第一六四〇話 水底を歩く女
ダイビングフィンまできっちり装備している皆は、パチャパチャと水面を鳴らして湖へ入っていく。傍から見たら異様な集団だ。
腰まで浸かった辺りでヒレ付きカメラを水中にリリース。撮影が開始されたはずである。
念話が通じないために、小型の通信機、所謂インカムのような魔道具を皆が装備しており、これによりモニターを見ている待機組の声がこちらに届く仕様となっている。
ちなみに、待機組はゲストハウスからモニタリングしており。ウィンドウでマップを確認しつつ、適宜探索指示を出してもらおうという算段だ。
全員がいよいよ水中へ浸かり込み、一通りインカムのチェックやカメラのチェックを済ませたところで、いざ探索開始である。
『すごいですね~、水中の様子なんてなかなか見れるものじゃありませんよ~』
『深いところに行くほど暗くなっていくの、ちょっと不気味なのぜ。照らしてあげたいのぜぇ』
『バカね、水中で火なんて使えるわけ無いじゃない』
『いやいや、レッカちゃんならやりかねないよ。熱くない火だって出せるくらいだし』
『フッフッフ、よく分かってるのぜぇ! まぁオリジンにはまだ非対応だから、ここでは無理なのぜぇ』
インカムは特に音割れを感じさせるでもなく、クリアな音声を届けてくれている。逆にこちらからは、水中で声を発することが出来ないためにマイクもほとんど意味をなさず、映像くらいしかお届けできないわけだけれど。
しかし事前にハンドサインは幾らか決めており、簡単なコミュニケーションであれば取ることが出来るよう、一応考えられてはいる。より具体的なメッセージを伝えるために、マジックボードの準備もあり。その辺は必要に応じて使い分けたいところ。
それにしても、撮影を担当しているヒレ付きカメラの、見事な泳ぎぶりである。まるで魚と見紛うほどスムーズに、水中機動を安定させており。流石は師匠たちが制作に協力してくれただけはある。
そしてそんなヒレ付きカメラにも負けない泳ぎを見せつけるのが、サラステラさんであり、オルカであり、ゼノワであった。
『すごいのです。これぞ正に、水を得た魚のよう!』
『彼女たちの場合陸でも元気に動き回りますけどね』
『ゼノワ様はボンベとかしてないけど大丈夫なのかな?』
『きっと精霊様だから大丈夫なのぜ!』
幼竜形態で魚雷のように泳ぎ回るゼノワ。確かに彼女は酸素ボンベを使うでもなく平然としており、どうやら活動に酸素を必要としていないことが見て取れた。流石は精霊と言ったところか。
他方で聖女さんやイクシスさんも、不自由を感じさせない泳ぎぶりを見せており、足ヒレも上手に使いこなしている。
んでクラウは、予告通り本当に水底を歩いており。
『一人だけ、何だか水中にいるとは信じ難い動きをしているのが居るわね』
『普通に歩いているのです!』
『水の抵抗を感じさせない自然さ。時折泡を吐き出していることにこそ違和感を覚えそうです』
『水陸両用というやつでしょうか~』
有り余るステータスがそうさせるのか、一見すると地上に居る時と何ら変わらぬ調子で水底を徒歩する彼女。防具が重いせいか、変に浮き上がるようなこともないってんだから余計にそう見えてしまう。
まぁでも、水中での行動に支障が無さそうなのだから、別に取り立てて指摘するようなことでもないと言えばないのだけど。しかし彼女と距離が開いてしまっては流石に問題だ。
というわけで、私たちは軽くハンドサインを交わし、クラウを目印にしつつはぐれないよう行動する方針で探索へ取り掛かることにした。
『それにしても、結構深そうなのぜ』
『そうね。マップを見てもかなりのものよ』
『何処から調べてもらうのです?』
『怪しげなポイントを、近いところから順に、と言ったところでしょうか』
『ってなると、最初はこの辺りでしょうか~』
『マップには特に仕掛けらしいものは見当たらないけど、直接目で見なくちゃ分からないこともあるかもだしね!』
『石扉も実際そうだったし』
クラウが水底を歩いているから、というのもあるのだろう。地面の傾きはなかなかのもので、中心へ向けてどんどん下って行ってるのが分かる。その分水面への距離も離れていき、水深は確実に深くなっていった。
いつしか辺りはすっかり薄暗く、尚も暗がりへ向かうさまは夜の帳が下りる様子を彷彿とさせた。不気味である。
しかし、今回の目的はこれを延々と下っていき、最も深い場所を調べようってわけじゃない。あくまで趣旨は、石扉を開くための仕掛けやヒントなんかが隠されていないかと探ることにあり。
インカムからの指示に従い、目ぼしいスポットを一つ一つ検める作業に従事する。
と、それは不意に発生した。私たちの周囲に突如出現するモンスター。すなわち、エンカウントである。
現れたのは奇をてらうこともなく、順当に魚系のモンスター。銀色の身体に、切れ味鋭く強靭なヒレを備えたソードフィッシュの類い。それが三匹ほど姿を現し、勢いよく襲い掛かってきたのだ。
これに対し、素早く戦闘態勢を取る私たち。先んじたのは他でもない、私である。
用いたのはシンプルなパーツを組んで成立させた、簡単なアーツ。ソードフィッシュたちを包み込むように大きな空気の塊を発生させ、見事捕獲に成功。問題はその後だ。
