第一一三話 下着と情熱
「お、お断りします!」
「あら、どうして? 私とっても興味があるの。あなたの下着にとっても興味があるのよ!」
「ひぃぃ!」
下着は防具の一種である。
けれどこの世界の人達は、なかなかそのことに気づく機会に恵まれない。
さりとてこのハイレさんという防具職人は、どうやらそれに気づいている稀有な人のようで。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見ているのだと。そんな言葉を聞いたことがあるけれど、今回は正にそれなのかも知れない。
ハイレさんに、下着が防具だと気づいているのかと尋ねた私は、同時に私自身は気づいていますよと示したようなものなのだ。
それは、共通認識を持った仲間がここにいるぞとアピールしたことと同義ではなかったか。
そんなつもりもなかったのが、何とも間抜けな話である。
その間抜け故に、私はたちまち変な展開へ転がり落ちてしまったわけだけれど。
ハイレさんが迫ってくる。対面を隔てるテーブルに乗っかり、四つん這いでズイズイっと迫ってくる。恐怖しか無い。
心眼のスキルが、彼女の感情を私へ伝えてくる。それは飽くなき探究心。それだけならどんなに良かったことか。
探究心に紛れて、ピンク色の下心が見え隠れしているじゃないですか! ちょっと何するつもりなの!?
私はドン引きしつつ、クラウに助けを求めた。
「ク、クラウ! 私を護って!」
「なんだかおかしな役回りが定着しそうだな……まぁいいが」
クラウの手が、スッと私を庇うように差し出され、ハイレさんと私の間に割って入った。
すると獣じみた、爛々とした瞳のハイレさんが、僅かばかり人間性の戻った目でクラウを一瞥する。
「あら、どういうおつもり?」
「落ち着いてくれ。ミコトは別におかしな下着など着けていない。その辺で買った一般的なものを着用しているぞ」
「色は?」
「白だ」
「ちょっと‼」
なんで私の下着事情に明るいんだこの女騎士!
……って、一緒に浴場にも通ってるんだし、私の下着くらい見たことがあるか。でもなんで今日着けてるものまで知ってるんだろ……?
深く考えたらダメなやつかも知れない。聞き流しておこう。
「ミコトちゃん、本当なの?」
「う……まぁ、はい」
「どうして? 防具だと気づいているなら、もっと良いものを選ぶべきではなくて?」
「防具と言っても、その力は微々たるものですからね。だったら変に高いのを買うより、別の装備にお金を回したほうが効率がいいかなと思って」
それに、流石に換装で下着まで着替えようって気にもならないし、そもそも毎日着替えるものだもの。性能が安定しないっていうのは、自己スペックの把握をややこしくしてしまう。
それならば始めから、下着分の能力値は勘定に入れないほうが良い気がするのだ。
命懸けの現場で、たかが下着という気持ちもあるんだけどね。そこはそれ、乙女の最終防衛ラインと言うか何と言うか。
そうしてあれこれ考えた結果、やっぱり下着は普通の安物でいいやという結論に落ち着いたわけだ。
それに、私には完全装着があるため、装備が直接ステータスの値に補正を入れてくれるわけだけれど、普通の人にとっての下着なんて、それこそ防具としての体を為さない。
まぁもしかしたら、モンスターが放ってきた心臓めがけての一撃が、ブラのおかげでガードできた! みたいな話が、世界中を探し回れば一つ二つくらい出てくるかも知れないけどさ。
そんなケースはめったに無いだろう。しかもそれ、女性限定だし。
あ、でも、男性の場合はパンツの防御力が高ければ、その……急所への一撃をガードできたりするとか、そういう効果が期待できたりするんだろうか?
だとするなら、下着装備は女性よりむしろ男性にこそ重要って気がしてくるが。
まぁともかくだ。変に良い下着を着ける理由が私にはない。
何だったら、着けない理由のほうが大きいくらいである。
なんてことを、完全装着に関してはぼかしながら語ってみたところ、ハイレさんは少し待っていてと言い残し、部屋を出ていってしまった。
もしかして気分を害してしまっただろうかと少し不安になったのだけれど、ややあって彼女は木箱を抱えながら戻ってきた。
「ミコトちゃん、これ着けてみない? 自信作なの!」
「えっと……それは?」
「ビキニアーマーよ!」
で、出たー! お店でちらっと見て、軽く腰を抜かしそうになったやつ!
