06
情状酌量の余地ありと判断された俺に対し、奴らは非常に悪質で身勝手な犯行として家庭裁判所に裁かれ、当時の学校の主要な役員は記者会見を開いた後に彼女の両親への謝罪を行い全員が辞職した。担任だったあの男は現在行方知れずだそうだ。
しかし、俺にとっていいニュースばかりが続くわけではない。情状酌量の余地ありと言われた俺だが、父に影響がない訳がない。上司が異議を申し立ててくれたらしいが、二つ市をまたいだ警察署に異動することとなり、今は単身赴任をしている。それに俺自身も学校から停学一か月の処分通知が来ていた。退学にならなかったのが唯一の救いだろう。
半月が過ぎようとする頃には松葉杖なしでも歩けるほどにまで足は回復し、後は走れるぐらいにトレーニングをしていかなければならないだけとなった。
外出禁止は出ていないため足のリハビリを兼ねてランニングをやっている。その日もジャージを着て外に出ようとした時だった。
玄関口に来た時にタイミングよくインターホンがなり、俺は直ぐに扉を開けた。
そこに立っていた夫婦は、もう会うことの出来ない人の面影があり、だからこそ直ぐに察することができた。開いた口が塞がらず、自然と涙が瞳から溢れてしまった。
頭を下げるだけじゃすまない。
両膝を着き、頭が地面にぶつかるスレスレまで下げた。
「・・・すいません。」
言葉が喉の奥に詰まってなかなか出てきてくれなかった。
「・・・すいません!」
顔面を滅茶苦茶にしながら俺は謝った。許されないかもしれないが、それでもどうしても謝りたかった。
そっと肩に乗せられた手はとても暖かく、その温もりのせいで俺の涙はしばらく止まらなかった。
母が来客に気付くとリビングへと案内し椅子に座ってもらった。
その時に今度は彼らが頭を下げた。
「・・・・ありがとう。・・娘のために戦ってくれて、・・ありがとう!」
その後の会話は正直思い出したくはない。
彼女があの学級裁判で犯人として吊し上げられた後、両親へは本来の事実とは相反する彼女が全ての首謀者だという説明を学校から受けたらしい。勿論彼女は反論した。
「・・・しかし、私は娘を信じてやることができなかった。」
それを聞いた瞬間にまた目頭が熱くなる。
俺はあの日、学校の屋上に上ったあの時、少なくとも家族は彼女の味方だったのだろうと、甘く考えていた。しかし現実は違った。親からも信用されなくなった彼女は、最後の一歩を踏み出す瞬間何を思ったのだろうか。
しばらく、彼女の両親の陳謝があった。事件の重要な関係者である以上、俺の家を誰にも教えてもらうことはできず、謝罪と感謝の言葉を伝えるのにかなりの時間がかかってしまったこと、娘が事故に遭いそうになった時に身を挺してまで助けてもらったのに例の学級会で挨拶に行く余裕すらもなくなっていたこと。そして、俺の父が「娘さんは私が現場に着くまでの間、息子の止血を必死にやっていたんです。そんな子がいじめの首謀者なわけない。」と必死に彼女の両親に訴えていたのにそれに耳をかすことをしなかったこと。
これ以上は聞いていられないと、思い立ち上がった時一つのメモ切れを渡された。
「そこに・・・あの子は眠っています。もし、あなたが構わなければ、いつか手を合わせてやってください。」
そういって彼らは帰って行った。
その背中は悲しみに満ちていたが、何かを決意したかのような強いものにも見えたような気がする。
メモ切れを見ると頭の中で砂嵐でも起きたかのように、一瞬視覚と聴覚がまともに働かなくなった。