第一三話 悩めるオルカ
人気もまばらな冒険者ギルド。冒険者たちが出立した後のこの時間帯は、人気もまばらであり不思議な静けさがある。
私は飲食スペースの隅に腰を下ろし、ぼんやりと虚空を見つめては今日何度目になるとも分からないため息をついた。
今日はミコトのEランク昇格をかけた試験の日だ。
何とかして同行しようと考えていたのだけれど、結局それは叶わなかった。
私には、同行する女性冒険者とともにギルドを後にするミコトを、見送ることしか出来なかったのだ。
しかしこれから一人で何か依頼を受ける、という気にもなれず、結局ギルドでミコトの帰りを待つことにした。
ミコトに同行した女性冒険者。彼女の雰囲気に、どことなく不穏なものを感じた。こっそり様子を見に行きたい気持ちは強いのだけれど、それでもしミコトが試験に落ちたりしては申し訳が立たない。
はぁ……こんなに誰かを心配するのはいつぶりだろうか。不思議なほどにミコトの存在は、いつの間にか私の中で大きなものになっている。
「オルカさん。ご注文は?」
「え、あ。それじゃぁ、果実水を」
給仕の娘に注文を聞かれてハッとする。気もそぞろ、とはこういうことを言うのだろうか。席に座ったのだから、注文を取られるのなんて当たり前のことなのに。声をかけられるまで意識すらしていなかった。
どうして私は、こんなにもミコトのことを気にかけるのか。勿論自問したことはある。そして答えも得ている。
境遇が似ているんだ、私とミコトは。
自意識過剰かも知れないけれど、私は外見のせいで沢山苦労してきた。誰もが美人だと私を褒め、言い寄ってくる人も沢山いた。
けれど少しも嬉しくなんてなかった。寧ろ恐かった、とても。
異性には気持ちの悪い視線を向けられ、同性からは警戒される。あまつさえ身に覚えのない言いがかりでトラブルにまで発展したことも茶飯事と言えるほどだったり。
だから私に親しい人が出来たことなんて無かった。心を許せる人なんて誰一人としていなかった。
寂しい、なんて気持ちを感じる余裕もない。身を守るために必死だった。
それこそ冒険者になった当初なんて、怖くて仕方がなかった。仮面で顔を隠し、なるべく他人と関わらないようにし続けた。担当受付のソフィアとだって、まともに話ができるまで結構時間がかかった。鍛冶屋のオレ姉とかもそう。
けれど彼女らはあくまで、仕事上の付き合いに過ぎない。特別親しい仲というわけでもない。同性の人は何を考えているか分からないから恐い。
異性はもっと恐い。何をしでかすかか分からないから。
実際襲われかけたこともある。あの時は必死に逃げた。たくさん泣いた。誰も助けてくれない。ただただ辛かった。
それでも生きるために頑張った。もういっそ、生きるのをやめようかなって思ったこともある。でも、結局死ぬのだって恐かった……。
だから死にものぐるいで努力して、力をつけた。自分の身を、自分で守れるようになりたかったから。頼れる相手がいなかったから。
そうして私は冒険者としての実力をつけた。だけど、自分を強いとも凄いとも思えない。私の力は、危険から逃げるためだけに身に付けたものだから当然だ。
実際戦力としても、火力は足りないし、大抵のことは一人でこなせるけれど、誇れるのは逃げ足くらいのもの。一人では大したことの出来ない私には、器用貧乏って言葉がぴったりに思えた。
ようやくちゃんと立ち止まって考え事が出来るだけの余裕が出来てきて、それで近頃漠然とした不安を覚えるようになった。
私は私が、どうしたいのか分からない。何を目的に生きているのか分からない。何を成したいという目標もない。
それに、何かを分かち合える友達も仲間もいない。
初めて、寂しいって感情を自覚した。
そんな折だった、ミコトが現れたのは。
「あ……」
