第一五二〇話 一時の弱体化も何のその
アクションゲームのキャラクターが行う「基本動作」。それを現実に落とし込んだものが、つまるところのマスタリースキルであり。
この世界に生きる人たちにとってそれは、あって当たり前のもの。マスタリーのもたらす動きとて、自分の一部であると。そのような認識こそが当然であった。
けれど、私にとってはそうじゃない。
「私の前世にはマスタリースキルなんて無かったわけさ。でもこの世界の人は、物心つく頃には何かしら持ってるのが普通。そこの違いがあるから、マスタリーが何かしようとすると、私にはそれがちょっとした違和感のように感じられるのかも知れないね」
「えー、なにそれずるい!」
「のだー!」
「ずるいって言われてもなぁ」
マスタリースキルによって身体が動くのか、はたまた自分の意思で身体を動かしているのか。その辺りの境目が、どうにも曖昧になってしまっているのがマスタリースキルの難点と言うか、依存せざるを得ない部分と言うか。
物心つく前から、それこそが通常の状態であったのならば、そこに違和感を感じろという方が無理な話。
私だって、マスタリースキルの無い世界で過ごした記憶、というのが無ければ、マスタリーの導きってものを感じ取ることは出来なかったかも知れないのだ。って考えると、確かにそれはアドバンテージと呼べるものなのかも知れない。
マスタリースキルへの理解を深めるには、やはりマスタリーの働きを直に感じ取ることが出来たほうが良い。さもなければ、効果のあるなしをハッキリと実感することも出来ない、プラシーボスキルだなんて不名誉な称号すら与えられかねないしね。
実際、マスタリースキルなんて特に意味は無いスキルだ! みたいなことを言う輩も一定数いるのだとか。ソフィアさんが半ギレで嘆いていた。
マスタリースキルが効果を発揮し、動作誘導を仕掛けてきている、という感覚は一般人ほど気づきにくいものだ。
逆に動きの端々にまで気を張り巡らせることが常である、達人だの職人だのって人たちは気づきやすい傾向にあるらしい。
フゥちゃんも、集中すればマスタリーの導きを感じ取れるらしいしね。大したものである。
しかし、もしももっとハッキリとマスタリースキルの動きを感じ取りたいのであれば、やはり普通ではない訓練を行うのが良いのだろう。
「例えば、ミコバト内でマスタリースキルの無い環境、ってのを体験して感覚を馴染ませておくと、もしかしたら違和感に気づきやすくなるかも知れないね。まぁその場合、違和感が逆に動きの妨げにもなりかねないから、手を出すのなら一度弱体化する覚悟を持って当たるべきだと思うけど」
「……それと知っていたなら、マスタリースキルへの理解度になんて言及しなかったのだ。アリエルちゃんにはまだちょっと早いお話だったのだ」
そう、マスタリースキルへの理解度を深めることは、何もメリットばかりのやり得(やっただけお得)系鍛錬ではないのだ。
マスタリーがこういう動きをさせようとしている。そんな違和感に気づくようになると、先ずもってそこに不気味さを感じるかも知れない。自分の意思とは別の何かが、自分の身体を動かそうとしているのだから、それは当然気持ちの良いものではないだろう。
私の場合は、それのお陰で戦えているのだという自覚が、最初の段階からしっかりとあったからね。むしろお世話になってますって、感謝から始まったくらいだ。万能マスタリー先生とは、良好な関係を築けていると言える。
しかし、マスタリーを自分の一部だと思い込んでいた人たちが、ふとそれを「自分の意思とは異なる何か」だと認識してしまえば、果たして仲良くやっていけるかどうか……結構人によると思うのだ。
結果、一秒未満の素早い判断が求められる実戦において、致命的な逡巡に繋がる可能性すら考えなくちゃならない。
