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第一四話 潜伏

 また一人死んだ。ブルーベアの振るった腕が男の一人にぶつかり、上半身ごとあらぬ方向へ曲げてしまった。弾き飛ばされた男の体は、衰えぬ勢いのまま不規則に回転し、何度も跳ねて一本の樹木へ激突。男はそのまま動かなくなってしまった。

 ハリウッド映画のアクションものと、グロいホラーをゴチャ混ぜにしたような悪夢じみた光景だった。

 ブルーベアと思しき、奴の存在に気づいた者から我先にと逃亡を図った。だが、その多くが恐ろしく素早い彼奴に追いつかれ、一撃で殺されていった。

 現場は忽ちの内に地獄の様相を呈する。皮肉にも、ヴィオラさんの望んだ地獄はこんな場所に顕現してしまったらしい。


 無闇に逃げ出せばきっと、私も男たち同様一瞬で狩られて終わるだろう。

 だが逃げ出さねば助からない。戦うだなんて選択肢は端からあり得ない。頑張れば攻撃を回避することくらいは出来るかも知れないが、逃亡も防御も、ましてこちらから攻撃して打ち倒すだなんて明らかに出来そうにない。あまりにも相手が悪い。

 ならばどうやって逃げる? それとも隠れてやり過ごす? ……分からない。ただただ恐ろしくて、頭がうまく回らない。

 逃げたら殺される。隠れても見つかって殺される。戦っても殺される。打つ手が無い、どうしようもない。

 考えれば考えるだけ絶望の黒が深まる気がして、目尻に涙が滲む。呼吸が苦しい。


 いっそ考えることさえ放棄し、開き直ってさっさと殺された方が楽なように思える。

 死ぬのは恐い。もの凄く恐い。けれど、一度は経験してしまっている。二度目の生も、降って湧いた幸運でしかないわけで、為すべき使命があるわけでもなし。それなら寧ろ、前の人生の方が余程生きたいって気持ちは強かったと思う。親孝行をしたかったから。

 でも、この世界には親さえいない。オルカって友達はいるけど、それだけ。

 そう考えると、ただ恐いだけなんだ。痛い思いをしてまで生きるべき理由がない。


 それでも、出来れば生き延びたいとは思うよ、それは。私が死ねば、きっとオルカは悲しむ。貴重なスキルが失われた! って、ソフィアさんも嘆くだろうし、オレ姉の武器ももっと使ってあげたかった。

 この絶望を突っぱねるには随分と頼りない理由だけれど、一応あるんだよ。

 どうしても生きなくちゃならない、なんて理由も使命も無いけれど。でも、死にたくない理由はある。

 なら、考えれば考えるほど絶望の未来しか見えないとしても、考えることはやめちゃダメだ。しんどくても頭を使え。ネガティブに呑まれるな。


「……独力での生還は、不可能。それなら助けを待つしか無い、か……!」


 きっと、オルカなら来てくれる。巻き込んでしまうことになる。怪我をさせるかも知れない。命の危機を半分こだなんてそんな迷惑ゴメンだろう。

 だけど生き残る目があるとするなら、それしか無い。私が戻らなければ、どの道オルカは探しに来ると思う。

 それなら、そんなオルカと一緒に帰ればいい。協力して生還する。それだけが、今私に考えられる最善の手。


 私はオルカに貰った仮面に手を添え、深く息をする。漂ってくる血の臭いは、努めて無視して。

 オルカの言葉を思い出す。それはこの仮面の力について。


 この仮面は、とある依頼の報酬でオルカが得たという、ちょっとした掘り出し物なのだそうだ。

 装備の中には特殊な効果を持つものが稀にあり、この仮面にもそれが備わっている。

 この仮面の効果とは――【気配遮断】。

 まさにこの状況にうってつけの代物じゃないか。


 この先は賭けになるのだが、私の持つ【完全装着】のスキルを介すれば、もしかして仮面の特殊効果を最大限引き出せなるのではないか。

 パッシブで効果を及ぼしてくれている【完全装着】と、これまではあまり効果を実感できなかった【気配遮断】。

 上手くいけば、気配を隠してブルーベアをやり過ごせるかも知れない。だが流石にそこまでの楽観視はしていない。

 奴は今も逃げ出した人間を追いかけ、殺して回っている。私が未だ無事なのは、身が竦んで動けない者達を後回しにしているからだろう。逃亡者を殺し尽くしたら、きっと私達の番だ。


 どうか上手くいってくれるよう祈りながら、私は意識を落ち着ける。

 そうして冒険者免許に魔力を登録した時の感覚を思い出しながら、強く意識を集中していった。普段は何ら意識せずとも常時働いている【完全装着】を強く思い描く。

【完全装着】の効果は、装備の力を私のステータス値に直接上乗せしてくれるというものだ。つまりは、装備を体の一部とするように。ならば装備が宿す能力もまた、私の一部として使えるかも知れない。確証はないし、試したこともない。だが、だから今試している。

