第一二話 悲劇の責
鬱蒼と立ち並ぶ木々は、足元に葉を落とし蓄積させる。朽ちたそれはやがて腐葉土となり、踏みしめがいのある地面を作っていた。
草原のそれとは異なる足場の感触を、私は歩きながら確認する。
見渡す限りの木、木、木。しかし異世界の樹木だからといって、見たこともないファンタジーチックなものかと言えば、そんなことはなく。かと言って既知のものともどこか違う。
というかそもそも私、木に対する知識なんて全然ないんだけどね。それでもどことなくではあるが、似てはいても異なる種類なんだろうなというのは察しが付く。何せ雑草一つとってもそうなんだから。
そんな小さな発見の一つ一つが、私に知らない世界に来たんだなという実感を与えているわけで。その度に感慨深さを感じるんだ。
……などと些かの現実逃避をしながら、私は名も知らない木の間を、相変わらずヴィオラさんに続いて歩いていた。
この人、一体どこまで行くつもりなんだ? モンスターを探しているんだろうけど、もっと浅いところをウロウロすればいいのでは……?
森に入ってから既に結構歩いている。あまり奥に行ったのではモンスター云々もそうなんだが、普通に迷いそうで恐ろしいのだけれど。
そんな風に訝しんでいると、珍しく彼女が口を開いた。
「一つ、訊きたのだけど」
「はい、何でしょう?」
「あなた、イワークを知っている?」
「‼」
ポ○モン……ってそんなわけ無いか。危うく変な声が出そうになったが、どうにか水際でこらえることが出来た。
なんて危ない名前なんだ……世界が違えば、そんな名前被りも当然あるよな。
私の内心など知る由もなく、彼女は振り返って私の反応を見ると、言葉を続けた。
「その反応、やっぱりそうなのね」
「やっぱりって……どういう意味です?」
「イワークは……彼は、軽薄な一面もあったけれど、根は真面目な人だった。何より私を一番に愛してくれていた」
「……?」
なんかシリアスな話が始まりそうなんだけど、名前のせいでちょっと混乱してる。
えっと、一瞬まさかこの人も日本、或いは地球の出かと思ったけど、彼とか言ってるから違うんだよな。だったら知らない。イワークさんって誰のこと……?
「なのに、一週間前。突然ギルドに現れたあなたを一目見て、狂ってしまった」
「あ……」
思わず、足が止まってしまう。察しがついてしまったから。
一週間前と言えば、多分私がこの世界に転生した日のことを言っているのだろう。そしてその日起こったあの騒動のことを。
「その日も私と彼は、二人で依頼を受注した。なのに彼は、頑なにギルドを出ようとしなかった。私は頭にきて、彼を引きずってでも連れて行こうとしたの。そうしたらなんて言ったと思う?」
「…………」
「『ウザい。忙しい。そんなに仕事したきゃ、一人で行ってこい。』……今まで、一度だってそんなこと言わなかった! それなのに彼は、まるで釘付けにでもされたみたいにあなたから目を離さなかった」
これは、拙い。とても拙いな。ヴィオラさんが私に向ける悪感情は、そういうことか。
だとするとまさか、こんな森にまで連れてきたのは……逃げたほうがいいだろう。とても嫌な予感がする。
じり、と。僅かに後ずさった。だが。
「話は終わってないでしょう? ちゃんと聞いて。それに、逃げられると思わないこと」
「!?」
ヴィオラさんの言葉を合図にしたように、遠くの木陰から人影が姿を現した。しかも一人や二人じゃない。
私達を取り囲むように、十人以上。いや、もっとか。木々に阻まれて正確な情報が得られない。
どっと嫌な汗が吹き出す。嵌められたんだ。これは、試験なんかじゃない。くそっ、何とかして逃げないと!
