第一二七話 人喰の穴
晴天の下を薄い雲がのんびりと流れる、程よい陽気の朝。
私は街を東に出て、広がる森の奥を文字通り飛ぶように駆け続けていた。
目指すのはこの辺りの地域で最強のダンジョンと言われる、通称『人喰の穴』。その入り口だ。
ギルドで地図は確認したものの、いかんせんこの世界の地図はそこまで情報が細かいわけではない。
地図を作るためのスキル、というものは存在しているため情報が当てにならないということもないのだけれど、森が広くて方向感覚が狂いそうになる。
太陽の位置とマップウィンドウのスキルを確認しながら、モンスターひしめく森の中をノーエンカウントでひたすら突っ走る。
魔法やスキル、それに装備を駆使すれば忍者よろしく木から木へ飛び移りながらの立体機動も可能ではあるけれど、それはそれで無駄に難しそうなので……敢えてそれで移動している。
昨日の模擬戦で、オルカたち三人が見せた動きは何れも自前の経験や技術により組み立てられた、見事なものであった。
だと言うのに私と来たら、体捌きは万能マスタリーに頼り切り。心眼がなければ、あっさり技術で圧倒されていたに違いない。それを痛感したのだ。
こういうただの移動だって、敢えて難易度を上げて訓練の糧にでもしていかないと、いつまで経っても『中身はただの元女子高生』ってレッテルが剥がれないように思う。
そりゃまぁ、まだ半年にも満たない異世界生活で、ただの女子高生が冒険者と肩を並べるような動きをするには、スキルにでも頼らなくちゃ無理なのは間違いないけどさ。
それでもいずれは、マスタリーに頼らなくても戦えるくらいの技術を身につけていかなくちゃならない。
そうでなくちゃ私はきっと、いつまで経っても『本物』には成れないだろう。
「お。もしかしてアレかな?」
考え事をしながら立体機動を続けていると、やがてマップウィンドウにそれらしい地形が映り込んだ。更にはダンジョンを示す紫のマーカーも確認できる。
私は一旦高く跳躍すると、空中で先を見渡してみた。重力をかなり軽減しているため、落下は当面始まらない。なので存分に景色を堪能できた。
私のマップは二キロ先までの地形を捉えることが可能だ。そのため見渡してみたところで、遠すぎて見えないかもと思ったのだけれど。
木々の生い茂る森はなだらかな山の連なりでもって成っており、件の目的地は丁度山向こうにあるらしい。もう少し高く飛べば見えそうだと思い、私は更に高く跳躍した。
用いた魔法は空間魔法が一種【ステップ】。その効果は、足の裏に面する空間を任意のタイミングで固定出来るというもの。
これにより私は空中を自由に駆けることが出来るが、空間魔法は消耗が大きいものばかり。
ステップはその中でも最も軽い部類に入るのだけれど、かと言って乱用していたのでは直ぐにMP切れを起こしてしまう。
用法用量に気をつけなくてはならない。
夢の空中ジャンプを駆使して、常人ならざる跳躍を行い山向こうを眺めると、マップで見た通りの光景を認めることが出来た。
ポッカリと森が円形に開かれており、その中央に直径一〇〇メートルはあろうかという巨大な穴が口を開けていたのだ。
高所から眺めるそれは実に興味をそそられるものであり、私は思わず空を駆けて一直線にその大穴の縁までやって来たのだった。
上からも見えはしたが、改めて穴の中を覗いてみたところ、そこには何とも呆れるほどの奇妙な光景が広がっていた。
「な、なにこれ……地下世界?」
大穴の下には、恐ろしく巨大な空間が広がっていた。
正しく地下世界を彷彿とさせるほど広大なそれは、角度の問題もあってこうして深く覗き込んでも端っこすら見えない。
地形も一定ではなく、森もあれば岩場もあり、小川が流れているのさえ確認できた。
今まで見てきたダンジョンなんて、この世界の神秘から言ったらまだまだまともな部類だったってことだろう。それを理解させられるような、圧巻な光景だった。
資料によると第一階層は、幾つもフロアをぶち抜いたような高い天井と広大な空間が特徴的で、第二階層への道を探し当てることが最初の難関なのだとか。
道理で地面まで随分と距離がある。さながら雲の上より下界を見下ろす仙人のような気分だ。
なんてポカーンとしばらく下を眺めていると、不意にとんでもない勢いで私の頭よりも大きな岩が飛んできた。
私はとっさに頭を引っ込めてそれを避ける。びっくりした!