 なかなか手応えらしきものは得られない。それでも続ける。もしかすると意味なんて無いのかも知れない。さながら神様に祈りを捧げるような行為だ。

 効果があるのか無いのか、それこそ神のみぞ知るところだろう。それでも、今選択できる可能性の中では一番マシなものだと信じ込む。


 すると不意に、不思議な感覚を覚えた。

 とても形容し難いのだけれど、それは私と装備をつなぐラインのようなものだろうか。或いはパスと言うべきか。不思議な繋がりの気配を確かに感じ取ることが出来た。

 だから私は更に集中する。意識を向ける先は、仮面との繋がりだ。そこに注意深く探りを入れていく。


 するとどうだ。仮面の中に、未だ使用されていない伸び代、或いは余白めいたものを感じ取ることが出来た。どうかこれが、私の苦し紛れに懐いた妄想ではありませんようにと祈りながら、その余白に力を込めていく。リンクを強め、パスをゴリ押して、繋がりを太く強固にし、安定して仮面を機能させるイメージ。

 それにより確かな手応えは感じた。だが自身に何か変化があったかと問われると、それはよく分からない。

 それに気を抜くと、この状態を維持するのも難しい。慣れや熟練が必要な、技術めいたものを求められている気がする。

 恐らくスキルレベルなんかが必要なんだろうけれど、残念ながら持ち合わせはないんだ。根性と精神力で無理やり維持してやる。


「どうか、私の気配がうすーくなってますように……!」


 効果があるのか無いのか、いまいち確証が持てぬままヤキモキしていると、とうとうブルーベアが逃亡者狩りを終えて戻ってきてしまった。逃亡した者の中に、果たして生き延びた人はいるのか、はたまた狩り尽くされたか。いや、私にはどうでもいいことか。

 そして案の定、次の標的はここに留まっていた私達のようだ。まず腰を抜かしていた男が一人、悲痛な叫びとともに肉塊にされた。フィクションでもなんでもない、現実の凄惨な光景に吐き気がせり上がってくる。が、吐いてる場合じゃない。私はすぐさま目を逸らし、奴の気配に身を縮ませた。

 無様でもなんでもいい。小さく丸まってガクガク震えて、それでも必死に気配を押し殺す。

 スキルだけに頼らない。極力呼吸を静かに、物音も立てない。早鐘を打つような心臓の音さえも、無理矢理にだって鎮めなくちゃならない。


 私は震える体をゆっくり動かし、地面に這いつくばる。そして実際は絶対やっちゃダメだと言われているアレをやった。

 死んだふり、だ。

 いや、別に死体になりきるつもりはない。だからこれは死んだふりではない。強いて言えば、地面に擬態しているんだ。

 仮面の力をうまく引き出せているとして、私の気配が極限まで薄れていると仮定するなら、こうして地面と一体になっていれば気づかれることはないはず。どうかそうであってくれ。

 それにこうして寝そべってみると、立っている時より幾らか心を落ち着けることが出来る気がした。


 更に匍匐前進の要領で木陰に身を隠す。逃げ出したって気づかれる以上、ここでやれることはこのくらいか。

 これでダメなら、もう知らない。私には打つ手が無い。

 ダメ元で突貫して、死にものぐるいで回避に努め、最後は赤い花を咲かせるのみだ。できればそんなのはゴメンなのだが。


 ともあれ人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。

 ただひたすらに仮面の力を維持することにだけ、私は意識を集中し続ける。



 ★



 太陽は頭上高く、さりとて曇天。分厚い雲を隔てては日輪の傾きも知れず、大まかな時間さえ感覚頼りだ。恐らく午後に差し掛かって少し経ったくらいか。

 いつしかとうとう泣き出した空は、大粒の涙を際限なく落とし始める。

 私は煩わしい雨粒を押しのけながら、草原を駆け続けていた。

 向かう先は西の森。分かっている、今あそこにはとてつもない化け物がいるってこと。

 それはブルーベアの変異種、あるいは特異種かも知れないと。


 変異種であっても、Cランク冒険者が単独で立ち向かえるような手合ではない。まして特異種ともなれば、Aランクの上位パーティーが出張ってくる案件だ。

 私一人が突っ込んだところで、リスクしか無い。

 もしもミコトが接敵していたとして、私がそこに駆けつけることが出来たとしても、特異種だったならどうしようもないと思う。私では、勝てない。


 けれど、だとしても。ミコトがそんな危険に相対しているのなら、私が行かない理由はない。

 私はミコトの剣だって、そう約束したんだから。必ずミコトは私が守る。

 だから、お願いだから、どうか無事でいて。また一人になんて、なりたくない……!