ハイレさんは箱から一着、ビキニアーマーの上下セットを取り出すと、それをズイッと私に押し付けてきた。
ご丁寧に、白を基調としたものを選んできたらしい。だからさっき色を訊いたのか!
「ミコトちゃん。私のモットーはね、下着に防具としての実用性を追求することなの! だから私は常に下着のことを考え、情熱を注ぎながら生きているわ!」
「ああこれ、ツッコむべきか迷うやつだ……」
「当人は真剣なんだ。茶化しちゃダメだぞミコト」
「そ、そっすね」
しかしなるほど、それでビキニアーマーということか。
守備範囲は極めて狭いけれど、確かに防御力は高そうだ。
そしてハイレさん自身がそんな危ない姿なのも、全てはその情熱が故に、ということなのだろう。
しかしながら下着であればこそ、クリアするべき問題も多いように思うのだが。
大きなものを挙げるとするなら、衛生面とコスト面だろうか。
衛生的な問題はまぁ、清浄魔法なんてものもある。ただ、誰でも使えるというものでもないし、やはり洗濯は必要になるだろう。
であるなら、予備で同程度のものが複数必要になってくるはずだ。故にコスト的問題が浮き彫りになる。
装備というのは基本的に、とても高価なものだ。それが防御力を求めたものであるなら、下着と言えど安くはないだろう。
それを替えの分まで考えて購入するとなると、かなり値が張ることになるはず。
そのくせ防御できるのは部分的。
その辺りはどう考えているのだろう?
私はおずおずと、それらの疑問点をハイレさんへぶつけてみた。
「なかなか鋭いのねミコトちゃん。確かにあなたの指摘した問題は、私にとっても簡単に答えの出せるものではなかったわ」
「今はなにか方策があるんですか?」
「一先ず、と言ったところだけれどね。幅広い普及を目指すのなら、クリアするべき問題は如何ともし難いわ」
ハイレさんは眉間にシワを作り、とても残念そうに頭を振った。
しかし徐に視線を私に向け、言うのである。
「だから一先ず、量より質を優先することにしたの。下着に、特殊能力というアドバンテージが着いたならどうかしら?」
「「‼」」
彼女の言に、いよいよ私とクラウが揃って息を呑む。
衛生面の問題は確かに、依然として付き纏いはする。けれどコスト面は、高級品として割り切ればある程度クリアできると言っていい。
所謂勝負下着として扱えば、十分実用的な運用が可能なはずである。
それに何より、特殊能力。これの持つ魅力は計り知れない。
防具としての実用性を追求するというのなら、至って当然の境地とも言えるだろう。
そして、ハッとした私は手元のビキニアーマーへ視線を落とす。
「ま、まさかこれには……?」
「ええ。特殊能力を付与してあるわ!」
「な、なんだってー!?」
ヤバい。一気に欲しくなった。でもお金が無い。
まぁお金に関しては置いておくとしても、私と強力な下着装備って多分、物凄く相性がいいんだよね。
私というよりは、正しくは完全装着との相性が、と言うべきなんだろうけど。
純粋にステータスの底上げにもなるし、特殊能力も常人以上に強く引き出せる。
それから、気になる衛生面に関しても私なら清浄魔法が使えるから、洗濯の必要がない。気分は良くないけど……。
そう考えると、このビキニアーマーは私に着られるためにこそ生まれてきたような、そんな気さえしてくる。
正直、かなり気持ちが揺らいだ。
「さぁミコトちゃん、着て見せて! 私はあなたのような、下着の価値に自ら気づけた人にこそ身につけて欲しいのよ!」
「う、うぐぐ……」
「ミコト……」
クラウが何とも言えない表情でこちらを窺ってくる。
試着。そう、試着くらいならいいか。別に見られて困ることもないし、着ればハイレさんも満足する。私も着心地を試せてWin-Winってやつじゃないのか?
