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第3話

「チッ……拙いですね。この痕跡は、ヤツらのようです……」


そう言って、レベッカはその端正な顔を顰めました。レベッカの視線を辿ると、踏み折られた草花が連なって、一本の道のようになっているのが見えました。おそらく、ヤツらが通った跡なのでしょう。


「急いで下さい、ヤツらがまだ近くに居るかもしれません」


レベッカはそう言って、未踏のジャングルの奥へ、奥へと歩を進めていきます。私は、それに付いていくのがやっとでした。


もうどれだけ歩いたでしょう。わたしの肌はあちこちが擦り剥け、傷つき、もう痛まない所はありません。一体、ここは何処なのでしょうか。わたしは無事に、ここから抜け出せる事が出来るのでしょうか……。不安と恐怖で固まる身体を無理矢理動かして、わたしたちは何処へ向かっているのかも分からないまま、ただ逃げ続けました。もう限界だ、もう限界だと何度も思いながら、それでも、わたしは逃げなければならないのです。何故なら、わたしは誉あるヴァレンティーヌ王家の、たった一人の生き残りなのですから。


だから、わたしは絶望に喘ぐ心を必死に押し留めて、まだ見えぬ明日を掴む為に、逃げなければならないのです。でも、それでも、もう、本当の本当に限界でした。ダメだ、ダメだと思いつつも、わたしの全く意図しないうちに、わたしは、立ち止まって、ぽつりと弱音を零してしまったのです。


「レベッカ……。もう、無理なのですよ。逃げ場なんて、何処にもないのですよ。厄介者のわたしは、どこに逃げても排斥されるだけ。だから……。もう、終わりにしましょう?」


あぁ、レベッカだってきっと辛いでしょう。世間知らずで運動音痴な王女たるわたしを引き連れて、一体どれだけ居るかも分からない敵から、たった一人で逃げ続けなければならないのですから。なのに、お荷物であるわたしが、情けなく弱音を吐くなんて……。でも、一度漏れ出した感情は、わたしがどんなに堰き止めようとしても、後から後から溢れ出してきます。


「何を弱気になっているのですか、姫! あなたが居なければ、ヴァレンティーヌ王国は完全に滅びてしまうのですよ!」


レベッカも立ち止まって、こちらを振り返ると、少し憤慨したように、わたしを説得し始めました。


「でも……」


「でも、ではありません! あなたが生きてさえいれば、ヴァレンティーヌ王国を復興出来る可能性はまだ残存しているのです! ここが踏ん張りどころなのですよ、姫!」


……あぁ。わたしはつくづく、嫌な女です。わたしはただレベッカに、もう大丈夫だって、慰めて欲しいだけなのです。レベッカだって、同じなのに。レベッカだって、苦しい筈なのに。王国が滅ぼされて、親しい人達も、帰る場所も無くなって。それでも、忠義を尽くしてわたしを守り続ける、この一人の騎士を。わたしは王女として、厚く感謝し、そして、励まし続けなければならない筈なのです。何故なら、それだけが、今は亡きヴァレンティーヌ王国の王女として、一人のか弱い女の子として、わたしが出来る精一杯のことなのですから。でも、そんな唯一の役目すらも、わたしは放棄して、こうやって、レベッカに甘える事しか出来ないのです。


然しレベッカは、心に抱えているであろう苦しみを押し殺して、気丈に、優しく、わたしを励まし続けるのです。だからわたしは、その優しさにつけこんでしまうのですよ。……レベッカ。あなたはどうして、そんなに強いのでしょうか。どうしたら、わたしもあなたのように気高く在る事が出来るのでしょうか。


「そうです、あなたさえ生きていれば、王国は……。いや、ダメだな、こんなんじゃ、ダメだ。こんなのは、私の本心じゃない」


しょげかえったわたしを見兼ねて、レベッカはわたしを励まし続けていましたが、突然、声の調子をガラリと変えて、頭をガシガシとかきながら、黙り込んでしまいました。そんなレベッカの様子を見て、わたしの心の底から、新たな恐怖がふつふつと湧き上がってきました。敵に追われている、という恐怖ではありません。レベッカに見捨てられるかも知れないという、そんな、身勝手な恐怖でした。


