第一三三話 二六階層
勇者と顔を合わせたくないばかりに、とうとう宿から私たちPTとクラウの全員が退散し、部屋を取ったまま外泊するという事態に。
何とも腰の抜けた話ではあるのだけれど、これぞ触らぬ神に祟りなしを忠実に徹底した結果とも言える。
今はただ、勇者という名の厄介な存在がどこぞへ去っていくのをじっと待つ他ない。
おもちゃ屋さんでの一泊は殊の外快適だった。
流石に食べ物までお世話になるつもりはないと言うか、むしろお礼にこちらから振る舞ったほどだったのだけれど。
しかしわざわざ泊まるための部屋を新設してくれたお礼と考えれば、まったくもって安いものである。
妖精さんたちはイメージに違わずお肉やお魚は口にせず、果物等を好んだ。
思えば彼女たちの食事事情は、なまじ人間の大人とは一切の交流が出来ないものだから、森なんかで取ってきた木の実や果物を備蓄してのものだったりするらしく。
それならばと、私は今後定期的に差し入れすることを心に決めたのである。珍しい果物なんかを振る舞えば、きっと喜んでくれるだろう。
それから、おもちゃ屋さんには勇者が宿を去るまで、しばらく滞在させてもらうことになった。
何ならいつまでだって居てくれていいと言われはしたのだけれど、流石にそういうわけにも行かないだろう。
今はオルカたちと別行動をしているからいいけれど、やがて彼女たちが街に戻った時、私だけ別の宿で生活することになるというのは、些か私が寂しい。
ただでさえ最近ぼっち気味だっていうのに、これ以上溝を作るようなことはしたくないというのが本音である。
「うー、せっかくミコト用のお部屋まで作ったのにぃ」
「ちょ、ちょくちょく泊まりに来るからさ。それで許してよ、ね?」
ということで、不満げなモチャコたちを説得するのにはなかなか骨が折れた。
本当に彼女らは人懐っこいというか何と言うか。つい放っておけなくなるじゃないか。
しかしながらおもちゃ屋さんに滞在する間は、実質住み込みでの修行ということになる。
今まで以上にみっちりと修行に打ち込むことになった。
勇者を警戒しつつ、朝昼晩とオルカたちの元へ食材やお菓子なんかを買って届けたり、修行に精を出したり、ギルドでこっそり換金を行ったり、オレ姉のお店にもたまに顔を出したりと、とにかくなかなか充実した日々を送ったのである。
そうしてあれよあれよと日にちが進むにつれて、私が習得するべきコマンドはいよいよあと僅かとなっていったのである。
★
ミコトがおもちゃ屋さんで住み込みの修行を行っている最中、その頃オルカたち三人はといえば、この辺の地域で最強と謳われるダンジョン、通称『人喰の穴』をもりもりと突き進み、いよいよ二六階層の攻略に取り掛かっている最中だった。
二六階層とは、以前他の冒険者がこのダンジョンに挑んだ際に命からがら到達した、現段階での最深到達階層である。
彼の記録を打ち立てた冒険者PTは相当な手練だったらしいけれど、ここが限界だと匙を投げたそうだ。
オルカたちは今正に、彼らが断念に至ったモンスターの脅威というものを肌で感じている最中であった。
「右目!」
「「応」」
対峙するのは巨大な蛇の魔物。
全身は強固な鱗に覆われ、ともすればドラゴンと見紛うほどの威容を誇っている。
大樹ほどもある胴体は、オルカの苦無による切断攻撃も通用しない。おまけに毒霧を吐く凶悪仕様と来た。
しかもボスでもなんでもなく、その辺を普通に徘徊している通常モンスターというのだから悪夢めいて思える。
皆がつい考えてしまうのは、ミコトだったならどんな魔法やスキルを駆使して戦っただろうかと、彼女の、それこそ夢のような自由度を誇る戦法に、つい現実逃避したくなる。
だが無い物ねだりなんてしていれば、たちまちの内に窮地へ落ち込んでしまうだろう。
だから彼女たちは必死に考える。攻略法を。偶然一度勝てたとて、それでは狩りになり得ない。
三人はこのダンジョンに、修行のために潜っているのだ。だから死闘を制することが目的になってはいけない。
勝つ方法を、何度でも勝利を収められる方法を探り当てなくてはならないのだ。
