8.旧領より新天地へ
「えー皆の者、儂が表に出てきて演説するのは今回で本当に最後となる! まずは、謝罪からだ!」
(父さんの話長いなぁ……)
新天地に向かうとしてウエノ家前当主から転封に至る経緯となった話の謝罪とこれからの奮起をお願いしてそれを促す演説。それから皆でバックアップしてロッシュを盛り上げていこうという話が行われていた間フミヤは暇そうに欠伸をしていた。
「フミヤ様、間抜けそうな顔になっておりますのでお気をつけてください。雇い主が惰弱と誤解され、万一ではありますが不意を突かれて暗殺されると私としましても非常に困りますので」
「はぁ~……はいはい。わかってますよタチアナさん」
それを注意するのがシャープな銀縁の眼鏡をかけた神経質そうな20代半ばのスレンダーな美女だ。
彼女はこの国……いや、この大陸全土の人間域に広がるギルド職員である。その中でも彼女は特に優秀な人物だが、女性と言うことでギルドから出世の梯子を外されており落ち目のウエノ家とともに辺境に飛ばされることになった。
つまり、有能だが出世させたくないギルドの人員であるタチアナと落ち目だからいい人を付けたくないが報復が怖いためそれなりの人員を派遣しなければならないウエノ家においてギルドの思惑が上手く噛み合ったため、昇進と言う名の左遷を喰らったということだ。
「あー……ところでもう一度確認なんですけど、タチアナさんは本当に俺について先頭……先遣隊として走るつもりなんですか?」
ロッシュの紹介と宣言も終わり、父親の演説もそろそろ終わりそうになってきたところでフミヤはタチアナに再度確認を取る。すると彼女は当然と言わんばかりに頷き、どこか誇らしげに返す。
「えぇ、これでもギルドではそれなりに名のある人だったんですよ? 女だからといって侮られては困りますね。私は貴方に付けられたんですから絶対に食いついてみせます」
「……別に女性だからという理由で訊いたわけじゃないんだけどねぇ……」
タチアナには聞こえない程度の声量でそう呟くフミヤ。彼女は魔具を使用して高速移動するからと言ってこの領土謹製の軍馬を借りようともしない。
「……フミヤ兄ぃ、そろそろ出発だからタチアナさん担いで」
「いや、本人は走るつもりらしい」
「は?」
演説も締めに入ったところでココがフミヤの方に音だけ飛ばして会話するが、フミヤからの返答に驚いた声を上げて続けて声を投げる。
「……ふーん……まぁ別にいいけど、サボらないでね?」
「はぁ……そっちの行商ギルドの人みたいに聞き分けが良ければ……」
「いい子だったわねぇ……特に、ベッドでは」
わざわざ音としてきちんと送られてきた妹の特殊性癖のことは聞かなかったことにして号令を下そうとしているロッシュの方を見る。そして軽く頷いて見せると何か色々口上を述べてから一気に号令が下される―――
疾風怒濤。
「えっ……」
「置いて行かれるには早いですよ!」
「なっ! ちょっと、どこを触って……」
「面倒なんで抵抗しないでください」
案の定、初動から遅れて吹き飛ばされそうになっていたタチアナ。フミヤは予想の範囲内だとして即座に彼女を抱え上げて走り出す。彼女も武装しているため、暴れられるとちょっと痛いのでイライラしたが無視して走った。
「おっ、おかしいわよ! バテるなんて話じゃないわ! 一体何を考えてるのよ!」
「騒ぐと舌噛みますよ」
ペース配分がどうとかいう問題ではない。初手から一般人の全力疾走どころではなく、軍馬の行進など目でもない速さで動く先遣隊。この動きについて来れてこそ、ウエノ家の先遣隊であるとタチアナの混乱を見て内心で誇りに思って笑う一行だが当のタチアナはそれどころではない。
(ば、馬鹿なの? 前、上司に無茶を言われて魔族軍の残党との闘いの最前線にいたことがあるけど、戦時下にある魔族ですらこんな非常識な真似はしなかったわよ⁉)