そんなわたしの恐怖を読み取ったのか、レベッカは慌てたように、こう言ったのです。


「そ、そんなにおびえないで下さいな! わたしは、あなたを裏切ったりはしませんよ! ただ、わたしが言いたかったのは、えーと、私は王国がどーたらこーたらの為にあなたに生きて欲しいって願っているわけじゃなくて、私が一個人として、あなたの存命を願っているってことです。わ、私は……あなたが好きです。愛しています。あなたに仕えるべき騎士だとか、女同士だからとか、そんなの全然関係なくて……。一人の人間として、あなたの事が好きなんです!」


レベッカの告白は、不安と恐怖で張り裂けそうになっていたわたしの心に、不思議なほどスッと沁みこんできました。今まで私の心に巣食っていた負の感情が途端に浄化されて、わたしの心に、なにか暖かなものが広がってゆきます。……この感情を何と呼ぶのかわかりませんが、わたしはジェシカの言葉に、確かな安堵を感じていたのでした。


と。


「いたぞ、こっちだ!」


突然、すぐ近くから、そんな荒々しい声が聞こえてきました。間違いない、ヤツらです!


「た、大変だ、姫、逃げましょう!」


ジェシカは慌てて、わたしの手を引いて逃げ出そうとしましたが、わたしは、胸にすさまじい衝撃を感じて、その場に倒れこんでしまいました。


「お、おい、なにやってんだよ!! 王女は殺すなって言われただろうが!」


上のほうから、何やら焦ったような男の声が降ってきます。


「ひぃっ、もっ、申し訳ございません!」


……自分でやった癖に。本当に酷いヤツらです。


「ひ、姫!」


ジェシカの焦ったような声が、やけに遠く感じます。胸が、凄まじく苦しくて、何か、熱くて、ジンジンして、ふと胸の辺りを見下ろすと、わたしの胸から剣の切っ先が突出しているのが見えて、そして視界が霞んできて、徐々に遠くなる意識の中で、わたしはぼんやりと、こう思いました。


……あぁ、わたし、死ぬんだなって。


あんなに苦しかった胸も、もう何とも無くなって、死への恐怖とか、そんなの全然感じることすらできなくて、そんな中、わたしは頬に、微かな痛みを感じました。右、左、右、左と、その痛みは交互に、死にかけたわたしを襲います。最期くらい安らかに寝かせてくれよと、わたしは閉じそうな瞼を押し上げて、こんな狼藉を働く誰かさんを見上げると……。


……ジェシカでした。


ジェシカは大粒の涙を零しながら、わたしの頬を執拗に叩いていたのでした。


「何、こんな所で寝てるんですか! 早くしないと、ヤツらに捕まっちゃいますよ! ほら、早く、早く! ……早く、起きて下さいよぉ!!」


……全く、無理なことを言う奴です。わたしはもう、無理なのですよ。だから、そんなに泣かないで。あなたを泣かせてしまったことだけが、わたしの心残りなのですから。


だから。


わたしは、頑なに動こうとしない口を必死に動かして、ジェシカに語りかけたのです。


「お願い。ジェシカは、笑ってて……」


わたしの目はもう、何も映し出さなくなっていましたけれど。それでも、真っ暗になった視界の先で、ジェシカの笑顔を見た気がしました。


ヴァレンティーヌ王国第三王女、エンディーナ=F=ツベルンベルグの生涯は、こうして幕を閉じたのでした。しかし、どうしたことでしょう。頬を叩かれる感覚は未だ消えずに、それどころか、徐々に強まってきたのです。何だか頬の内側に奇妙な感覚があります。どうやら、叩かれ過ぎて切れてしまったようです。一体、これはどういう事なのでしょう。わたしは死んだ筈なのに……。然し、そう不審に思っている間にも、わたしの頬は容赦なく叩かれています。わたしは頭にきて、そして、とうとう……。


