第2話 その1
「ただいまー、佳代。ん、どうしたの? そんな浮かない顔して」
私が茫然自失している間に、お母さんたちが帰ってきました。お母さんたちは、霊体であるというママの特徴を生かして、探偵業なんかをやっているようですけれど、詳しいことはよく分かりません。
「おー、二人とも、オカエ=リヒテンシュタインです」
わたしは、のほほんとそう返事しました。
「……えっ、リヒテンシュタイン? なに、それ」
「スイスとオーストリアに挟まれたヨーロッパの小国なのですよ。一八六六年、ドイツ連邦が解体された際に独立した比較的新しい国で……」
「いや、そういうことじゃなくて……。はぁ、まぁいいや。あんたがなんて返すかなんて、わかりきったことだし」
「わたしは定型化された日本語の語彙に新たな解釈の幅をもたせ、さらに多様な表現を可能にするべく、日々活動を続けているのです」
要するに、わたしなりのギャグなのですが。
「そう、それそれ。明らかに、どっかズレてる気がするんだけどねー」
と言って、お母さんは、はぁーっと大きなため息をつきました。
「ところで、多恵。さっきから黙りこくったままだけど、どうかしたの?」
「……他の女の臭いがしますわ」
……怖いよ、ママ。
「えっ、どういうこと?」
「玄関付近に、おそらく私以外の死者のものと思われる霊力の残滓があるのです……」
「ええっ、この世に多恵以外の死者がいるの?!」
「私も驚きましたけれど、どうやら、そのようですわ」
……あぁ、あの気持ち悪い封筒を運んできたのはやっぱり幽霊だったのですね。でもどうやってここまで運んで来たのでしょう? 幽霊に自我はないから何らかの知的な行動をとる事は不可能なはずなのですが。
わたしは意を決して、例の気持ち悪い封筒と便箋を、ママ達に見せることにしました。
「実は先程、こんな封筒が投函されまして。それを開封してみたところ、こんな脅迫文が書かれた便箋が入っていたのですよ。ぶるぶる」
「きょ、脅迫?!」
ママが血相変えて飛んで来て、私がひらひらさせていたピンクの便箋を覗き込みました。
「……学園ネクロマンサー? なんですの、これは?」
「いやはや、封筒が余りにも悪趣味過ぎましたし、一通目はガスコンロで焼いて灰にしたのですけれど。そしたらすぐに、別の封筒が郵便ボックスに入れられていまして。誰かが家に来た気配は無かったにも関わらず、です。防犯センサーも反応しませんでしたし。気味が悪くなって、試しに封筒を開けてみたら、そんな文句が書いてあった次第なのです。何なのでしょうね、学園ネクロマンサーって」
「ん? 何、ちょっと私にも見してよ」
お母さんも、そう言って封筒を覗き込みます。
「……なにこれ、偉そうな文章。書き手の性格の悪さが窺い知れるわ。佳代は、こんな大人になっちゃだめだよ?」
「お母さんという最大の反面教師がいるので、心配は無用です」
「む……」
お母さんは不満げに唸って、口を尖らしてしまいましたけれど、ウザいので放置です。
「あれ、まさか、学園ネクロマンサーって……?!」
突然、ママがそんな頓狂な声を上げやがりまして、私はびっくりして、持っていた木魚を足の上に落としてしまいました。あれです、地味にジーンとくる、あの痛さなのです。
地味だけに。
……ごめんなさい、忘れて下さい。
「ママは、何か知っているのです?」
やけに大きな反応を見せたママに、私がそう尋ねてみたところ。
「はい……。これは、世界でたった一つの、ネクロマンサー養成学校なのですわ。最近は、とんと噂を聞いておりませんでしたけれど、まだ現存しておりましたのね」
「そりゃあ、ネクロマンサー養成学校なんて怪しいもの、存在が公になれば大騒ぎでしょうよ」
ていうか、実在するのですか。この二十一世紀に、ネクロマンサーなんて、まさにファンタジー! なシロモノが。半信半疑だったのですけど。
科学が隆盛を誇るこの時代に、ネクロマンサーなんかに仕事があるのでしょうか。
就職難に喘ぐネクロマンサー、ですか……。何か、親近感が沸いてきました。
「そうですわね。きっと、何らかのマジック的要素によって、存在を秘匿されているのだと思いますわ」
「マジック的要素……?」
「私もよく知りませんけれど、結界魔術とか……?」
「結界魔術!」
ネクロマンサーも十分にファンタジックなシロモノでしたけど、『魔術』という名のついたモノが登場すると、ファンタジーっぽさが一気に増しますよね。
テンションも一気に五割増しです。
「……で、どうする? これ。何か、明日来るっぽいけど」
「どうしましょうね……」
ピンクの便箋とにらめっこしながら、お母さんたちは今後の方針を話し合っています。然し、突然降ってわいた嘘みたいな本当の事態に、すぐに方針が決められる筈もなくて。
「それじゃあ、明日向こうの関係者が来るらしいですし、その時また考えましょうか。今日はもう、面倒だから解散しましょう」
「「はぁーい」」
こうして、結論は明日に回されたのでした。
そして、翌日。
時間丁度に現れた、怪しげな黒ローブを着込んだおばあさんは、わたし達家族に向かって何か祈り的なものを捧げた後、こう自己紹介しました。
「始めましてのぉ。儂が学園ネクロマンサーの第百三十九代校長、オカエ=リヒテンシュタインですじゃ」
「……」
ふ、伏線回収……?