急速に離れていくウエノ家の領土。しかし誰一人として息切れを起こした者はいない。休憩する素振りすら見えない。30分くらいしてようやく少しだけスピードが落ちたが、タチアナはこのスピードの中にいることに慣れてしまったから遅く感じると勘違いしていた。
そのまま走ることしばらく。いい加減、タチアナにも走ってもらおうかとフミヤが考え始めた頃にココから声がかけられる。
「フミヤ兄ぃ! そろそろ後続部隊の第一休憩予定地帯に着くよ! 準備して!」
「おう!」
(どれだけ飛ばす気なのかしら……? 第一休憩予定地なのに、かなり遠い……)
もうお荷物扱いに慣れてしまったタチアナは周囲の環境に驚きつつももしかしたら左遷で飛ばされた挽回どころか大出世に繋がるかもしれないと心中で計算を行うのだった。
「……ようやく邪魔者が消えた、か」
王国。ウエノ家が出立し、領土よりいなくなったという報告を受けて独白する老人の姿があった。彼は自分たちを押さえつけていた忌々しい勢力が消えてなくなったことを受けて側近たちと内々で祝宴を開いている。
「上手く行きましたな」
「あぁ……だが、これからだ。奴らには辺境の地でそのまますり潰れてもらおう……」
王国軍よりも強い部隊を持つ危険分子、ウエノ家。彼らの枷となるのは軍事力ではなく人として、政務上の問題のみ。彼らはあまりにも強すぎたのだ。
「出来れば追いやる前に優秀な人材についてはバラバラにしておきたかったのだがな……上手く躱された。殆どがロッシュ公について行ったよ」
「さて、バラバラとはどういう意味なのか……私には分かりかねますなぁ。……ですが、私どもとしてもほしい人物はそれなりにいましたので残念です」
「ウエノ家から出て我らに与すれば長生きできたものを……」
酒を、呷る。目の前ではウエノ家の面々がいなくなったことで空いた領地、そしてポジションをどう分配するかについての牽制のための話が行われている。話をしていた二人の男たちの内、側近である他家の壮年の方はその話に混ざるために老人の前から下がった。
そして、老人の方もそれとなく年齢からくる疲労と言うものを理由にしてこの部屋から退出する。向かうのは、完全に外部と隔絶された自身の書斎。中に入ると老人は美しい美男子へと変貌を遂げる。
「ふぅ……」
黒褐色の肌に薄紫色の長い髪、一つの目に黄色と青色の配色がされているダイクロイックアイ。唇の色は薄く、冷たい美貌が窺える。
―――そして、何よりも目立つのは頭上に聳え立つ捻じれた二本の角。彼は本棚の中にある魔金庫を開くとその中にある土地の契約書のようなものを出し、魔力を込めて鳥の式神に変える。
「……長きに渡る計画が、今やっと成就した。これより魔族の時代を到来させる」
式神の無機質な赤い目が音声を発する美青年を見据えて動かない。男は、続ける。
「忌々しいウエノの血筋が中央より去ったこの時こそ我らが立ち上がる時。人間とは愚かなものよ。自らを立たせるために強者を排し、危険を呼び込む。……我らは違う。強者を取り込み、その力を振るう場を与え、領土に安寧をもたらすのだ! 戦いは何も無理に行う必要はない。計画通り、人間どもが自らの危機に気付くことすらないようにじわじわと攻め返せ……」
その後は具体的な反抗の指示を出す美青年。力量で返すのではなく、相手のミスで自滅したと思わせるような戦い方をすることで中央では責任の押し付け合いにより問題の本質が見えないように動く。
「15年……我々は耐え忍んだ。これからの反抗はそれと同等か、それ以下の時間しかかからない。これまで耐えた我々なら計画通りに人間を押し返すことが出来るだろう。我らの勝利のために諸君の活躍を期待する」
通信は終了した。そしてこの日より静かに、小さく。しかし確実に魔族の勢力は盛り返すことになる。