目を、覚ましました。











目を開けると、わたしの目の前にはしわくちゃのおばあさんが立っていて、こちらを不機嫌そうに見下ろしながら、執拗に頬を叩き続けていました。


「……あれ、ジェシカ? どうしたのです、そんなにしわくちゃになって」


「お主は何を寝惚けているのだ……」


おばあさんは漸く頬を叩くのを止めてから、呆れたように呟きました。


「……あれ、ここは……?」


わたしが辺りを見渡すと、目の前には、それはそれは大きくて荘厳な洋館が、目の前にどんと鎮座しています。わたしの左右にも、同じような建物がコの字形を作るように連なっていて、それらの建物に囲まれていると、凄まじいまでの圧迫感を感じます。そして正面の建物の奥には、十五メートルはありそうな一対の塔が、伸びすぎたタケノコみたいにニョッキっと生えていて、然し、それらの建物のほとんどが、半ば朽ちかけているようでした。わたしも詳しくは分かりませんが、この、のぺーっとした箱のそこここにアーチをくっ付けて飾り立てたみたいな建築様式は、バシリカ様式、とかいうやつだった気がします。建物に囲まれた庭には、見たこともない不思議な木がまばらに生えていて、それらは燃えるような赤い葉を付けていたり、赤ん坊にしか見えないような実を付けていたりで、まるで異世界にでも迷い込んでしまったかのようです。


と、そこまで考えて、わたしは漸く、自身の境遇を思い出しました。そうでした、わたしは学園ネクロマンサーとやらに転入するために、はるばる日本からスイスへと旅立ったのでした。飛行機の中に乗って、そしてその中で座席に備え付けられていた英語の雑誌を読んだところ、意味不明すぎて寝てしまった所までは覚えています。となると、ここが、学園ネクロマンサーなのでしょうか。


……何とも、『かつては栄華を誇った名門校でしたが、今となっては存続させるのがやっとな底辺校になってしまいました。しかし、かつての名門校であるという矜持は今でも保持しています』といった趣がひしひしと感じられる、言ってしまえば、廃墟のような学校です……。早くも、帰りたい気持ちでいっぱいです。


「お主が今どんなことを考えておるかについては、敢えて言及せんがな……」


リヒテンシュタインさんは、そう釘を刺してから、


「ようこそ、我が学園へ。歓迎するぞい」


どう見ても愛想笑いと分かる笑顔を浮かべながら、そう言い放ったのでした。










「学園を案内して回る前に、お主にはやって貰わねばならぬ事がある」


洋館の中、薄らと埃の詰まった廊下を歩きながら、リヒテンシュタインさんは言いました。わたしはというと、どうやらわたしをここまで運んで来たらしいリヒテンシュタインさんの友霊、ターナさんの腕に抱かれたまま、リヒテンシュタインさんの後をふわーっと漂いついてゆきます。


「……なんですか? やってもらわねばならないことって」


「うむ、それはな」


リヒテンシュタインさんは、そこで一度言葉を切り、こちらにチラッと目線を送った後、勿体を付けて、


「お主は、今から冥界へと飛び、お主のパートナーとなる者を見つけてもらわねばならんのじゃ」


そんなことを、さも当たり前のように。


「……え、いきなり?」


「うむ」


いや、『うむ』じゃねぇよ。


「そもそも、ママはまだしも、まだ生きているわたしがどうやって冥界に行くのですか」


「あぁ、それはじゃな」


リヒテンシュタインさんがそう言って、廊下の突き当たりにあった重厚な鉄の扉をひいひい言いながら押し開けると、その先には、大きな広間がありました。その天井は、わたしの感覚的に、3メートルくらいはありそうです。そんな広間の真ん中になぜか、黒い門が聳えていました。調度品もなにもない、がらんとした広間のなかで、その門の存在は、ただただ異質でした。


「あれを使って、死霊魔術で冥界へのゲートを作るのじゃよ」


……どうやら、次話は本当に冥界編になりそうです。


果たして、冥界にはどんな地獄が待ち受けているのでしょうか。そして、そんな場所に行って、わたしは本当に帰って来られるのでしょうか……。


……遺言、書いておくべきですかね?




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