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95話 お嬢様は四畳半暮らし

 落ち着かない。とても落ち着かない。何故椅子ではなく床に座るのか。そして何故正座する必要があるのか。これは何かの訓練なのか?

 居心地悪そうにアインは何度も足を組み替え、周囲を見渡す。


 数メートル四方の狭い部屋には草を編んだような絨毯モドキが敷かれ、壁にはタンスらしきものや小さな食器棚が置かれている。

 目の前のテーブルは円卓だが足が極端に短い。座って使う以外は想定していないようだ。

 その上には、淹れられたばかりのお茶から湯気が昇っている。お茶菓子には大きくて茶色っぽい円形のビスケットのようなものが出されていた。


 そして、対面には、


「畳は初めてでしょう? やっぱり驚くわよね」

「ええと……はい……」


 優雅な手つきで緑茶をすする濡羽色の髪の少女が座っていた。年齡はアインよりやや上に見えるので、17~18歳くらいだろうか。

 ツバキが着ている服と似た、袖が長く足首まで覆われる上下一体の服を布製の帯を巻いて留めている。

 地味な服装なのだが、彼女用に仕立てられたようにとても似合っている。


 穏やかな微笑みを浮かべる彼女の肌は陶器のように白く艷やかで美しい。美しい黒と白のコントラストは、微笑みも相まってどこか妖艶さを漂わせている。

 それでいて少女の可愛らしさも両立するという羨まずには居られない御姿だ。


 街に出れば、数歩歩く度に声が掛けられるだろう。それほどに彼女の姿は目を引く。


 だが、蕎麦の屋台から彼女の家までの道のりで、彼女に声を掛けるものはいなかった。いや、正確にはナンパをするものは、だ。


「領主の娘だということは今は忘れてほしいわ。今の私は、旅の話を聞きたがるただの小娘、コノハ=プリムヴェールよ」


 恐縮しきるアインにコノハは微笑みかける。

 

 どうしてこんなことになったのか。アインの傍らに置かれたユウは、経緯を思い起こす。





「貴方もそう思わない?」


 蕎麦屋の店主からアインに向けて微笑む少女。


「そう……です、ね?」


 突然話を振られたアインの曖昧な答えに少女は薄く笑うと、


「不確かなことを事実のように広めるのはいけないわ。それで相手が傷ついてしまったら、余計に意固地になってしまうもの」


 店主に対して少し怒ったような口調で言う。むくれているような表情は可愛らしくもあったが、同時に悲しんでいることも伝わってくる。

 店主もそう感じたのか、平謝りをする。


「すいませんお嬢様……貴方のお気持ちも考えず……」

「ううん、わかってくれたならいいの。お仕事頑張ってね」

「は、はい! ありがとうございます!」


 労いの言葉に店主はビシっと背筋を伸ばし、直立不動で礼を述べる。その顔はニヤけるのを堪えるために固く歯を噛み締めていた。

 それにアインとユウがあっけにとられていると、


「それじゃあ、行きましょう」

「あ、はい」


 極自然に少女はアインの手を取って歩き出し、それにつられてアインも手を握り返して隣に並ぶ。

 数歩歩いた所で違和感に気がつき、


「って、いやいや。君は誰だ?」

「そうです、当たり前のように言っていましたが……何処に行くと言うんですか?」


 ユウとアインは同じ声で違うことを訊ねると、少女は口に手を当てて言う。


「まあ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわ。私はコノハ=プリムヴェール。貴方のお名前も聞かせて頂ける?」

「アイン……アイン=ナットです」

「素敵な名前ね。よろしくね、アイン」

「あ、ありがとうございます……こ、コノハさん」


 アインは答えながら、さり気なく手を振りほどこうと試みるが、緩く握られているはずの手は解けない。

 コノハは、アインの瞳を覗き込むようにしながら訊ねる。


「アインは旅人なのよね? その髪と格好からして、西から来たのかしら」

「そうですが……」

「旅って素敵ね。この街の外にはどんな場所があるのかしら。火を吐く龍を見たことはある?」

「龍は生憎……キマイラならありますが」


 ふわふわと掴みどころの無い会話にアインは戸惑いつつ答えると、


「まあ! ねっ、もしお暇だったらお話してくれないかしら? 旅人さんの話なんて滅多に聞けないもの」


 両手を掴みながら無邪気な笑顔で迫るコノハに、アインは思わず目を逸らす。

 物理的にも心理的にも距離が近い相手は苦手な彼女だが、強い言葉で拒否はしづらかった。

 本心から話を聞きたがっているのがわかるというのもあるが、店主が口にした『お嬢様』という言葉が気になっていたのだ。

 