うん。そうだね、そうしよう。
「ハイレさん、更衣室は……」
「ちょっと待ってくれないか」
と、ここでクラウの待ったが掛かった。
何事かと私とハイレさんが揃って彼女へ視線を向けると、クラウはハイレさんを見据えてひょんなことを言い始める。
「ハイレ殿。あなたの情熱はよく分かった。ミコトもその防具に興味を持ったことだろう。だがしかし、彼女にそれを着せる前に一つ、貴女に問いたい」
「? 何かしら」
「果たしてミコトに着せる品は、それでいいのか?」
「??」
言葉の意味を測りかねて、ハイレさんが首を傾げるのを他所に、クラウは私に向けて言う。
「すまないがミコト、彼女に君の素顔を見せてやってくれないか」と。
私はその意図を測りかねつつも、まぁオレ姉の知り合いなら構わないか、という軽い気持ちで仮面に手を掛け、それを外してみせた。
すると。
「――――っ‼」
ハイレさんが、ガチガチに硬直し、そしてその場に膝から崩れ落ちたのである。
何事かと思い、私は仮面を着け直すと彼女へ駆け寄った。
ハイレさんはワナワナと肩を震わせ、ついには泣き始めてしまったではないか。
そんなに私の顔、ヤバかったですか!? 一応美人と評判なんですけど!
私がその背中をさすってやると、彼女は嗚咽混じりに心情を吐露する。心眼を通し、彼女が言いたいことが分かった。
「ダメ……今の、私の作品じゃ、見合わない……っ! ミコトちゃんに着てもらうのに、全く相応しくないわ……‼」
心底悔しいという感情が、煮えたぎるような情熱が、ひしひしと伝わってくる。
真剣なんだと、改めて理解した。この人は本当に、真剣に良い作品を作ろうとしている。
自らの未熟を痛感し、打ちひしがれた。そんな心持なのだ。
「ごめんなさい、ミコトちゃん。やっぱりそのビキニアーマー、あなたには着せられないわ……」
「ハイレさん……」
悔しそうに私の手からそれを受け取ると、彼女はそれをぐっと握りしめた。
熱さを幻覚するほどの感情が、心眼から伝わってくる。掛ける言葉の一つも見つからない。
しかしそんな彼女へ歩み寄ったのは、クラウだった。
クラウはゆっくりとハイレさんの前に片膝を突いて屈み込むと、ぽんとその肩に手を置いた。
「私は先日、とあるダンジョンのボスに大敗を喫し、殺されかけた。悔しかった。死ぬほど悔しかったさ」
「…………」
「けれど私は、私たちはまだまだ道半ば。私も貴女も、ミコトに出会った。ミコトという、自らを引き上げてくれるきっかけに出逢ったんだ」
「! ……クラウさん……」
クラウの言葉に、はっと顔を上げるハイレさん。
そして視線は二人して、私の方へ。や、何故こっちを見るのかな。
「ハイレ殿、このミコトという冒険者はとても面白いんだ。何がとは言えないが、彼女と歩むことで私は大きく飛躍できるような、そんな気がしている」
「……私にとっても、どうやらミコトちゃんとの出逢いは、それに通じるものがあったみたいね」
表情に笑みの戻ったハイレさんが、クラウとともに立ち上がった。私もつられて起立する。
そしてハイレさんは、もう一度顔をよく見せてと私へ向き直った。
断れるような空気でもないため、また変なリアクションをされないかとビクビクしながら、言われたとおり仮面を外して顔を見せる。
ハイレさんは再度息を呑み、しかし今度は目を逸らさずまじまじと私の顔を覗き込んで来た。
「……本当に、綺麗な顔……いいえ、綺麗なんて言葉じゃ全然足りないわ……とても、不安になる。私は、貴女に似合うような下着を作れるのかしら……」
「ハイレ殿」
「ええ。大丈夫よ……出来るかどうか、届くかどうかは問題じゃない。それを目指せることに価値があるの」
そう言って彼女は私の手を取ると、力強く握りしめてきた。
そして宣言するのだ。
「待っていてねミコトちゃん。必ず貴女に似合う下着を、私が仕立ててみせるから!」
「え、あ、はい」
「うむうむ。それでこそ求道者だ」
斯くして、全く思わぬ形ではあるけれど、私の下着装備が強化されそうな展開に転がった。
と同時に、無事クラウもハイレさんに気に入られたようで、彼女の防具制作も請け負ってもらえるようだ。
なお余談ではあるが、私が安物の下着を身に着けていることが赦せないと憤慨したハイレさんに、下着を数ダース押し付けられた。
私の防御力は、おかげさまでちゃっかり強化されたのである。




