異国のギャングマーメイド
時刻は午前2時を過ぎた頃。深夜の波打ち際はとても穏やかでやるせない。
海の傍に住んでいると度々こうして眠れぬ夜を海に湛え、波打ち際をひたすらに歩く事がある。
月夜に照らされし水平線から砂浜にまで輝く水面はとても美しく荒んだ心がどことなく洗われていく。まさに母なる海。
足を止めた先に見た浅瀬には、女性と思しき髪の長い人が肩まで海に入っていた。季節は秋。水泳にはやや遅い時期だ。クラゲもいる、そのとても危険な水遊びに私は思わず声を掛けてしまった。
「あ、あのー!」
「!!」
その声に驚いたのか、足がつったのか、突然頭まで水面へと入り込んだ女性。濡れるのを厭わず慌てて浅瀬へと駆けたがそこには何も見付からず、ただ濡れた私が居るだけだった……。
それから毎日、同じ時間同じ場所に通い続けた。
あれは何だったのだろう。そればかりが頭に引っ掛かり日常が手に付かない。そんなある日―――
「……あの…………」
波打ち際に佇む私に青い海の如く透き通る美しい囁きが波に乗って聞こえた。
水音一つ立てずに現れた女性は月明かりを背中に浴び、煌めき輝いている。その姿は上半身に何も着ていない様に見え、長い髪で胸部を隠していた。
「……こんな時間に泳いだら、風邪をひきますよ」
「良いんです。私、人魚ですから……」
女性の脇からぴちゃりと尾ヒレの様な物が現れる。ひらひらと手を振るような動きに私は一歩彼女へと近付いた。
静かに押しては引いていく波の音が二人の静寂を引き立てる。靴が濡れる感覚がジワジワと現実味を帯びていた。
「また明日……」
「あ……」
彼女は静かに振り返り海の中へと潜ると、その姿を消してしまった。先程まで月明かりを一身に浴びていた彼女の背中は、とても美しかった。
次の日も波打ち際で彼女を待った。
午前三時になるかならないかの時刻に、彼女はひょいと姿を見せた。
「あの―――!」
私の呼びかけに、彼女は無言で左の方を指差した。そこにはテトラポットが沢山置いてあり、また、人目に付きにくい場所であった。彼女はゆっくりとテトラポットの方へと進んでいく。上半身だけを水面から出して進む彼女の姿は、やはり人魚なのだろう……。
テトラポットの影へと到着すると彼女は両手に何かを乗せ、私に向かって差し出した。
「―――?」
彼女の両手に敷かれた海藻の上には、見事なウニが乗っていた。私はそれを海藻ごと受け取ると、鼻腔へ磯の香りが大変芳しく放たれた。そしてウニを受け取るときに触れた彼女の手はとても冷たく、人間の体温を感じさせなかった。
「くれるのかい?」
(コクリ)
彼女は無言で頷く。
「ありがとう。君は何処から来たんだい?」
「……インド洋」
随分と遠くから着たものだ。人魚とはそれ程に泳げるのか……。
「……また明日…………」
彼女は寂しそうな目をしたまま、また海の中へと消えていった……。
それからほぼ毎日、私は彼女と会った。最初は会話も少なかったが、次第に打ち解け会話も多くなった。
彼女はインド洋で生まれ、世界を旅するうちにココへと辿り着いたそうだ。彼女の仲間は世界中に存在しており、ひっそりと暮らしているらしい。お別れの時間になると必ず彼女はウニをくれた。それは朝食時に頂いた。とても美味しく、回転寿司屋で食べたウニとは全くの別物だった!
「……そろそろ時間だね」
午前四時半。日が昇り始める頃には彼女は帰らないといけない。人目に付いてはいけないからだ。
「…………」
彼女はいつもと違い手には何も持っていなかった。心なしか表情も暗い。
「どうしたの?」
「……今日でお別れ。これから世界を回る旅に戻るわ」
僕は突然のお別れに頭が真っ白になった。
「え? ま、待ってよ……まだ……」
「一年後に戻ってくるわ……それまで……待ってて」
彼女は名残惜しそうに私の方を向いたまま遠ざかっていく。そして何も見えなくなった海を、私は呆然と眺め続けていた―――
「戻ったわねリリー」
「はい……」
「ちゃんとウニは食べさせたかい!?」
「はい……」
「ホホホ! 一年後が楽しみだわね!」
「…………」
それから毎日、私は彼女をテトラポットで待ち続けた。
そして一年が経つ前日の夜……彼女が息を切らして現れたのだ!
「!!」
私は思わず立ち上がり海に落ちるギリギリまで彼女へと近付いた。彼女の顔が今までに無く近くまで感じている。
「明日……ココへは来ちゃダメ……お願い」
「えっ! 何だって!?」
私は唯ならぬ表情の彼女に何やら複雑な事情を感じた。
「明日来たらお姉様達に食べられるわ……。人魚の肉を食べると不老不死になるように、人魚が不老不死を止めるには人間の肉を食べないといけないのよ!」
声を荒げる彼女の口から放たれた驚愕の事実!
彼女が毎日くれたウニは不老不死を打ち消す効果が在り、直接摂取できない為に人間の身体を経由させる必要があったと言う…………。
「つまり……君も……共犯……なんだ……ね?」
「……うっ……ご、ごめんなさい……」
彼女は零れ落ちる涙を頻りに拭っていた。
「貴方を……どうしても犠牲に出来なくて……」
「……そうか……ありがとう」
私は不思議と苛立ちや怒りの類が沸いてこなかった。何故なら例え利用されていたとしても、彼女の会いたい気持ちは純粋な物であったからだ。
「……ごめんなさい」
彼女は私の顔に手を当てると、静かに顔を重ねた。それは磯の香り―――そして彼女の温もりだった。
「……バイバイ」
彼女は今度は振り返る事無く上半身を出したまま泳いでいく……
月明かりに照らされた背中がとても綺麗だった―――
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