その御姿を見失うことは決して罷りならぬと、私の中の信仰心が叫んでいます。
大地を強かに蹴りつけ、爆ぜる泥水さえ厭わず、私は息を切らせて必死に駆けました。それでもあのお方は流星の如き疾さで突き進んでいきます。
距離はぐんぐんと離され、私はさながら頼るべき母に取り残された捨て子のように、心細さで胸を締め付けられるような思いに苛まれました。
待ってください! 行かないでください! あなたの敬虔なる信徒はここですよー!
するとどうでしょう。私の心の叫びが届いたのか、不意に御方は彼方にてピタリと足をお留めになったではありませんか。
神は私の祈りに耳を傾けてくださったのです。ああ、なんと素晴らしい日なのでしょう。今日という日に名前をつけ、記念日として生涯祝うことをお約束します。……はて、ところで今日は何月何日でしたでしょう? この頃暦を目にしていませんので、分かりかねます。まぁそんな些事はどうでもいいのです。
御神を前にして、その他全ては忽ちの内に瑣末事へと転じるのです。
「はぁ……はぁ……神よっ! ああ、私の女神よ‼ ……ぜぇ……今、敬虔なる信徒たるココロが参ります!」
★
――――。
……意識の覚醒というのはいつだって、夢の余韻を伴うものだと思う。
私は忽ち忘却されていく夢幻の続きに思いを馳せながら、しかし抗いきれずに現実へ引き戻された。
手にすくった水が溢れるように、いつの間にか夢の痕跡は形を失い、私の興味もまた諦めたかのように現へと向けられる。
瞼という分厚いカーテン越しに、鈍い思考をゆっくりと巡らせていく。
眠い。ダルい。朝だ。朝か? 起きるべきか? 起きるか。
シーツの感触。温かい。いつだって結局一番安心するのは、きっと自分自身の匂いだと思う。気まぐれに瞼を開ける。眩しい。閉じる。
瞼の裏で少しずつ思い出す。寝る前のこと。体験した出来事。
するとそれらを思い出すに連れ、どんどん血の気が引くような緊迫感を覚えた。一気に頭が活動を始める。
ここはどこだ? どういう状況だ? あの後どうなった? っていうか、私の体はどうなっている!?
途端に心臓がバクバクと落ち着きなく慌てはじめ、私は恐る恐る左腕を動かしてみた。
そして感じる、強烈な違和感。
そこにはもう、あるはずのないものが……違和感なく存在している。その事への違和感。
ということは、まさか夢だったのか? あの体験は全て……全てって、何処から何処までが?
わからない。混乱する。情報が足りない。
私は跳ねるように上体を起こし、周囲を見渡した。
そこは既に見慣れた部屋。間借りしている宿の一室に他ならなかった。
体におかしな点はなく、痛むところもなければ倦怠感なんかも特にはない。寝起き特有の気怠さは感じるが、それだけだ。
「……やっぱり腕がある……お腹の傷も……無い」
改めて目視で確認してみた。左腕は何の不自然さもなく普通に生えているし、動かしてみても問題は見つからない。
深く抉られた横腹も、寝間着をたくし上げて確認するが痕跡すら見当たらなかった。
やっぱり夢だった……そう考えるのが一番しっくり来るように思える。
あんな強烈な夢があるものだろうか? あの痛みや苦しみがただの夢だっただなんて、正直到底信じられないんだが。
でも夢じゃないとしたら何だというのだろうか?
この世界には、失った腕を復元できる回復魔法があるってこと? まぁあり得ない話じゃないか。何せ魔法やスキルの実在する世界だから。
でもここまで完璧に元通りになるものなのか……?
「ん……んぅ……? ミコト……? ミコトっ‼」
「おわ、オルカ。おはよ」
私が起きた気配を察し、オルカもまた目を覚ましたらしい。というか、傍らのベッドにはやはり当然のように、寝間着姿の彼女が眠っていたようだ。
私が起きてるのを見るや、半べそをかいてひっついてきた。が、すぐにオロオロし始める。
「あ、ごめん。大丈夫? 痛いところとか無い……? 熱は? 気分はどう?」
「えっと、あー……体調は何も問題ないよ。でも少し混乱してるんだ。出来れば私が寝てた間のこととか教えて欲しい、かな」
「あ……そうだね。ごめん、ちゃんと説明する」
私はまず、私の体験したことが夢ではなかったのか、という確認をした。
記憶に焼き付いた惨事をオルカに語れば、それは紛れもなく三日前に起こった事実だと言う。
そう、私は三日間眠り続けていたとオルカは言った。
「ええと、まずどうしても解せないことがあるんだけど……」
「うん。言いたいことは分かる」
「じゃぁ、教えて。私は確か、腕が――」
その時だ。部屋の扉がコンコンコンと小気味よくノックされた。
私達は顔を見合わせると、徐にオルカが立ち上がって扉を開いた。
すると果たして、ひょっこりと顔を見せたのは。
全く見知らぬ、可愛らしいシスターさんだった。