オルカの放った黒い矢は、苦無を変形させたもの。それは飛翔する過程で細いドリルとなり、とてつもない回転を携えたまま大蛇の右目へと突き刺さり、その奥へと潜り込んでいった。
眼球の表面は、強化ガラスもかくやと言わんばかりの透明な湾曲板で守られており、生半可な攻撃では傷一つ付かなかった。
だが、流石にドリルは突破口足り得たようだ。勢いの失せるまで眼球の奥へ潜り込んだ矢は、そこで最後に縦横上下、前後左右それぞれに長い棘を細く鋭く突き出す形へ変形。完全に大蛇の右目を潰すことに成功したのである。
他方でココロとクラウもタイミングを合わせて動いていた。
やり取りはマップウィンドウの通話機能でもって、距離に関係なく最小限の声量で行える。
これは知能のある敵を前に作戦や連携バレを防ぐ他、発声による呼吸の乱れも最小に抑える効果があるため非常に重宝している。
オルカの右目を潰す宣言に応えるように飛び出した二人は、大蛇のリアクションを予測の上で奴へ襲いかかった。
鱗の硬い相手に対して有効なのは、やはり打撃による衝撃である。
それはココロの得意分野であり、その一撃を確実に決めるには誘導が必須。
そこでクラウは、痛みに悶える大蛇の頭部へ左側から襲いかかった。美しい剣を刺突の構えで携え、勢いよく飛びかかったのだ。
右目に続いて左目をやられてはたまらないと、大蛇はとっさに頭を振ってそれを鱗で受けた。
それが誘導であると、最後まで気づかぬままに。
大蛇が頭を退けた先には、今正に黒き金棒を圧倒的な膂力で振り下ろしたココロの姿があった。右目を潰された大蛇は、それを捉えることが出来なかったのである。
斯くして三〇分にも及ぶ激戦を制した彼女たち。初戦であるから、攻略法を探りつつで時間がかかったわけだが、次回からは最適化した戦略を適用できるだろうと、誰もが確信を持っている。そのため悲観するようなことはない。
ただ、疲れはする。もう何日このダンジョンに潜り続けているかも忘れてしまった。
戦闘が終わればドロップを回収し、移動しながら反省会である。
「流石にこの階層、モンスターの強さが尋常じゃない」
「ですね……このレベルになると連携が必須です。ココロたち、以前よりはチームワークも随分良くなりましたよね?」
「そうだな。だがまだまだだ。ここは最深層というわけでもないのだし、敵はまだまだ強くなる。我々も相応に進化していかなくては!」
二六階層は、まるで蟻の巣のように大部屋小部屋と様々な部屋があり、それを細い通路が複雑に繋いでいる。
マップウィンドウがなければ、純粋に迷路としても攻略が極めて困難な階層だったに違いない。
今大蛇と交戦した部屋はやたらと広く、全長何十メートルあるのだというあの大蛇が暴れまわれるくらいには巨大だった。
かと思えばその前に訪れた部屋は小さく、現れたモンスターもハリネズミを思わせる小さなものだった。
が、その動きは凶悪そのもの。伸縮自在な針を背にびっしりと蓄え、丸まってウニのようになり飛びかかってくるのだ。しかもとてつもない速度で。
狭い部屋を縦横無尽に跳ね回るため、それはそれは危ない相手だった。避けたところで針を伸ばしてくるので、ガードこそが重要になった。
クラウの力なくして無傷には終わらなかっただろう。
というかこの階層、一部屋に一体以上モンスターが配置されているような設計であるため、これまでのようにエンカウントを適度に避けての進行というのが困難なのだ。
しかも三人はマップを埋めながら進んでいるため、必然的に戦闘を行う回数は今まで通ってきた階層の中で最多となる。
激戦に次ぐ激戦ではあるが、しかし全部屋で別の種類が出現するわけでもない。
攻略法を探りながらの戦いというのは、二度目の遭遇以降で劇的な効果をもたらすのだった。
斯くしてお昼。
三人は一旦マップ埋めを切り上げると、駆け足で階層入り口へ戻った。
走りながらミコトへは通話でお昼のリクエストなんかも既に出してある。
これだけ厳しい戦いが続くと、ご飯や物資を届けてくれるミコトを交えたご飯時が、彼女たちの癒やしとなっていた。