勢いよく動く奴らには、当然たっぷりと慣性が乗っており。しかも水中で水を失えば、重力に引かれ落ちるのも道理。だからせっかく空気の球に捕まえたところで、次の瞬間には抜け出されるのが確定しているわけだ。
これを避けるために、術には空気の球をコントロールするためのパーツも組み込んでおり。また、球がバラけてしまわないよう形を保つ仕組みもきちんと仕込んでいる。これにより、私は生み出した球をソードフィッシュたちの動きに合わせて動かし、そのまま水底へ重力落下させることに成功したのである。
地面は砂地であり、落下の衝撃で言えば然程でもなかっただろう。だが、いかんせん呼吸はままならず、陸に打ち上げられた魚の様子そのままに、ビチビチと跳ねる三匹のモンスター。
そこへ嬉々として駆け寄ったのが、水底を闊歩するイカれた女騎士である。
哀れソードフィッシュたちは、これと言った活躍の機会を得ることも出来ぬまま、彼女の剣により黒い塵と還され。存外にあっけない水中でのファーストエンカウントは、このようにして過ぎ去るのだった。
『なんか、思ってた水中戦と違うわね』
『カメラにライトが付いていて助かりましたね~』
『いや気になったとこそこなのぜ!?』
『今のはオリジン……いえ、アーツですか』
『簡単にやってのけたね』
『瞬時にあんな事が出来るなんて!』
『流石ミコト様なのです!』
今行われた戦闘の様子は、勿論ヒレ付きカメラがバッチリと捉えており。暗がりの水中を照らすためのライトによって、視認性も十分に確保されていた。
ちなみに水中用のライトについては、各々にきちんと配布済みであり、何なら既に点灯済みだったりする。頭に装着するタイプのやつ。そのせいでますます見た目がダサいことになってるけど、当人たちはさして気にならないらしい。逞しいことである。
して、存外あっさりと倒れたソードフィッシュたちが、どんなドロップアイテムを残していったかと言えば。
『魚の切り身が砂の上に直置き……何だかシュールな光景なのぜ』
『食欲は湧きませんね~……』
『っていうか、やっぱり食材ドロップなんだ』
『一応記録しておきましょう』
ソードフィッシュのサイズというのが、そもそも人間と同等かそれ以上のサイズであったため、ドロップアイテムの切り身もドンとでっかいブロックとして出現しており。それが三体分……もしも食べるにしたって、なかなかのボリュームがありそうだ。
ただ、ここでちょっとした問題に気づく。
『っていうかそれ、どうやって持ち帰るのよ? マジックバッグって水中で使えるわけ?』
『あ。確かにそうなのです! 下手に水中でマジックバッグを開くと、水が流れ込んじゃうのです!』
『それでいうと、そもそもマジックバッグを水の中に沈めること自体リスクです~』
『隙間から浸水しかねないからね』
そう、実はマジックバッグあるあるだったりするこの問題。
通常のカバンのように、布が水を吸って中身がベチョベチョになる、というようなことは不思議と起こらないマジックバッグではあるけれど。しかし、バッグの口から水が入ってしまっては仕方がない。
なので、意外と開閉には気を使うのだけれど。何ならいつの間にか中に水が入り込んでいた、なんてこともザラにあるのだけど。水の中に持ち込もうものなら当然、浸水なんて当たり前。水没して当然と考えるべきだろう。
しかしである。ならばマジックバッグは水中じゃ使えないのかっていうと、そうとも限らない。
一番容易い方法としては、そもそもマジックバッグの中身をあらかじめ水で満たしておけば良いのだ。そうすれば水中で物を出し入れするのに、大した支障もありはしない。
ただ、そうすると地上から持ち込めるものが限られる、というデメリットもあるわけだけど。濡れたら困る物、なんて当然あらかじめ取り出しておかなくちゃならないしね。
で、今回はどうしているかと言うと。勿論その辺りも私が魔道具でカバーさせてもらっているとも。
形状はクリップ型のそれ。バッグの何処かに取り付けておけば、勝手に効果を発揮する仕様となっており。
これにより、口を開けても水の侵入が発生しなくなるという、マジックバッグの強い味方。何かの折に開発しておいたそれを、皆に配布しておいたのだ。
開発における苦労話としては、水分の一切を退けようとすると、物によっては干からびてしまうからね。適度に水分の侵入を許容するっていう塩梅の見極めと調整。これが大変だった。
しかしまぁ、そのように苦労した甲斐はあり、結果はご覧のとおり。
水底でクラウが切り身を拾い上げると、適当に砂を水で洗い落とし、腰に下げたマジックバッグへひょいと収納してしまったのである。
水の侵入は入口でシャットアウトされているため、バッグ内が水没するようなこともない。収納に際してそれが感覚的に分かったのだろう、クラウがこちらへサムズアップしてくる。
これであれば、もしもこの湖の中で持ち帰るのに苦労しそうなものを見つけたとて、然程手を焼くこともなく回収できるはずだ。
彼女にサムズアップを返しつつ、私は私の作った魔道具の出来に、内心満足するのだった。