岩は勢い余って穴から空へ向けてすっ飛んで行くと、やがて重力に引かれ、彼方に落下。めちゃくちゃ遠くまで飛んでいったな。あんなのがクリーンヒットしてたら、大ダメージどころの話じゃないぞ……。
「モ、モンスターの投擲攻撃、とかかな? ヤバいなここ……ほんとにオルカたちコレに挑むの?」
心臓をバクバクさせつつ、一先ず穴の縁から離れた。
下見は完了した。私の役目は、ワープスキルでオルカたちをここへ送迎することにある。あと下に降りるのも手伝わないと。
驚きに高鳴った心臓を整え、再度穴を見て思う。この近辺最強というのも伊達ではないみたいだと。
と言うか、世界にはコレより恐ろしいダンジョンが幾つも存在しているというのだから、おっかない話である。
帰ったらちょっと思い直すように説得してみたほうがいいかも知れない。
なんて考えながら、私はワープで一旦街に戻ったのである。
★
結論から言うと、説得には失敗した。
私は現在、オルカ、ココロちゃん、クラウとともに件の大穴を降り、広大なダンジョン第一階層へ降り立ったところだ。
ちなみにダンジョン内ではワープが使用できないため、全員で飛び降りるという強硬手段に出た。
このダンジョン、本当の第一試練は地上から無事に第一階層へ降りることかも知れない。あと脱出も容易ではないだろう。
他の冒険者達がどうしているのか、割と本気で気になるほどの難題のように思える。
落下の衝撃は重力魔法で緩和できるため、そこは問題ではなかったのだけれど、落下中に例の投擲攻撃が飛んできた。かなり遠くから、狙いも完璧に岩を投げつけてくる。とんでもないモンスターもあったものだ。
空中でそんなものを受けては、ダメージもそうなのだけれど、着地位置を散らされてしまう恐れがあった。
なので逐次私が魔法で迎撃。無事に三人を第一階層へ着地させた次第である。
「と、とんでもないところですね……」
「ミコトがいなかったら、ちょっと厄介だったかも」
「それでこそ攻略のし甲斐があるというものだ」
着地したのは近くにモンスターのいない、安全な林の中。
本当に挑むのかと彼女らに最終確認を取るも、どうやらその意志は揺るがないようだ。
私は一つため息をつき、ならばと注意事項を語って聞かせた。
「おさらいだけど、私のフロアスキップも万能じゃない。この広い第一階層のマップを埋めてもらわないことには、アクティベート出来ないんだ。フロアスキップが使えないんじゃ、今までみたいにご飯を持ってきたり、送り迎えをしたりっていうのにも大きな支障が出ちゃうからね」
「つまり、先ずはこのフロアを踏破することが当面の目標になる、ってことだよね」
「本当なら、マップウィンドウに頼った攻略は遠慮するべきなのかも知れませんが、こればかりは仕方がないですよね」
「相わかった。フロアは広く、モンスターも強い。流石に今日中にマップを埋められるとは言わないが、なるべく早い攻略を目指そう」
クラウがそう言うと、オルカとココロちゃんが頷きで返す。
当然のように今回も、三人には私のマップウィンドウを共有化してある。これがあるのと無いのとでは、安全性に大きな差が生じてくる。索敵だけならオルカの力で事足りるのだけれど、マップウィンドウのもたらす恩恵は多岐にわたるからね。
特にマップ埋めには必須と言っていい。攻略難易度を下げることになって、彼女たち的には些か気乗りしないようではあったけれど、そこはどうにか折れてもらった。
さて、私の役割はここまで。後は帰って魔道具作りの修行を行わなくちゃならないのだけれど、しかしどうにも彼女たちが心配で戻る気にはなれなかった。
「せめて、最初の戦闘くらいは見届けてから帰るよ。それくらいは構わないでしょ?」
「ミコトは心配性」
「ブーメランだからねそれ!?」
とは言え、普段過剰に心配してくる彼女たちの気持ちが、今ばかりは分かってしまう。
なるほど確かにこれは気が気ではない。今後はもう少し心配をかけないよう配慮した行動を心がけるべきかも知れないな。
そうして早速、マップウィンドウに映る単体の敵影を標的として、オルカたち三人は素早く林の中を駆けていった。私はそれを後ろから追いつつ眺める。
勿論、不測の事態があればいつでも介入するつもり満々だ。私なら彼女たちを救える! だなんて思い上がるつもりは毛頭ないが、四人で協力すれば間違いなく戦力は大きくアップするはず。
