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七章の裏側

七章二話の隙間話


【シルエラと風】



 複雑細緻な色の金髪の下、同じ色の睫毛が伏せられている。青紫色の双眸は、俯き加減で膨大な数の書類に目を通していた。

 ティリオ、という名前の彼はシルエラの属する組織の者としては新参なので、人員の名簿と配置場所をはじめとする必要知識を頭に入れているのだ。彼は純エルフなので書類を一度読めばすぐに記憶できる、とは主の言。文人系は武人系とは違った特技を持つということを、シルエラは初めて知った。

 今までは、知ろうともしなかった。

(なよなよしい種類の男も、ただなよなよしいだけじゃなかったのね)

 長い脚が軽く組まれ、締まった身体が椅子に預けられている。次から次へと書類を片付け、傍に紙の束を積み重ねていく動作。なんてことない風情なのに、素早く無駄が無いからかやけに目を引く。


「……ティリオさんってステキよね」

「ありがとうございます。シルエラさんも、素敵ですよ」

 意味の無い軽口や気を引くためのお世辞は、彼女のいつもの口上だ。なので、世慣れた彼にはいつものようにさらりと流される。しかし、シルエラは食い下がった。今のは割と本心からだったから。

「そうじゃなくて、ティリオさんってなんだかぁ、」

「なんだか?」

 紙を捲る手を止め、こちらをきょとんと見つめてくる青紫。訝しげな様子すら、新たに湧き出る魅力の因子に思える。

「なんだか……」

 その時。開け放していた窓から、ふぅわりと微風が入ってきた。近くの席にいた男の細緻な金髪を、優しくそよがせる。派手な色彩でもないのにそれじたいが発光しているかのようなきらめきが、視界に躍った。

 予期せぬ(とシルエラは感じた)風に髪と肌を撫でられながら、エルフの男は傍らの紙の山を崩させないように軽く押さえる。そしてそよかぜが過ぎ去ったあと、その名残を追うように窓に視線を向けた。さわさわと梢の騒ぐ音を聴きつつ、淡い微笑みが端麗な口元に浮かぶ。

「――悪戯な、風ですね」

 ただ、それだけなのに。

 シルエラはぽかんと見惚れた。だってその横顔が、一瞬の微笑みが、あまりにも――きれい、だったから。エルフのエルフらしい美貌など自身も持っているし、周囲に溢れてもいる。見目良い男など山ほど食ってきた、造形が整っているものほど見慣れているはずったのに。


 なのにいまは、このひとから、めをはなせない。


(これも、純エルフのちから。だからこんなにきれいにみえるの?)

 それはシルエラや弟分、そして主でさえ持っていない雰囲気だった。人工的な装飾品など何一つ身に着けていないのに、それ以外のすべてが、このひとの美しさを縁取る小物のようだ。端然と、そこに在るだけで発せられる引力のような存在感。不思議な大気の流れ。

 シルエラは考えた。主と相対しているときにも視えない威圧のようなものを感じる。武人系がそうならば文人系はこういう能力を持つ、ということだろうか。そうだとしたら。

「なんだか、ティリオさんってお手本みたいよねぇ」

「お手本、ですか」

「そうよー。あたし達純エルフの、」

 そこまでいいかけて、シルエラの思考に靄がかかる。あまり深く考えてはいけない、といういつもの警告だ。

 なので、彼女はにっこり笑って続けた。

「……なんでもなぁーい」

「そうですか」

 一言返されたのち、青紫の視線は紙面へと戻った。不自然な話題の終結にも、彼はそれ以上問い詰めたりしなかった。

「それよりねえティリオさん、この前の続きはどうなったのー?」

「続きですか」

「そうよぉ。まだ続きだったでしょぉ?」

 無駄の無い作業が再開されるのを眺めつつ、シルエラは彼のすぐ脇、机の端に腰掛け上目遣いで会話をねだった。彼女に彼の仕事を邪魔しているという自覚は無い。彼もまた、彼女を咎めたりはしない。

「フェイスクリエイア国の港から西大陸へと船出した直後でしたね。あれから三日ほど波に揺られたあと一騒動が巻き起こったのです。それは……」

 喋りながら器用にも書類確認を同時にこなしつつ、端麗な口角は柔らかく上がっている。人当たりの良いこの男が他人と会話するとき慢性的に浮かべる表情が、それなのである。彼はいつもの柔和な表情を崩さず、我儘めいた要望にもいつだって応えてくれる。いつもの巧みな話術で展開される旅話に、シルエラはのめりこんだ。


