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ある夫婦の再会

「Lila」からの読者さまへ、感謝を込めて。

※「ある父親の幕引き」読了後推奨。後半はムーンの活動報告に載せました蛇足です



【誰かの夢】




 足下さえ見えない、真っ暗闇の中。彼女は一人で歩いていた。

てくてく歩きながら、こういうのはどこかで経験したことがあるなあと思った。

(小さい頃、よく見てた夢に似てる)

 母が病死し独りぼっちだった頃、こういう暗闇の中を彷徨う夢を見ていた。足下がふわふわと覚束なく、すぐに夢だとわかる空間。逢いたい人も見たいものも何も見えない、怖さと寂しさと心細さだけを煽るちっぽけな悪夢。

 あの頃は、ただ辛かったけれど。

(……ふしぎ)

 今は辛くない。辿り着く場所が、わかっているからだろうか。



 思った通り、暗闇はすぐに晴れた。眩しいほどの光に彼女はぎゅっと目を瞑る。ぱちぱち、と瞬いた後すぐに馴れ、視界に鮮やかなものが広がった。

 一面に開けた、野原。低い草と小さな蕾がそこらに見えている。

(でも、やっぱり咲いていない)

 ちょっとがっかりした心地で彼女は辺りを見渡した。とても見晴らしの良い、明るく綺麗な空間だけれど、何かが足りない。花はすべて蕾のままだし、青々と豊かな草の葉は存在感が希薄だ。そう、この場には風が無く、自然らしい動植物の匂いもしなかった。

(夢ってやっぱり夢なのね)

 視線をめぐらすたびそのことを思い知らされ、しょんぼりとなる。暗闇でなくなっても相変わらず彼女は一人のままだったし、目指す場所にも辿り着けていないから。

――そう、自分が行くのは別の場所、逢いたい人の居る空間。

 立ち止まってはいられない。

(もうちょっと歩かなきゃ)

 よし、と頷いて、彼女はまた一歩踏み出した。足下で、やっと草花が揺れる。



 野原を一人で歩くことしばし。

 彼女の目は、遠くに小さな家をとらえた。野原の真ん中に一軒、ぽつんと建つ小さな小屋。

(あそこだわ)

 自然、足が速まる。さくさくという草を踏み分ける足音は、ざっざっと勢い良くそこを掻き分けるものになった。ふくらはぎに纏わりつくスカートを持ち上げて、息を切らして。まるで少女の頃に戻ったみたいに、彼女は走る。どきどきと胸が高鳴った。

 小さな木造の扉の前で足を止めて、深呼吸する。胸に手を一回当ててから、扉に手を掛けた。


きい


 重かったらどうしようと思っていたけれど心配は無用で、軽い音と共に小屋の扉は簡単に開く。中は暗かったけれど、すぐにその存在はわかった。すぐ向かいの窓、その下に置かれた寝台に横たわる、身体の大きなひと。閉じた瞼、真っ白な肌、組まれた両の手。

 はっきりと。

(やっぱり、ここにいた)

 枕元に近寄った。彼女が逢いたかったそのひとは目を閉じたままそこに横たわっていて、ぴくりとも動かない。組まれた大きな手に自分の小さな手を掛けて揺さぶってみても、あの大好きな青紫色の宝石は現れず、尖った耳は色を宿すこともしなかった。灰がかった金髪は光も風も受けず、ちらりとも動かない。呼吸も鼓動も感じない。

 でも、彼女はしっている。ちゃんとわかっている。

 こうやって、もう少し近づいてその頬に触れて。耳元で、ちゃんと聴こえるように呼びかければ。

 彼は、目を開く。そして、彼女を見つめて嬉しそうに微笑んで、こう言うのだ。


「――リラ」


 その音が紡がれると同時に、何かが巻き起こる。無風だったその場に何かが吹き荒れ、二人の髪や服を千切れんばかりに靡かせた。わっとその場に広がる温もり。すべてが空気を瞬時につたい、あの香りが満ち溢れた。

 植物の濃密な存在感。吹き始めた風。……舞い降りる、春のかけら。

 そうか、と彼女は今更ながら納得する。

(これはやっぱり夢。でも、夢じゃない)

 この空間は、自分の夢ではない。夢は夢でも――


「リラ、りら、リラ……!」


 何度も呼びながら腕を伸ばしてくるそのひとに、彼女は――リラは満面の笑みで応えた。彼が望むままに、自分の望みのままに。

 いとしいひとを抱きしめる。彼と同じくありったけの想いを込めて、囁いた。


「おつかれさま、オーリ。……大好きよ」


-------


【誰かの夢の続き】

(※いろいろとアレ)




 植物の気配が花の香りと共に辺りを包む、不思議な小屋の中で。


 風が吹き止んだあと、大きな身体は起き上がる。そしてリラに手を伸ばし、そっと頬に触れてきた。力はこめられていなかったが、誘われるようリラは顔を寄せる。額と額が触れ合う寸前の距離で、青紫の瞳はゆっくり瞬いた。その表面にリラが映り、これまた嬉しそうに笑んでいる。

 ふっと吐息を零すように、彼は言った。

「――長い夢を、見ていた、気がする」

「『気がする』?」

 彼らしくない曖昧な物言い、自信の無さげな声量。少し目を瞠ってみせたリラに対し、夫はまたふっと息を零した。

「果てが見えぬほど永く永い、旅の夢だ。行き先はおろか足跡すら消えてしまうような暗闇の中、歩いていた。幾度進むのをやめようかと思ったが、その都度手を引かれて思いとどまった」

