39.雨の中の二人
周りがザワつき始めて私と高倉くんは大衆の視線の先を目で追った。
(佐久間さん……?!)
「ちょっ……!!」
漫画やドラマの中でしか見たことのない光景に息を呑む。
こんな静かな温泉施設の入口付近で、濃厚なキスが繰り広げられ、すれ違う人みんなが立ち止まっていた。
ゆっくりと唇を離して佐久間さんは咲さんを見つめてこう言った。
「これがご機嫌取りに見えんのかよ?」
咲さんは佐久間さんのキスに圧倒された様な表情で横に首を振る。
「俺はっ……!! ずっとずっと咲が好きだった……! 咲が俺をもう求めていないって分かってても、一度だって他の奴の手に渡ってもいいなんて思ったことはない!!」
咲さんは必死になって訴える佐久間さんを呆然と見つめていた。
「……じゃあ……じゃあ、なんで急に変わっちゃったのよ?! 私が好きだったのは……私に気を遣ってばっかりのあんな真也じゃない!! お互いの気持ちを夢中になって求め合う仲でいたかったのに……、今更こんなキスして……なんなのよ!」
唇にそっと手を当て、涙混じりに咲さんは訴えた。
「咲が遅いって思ってるならそれでもいい。でも俺はもう我慢できない……! 咲が他の奴の手に渡ることも、俺以外の男を好きになることも!」
佐久間さんは強い言葉とは裏腹に、咲さんの髪を優しく撫でている。
「俺は……咲に嫌われたくなかっただけなんだ。……ただそれだけだったんだ。『別れる』って言葉を急に言われた時、正直頭の中が真っ白になった。どうしたら咲にずっと好きでいてもらえるのか、どうしたら『別れたい』なんて言葉もう二度と口に出さないでくれるのか……考えて出した答えが……俺が正しいと思ってやってきた事が……間違ってた。つなぎ止めるにはこれしかないって思ってたのに、それは咲にとってただのご機嫌取りにしかなってなかったんだ」
佐久間さんは声を震わせながら咲さんの細い肩をギュッと抱きしめた。
「なぁ……頼む。俺をもう一回咲の彼氏にしてもらえないか? 今度は全身全霊で真っ直ぐにお前を愛すから」
佐久間さんの大きな両手でが咲さんの頬を覆う。
「真也……。私の事……好き?」
咲さんは佐久間さんの顔をゆっくりと見上げた。
「あぁ。好きだ。咲の事、全部好きだ。本当の俺の気持ち、もう一度咲の目で見極めて欲しい」
その言葉を聞いて涙を流しながら咲さんは頷いていた。
そんな咲さんを大切そうに、愛おしそうに佐久間さんはギュッと抱きしめていた……
◇◆
「悪かったな、電車で帰るなんて勝手な事言っちゃって」
高倉くんが私を見ながら気まづそうに言った。
「ううん。むしろその方が良かった。咲さんも佐久間さんも絶対まだ想い合ってるって分かってたし」
本当によかった。
もう自分の事なんでどうでも良くなっていた。
せっかくやっと気持ちが通いあえたんだから二人の時間を十分に味わって欲しいって思ったのは私も同じ。
「一香は……知ってたんだ」
夜道を二人で歩きながら不思議とあったかい気持ちに包まれていた。
「うん。高倉くんより一応二人とは付き合い長いからね」
「なんだよ、自分だけ特別みたいな言い方!」
温泉施設から駅まではバスが出ていたが、私達には少し刺激が強めの光景がまだ頭の中に残り、火照ってしまった顔を冷やすように徒歩を選んだ。
「こうして高倉くんと歩くの中学校以来じゃない?」
「そうだな……、そういえばあったよな」
澄んだ空気を思いっきり胸に吸い込んで3年前の記憶を辿る。
あの時学校行事の野外オリエンテーリングで同じ班だった私たちは、高倉くんが途中足を捻ってしまって遅れをとってしまった。
『またお前かよ……。僕はいいから先に行けって!』
そう言う高倉くんをほっとけなくって私は黙って彼の後ろをついて行った。
『ねぇ、高倉くん、空気……澄んでて気持ちいいね!』
『別に……。そんな山奥でもないだろ?』
大きな身体を一生懸命支えていたその足にどれほどの負担がかかっていたのか……私には想像もできなかったけど、歯を食いしばりながら歩く姿がほっとけなかった。
「あの時高倉くん、ちょっとだけ私と手を繋いでくれたの覚えてる?」
辺りが暗くなり始めて、次のチェックポイントがなかなか見つからなくて……
私は不安で急にパニックを起こしちゃったんだ。
『おい、どうした? 大丈夫か?』
『うん……』
高倉くんは一歩も前に足を踏み出せなくなった私の手をそっと握ってくれた。
『大丈夫だよ、すぐに着くから』
そう言ってそっと私の手を握ってくれた。
その後すぐに最後のチェックポイントは見つかって……
私たちは何事も無かったかのように繋いだ手をそっと離したんだ。
「あの時、私本当に心強かったんだよ。恥ずかしくてちゃんと言えなかったけど、ありがとう」
改めて言いたかった。私だって何度も高倉くんに支えてもらってたんだって事、知ってもらいたかった。
「一香……」
歩いていた足を止めて私を見た。
「あ、その、ただお礼言いたかっただけだから! あの時、私何も言えなかったから……」
高倉くんが何か言おうと口を開いた時、ポツポツと大きな雨粒が頬に落ちてきた。
「雨……」
午後は安定した天気だったから今日はもう降らないって思ってたのに。
「おい、走るぞ!!」
高倉くんは私の手を握り駅に向かって走り出す。
小さかった雨粒はすぐに大粒になり、生茂る葉に当たりパタパタと弾ける音が大きくなっていく。
「ねぇ、一旦雨宿りした方がいいんじゃない?」
強烈な光を放ち雷も激しく鳴り出した。
「そうだな……あのバス停、屋根があるし少しおさまるまで休憩するか」
私たちは駆け足でその屋根の下にもぐりこんだ。