つまるところ、マスタリースキルへの理解を深める、というのにはリスクが伴うという話。
これを聞き、幾分表情を曇らせてしまったフゥちゃん。
弱体化云々というのが自分だけの話ならばまだ良い。が、これはアリエルちゃんにも深く関わる話。
なればこそ、マスタリースキルへの理解度がどうのと話題に上げてしまったことに、彼女は自責の念にも近い気持ちを懐いたのだろう。
ところが、当のアリエルちゃんはと言うと。
「ううん、フゥクスお姉ちゃん。私だからこそ、一度弱体化したって問題ないんだよ」
「アリエルちゃん……」
その表情はむしろ挑戦的ですらあり。フゥちゃんの後悔を一蹴するかのごとく、キリッと言ってのけたのだ。
事実、アリエルちゃんはまだ戦う術を得てから、然程時間が経過したわけでもなし。幾分弱体化を経験したところで、今ならば大きな痛手にはならない、というのも道理ではあった。
「それにツインダガーマスタリーが生えてきたのも、つい最近のことだしね。今の私なら、理解度の深いマスタリー運用にも馴染みやすいんじゃない?」
「つくづく将来有望じゃん……」
「ま、負けてらんないのだ!」
マスタリースキルは後天的に生えてくることもままある。そうした後天的マスタリースキルであれば、効果の程を実感するのも比較的容易いことだろう。
そうした意味においても、アリエルちゃんがマスタリーに対する理解度を深めるには良いタイミングであると言えた。
もしもこの試みが上手く行き、ワンランク上のマスタリー運用が可能になった場合、アリエルちゃんの技量というのは周囲と一線を画すものに化けるかも知れない。
これにはお姉ちゃんとして、フゥちゃんも心穏やかでは居られない様子。是非とも切磋琢磨して、いい具合に腕を磨いて欲しいところ。
★
「さぁ、いよいよボス部屋だね……!」
真剣な面持ちにて、そのように呟いたのはアリエルちゃん。
彼女の言葉が示す通り、私たちの前には大扉が一枚、無言の威圧感を放ちこちらを見下ろしてきている。廃屋にはあまり似つかわしくない、立派な金属の扉である。
数多のダンジョンに等しく、これと似たような大扉が最低一つは備わっている。即ち、ボス部屋の入口を示す厳しきそれ。
いかにも頑丈な佇まいを見上げたなら、自然と緊張感も増そうというもの。ぴりりと空気も引き締まる。
だが、緊張のし過ぎもよろしくない。
それと知っているが故か、口を開いたのはフゥちゃんだった。
「ところで師匠、ここまでアリエルちゃんを見てきてどうだったのだ?」
「お、MC役かインタビュアーみたいな質問じゃん」
「なにそれ、ジョブ?」
ジョブて。フゥちゃんの敢えておどけたような問いかけもそうだけど、アリエルちゃんの素朴な疑問も相まって、幾分弛緩した緊張感。
私やフゥちゃんは、いまさら脅威度三つ星半程度のダンジョンで気後れするようなタマではないけれど。アリエルちゃんの肩からは、確かに力が抜けたのを見て取った。
して、ここまでの彼女を見てきてどうだったか……との質問だけれど。
「フゥちゃんの成長ぶりにも驚かされたけど、伸び盛りのアリエルちゃんはとんでもないね。別人かと思っちゃったよ」
「っ! 違うからねお姉ちゃん! マッスンは私とお姉ちゃんを比較してどうこうって言いたいんじゃなくて、私が初心者だから成長も早いなぁ、最近の若者はすごいなぁって言いたいだけなんだから!」
「分かってる、分かってるから落ち着いてほしいのだ。あとそれだと師匠が年老いちゃったように聞こえるのだ」
おぉ……何やら言葉選びを間違ってしまったらしい。
フゥちゃんも凄かったけど、アリエルちゃんも凄かったよ! ってことが言いたかっただけなのだけど、曲解されかねない表現になってしまっただろうか。そのせいで慌てるアリエルちゃんと、苦笑するフゥちゃん。