いつものように時間通り、ぱっと目の前に出現したミコトを見て、思わず表情を和らげる三人。
彼女による労いの声を聞くたび、何とも言えない暖かさが荒みかけた心にじんわり広がるのである。
「それでみんなは、結局どこまで潜るつもりなの? こんな深くまで潜ったんだし、そろそろ腰を落ち着けて戦闘訓練に切り替えたら?」
食後、不意にミコトがそんなことを言った。仮面で表情こそ見えないけれど、声音や仕草から心配してくれているのが伝わってくる。
オルカたちは三人視線を交え、そして小さく頷く。
代表してクラウがこう答えた。
「出来れば私たちは、ここのダンジョンボスを倒して帰りたいと思っているんだ。それも、ミコト……キミの力に頼らずに」
「え、えぇ……」
なんだかしょんぼりしてしまったミコトに、オルカとココロが慌ててフォローを入れる。
「べ、別にミコトを除け者にしたいわけじゃないよ?」
「そうですよミコト様! むしろココロたちは、ミコト様とともに歩むためにこそ頑張っているのです!」
「そうなの? ……でも、除け者云々は別にしても、心配だよ。モンスター強いんでしょ?」
彼女の言葉に、一瞬黙ってしまうオルカたち。
けれどそこで口を開いたのは、クラウだった。
「こう言うと、自分本位に聞こえてしまうかも知れないが……あの日、ミコトに模擬戦で敗北して分かり始めたんだ。チームで戦うということの意味が。それはこのダンジョンに来て、より実感を伴いつつある……もう少しで何かが掴めそうな、そんな気がしている」
「クラウ……」
「連携だとか、戦略だとか、チームワークだとか、そういった言葉だけではない何か大切なものが、もう少しで見えてきそうな、そんな予感がある。願わくばそれを掴みたいと、私は思っている」
じっと自らの手を見つめる彼女は、そう言えばいつの間にか単騎で敵に突っ込むことも無くなったなとオルカとココロは思い至った。
彼女は今変わろうとしている。何か大切なものを手にしようとしている。
なれば、仲間としてそれを手伝いたいと。二人はそう考えていた。
「私たちの司令塔は、ミコト。三人で戦っていて、それをよく実感している。でもそれだけじゃダメだと思ったの」
「ですね。お仕えする身で過分な望みとは思いますけれど、ココロもミコト様の手足となって働くだけではダメなのだと感じました。ともに、歩きたいのです。そのためのすべを、今必死に探しています」
チームによる戦闘を繰り返しながら、クラウもオルカもココロも、それぞれが何かを掴もうとしていた。
皆の瞳はどこまでも真剣で、力強くあり、それを見せられてはミコトも頷きで応える他ない。
だが、それでもと彼女は言う。
「それでももし、ピンチの時は私を呼んでね。必ず駆けつけるから」
それがミコトなりの答えだった。三人の思いに対する真摯な応え。
二六階層だろうと関係ない。仲間に危機が迫ったなら、何を差し置いてでも必ず助けに来ると。
そう、強く宣言した彼女は、しかし直後唐突に間抜けな声を漏らした。
「あぇ……?」
「「「?」」」
そうして暫し、虚空を見つめて固まるミコト。
オルカたちはミコトが何をしているのか、大まかに予想がつく。それは彼女にしか見えていないウィンドウを操作している時の硬直に他ならない。
ということは、また何らかの変化があったということだろうか。
皆が固唾を飲んで彼女の次の言葉を待っていると、少ししてようやくミコトが声を上げた。
「なんか、新しいスキル生えてきた」
「またか……」
「切っ掛けが不明過ぎる……」
「それで、どんなスキルなんですか?」
ココロの問いかけに、彼女はふむと再度ウィンドウに目を落とす。
皆の視線を一身に集めるミコトが、そうして一拍の間をおいてそれを発表した。
「【PTストレージ】っていうスキルだね」
ごくり。
その名を聞き、内容を想像し、皆一様に生唾を飲んだのであった。
誤字報告いただきました。ありがとうございます!
『基調』を『貴重』って誤変換するの、たまにやっちゃうのですよね……見つけていただけて助かりました!