踵を返そうと踏み出した私。が、初動は当然のように読まれていた。
機先を制すように踏み込まれ、足を掛けられ転がされた。そして背中を踏みつけられる。剣を首元に添えられて、完全に抵抗できない状況に。
マスタリーの力があっても、相手は戦闘のプロ。フェアな状態での戦闘ならともかく、ここまで形勢不利だと為すすべもない。
そして彼女の話は続く。
「あの日。ギルドを出ていったあなたの尻を追いかけて、彼もまたフラフラとついていったの。他の男どもと牽制し合いながらね。私はなんとか彼を正気に戻そうとした。けれど私の声は届かず、そして……」
「…………っ」
「ならず者たちと殺し合いを始めたの。彼らがあなたに良からぬことをしようとしていることに気づいた彼は、躊躇いもせず斬りかかっていった。多数の冒険者とならず者を巻き込んだ大騒ぎよ。たった一人の女を巡った、前代未聞の殺し合い」
頭を鈍器で思い切り殴られたような、そんな衝撃を受けた。
その騒動は、私にとっても恐ろしい事件だった。何せ危うく人生を滅茶苦茶にされるところだったのだ。オルカと出会わなければ、私はあそこで終わっていたと思う。
それに彼女の言うその殺し合いも、遠目にではあったが確かに目にした。あまりに衝撃的だった。人が、実際に集団で刃を振るい合う光景というのが。
イワークさんは、彼女の大事な人はその中にいたんだ。
オルカもソフィアさんも、気にしなくていいと言った。あれは彼らが自己の責任のもと行ったことだから、と。
実際に私も、あの件は早く忘れたかった。終わったことにしたかった。
事後処理は物々しい空気の中行われていたし、よく分からないけど衛兵さんとか偉そうな人に事情聴取をされたりもした。その結果私はお咎めなしということになったけれど。
それでもあのあと事件に関わった冒険者と顔を合わせては、一応礼も言った。彼らのおかげで私に降り掛かった火の粉は最低限で済んだのだから。
彼らは沈痛な面持ちを垣間見せながらも、口を揃えて気にするなと言ってくれた。けれど……。
そうか。私は、上っ面しか見ていなかったんだ。
「彼は死んだよ。不意をつかれて剣で刺されたの。私の目の前で、血を吐いて動かなくなった」
私のせいで、死人が出ていた。
私はイワークさんの名前すら知らなかったんだ。
他にも、同じような人がいたかも知れない。そんな事も知らぬまま、私は……。
「だから私は、あなたを地獄に落とすの。生き地獄にね!」
「ぐっ」
感情任せに背中を蹴り潰され、たまらず濁った声が漏れた。彼女は愉快そうに笑う。ざまぁ見ろって心の声が滲み出てる。
この容姿を作ったのは、他ならない私自身だ。来世の自分の姿だ、なんて文言を失念し、ただ理想だけを追い求めた姿。
それがまさか、こうもあっけなく他人の人生を滅茶苦茶にするだなんて想像だにせぬまま。
確かに申し訳ない気持ちはある。私がギルドに足を運ばなければ、起こり得なかった悲劇だったのだから。
でも……同時に釈然としない気持ちもある。
全部私が悪いのか……? 私が人を殺したのか? 私の知らない場所で、勝手に起こった騒動だったのに。その発端となったのは確かに私かも知れないけれど、当の私自身は一切関与していないじゃないか。
歯がゆい。悔しい。自身の軽率さに対する自責の念と、理不尽に責任を押し付けられるこの状況が。
知ったことかと突っぱねることも出来ず、かと言って全部自分のせいだと背負い込むのは間違いだとも思う。
憤ることも、嘆くことも出来ない。私はどうしたらいい? 私はどうするべきなんだ?
謝罪すればいいのか? こんな容姿でごめんなさいって。でもそれはなんだか違うんじゃないか? しかしならば何と……?
「私は、あなたになんて謝罪したら納得してくれるの……?」
「……あ?」
「あの日私は、ただ冒険者資格を取って、薬草採集に出かけた。それだけ。そんな私が一体何を、どう謝罪すればいいの……? 何を懺悔すれば、あなたは納得するの?」
「なにを……ぬけぬけとぉ‼」
ゴッゴッゴッ──と、彼女が何度も思い切り私の背や横腹を蹴りつける。痛い。苦しい。蹴られた場所がじんじんズキズキと熱を持ち始める。
彼女は激しく呼吸を荒げながら、ヒステリックに叫んだ。
「あんたがっ! あんたがイワークをっ! 誘惑したんだろう‼ そうじゃなければ彼が、ただ容姿を見ただけであんなになるものか‼ 私を差し置いて、お前みたいな尻軽女に‼」
「して、ない……そんな、ことっ」
「うるさい黙れ口を開くな‼ あんたはイワークのことを知ってたんでしょ? それが彼を誑かしたっていう証拠じゃないの‼」
誤解だと弁明したい、けれどもう聞く耳は捨てたらしい。彼女の中では確定しているんだ。私が、私こそが絶対の悪役だと。
私を痛めつけることだけが、行き場のない怒りの捌け口足り得るのだろう。そうでもしなければ、彼女は理不尽に圧殺されてしまう。だから今更私の言葉に、弁明に、意味なんて欠片も見出すこともないのだ。
だとするなら私も口を閉じよう。悩むのをやめよう。分かり合うことは出来ないのだと諦めよう。
今はただ、この状況から逃れることだけに集中しなくちゃいけない。
このままでは本当に、取り返しのつかないことになる。冒険者だなんて言ってられないような状況は目の前に迫っているんだ。
確かに責任の一端は担ってしまったのかも知れない。けれどだからといって、私の預かり知らぬところで生じたトラブルの責を、全て一方的に押し付けられたのではたまらない。
申し訳ないという気持ちは確かにあるけれど、この仕打は流石に理不尽だと思う。このまま好き勝手にされてなるものか!