「導いてくれるひとがいたの?」

「いや。手を引いたのは共に歩く者だ。私よりも上背の無い位置から私より小さな手で必死に私の手を引いては前を指し、とにかく進めと叱咤していた。お前が進まないと自分も進めないのだ、とにかく進めと」

 勝手なことだ。そう続けて端正な唇は沈黙する。

 リラの唇からふふ、と笑いが洩れた。

「それって、あの子?」

「……断定はしない」

 急にぶすっとした表情になり、横顔はそっぽを向く。この期に及んでなんで認めないのかしらね、とまた笑いつつ、リラは両手を伸ばした。彼の頬を挟むように、こちらを向かせる。

「――でも、お陰で見えてきたものもあったでしょう?」

「――、」

 同意の代わりに一瞬だけ息を飲み込み、リラの夫は渋々と続けた。話すうちに少しずつ声が大きくなってくる。

「歩くうちに暗闇は晴れ、周囲は明るくなった。しかし、横の者は私と共に歩くのをやめようとしない。時におのずと手を離し、寄り道をしながらも確実に後を付いてくる。仕方なく、かのものが飽きるまでと決めて歩いた。走ることは出来なかった」

「そうね、走ったらその子は付いていけないものね。迷子になってしまうわ」

「――、視界は更に明るくなり、花畑に辿り着いた。しかしあの花は、」

 言葉を切って、青紫色の宝石は細められる。大きな手が、リラの手の上から被さる。まるでこどものように、彼は眉を歪めた。

「あの花は、見つけられなかった」

 震える声は、泣きそうだ。

「仕方ないわ。あの花は、時間をかけなければ咲かないの。それに手間もね。まずはその花の種を探さないと」

「時間も手間も、私には関係が無かった」

 ぱちくり、と瞬いたリラの瞳に、強い光を宿した彼が映る。

「私が求めたのはあの時に咲いていたものだけだ。あの花は、もはやこの世のどこにも無い。視界が開けた先に求めるものはとうに無かった。……そのことを、私は認めなければならなかった。そして私はこれ以上前に進む意味などない、生きる意義をうしなったのだと」

「そんなかなしいこと言わないで」

「事実だ」

 彼の声が徐々に大きくなっていく。最初は零れ落ちるような小声だったのに、今やはっきりと響く音に。いつかと同じよう、爽涼に通る風の声。双眸にも力が宿り、真っ直ぐにリラを見返す。

 それはかなしげながら、どこまでも誇らしげな光。


「私はやはり、お前だけだった」


 ぽたり、と雫が落ちる。泣いていたのはリラであり、彼でもあった。



「――共に歩く者は徐々に大きくなり、終には私と同じ背丈となり、私の手を握ることは滅多に無くなった。私が進む先とは別の方角に目をやれるようにもなり、一人で歩いてゆけることは明白だった。しかし、私の元からは離れようとしない。それは甘えでなく、私自身が既に歩けなくなっていたからだ」

「……」

「前に進むことをやめた脚は衰え、走ることも思いつかなくなった意志は虚弱となり、見つめるものがなくなった目は光をとらえ難くなった。そういった様子に気付き、あの者は私の手をまた引いた。今度はただこちらを助け、導くために」

「……優しい子ね」

「――、ある時、私はすべてをその者に打ち明けることを決めた。私の正体を。庇護者の皮を被った、弱く臆病な男のすべてを」

「……どうやって、伝えられたの?」

「長い時間をかけた。気の遠くなるような歳月だ。あの者は更に強くなり新たな導も手に入れた。かつて私も手にしていた、妙なる絆だ。毅さに逞しさ、そして支えてくれるもの。唯一こそまだ見つからぬが、もうあの者の心は挫けまい。そう、確信した。確信せざるを得なかった」

 私に残された時間もわずかだったゆえ、と彼の声量は落ち、また沈黙する。リラはゆっくりと、次の言葉を待った。

 一度目を瞑ってから、青紫の双眸は前を向いた。滴る雫を拭おうともせず、いとしいひとを見つめ、決まり悪げにぎこちなく、しかし晴れ晴れと微笑んだ。


「――言えたよ。時間はかかったが、アルセイドにはすべて伝えられたよ、リラ」


 リラも微笑む。やっと素直に認めた彼を抱きしめ、よしよしと頭を撫でた。しばらくされるがままになっていた彼だが、ふう、と息をついたかと思うと腕に力を込め、リラを抱きしめ返す。そして押し倒した。――え?押し倒した?

 きょとん、と見上げるリラの瞳に映るは、いつの間にか涙を引っ込めていた青紫の宝石。

「オーリ?」

「リラ。私は永い時を堪えた。多くのものを越え、見送り、託し、そして終わらせた。すべてが過ぎ去った今、堪える必要は無い。そしてもはや限界だ」

 さっきまでの初心な雰囲気はどこへやら。ぎらぎらと見覚えのあるものを表情に宿らせ、彼は言った。

「褒美をくれ」

「ほうび?」

「入りたい。入らせろ」

「は」

「入る」

「え」

 ああそうだった、このひとこういうひとだった……とリラが思い出したときは、既に遅い。

 花の香りが満ちるなか、凄まじいことになりながら、しょうがないなあと彼を抱きしめるリラなのであった。


【完】



ひどい終わり方へのブーイングもといご感想は是非作者まで!w

「我輩は騎獣である」の中でのリラ達のおはなしはこれでひと段落です。ムーンの拙作から読み続けてくださった皆様に心より感謝申し上げます!!


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