 店主の反応から察するに、コノハは地位の高い少女であろう。

 マツビオサ家の例もあるし、下手にあしらうと尾を引くかもしれない。彼女が善人だろうと、家までそうであるとは限らないのだから。


『どうしましょう……』

『訊いてみればいいだろ。案外お姫様かもな』

『ここに王はいませんよ……すいません、ユウさんお願いします』


 承ったと背中を冷や汗で濡らし始めた彼女に代わって、ユウはコノハに訊ねる。


「見知らぬ者についていくなと親から言われていまして。もし良ければお名前以外も聞かせて頂きたいです、お嬢様」


 何処か気障ったく言うユウに対して、アインは冷ややかな思考を伝える。


『……なんでかっこつけてるんですか』

『いや、その方が聞き慣れてそうな相手だったから』

『変なキャラ付けするのやめてくださいよ……困るのは私なんですよ』


 それは面白そうだと言いかけたユウに、アインが食ってかかろうとした時、


「あら、私ったら。浮かれすぎてそんなことも忘れていたわ。では、改めて」


 コノハは小さく咳払いすると、軽く膝を曲げてドレスの裾を持ち上げるように服をつまむ。


「初めまして、旅の方。私はコノハ=プリムヴェール。この街を預かるプリムヴェール家の一人娘です。以後お見知りおきを」


 優雅な動作で彼女は礼をする。無邪気だった笑顔に代わり、大人びた微笑みを浮かべた姿は、生まれが違うのだ思い知らざるを得ないほどの力があった。

 その寓話でしか見たことのない動作と肩書にアインとユウは言葉を失う。


 しばし礼をしていたコノハは、ゆっくりと姿勢を戻すと不安げに言う。


「西の方はこのように挨拶すると聞いたのだけど、気取り過ぎだったかしら……?」

「い、いえ……とても様になっていて見とれてしまいました」


 ユウが口にしたのは本音であった。

 適当な気障なセリフを吐いた自分が恥ずかしくなるくらい、歴然とした差を見せつけられてしまった。


 コノハは安心したように笑うと、


「じゃあ、これで知らない人じゃないわ。お話聞かせてくださる?」

「えっ、あ、ちょ……」


 アインの返答も待たず、彼女を引っ張って歩き出す。今度は腕を抱きしめるように両腕を回していた。


「私のお家に行きましょう? 狭いけれど素敵なお家よ」


 宙を舞う蝶のように緩やかに間合いに入る彼女をアインは突き放すことが出来ず、ユウもまた領主の娘からの誘いを断る文句は思いつかない。

 結果、コノハの手が引くままにアインは歩くしか無かった。





 回想を終えたユウは、硬い表情でコノハと相対するアインを見上げる。出された煎餅に手を付けていないのは、余程緊張しているからだろうか。


 それにしても、領主の娘の家というからあの天守閣に案内されるのかと思ったが、こんな小じんまりとした家とは。

 一人暮らしには十分だが、4人も集まればかなり窮屈になるだろう。何故こんな家で暮らしているのだろう。

 アインとユウは同じ疑問を覚えると、コノハは小さく笑って言う。


「狭い家で驚いた?」

「い、いえ……」


 思考を読んだような言葉に、アインは慌てて否定する。

 コノハは悲しげな表情で口元を覆うと姿勢を崩す。それは露骨なまでに不幸さをアピールするポーズだった。


「ごめんなさい、本当はお城に案内したかったのだけど、今の私は勘当された身……立ち寄ることすら許されてないの」

「……それは、その」


 何というべきかアインとユウは迷っていた。しかし、その理由は両者で異なる。

 アインが困った顔でユウとコノハを交互に見やっていると、


「なぁんて、冗談、冗談です。驚いたかしら?」


 悲しげな表情から一転、悪戯っぽい笑顔を見せる。

 困惑するアインに対して可笑しそうに笑う姿は、親に勘当されたとはとても思えない。


『……からかわれてました?』


 その変化の理由に遅ればせながら気がついたアイン。ユウは肯定する。


『みたいだな。上手い返しが思いつかなかった』

『真に受けたのは私だけですか……』