 先ほどの妙なる情景を作り出したものと自分に向けられるものとがまったく違う温度であることに、彼女は勿論気づいていない。



 そして、すべての終わりの時。


 なぜ、自分を騙した男に憎しみを抱けないのか。それは、シルエラにとって望むべく状況となったからだ。

 彼のきれいすぎる容貌はやはり、自分とは違うものを見て、違う考えを抱き、まったく違う立ち位置に居たからこそのものだった。このひとはこちらの世界をどこまでも俯瞰で見下ろしており、やはりそれは変わらなかった。

 生きてきた世界が違うからこそ、相容れないからこその美しさ。穢れた手を伸ばしても決して触れることが出来ない清く正しい存在、だからこそ崇拝しどこまでも憧憬を抱ける。さながら磨き上げられた神の偶像を見上げる、薄汚れた信徒のように。

 ただ、偶像は目を合わせば微笑みかけてくれる生きた「ひと」でもあった。シルエラにとって高尚に過ぎた彼は、されどシルエラという個人と会話をしてくれた。彼側にとってはそれが策略、偽りであったとしても、シルエラにとっては確かな形でぬくもりを感じ取れる存在であった。未熟で痛々しく重い愛を発するだけのこどもを、ちゃんと受け止め受け入れ、そして正しい愛の表し方を教えてくれるだけの器を持った「相手ひと」。

 それが、シルエラには最初からわかっていたから。最初から無意識に「自分を諭してくれる」匂いを感じとったからこそ興味を抱けたのだし、惹かれることにもなったのだ。思えば潔癖な男ばかり堕落させようとしていたのも、深層意識下での望みがあったせいなのだろう。

 どうか、愚かなあたしを叱って。あたしを正して、そして愛し方を教えて欲しい、と。


 ……ただ、そんな手前勝手な願望など、当然の如く叶えられはしない。シルエラ自身のとった態度や使った手段が卑怯であり、卑劣にまみれていたがため、誰も応えてはくれなかった。結果、彼と出逢って見つけた改心の兆しでさえ、遅きに過ぎた。

 女としては強すぎる肉体も、過去には悪い方向に作用したといえる。生身の人間や人型の霊獣は、人型種最高峰であるエルフの筋力武力に対して抵抗の余地が無い。強者の一方的な気持ちは、一方的でしかない。自分の尺度で甘えを示したところでそれは単なる暴虐であり、怯懦と嫌悪の表情を向けられるか関わりたくないという拒絶で終始するのは、当然である。女特有の持続する慾、そして個人への執着をすぐに忘れる順応性や肝心要で受け身な部分も、悪い意味で加味した。環境は、言うに及ばず。


 こどもであることを教えてもらえなかったこどもは、成長することが出来ない。


 愛を欲する強者が為すべきは、まず真心と慈愛を示すことである。弱者を踏みつけず、逆に弱さを慈しみ、自分の強さを彼らのために使うべきであった。そうして代わりに自分の弱い部分を差し出し、彼らの強い部分で護ってもらうべきだった。それが出来なかった時点で、暴虐な強者は永遠に敗北する。愛を請うどころか罪を償える余地も、平穏に死ぬ未来すら失われたのである。

 理不尽によって犯された罪を、同じく理不尽によって裁かれる因果応報。シルエラはそこまで思いつかなかったが、けれど己の死にざまに引っかかるものは覚えなかった。

 悪鬼は、悪鬼なりの矜持を持つ。

 自分のとどめを刺すのが自分以上の強者で良かった。今までシルエラの周囲にいた腰抜けどもでなく、真なる誇りを持った精霊族エルフに制裁されるそのときが、やっと訪れただけのこと。それが解ったからこそ、シルエラという武人系のエルフは満足の心地で最期を迎えられた。


 そして。

 死にゆく女は、逆に嬉しかった。

 つくりものだと彼は断定し、容赦なく制裁されたわけだが――そのつくりものに人生最高の贈り物を施してくれたのも、彼だったから。


『シーラ』


 彼によって生まれ変わり彼によって引導を渡される。それってすごくしあわせなことなんじゃないかと。


 往生際悪く恋する心が、そう囁いたから。



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