「さて、どうかの。お主、儂と一緒に来てくれるかの?」
ほっほっほ、という奇怪な笑い声を上げながら、オカエ=リヒテンシュタインさんは言ったのでした。さっき言った寒いギャグがこんな所で使われるとはと、ギャグ小説の奇跡と形容しても遜色なさそうなこじつけに胸を打たれていたわたしは、一時的にまともに口がきけなくなっていたので、あぁ、サウロが初めて神にまみえた時は、こんな心境だったのか……。などと、不遜にも歴史上の偉人に奇妙なシンパシーを感じながら、取り敢えず、こいつをどうやって消し去ってやろうかなどと策略を練っておりました。
「……いやいや。まだ学園の事やあなたの事をほとんど知らないのに、行くーなんて言えるわけがないでしょう」
「おやおや、それもそうじゃな。じゃあ、簡単に説明するとしよう。学園ネクロマンサーは、ネクロマンサーを養成する学園じゃ。場所はスイスの山の中。水がおいしいところじゃぞ」
「……本当に簡単な説明ですね。ネクロマンサーを養成と言っても、例えネクロマンサーになったとして、今のご時世、まともな仕事にありつけるものなのですか?」
「ほっほっほ……。世知辛いの。でも、お主の母親──あぁ、死んでない方のじゃな──だって、ロクな手腕もないのに、お主の死んどる法の母親の力を借りて、探偵として上手くやれておるじゃろ?」
「でもそれって、ネクロマンサーと何か関係があるのです? うちのお母さん、別に偶々霊感があるだけで、ネクロマンサーとしての修行を受けた訳でも、何でもないのですよ?」
「それは例外中の例外じゃよ……。本来、死者というものはネクロマンサーの介在なしには、この世に具現できないのじゃが……。お主の死んどる方の母親は、自力で具現し続けておるからの」
「それって、凄いことなのです?」
「凄いも何も、普通は不可能じゃよ」
リヒテンシュタインさんは、そう言って、大仰に肩をすくめました。
「お主の死んどる方の母親は、既に神の領域へ足を踏み入れておるからの。一般の死者には、不可能じゃて」
「まって、今サラッと凄いことを言われた気が」
何ですって、ママが神……?
だめだ、混乱してきた。そんなときには、これです。GABAウンミリグラム入りとかいうチョコレート。GABAって、イライラに効くらしいですね。だから、わたしは常にこれを携帯しています。日常生活では、何かとイラっとすることも多いですから。
……え? GABAを摂取すればストレスを軽減できるなんて説は既に否定されたって……?
……あの。プラシーボ効果ってご存じですか?