どんな窮地に立たされたとて、それなら最悪逃げるくらいは出来るだろう。
ということで少し走ると、初のエンカウント。
対象は猿型のモンスター。名前をグリーンエイプと言い、緑色の大柄なお猿さんだ。体高はココロちゃんより少し小さいくらい。ゴブリンと違い、猿らしく毛むくじゃらだ。前傾姿勢なのも相違点か。
一見しただけでは、まぁそれほど強そうには見えない。が、勿論油断するような愚は犯さないオルカたち。
オルカの放った無音の投擲は、漆黒の苦無による一撃。
それは見事に緑猿の右足を捉え、断ち切ることに成功した。奴の太腿に突き刺さったそれは瞬時に変形を見せ、さながらベルトが巻き付くかのように腿を一周。そしてぱっと薄い板へ形を変え、皮も筋肉も骨も関係なく隔ててしまう。
何度見てもえげつない切断武器である。
やろうと思えば一撃で首を飛ばすことも出来ただろうが、今回はモンスターの強さを見極める意味も大きい。そのため致命傷は避けたようだ。
痛みに声を上げ、即座に奇襲を食らったと理解した緑猿は、体勢を低くして身構えオルカの方へ体ごと向き直った。
が、そこに畳み掛けるようにクラウが突っ込んでいく。怒り任せに奴は黒盾を構えた彼女へ飛びかかり、しかし案の定初見殺しのカウンターを浴びる羽目に。
黒盾より伸びた無数の棘に体を刺し貫かれた緑猿だったが、恐ろしいほどの反応で被害を最小に抑え、飛び退いた。
完全な状態なら、厄介な敏捷性を携えていることが容易に理解できる。そんな動きだった。
しかしそんな猿へ最後に襲いかかったのは、すっかり見違えるような切れのある動きを身につけたココロちゃん。
もうあのドタバタ走りが見れないのかと思うと、一抹の寂しさが湧いてくる。
有り余るようなパワーをすっかり自在にコントロールできるようになった彼女は、最高速に於いても一級のそれを獲得した。
瞬時に緑猿へ肉薄した彼女の振るう、ほんの小突く程度の一撃は、しかし簡単に奴の首をへし折った。
そうして直ぐにグリーンエイプは黒い塵へと変わり、消え去ったのである。
総じて危なげのない戦闘だった。流石と言わざるを得ない。
決着を確認し、マップで他のモンスターの寄ってくる気配が無いことを確かめつつ、私は彼女たちに声をかけた。
「お疲れ様。手応えはどうだった?」
「そうだな、まずまずといったところか」
「ですがグリーンエイプは群れを作ることもままあると言います。あれが負傷無く、複数体で襲ってきたらと思うと……楽観は出来ませんね」
「油断は出来ないけど、この前潜ってたダンジョンよりはまだ楽に戦えそう」
オルカの言うダンジョンとは、ゴーレムの谷が雨天で使用できない時代替で修行場所に選んでいた、これまた難度の高いダンジョンのことだ。
確かにあそこも強敵が多かったため、如何な人喰の穴と呼ばれるこのダンジョンと言えど、第一階層からそこまで凶悪なモンスター揃いということもないようである。
「これなら幾らか安心していいかな。ともあれ、うっかり囲まれたりしないでね? ちゃんとマップスキルやオルカの索敵で注意を払うんだよ?」
「ミコト様、そこまで心配なさらずとも大丈夫ですよ」
「なるほど、これが過保護……」
「大丈夫だ、ちゃんと心得ているさ。だからミコトも自身の修行に励んでくれ」
「むぅ……わかった」
普段なら流石にここまで心配したりもしないのだけれど、昨日の様子を見ているからなぁ。
変に前のめりになって、無茶をしでかさないかと気がかりで仕方がない。
ともあれ、モンスターの力も知れたことで幾分安心もした。
今日の彼女たちはお弁当を持参しているため、迎えに来るのは夕方になってからとなる。
私は一七時頃にまた来ると告げると、頭上高くにぽつんと空いた地上へ続く穴へ、スキル等の力を借りて跳躍したのである。
上昇中も、岩が飛んできて私を撃ち落とそうとしてきたが、流石にもう慣れたものだ。魔法でガードし、難なく脱出を果たすことが出来た。
最後にもう一度穴の縁から下を覗き込めば、もうオルカたちの姿は小さすぎて確認することも出来なくなっている。
一つ息をつき、気持ちを切り替えてワープを発動した。
私も私のやるべきことをやらねば。一日も早くまた、彼女たちと一緒に冒険者活動を行うためにも。