 それに気が抜けたアインは正座していた足を崩し、少し冷めたお茶に手を伸ばす。乾いた喉に程よいぬるさのお茶が染み渡った。

 彼女が飲み終えたのを見計らって、コノハは喋りかける。


「こうして一人暮らしをしているとおかしな勘ぐりを受けることがあるから、先んじてしまったの。気を悪くしたならごめんなさい」

「いえ、気にしていませんよ」

「うん、それは良かったわ。せっかくお話するんだもの、畏まった空気は嫌だわ。ああ、お煎餅はどう?」

「頂きます」


 差し出された煎餅の1枚を手に取ったアインは、しげしげとそれを不思議そうに眺める。

 クッキーのようだけど、それよりも軽いし固い。小麦粉は使っていないのだろうか。仄かに漂う匂いは、スシ屋で嗅いだショーユに似ている。そのせいか表面は少しベタついていた。

 意を決して彼女は煎餅にかぶりつく。バリバリと音を立てる固さに面食らいながらも、瞬く間に食べ終えた彼女は、


「美味しいです」


 一言だけ言って、ちらりと煎餅が積まれた木皿を見やる。


「どうぞ、お気に召したのなら好きなだけ食べてもいいのよ。その方が私も嬉しいわ」

「ありがとうございます」


 アインはお礼を言うと、すぐさま煎餅に手を伸ばす。ようやく食べる余裕が戻ってきたようだ。

 彼女が一旦食べる手を止めたタイミングで、ユウは訊ねる。


「先程おかしな勘ぐりを受けるから、と言っていましたが、どういう理由で一人暮らしをしているのですか?」

「それはね、勉強のためよ」

「勉強、ですか?」


 コノハは頷き、お茶を一口すすってから答える。


「今はお父様とお兄様が(まつりごと)の中心になっているけれど、何時かは私もそれに加わる日が来るでしょう。その日のために、私は少しでも領民の生活を知ろうとこうしているのです」

「なるほど。それが勉強ですか」

「ええ。お父様は反対したけれど、体験しなければわからないものもあると説得したの。まだ2年しか経っていないけれど、ちょっとだけわからないことがわかるようになったかしら」

「立派なことだと思います。上から見下ろすだけでなく、同じ視点から見るというのは忘れがちなことですから」


 ありがとう、とコノハと薄く微笑むと続ける。


「それが傲慢だと言う人もいるわ。恵まれた者が庶民の生活を真似しているだけで何もわかっていないって。それはその通りかもしれないけど――より良い明日を、健やかで安心できる日々をおくってもらいたい。その気持ちは本当よ」


 毅然とした口調で言い切る彼女に、二人は息を呑む。その言葉は、世間知らずのお嬢様などではなく為政者の自覚を持ったそれだった。

 もしかすると、先程までのふわっとした態度や振る舞いは鋭い爪を隠すためなのでは? 敢えて無知を装っているのではないだろうか。


 そうユウが考えていると、


「それはそれとして」


 為政者の娘から愛らしい少女に戻ったコノハは、両手を合わせてねだるように言う。


「ここでの私はただの小娘。そんな娘のために旅のお話を聞かせて欲しいの。何しろこの街からは出られない箱入り娘だもの。お願いできるかしら?」

「ええと……はい、それくらいでしたら……」


 アインは頷く。そもそもこの期に及んで断れるはずもない。


「本当に!? ねえねえ、どんなところを旅してきたの? どんな街があって、どんな人が暮らしていたのかしら?」


 やたらと質問をぶつける好奇心旺盛な子どものようなコノハ。

 かしましいお嬢様かと思えば聡明な顔を見せ、かと思えば子どものような無邪気を見せる。その捉え所のなさにアインは戸惑いつつも、


「ま、待ってください……私は吟遊詩人じゃありませんから……少し時間を……」


 なんとか言葉にしようと努力していた。苦手な相手ではあるが、嫌いな相手ではないのだろう。

 キラキラした目でせがむコノハと必死に物語を纏めようとするアイン。


 助け舟を出すべきだろうか。しかしこのまま眺めているの悪くないか。

 ユウは、二人のやり取りを眺めながらそんなことを考えていた。

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