私が蹴りつけられる痛みに耐え、必死に逃亡の手段を画策していると、不意に幾つかの足音がこちらへ近づいて来るのに気づいた。
一人の男がヴィオラさんに声をかける。
「おいおい、その辺にしとけよヴィオラ。大事な商品が台無しになっちまうだろ」
「うるさいっ! 私はコイツを‼」
「はぁ……おい。引っ剥がせ」
ヴィオラさんが完全にキレていると見るや、男は伴っていた別の人間に指示を下した。するとすぐにそいつらはヴィオラさんを捕らえ、私から引き離す。
金切り声を上げて抵抗するヴィオラさん。表情は見ずとも。ありありと想像できてしまうほど憎しみの色が濃い。男も呆れの溜息を零している。
今が、チャンスだ。今を逃せば逃走は不可能。
私は歯を食いしばり、背中や肋骨に走る痛みを無理やり噛み殺し、思い切り地面を蹴り飛ばした。
クラウチングスタートよろしく、勢いよく前方に飛び出すよう駆け出したが、顔を上げれば前方に男が二人、刃物を構えて待ち受けている。逃がす気はないらしい。
だが、私だってこれでも冒険者の端くれだ。遮るのなら、押し通るまで!
「止まれ!」
「どけぇ‼」
鞘から舞姫を二本抜き放ち、男たちに突っ込む。
マスタリースキルの導き出す無数の選択肢のうち、選ぶのは最短、最効率。速度を落とさず、いなして駆け抜ける。
伸ばされた男の腕、振られた刃。それらを最小の動きで弾き、駆け抜けようとした。が、脇腹に走った痛みが思いがけず私の動きを鈍らせる。マスタリースキルの提示する理想と齟齬が生まれる。
上手く捌いたと思ったのに、男の指は私の外套を掴み、振り払った拍子に体勢が崩れてしまった。
ステータス由来のスピードに乗った私は、痛みで自由を制限されているのも相まって、慣性のまま地面を転がることになる。
それでも受け身は取れたし、勢い余って木にぶつかる、なんてヘマもしない。
歯を食いしばり顔を上げた私は、再度走り出そうとする。
だが、その瞬間見てしまったんだ。
「……え……?」
ヴィオラさんが、肩口から胸にかけて、巨大な獣に喰い付かれている様を。
鮮血がどくどくと吹き出し、彼女は苦しそうに藻掻いていた。だがその動きも弱々しい。
やがてそいつは、いかにも獣らしい乱暴な動きで首を振る。ヴィオラさんの体ごと軽々と振り回すと、首筋から鮮血が派手に飛び散り、彼女はとうとう動かなくなってしまった。
そいつは、異様なほど巨大なクマだった。思い当たるのは、ブルーベア。オルカに教えてもらった、この森に住まうモンスターの一種。しかもとびきり危険なやつだという話だ。
だが、情報によればその体躯は大きくても二メートル半ば程で、三メートルには満たないはず。そして体毛はその名の示す通り、青色をしているのではなかったか。
それがどうだ。やつのサイズは優に三メートルを越しているように見える。体毛も暗い紫色。
それにブルーベアならCランクのヴィオラさんが、あんなに容易く喰われているはずがないだろう。
単独撃破は難しくとも、彼女には仲間と思しき男たちがいたはずだ。それもこの森に身を潜ませる事のできる、自衛力のある者たちが。
しかしそんな彼らはと言うと、奴の足元に出来た血溜まりに沈んでいる。瞬殺だったらしい。
あまりに圧倒的な脅威。それを目の当たりにし、私はふと思い至る。
恐らく、そうだ。あれがオルカの言っていた……変異種、或いは――特異種。
堪らず私の足は、竦んで動きを止めたのだった。




