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66.魔族の策謀

 秩序が崩壊した町、ゼンシュにてヘンゼル、ネフィリスティア、フミヤは一度休憩を取るべく着陸した。上空より見たその光景は休憩には凡そ適さない環境の、あまりに惨い有様だったがそれでも前に進むためには必要なことであるとヘンゼルがその目で直に見ることになったのだ。


「……これは、どういうことなの?」


 先行するヘンゼルの後ろで護衛としてついて行くフミヤに問いかけるネフィリスシア。町というにはこの集落は崩壊し過ぎていた。建物は廃墟と化し、人気は一切ない。代わりにいるのは死肉を漁るような下級魔物。その程度であれば誰にとっても脅威とはならないが、万一という可能性を踏まえてフミヤは警戒を続けながらネフィリスシアの問いに答えた。


「……王都は偽物の情報を掴まされてたってことだよ。ベイリー卿が魔族だったってことは、彼が統治する郵政局で握り潰されてたんだろうな……」

「そんな……」


 ロッシュらの調査によって奇妙であることだけは判明していた事実。そこから推測され、ウエノ家で共有されていた現状を告げるフミヤ。中央から遠ざけられたウエノ家では伝達するにも力が足りなかった。その上、通達された物さえも改竄されていれば世話はない。


「……最初の予想じゃ軍部が失態を握り潰しているってところだったんですけどね……」


 フミヤは苦々しくそう呟く。当初、ウエノ家がしていたその想定からそこまで酷いことになる前にどこからか漏れるだろうと楽観していたのが後手に回る要因だった。王女は本当にフミヤに惚れているかもしれないとは思ったが、こちらに対する監視と牽制の意も兼ねてのことだろうと見做して軍部の裏を探っていたのだ。その上で、酷い情報が聞こえてこないということはそれほどまでに大きな問題が起きていないという判断を下した。

 それが、調査を進めていく中で尋常じゃない問題になっているのを理解した時にはもう遅かった。手を回そうにもウエノ家にも北部での大規模な戦闘が待ち構えている状態だったため、そちらまで手が回らなかった。過去の失態を嘆いているだけでは何の解決にもならないが、言葉は漏れる。


「しばらくして、問題が大きくなっているのに気付いたウチから情報提供はしたんですがね……王国中枢で情報を操作している相手に遠隔地から中央の問題に口を出すなんてしても信用度に差があり過ぎる。ましてや、ウチは追い出された直後でしたから……」

「……今回の一件、ウエノ家には何の落ち度もない。全ては我々の失態だ」


 ヘンゼルは暗い顔でそう告げる。王族として、独裁統治を行っている者としては言ってはならない自身の間違いを全面的に認める言葉。ただのヘンゼルとしてこの場にいるからこそ言った一言だ。


「斃された民たちからの恨み、怒り……全て我らが背負おう。だが、彼らの犠牲を無駄にしないためにも私は立ち上がらなければならない」


 王族らしい毅然とした態度でヘンゼルはそう呟くとその場に立ち止まり、フミヤたちにも同様に止まるように告げる。そして、彼は静かに目を閉じて黙祷を捧げた。


「……行こう。我儘に付き合わせて悪かったな……我々には時間がない」


 振り返った時には普段の調子……王族としてではなく、ヘンゼルが個人として親しい者たちに向ける表情に戻っていた。だが、その目の奥と言葉には強い意志を宿して彼はフミヤに行動を促した。





「取り逃がした? あれだけの兵を費やしておきながらどういうことだ!」


 一方、王都ではフミヤたちを取り逃したラッツケンプ家の私兵たちに怒号が飛ばされていた。前当主を殺害された上に国家の要人を敷地内で殺されたという失態。その犯人を取り逃すという軍部の長官としてあるまじき事態に重ねて王族まで拉致されるという大失態を犯したのだから現当主の怒りも尤もだ。


「しかも、しかもだ! あの忌々しきウエノの娘が率いた部隊だけが辛うじて最後にどこにいたのかを突き止めることに成功した! ……ウチの兵を使って、だぞ!? お前はそこで何をしていたんだ!」

「面目次第もありません!」

「謝るだけなら猿でもできるだろうが! 何を、どうして、こうなったのか考えろ! あの女に付かせていたお前の甥の方がよっぽど優秀だぞ!? 見ろ! この報告書を!」


 地面に投げつけられる紙束。そこにはウエノの娘……ココがいかにしてフミヤの逃走経路を割り出したのかが時系列と思考の流れに沿って詳細に記されていた。


「見当違いの方向に兵を向けて! 城下町に要らん噂を立てて! お前は何がしたかったんだ!?」

「責任を取って自決いたしま……」


 兵の指揮を取ったラッツケンプの陪臣はそれ以上言えなかった。その前に現当主が彼の頬を張り飛ばしたのだ。勢いあまって床を少し転がるほど強烈な一撃を喰らった陪臣だが、即座に臣下の礼を取ると彼を見上げて怒鳴りつけられた。


「責任を取ると言うなら働け! 死ぬことの何処が責任を取る、だ!」

「で、では……職を辞して……」

「誰が辞めろと言った! 責任から逃げるな! 向き合わんかこの馬鹿者が!」

「は、はっ! 畏まりました!」

「……お前の補佐に甥をつける。いいか、賊は決して逃がすな。これはこの国にとってこれからの治安がどうなるかということに関わって来る。肝に命じろ。この国の安全は我々が守るのだ」


 激高状態から静かにそう言いつけたラッツケンプの言葉に最敬礼で応じた陪臣は即座にその命に従って当主の部屋を後にする。眉目秀麗なメイドと二人だけになった部屋で彼は溜息をもらして彼女に精神安定作用のある嗜好品の飲み物、ラミファルを持ってくるように言いつけると彼は今度こそ一人になった部屋で背もたれに体を預けた。


「……親父、ベイリー卿、先の戦いの英雄たちが逝ってしまったか……」


 その呟きは悲嘆ではなく、勿論歓喜でもない、わずかに寂寥感の伴う呟きだった。彼が目指した背中たちが消えてしまったことに対する寂しさは長年願い続けたとうとう名実共に彼がトップの権力者になったという喜びを軽く呑み込んでしまっていた。


「……メディシスも勇者の失態で堕ちたが、俺も今回の王都の警備問題で堕ちることにはなるな……ここからが、本当の泥仕合の始まりか……?」


 いなくなってしまった彼の前の背中たちが背負っていた荷物を背負い直す。それには自分の背ではあまりに小さいのではないかと苦笑するも代わりがない今、考えても仕方のないことだと割り切る。彼がやるべきことは現状のラッツケンプにかかる諸問題の解決であって死者を思うことや未来を空想することではない。

 だが、誰もいないこの場ぐらいは静かに惜しむべき相手を追悼しても罰は当たらないだろうとラッツケンプは一人、目を伏せる。それは奇しくも、ヘンゼルがゼンシュの町で死者を追悼したのと変わらぬ時分だった。


「親父、ベイリー爺……あんたらが守ろうとしたこの国の伝統、そしてこの家……俺が背負って守る……」


 ―――その内容はあまりにも異なる物だったが。






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