 どうか森に入ることなく、道中で狩りをしていてくれと願いながら、私は人影一つ無い濡れた草原を見渡しつつ駆け続けた。

 しかし見つけたのはポップした魔物ばかり。結局森に至るまで、ミコトと冒険者の姿はどこにも確認することは出来なかった。


 躊躇いはない。足を止めることもせず、私は森へ突っ込んだ。

 緊張感も警戒心も、段違いに跳ね上がる。感じる。森の生き物が息を殺すように身を潜ませているのを。

 恐ろしい化け物がどこかにいる。それも遠くはない。早くミコトを見つけなければ。だが、呼びかけながら捜すことなど出来ない。

 私は手近な木に駆け上ると、枝伝いに移動を始めた。地面を駆けるよりはエンカウントのリスクを抑えられると睨んでの小細工だ。

 反面、茂った葉が視界を制限し、ミコトを発見する邪魔立てをする。

 こんなことをしている間にミコトが殺されるかも知れないと思うと、自分がとてつもない愚者に思えてならない。

 けれど、ミコトを見つける以前に自分が見つかり、襲われたのではそれこそ意味がない。


 ミコトの生存を信じ、私は物音を最小に抑えながら木々を飛び移り、森を駆け巡った。

 幸いなことに、雨音が私の存在を隠してくれる。安全性という面では恵みと言えるだろう。しかしそれと同時に、私の索敵も大きく制限されてしまっている。一長一短とはこのことか。

 しかし程なくして、見つけてしまった。無残に砕かれた肉塊。少し前までは生きた人間だったそれを。


 目を覆いたくなるような悲惨な有様に、たまらず眉間に皺を寄せる。それと同時に、一際警戒の糸がピンと張られた。

 確かな物証。この近くに、奴がいる。辺りを観察すれば、なぎ倒された木々や、撒き散らされた血糊が点々としている。

 一層静かに、気配を殺し、私は木々を渡って死臭漂う森の一角を捜索し続けた。

 そうしてついに見つける。


 奴だ。

 通常のブルーベアとは似ても似つかない。大きさは二回りも膨れ上がり、体毛は暗い紫。手足の先に行くに連れ、それはグラデーションを経て漆黒へ染まっている。剥き出しの牙は鋭く、爪は肥大化して凶悪な変貌を果たしている。

 たった一目確認しただけで、背筋がピリピリと痺れ、体が震える。これは無理だ、歯が立たないと直感的に理解してしまった。

 資料ならば目にしたことがある。だから私は、奴の正体に忽ち思い至った。


 ベア系モンスターの特異進化個体。通称【ドレッドノート】。

 あらゆるものを薙ぎ払う豪腕。尋常ならざる頑強な肉体。驚愕すべき俊敏性。そして驚異の再生能力。それら全てを有する正真正銘の化け物だ。

 死屍累々の現状とて、さもあらん。奴が生じてしまったのなら、何らおかしなことではないだろう。


 幸いドレッドノートがこちらに気づいた様子はない。今なら逃げられる。

 しかし竦んだ体を無理やり動かしたのでは、余計な気配を漏らしてしまうだろう。私はゆっくりと、震える息を漏らし、呼吸を整える。

 落ち着かなければ。目眩がするほど状況は悲惨であり、特異種の出現とあらばこの情報を持ち帰る義務も生じてしまう。

 だが、そんなことよりミコトだ。

 私はまだミコトを見つけていない。たとえそれが……亡骸であったとしても。


 しかし先程から奴は一体何をしているのだろう? それがどうにも気になった。

 ここからでは木に隠れて全貌は確認できないが、ドレッドノートは何かを相手に幾度も爪を振るっているように見える。

 何故か、とてつもなく嫌な予感を感じた。

 何を、しているんだろう……? その木陰に、一体何が……?


 嫌に喉が渇く。雨に打たれて全身びしょ濡れなのに、嫌な汗をかいているのが自覚できた。

 今すぐ確認しなくてはという使命感と、確認するのが恐いという恐れを同時に懐きながら、私は恐る恐る場所を移動し、木陰の向こう側を確認した。

 見つけて、しまった。


「ぁ……あぁああ……っ」


 一瞬、頭が真っ白になった。混乱と、そして怒りが沸騰したようにグツグツと煮え立つのを感じる。

 私の視線の先。そこには、血まみれの人影が一つ。

 おぼつかない体捌きで、幾度もドレッドノートの繰り出す爪を掻い潜っては、鮮血を撒き散らしている。


 見間違いようもない。

 それは、最近やっとできた私の親友。大切な人。

 捜し求めたその姿に。変わり果てたその姿に、私は堪らず飛び出していた。


 そこには、懸命に戦う……左腕を失ったミコトの姿があった。

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