「師匠、もうちょっと具体的に評価してあげてほしいのだ」
「ん、そうだねぇ……例えば」
例えば、基礎体力からしてそうだ。
以前エディットダンジョンに挑戦した際は、ボス部屋へ至るまでの道中こまめに休憩を入れたし、ボス戦時にはそれなりに疲労の蓄積も見られた。
それに比べて今回はどうか。全く休憩を挟むことなくここまで来た、なんてことはないにせよ、足を止めた回数というのは明らかに少なかった。しかも今現在の疲労度だって、以前に比べたならずいぶん軽く済んでいるように見受けられる。
道中にも感じたことではあったけど、体力づくりの鍛錬が余程効果を発揮しているらしい。単に伸び盛りというだけでなく、しっかりとした努力の証と言えるだろう。
例えば、確かなノウハウの構築。
右も左もわからず、見るもの全てが目新しかった以前は、確かに初心者なりに頑張ってこそいたけれど、それでも初々しさが強く出ており。引率される側って印象の強かったアリエルちゃん。
ところが今回は、ダンジョン探索における基本をしっかりと身につけ、良い立ち回りとは何か、避けるべき行動とは何か、という部分をきちっと理解して臨んでいる様子。
無邪気さとは、物事の良し悪しって概念を持ち合わせていないからこそ生じるものであり。そういう意味で言うと、以前のアリエルちゃんは無邪気だった。今の彼女はそれを脱し、理想的な探索ってものをきちんとイメージできるようになっているわけだ。素晴らしい進歩と言えるだろう。
例えば、戦闘能力全般の大幅な向上。
努力の成果は当然、単純な戦闘能力にも現れている。敢えて月並みな言葉で言うなら、アリエルちゃんは見違えるほどに強くなった。
そりゃまぁ、フゥちゃんの実力にはまだまだ遠く及ばないけれど、しかし成長速度って面で言えば驚異的の一言に尽きる。
また、純粋な戦闘能力のみならず、全体を俯瞰して指示を飛ばすような動きも時折見られ、リーダー適性の片鱗を十分に示してくれた。
これから更に知識と経験を積み上げていけば、その才能はますます磨かれていくのだろう。
「とか、あとは……」
「もういい、分かったから! あんまり褒められると調子に乗っちゃいそうで怖いから!」
「アリエルちゃん、油断慢心ダメ絶対、なのだ!」
「! も、もちろんっ!」
思いつくまま評価ポイントを論っていると、当のアリエルちゃん本人からストップが掛かった。顔が真っ赤である。あら可愛い。
しかし実際、後輩たちの成長ぶりは大したものだ。頼もしい限りである。
「そうしたら最後は、ボスを相手にどんな戦いぶりを見せてくれるか、だね」
「楽しみなのだ」
「あ、あんまりプレッシャー掛けないでほしいな……」
ここまでのダンジョン攻略において、アリエルちゃんの進歩ぶりには十分驚かされた。
だが、ボスを倒せてこそダンジョンクリアは成るものだ。彼女がどんな戦いをぶり披露してくれるものか、しかと見せてもらおうじゃないか。
「それじゃ、ボスがどんなやつか分かんないから、幾つか作戦パターンを決めておこう。基本はここまでに使ってきた内容を踏襲しつつ、ボス用に幾つか追加で……」
プレッシャーだ何だと言いながらも、早速ボス戦に向けた作戦の構築を持ちかけてくるアリエルちゃん。
これもまた、無駄に複雑な内容は避け、記憶しやすく実践も容易。それでいてガチガチにプランを固めすぎない、遊びを持たせた提案をし、大いに私やフゥちゃんを感心させた。
そうこうして、いよいよ一通りの調整が済むと。
「よし、準備はバッチリ。最終確認も大丈夫。二人も平気?」
「勿論なのだ!」
「ばっちこーい」
とうとうボス部屋へ突入する時がやってきた。
諸々最終確認を済ませたなら、厳つい扉へと手をかける。
「フゥクスお姉ちゃん、マッスン……行こう。ボス戦だ!」