いつの間にかテーブルに置かれていた果実水に気づき、私はまたもぼんやりしていたのだと気づく。今日はダメダメだ。
それこそ、こんな状態で依頼なんて受けられない。
果実水に口をつけ、鼻腔を抜ける甘酸っぱい果物の香りを感じつつ、再び物思いに耽る。
初めて、自分より絶対的に美しい他人を見た。目を奪われた。少しだけ、私を見る男性たちの気持ちが理解できてしまった。
そして確信した。彼女は、ミコトはきっと私と似たような苦労をするに違いないって。いや、これまでも沢山の苦労があったに違いないっていう確信があった。
それくらいミコトは、隔絶した美貌を持っていた。そして私の懸念は案の定当たってしまった。
ミコトが初めてギルドを訪れたその日の内に、大きな騒ぎが起こった。死人も結構出た程だ。
当のミコトも男に襲われていた。
けれど私は彼女を救うことが出来た。その時初めて思ったんだ。
自分を守るために身に付けた力で、私と近い境遇の誰かを救うことが出来たって。私の努力には、ちゃんと意味があったんだって。
それから少し、ミコトと話をした。不思議なほど話しやすかった。
その理由はきっと、ミコトは恐くないからなんだと思う。弱いからとかそういうことじゃなくて、ミコトは私を警戒しない。
他の女性だったら、私の顔を見ると平静を装いつつ歪な空気を発し始める。でもミコトにはそれが無かった。
だから私もミコトを警戒しなくて済む。それがとても、心地よかった。心が軽かった。
それに気も合うと思う。同じことで悩んだり、同じことで笑ったり出来る。それがとても、とても嬉しくて。
初めて、側に居たいって思える人に出会えた。居心地の良さに味をしめてしまった。
ミコトと過ごしたこの一週間は、これまで想像したこともないくらい楽しくて、満たされた時間だった。きっとこれを幸せっていうんだと思う。
もしかするとずっと一人ぼっちで、そういうことに免疫がなかったから、過剰に感じ入ってるだけなのかも知れないけれど。
それでもミコトの側には、確かな安心があった。だから私はミコトのことを、こんなにも大切に思っているんだろう。
今日久々に一人になって、それを痛感している。ミコトが居ないだけで、こんなにも心細い。
万が一ミコトに何かあったなら、私はどうすればいい? また一人に戻るのなんて、きっと耐えられない。
ただ生きるためだけの生活なんて。誰も信用できず、一人で生きていくことなんて。今度こそ、死んだほうがずっと楽だって思えてしまう。
だから不安で心配でたまらない。ミコトは大丈夫かな? あの冒険者にいじめられてはいないだろうか? なにかトラブルに巻き込まれたりしていないといいけれど。
「オルカさん、相席いいですか?」
「! ……あ、ソフィア」
「珍しく随分ぼんやりしていますね。そんなにミコトさんが心配ですか?」
「……すごく心配」
いつの間にか随分時間が経っていたらしい。
空いていたテーブル席には、昼食を摂りに来たのだろうギルドスタッフの姿がちらほらあり、ソフィアもまた同様のようだ。
ランチを注文すると、私に視線を戻し、話題を振ってきた。
「ところで担当としてお聞きしたいのですが。オルカさんは今後どうするおつもりなのでしょう?」
「? それはどういう意味?」
「ミコトさんは今日、ほぼ確実にEランクに上がります。そうすると受けられる依頼も増え、収入が上がります。すると必然的に、彼女は装備を強化し加速度的に力を増すはず。そうすればランクを駆け上がるのも容易いでしょう。そうしていずれはオルカさんの助けを必要としない程に成長するはずです」
「‼」
その言葉に、愕然としてしまう。
ソフィアの言うことは理解できる。確かにミコトが成長してけば、いずれ私の手なんて借りる必要もなくなるだろう。
でもそうしたら、私はミコトの側にいていいんだろうか? それとも、それぞれの道を歩むことになるのかな……?
