07、カワナベ ショウマの話
惑星プランドスでは、ガンズソンが地球留学の準備の最中であった。一方、地球では、ヤマシロ ユウゴが、大学時代の友人、カワナベ ショウマとの日々を振り返っている。
......
深夜、交通警備の業務中に、記憶の谷に落ち入ってしまったユウゴはふと気が付く。遠くに小さくヘッドライドが光り、ゆっくりとその点が大きくなって眩しくなる。
「いけない。最近、こんなことが多いな。」
あわてて、カーブで見通しが効かないペアの相方とトランシーバーで通行の安全を確認する。
「え~赤いオフロード車一台通ります。」
「了解しました。どうぞ。」
ユウゴは、誘導棒を振って、問題なく通過できることを合図する。車が少し急ハンドルを切って、通行路に入ってゆく。ユウゴは一息ついた。
(どうしたわけか、ぼんやりとしていることが多い。疲れているのか。)
現場では、ロードローラーと呼ばれるアスファルトを真っ平にする車両が行き来し、作業員たちは、辺りの闇と対照的に白熱灯が光った足元の路面を、スコップでなでたりすっくたりしながら専用機材を動かす。
郊外の幹線道路から外れた道を、深夜に運転されている車はそれほど多くはない。ユウゴは夜間にこうして働くのは慣れてはいる。しかし最近、逆に忙しくない現場に配置されると、いつしか過去の記憶に想いを巡らすことが多くなってしまっていた。
(そろそろこの仕事をどうしようか、不規則で保証もあてにできない警備会社に、いつまで勤めていようかという無意識の現れなのかもしれない。)
...大学か...
下宿に住み込んでいるのは変わった人間が多かった。ユウゴが、半端な地方近郊から都会に出てきて、それまでと言えば「剣道」漬けの毎日で、6人兄弟の長男として限られた環境で育った分、新しい出会いが新鮮に、そして「変わってる」と見えたのだろう。
大学2年の夏も終わりに近づいた。ユウゴは、夏中、バイトに明け暮れていた。引っ越しの助手、居酒屋のホール店員、たまに代理で入る家庭教師。昼に、夜に働いた。ユウゴは、目の前の事実を見ることしかしない。いや、それしかできなかった。
下宿に、薄汚れたインド風のシャツを着て帰ってきた者が現れた。実際、彼は前から下宿にいた。それどころか、俺とは話が合う唯一の友人だったのだ。インドへ行ってきたという。風貌や眼ツキがまるで変ってしまっていた。
カワナベ ショウマ...髭が伸び放題、クリーム色の長袖シャツからしょんべん臭い汗の匂いがして、見るからにみすぼらしい。野宿でもしていたのか?
彼は、日本文学専攻の同級生だった。下宿の朝食を共にし、学校でも、授業の事、趣味の事、同級の仲間の事、と話を交わさない日はなかった。宮澤賢治に惚れていたという。理想を高く持っている理論家だった。中学校の国語の先生になる、文芸部の顧問になりたいといつも言っていた。
ショウマは、およそ洋服やファッションには無頓着であったが、以来、梵字と言われるインドの古代文字を模様にしている紫色のスカーフを首に巻いたり、現地で仕立ててもらったシャツをいつも着るよう
になっていた。道端で、露店の職人がミシンを踏んでいて、何着か作ってもらったようだ。
ユウゴはショウマの変化を敏感に察知した。ショウマは、俗にいうインドかぶれになっていた。
「あの亜大陸に行ってごらん。ガンジス河...バラナシ...人が河に流されるんだよ。俺はこの眼で見た。人間は死ぬんだよ。」
死ぬのは当たり前のことだ。しかしどういう状況で、遺体はどうなるのか、ユウゴは想像もしたこともない。
バラナシといえば、ガンジス河沿いのヒンドゥー教の聖地ということは、ユウゴも知っていた。河岸で火葬が行われ、灰は大河に流されるという。そして、真っ赤な朝日が昇ってくる時間にその光景を目にした者は、内面から変わってしまうと言われている。
「けど貧乏人や身寄りがはっきりしない者は、布に包まれて河に放たれるだけだ。現地人をまねて、早朝に河の水を浴びていたら、すぐ目の前を白い塊が通った。浮いたり、沈んだり。俺はじっと見つめた。それは物体だ。遺体というものは言葉がない。訴えることをしない。」
「俺は、死者なんか見に行く予定じゃなかった。インドでは、各地に今も蒸気機関車が走っていると聞いて、汽車を見に行ったんだ。でも残念。現地で知ったのだけど、鉄道を写真に撮ることは、軍事機密が露呈されることになると。もし警察や軍人が俺を見つけたら、カメラごと没収。まあ、それでも汽車の旅は満喫できた。」
カルカッタ、バラナシ、ブッダガヤ、そしてプリー。ユウゴが聞いたこともない街の名もあったが、ショウマは興奮気味に話し続けた。
「刺激的な大地さ。インドというところは。近代国家のようには思えない。悠久さと怪しさ。恵みと渇き。派手さと質素。そして貧困の渦...。」
眼を丸くして畳みかける。
「トラックやオートバイと並走して、牛、馬、羊、やぎの群れ、野良犬が生きている。何もかもいっしょくたん。人も動物も文明に分け隔てはない...」
ショウマは、帰国後ベジタリアンになっていた。下宿の食堂で、右手だけで素手で食事を口にするようになっていた。トイレでもテッシュぺーパーは使わなかったようだ。
9月中旬に授業が再開しても、ショウマは大学へは行かなくなっていた。そして、贅肉が削げ落ち、頬がこけてきているのが、明らかにわかった。
部屋から出てくる時間が少なくなった。下宿の朝食、予約制の夕食以外に何も口にはしていないようだった。帰国のその日、多弁にインドのことを語ったショウマは、その後は、何も語らなくなっていた。
ショウマは、自分の世界に閉じこもってしまったようだった。
ユウゴは、アルバイト帰りに、ショウマの様子を伺おうと必ず、ドアをノックした。ショウマが奥から顔を出す。香の匂いがした。瞑想でもしていたのか。夕日が部屋の片隅に灯る。