「おい、お主……。そのチョコレート、一体どこから出したんじゃ……」
「そりゃあ、いつだって携帯していますから。GABAは、ストレス社会と闘う日本人の、強い味方なのですよ」
「中学校の頃から社会と闘ってどうするのじゃ……」
リヒテンシュタインさんは、呆れたように言葉を漏らすと、いきなりにたーっと笑って。
「だが、わが学園に来れば、そんなストレスとは無縁じゃぞ? 学園自体が人里離れた山奥にあるし、何より、儂を除けば、お主と同じ年頃の女の子しかおらんからの!」
「うるせぇ、露骨な宣伝を挟むなです!」
「な、なんじゃ、いきなり口が悪くなりおって……。仕方ないじゃろう、儂だって後継者集めに必死なのじゃ。それに、実際、悪い環境ではないじゃろ?」
「ま、まぁ、否定はしませんですが……」
「おぉおぉ、そうかそうか」
リヒテンシュタインさんはそう言って、相好を崩しました。然し、わたしは知っています。これは、いらん通信教育教材の押し売りに来る、意地汚ぇセールスマン共と同じ笑みです……!
わたしは、負けないのですよ……!
「話を戻すが。ネクロマンサーは、死者と契約することで死者を現世に呼び寄せ、使役する職業じゃ。ちなみに、そうやって契約した死者の事を、儂らは便宜上『友霊』と呼んでおる。どうじゃ、うまいじゃろ?」
そう言って、『契約した幽霊=友霊』などと赤マジックで書かれたホワイトボードを持ち上げ、ドヤってみせるリヒテンシュタインさん。
……こんな邪魔そうなブツを持ち歩いてまで自慢したいことなのでしょうか?
どうやら、なかなか自己主張の激しい方のようです。
「そして、自身の『友霊』とすることのできる死者の数に制限はないが、『友霊』は契約者の生気を吸うことで現世に具現しておるから、契約者があまりにも大勢の死者と契約すると、生気がすっからかんになって、最悪、死ぬの」
「えっ、死……」
……なんだかなぁ。普通の人は死というものを怖がるのでしょうけど。わたしは幽霊の存在も死後の世界も知っているから、死ぬのが全く怖くないのですよね……。この世に対する執着もありませんし。逆に、死に対する気負いがない分、人生を蔑ろにしそうで。死という概念に対して、それを忌避する人もいれば、陶酔する人もいるのでしょうけど。死という概念が、人間の生きる原動力の一つになっているというのは、否定しようのない事実でしょう。死という終わりを理解しているからこそ、人は有限の生を大切にしようとするのです。然し、現代のストレス社会を生きる人間たちは、そこらへんの認識がかなり曖昧になっているようですが。
おめーらにはGABAが足りないのですよ、GABAが。
「まぁよほどのヘマをやらかさん限りは、死ぬ事なんぞ有り得んがの。それに仮に死んだところで、新たなネクロマンサーと契約すれば、また現世に戻ってくる事もできるしの! ほぉッホッホッホ」
リヒテンシュタインさんが高笑いしながら言いました。やはりネクロマンサーという職業に就くと、死に対する価値観がかなりあやふやになってしまうようです。それがいいのか悪いのかはわたしにはちょっと分かりせんが。ややこしい考察はこの小説を見ている暇な方々にぶん投げします。敬具。
「で、どうするかの? おぬしは、我が学園に、来てくれるかの?」
「正直その学園が未知数過ぎて、安易にはいとは言い難いのです」
「まぁ、そうなるかの。では、おぬしらはどう思う?」
そう言って、リヒテンシュタインさんは、今まで沈黙を貫いていた我が両親へと、話を振ったのでした。
「どうって言われても……。私にはたまたま多恵がいたし、私自身はネクロマンサーとは何の関係も無い訳で。どうしたらいいかなんて分からないよ」
「わざわざ契約しないと現世で行動できないなんて不便そうだなぁ、くらいの認識しかないですわね」
「まぁ、私には多恵がいるから関係ないけどね♪」
「まさに、運命ってやつですわね♪」
両親の周りに、突然桃色空間が展開され始めました。虚空から現れては消えていくハートマーク達が、詳らかに幻視出来る気がするのです……。
「お主も大変じゃの……」
何故か、リヒテンシュタインさんに同情されました。同情なんて、されるだけ無駄なものなのですが……。別に、わたしはお情けなど要りませんし。わたしは既に、現状をあるがままに受け入れるだけの器量を手に入れたのです、というか、手に入れないと、この家で生育するのは不可能だったでしょう。過酷な環境の中で手に入れたこの技量を否定されるのは、わたしの今までの努力を否定されるのと同義なのですから……。