それは、嫌だ。けどもしもミコトがそうしたいというのなら、私はどうする? その意志を尊重して、また一人に戻るの? それとも、わがままを言ってでもミコトの側に居続ける? もしかしたらそれで嫌われるかも知れないのに。
ミコトの成長は喜ばしいこと。そのはずなのに、途端に恐ろしくも思えてきた。不安だ。
私にとってミコトは、たった一人の安心できる相手。大切な存在。
でも、ミコトにとって私は……? 突然現れて、何故か世話を焼いてくる怪しいやつって思われていても、何ら不思議じゃない。
逆の立場だったなら、きっと私は警戒している。なにか打算や、裏があるんじゃないかって。
考えれば考えるだけ恐ろしくなってくる。私の独りよがりだったらどうしよう。本当は、ミコトにとって私って得体の知れない不気味な存在なんだとしたら……この先も一緒になんてきっと無理。
今は良くても、やがて拒絶されるに決まっている……私が、誰彼構わずそうしてきたように。
「え、あの、オルカさん? 大丈夫ですか?」
「……わかってる。これが因果応報……」
「? 何を仰っているのかは分かりませんが、私がお聞きしたいのはこの先、ミコトさんと正式にPTを組まれるのか、ということです」
「パーティー……? 私が、ミコトと……?」
「ええ。初めこそ、オルカさんはこんなお荷物を背負い込んでどうするつもりだろうと疑問でしたが、ミコトさんは間違いなく逸材。ランクはともかく実力だけなら、あっという間にCランク相当かそれ以上にまで育ってしまうでしょう」
「うん、私もそう思う」
マスタリースキルの恩恵があるにしても、ミコトはセンスがいい。
オレ姉のところでやった模擬戦をはじめ、この一週間の狩りでもそれはよく理解できた。目と勘がとても優れている。判断力も高い。度胸もある。
変な事件に巻き込まれて命を落としでもしない限り、きっと凄い冒険者になる。
それにミコトには、アレもある。
「ミコトさんならばきっと、あなたに相応しい冒険者になる。現時点ではまだPTを組むにはアンバランスですが」
「それは構わない。ミコトと一緒に居られるなら、私はいくらでもあの娘を支える」
「では、組まれるのですね?」
「それは……」
叶うのなら、是非もない。そうしたい。今のような曖昧な関係じゃなくて、ミコトとちゃんと仲間になりたい。
……だけど。ミコトはどう思うのだろう? 私と組みたいって思ってくれるのかな? 気持ちの問題もそうだし、いずれミコトが成長したら浮き彫りになる私の弱さも問題だ。こんな器用貧乏で逃げ腰な私は、寧ろ足枷になりかねない。
「ミコトと、話し合って決めるから。私の一存では……」
「仰る通りですね。では、結論が出たなら教えてください」
「うん……」
話も区切りが付き、ちょうどソフィアが食器を空にしたその時だった。
不穏などよめきがロビーの方から波紋のように広がり、飲食コーナーにまで伝播してきたのを私達は察知する。
何事かと顔を見合わせ、急いでロビーへ行くとそこには、血に塗れ、片腕を失った冒険者が手当を施されているところだった。ギルドスタッフの医療班と、居合わせた治癒魔法持ちの冒険者が興奮状態にある彼を押さえつけつつ止血を行っている。
だが、私はそんな光景よりも、彼がそんな大怪我を負った原因にこそ意識が向かった。もしかしてそれは、ミコトにも危険を及ぼすようなものではないだろうか、と。どうかそうであってくれるなと。
けれど現実はいつだって無情。大怪我を負って言葉にならない言葉を喚いていた彼が、ようやく情報を吐き出す。
「死んだ……仲間が、殺されたっ! 出たんだ、変異種……いや、特異種かも……ブルーベアのっ‼」
水を打ったように、ギルドが静寂に飲まれる。誰もが息を呑んだ。目眩のするような惨事を幻視する。
目の前が真っ赤になるような、強烈な焦燥を覚えた。気づけば、自分でも信じられないほど声を荒げ、彼に掴みかかっていた。
どこで、一体どこで遭遇したのかと。そう問いただしていた。
西の森。
苦しそうに、彼が情報を落とす。誰かが私の肩を掴んで、強引に彼から引っ剥がした。
ミコトはどこに向かった? 聞いてない。でも、大丈夫、のはず。だってEランク試験なんかで西の森になんか行くはずがない。
もし街の西門を出たとしても、十分距離はある。最悪特異種だったとしても、変に刺激しなければテリトリーを出ることもそうそうないはずだから。
だけど。
ミコトに同行した、あの冒険者の顔が脳裏をちらつく。
とても、とても嫌な予感がする。
たまらず私は駆け出した。大丈夫、確認するだけ。ミコトが無事ならそれでいい。森に向かっていないのならそれでいい。
まずは、そうだ。西門で尋ねれば確認はできるはず。
こんなに全力で駆けたのはいつぶりだろう。それでも焦れったさは濃厚にこびりつく。どうして私の足はもっと速く動かない。街を歩く人が煩わしい。道なんて走っていられない。
建物の屋根伝いに最短で駆ける。心臓が早鐘を打ち、西門までの距離が嫌に遠く感じられた。
そうして私は、西門勤めの門兵の言に今度こそ、頭が真っ白になるのを感じた。
彼女たちなら確かにここを出て、森へ真っ直ぐ向かうのを見た、と。




