5.転出計画
「これで、決まりだ……何か意見は?」
ロッシェの疲れ切った言葉にフミヤは同情しつつ首を振って周囲に目を向ける。先程まで活発に転出先の開拓方針に対する意見……いや、正しくは我儘を言っていたフーシェは簀巻きにされて猿轡を噛まされ、地面に転がっておりもう一人の参加者であるココは後ろに控えている陪臣に声をかけた。
「クラーラ、これでいけそうかな?」
「私は現場を見ておりませんのでよくわかりませんが、資料上の話であれば恐らくは。」
「んじゃココはこれでオーケーということで。」
「フミヤ、何かあるか?」
ロッシェが最も意見を求めている相手であるフミヤに対して念を押して尋ねる。それに対してフミヤは少し思案した。
(ウエノ家が実際に率いる家臣団は1000で、ここの地域についている土豪たちの兵が2万。この内、どれだけが付いてくる気なのかが問題なんだよなぁ……全体で5000を予想してるみたいだけど。ここから長いこと離れてたから実情が分からん……)
「質問があったら遠慮なく言ってくれ。」
「あー、質問というよりは予防策かな。開拓地と拠点の範囲なんだけどなるべく自己責任で動くことが可能なところにしておきたい。」
「……つまり、隣領の手助けを借りない方がいい、と?」
計画の一部を見て目を光らせるロッシェ。ココもページを変えて当該箇所を見ながら二人の話を聞く。
「まぁそういうことかな……兄貴が手を回す前、サロンで話を聞いてたんだけど思いの他、領地替えの話は悪く受け止められてる。」
「チッ……」
忌々しげに舌打ちするロッシェ。悪く受け止められたという話は単なる噂話と侮ってはいけない。人間は非常に雰囲気に流されやすく、特に本当に悪いということがないとしても悪いという噂が立つだけで悪いかもしれない。という事実に発展し、領民は何となくの悪感情を抱き、何となく離れていくのだ。
それをどう解決しようとしてもその根本要因を払拭するための努力が報われることは少ない。これの解決法は発生状況の逆を行くことが必要。
何となく、いい人たちだと思わせるための噂を流すしかないのだが、悪感情と違ってこちらは伝わるのが遅い上に滅多に浸透せず、既に悪感情を抱いている相手には猶更受け入れがたいため難しい。更には悪意を持って流している相手が確実にいるため、情報は捻じ曲げられてこのままずるずる行くのだ。
「この機にウチの勢力を削ろうってか……」
「まぁ、ウチが暴走すれば王国の半分は焦土に出来るからね~……警戒されてたのは間違いないし、それで優遇されてたんだから……」
力があれば警戒されつつも優遇されて緩和を図られる。しかし、このまま力を削られ過ぎれば優遇する必要もなく警戒心のままに潰される可能性が大きいだろう。今、フミヤたちの兄弟が生きている間は潰されることは不可能に近いが将来はまた別だ。貴族としての意識は薄いが先祖代々続けて来たバトンを自分たちのせいで別の者に渡すというのは避けたいという思いはある。
「その優遇状態と力がまだあると思われてるから隣領のアドカルドさんは何かあれば力を貸すって言ってるけど。こっちが復興すれば恩を返せって言うのは間違いないし、俺らが仮に領土を統治できずに勢力を衰退させれば辺境の地だし徹底的に潰して中央の点数稼ぎに入ると思うよ。その時に領民が向こうに恩を感じてついていたら面倒。」
「あ~忌々しい……無能な馬鹿ほど働かれて困る相手はいないな本当に!」
脱出しようともがいていたフーシェがしゅんとする。彼は彼なりに色々考えて転封の意見を受け入れたのだ。ここまで弟たちに怒られると悲しくなる。
「まぁまぁ、ロッシェ兄さん。フーシェ兄さんもこっちの思惑と中央の思惑で板挟みになったんだろうからそんなに責めないでやってよ。あ、調子には乗らないでね。」
「だって、行けると思ったんだもん……しかも実際俺ら行けたじゃん……」
猿轡を噛みちぎってフーシェが文句を言う。フーシェからすれば父親が仕事で失敗して困っていたところに油田あげるから自由に使ってと言われたようなものだ。飛びついてしまうのも訳はないと思う。
ただ、油田の管理と採掘、原油の販路に交渉、加工。周辺国との関係維持に中央との取り分を決めること。更に現在の土地に関する義務の処理と雇用主としての責務の全う。その他諸々を任された側としては愚痴の一つや二つ、100くらい言ってもいいだろう。
「はぁ……フーシェの素人案も時々はいいこと言うからそっちの相手はココ、頼んだ。」
「はーい。じゃあ難しい話は二人で頑張ってね。」
「分かってる。じゃあ、代案を考えるか……」
「そうだね……ある程度余裕と安全を見ていきたいことから……」
この日の会議も深夜まで繰り広げられることになった。尤も、フーシェとココの方は早々に寝たが。
ウエノ家4兄妹が夜半まで会議をしていたころ。王都では有力貴族による魔王軍残党狩り成功を祝うパーティが開かれていた。この祝賀会に呼ばれていないことからウエノ家の凋落は貴族の間に決定的なものとして知られることとなるが、暗黙の了解として特にそれが話題に上がることはない。
そんな気分の悪いパーティにメディシス家の人間としてネフィリスシアは侍女を伴い父と共に出席している。今はパーティも終わりの時間に近づいており、彼らの周辺に人はいない。
「……それでネフィ、今のところいい相手はいたかな? 結構な粒ぞろいだと思うんだが……」
「いいえ。いませんでした。」
「ふむ。ウチの家格からみてもかなり高い相手ばかりで、それに見合う教養と資質。それから顔立ちもよかったと思うのだがね……」
ワインを片手に、もう一方の手を首に当てて困ったように笑いつつワイングラスを口に運ぶメディシス公。しかし、本日最後にネフィリスシアに合わせる相手はこれまで以上に見込みのある相手であり、これまでの相手を当て馬として使えるような存在だ。
「メディシス公爵、遅くなりまして申し訳ないです……」
「いやいや、このパーティの主役だからね。それに君は貴族になりたてなんだ。ようやく落ち着いたところで挨拶回りに動くのは仕方ない。こちらの指示通りしっかりと動いてもらって感謝してるよ。」
来た。件の異界の勇者、ミヤケだ。中央貴族の内、メディシス家の派閥に属するメンバーに挨拶をして回り、彼の所在がどこであるかを知らしめてからボスであるメディシス公爵の下へやって来た。その姿は魔映器で投影された姿より増して若々しく、美男ぶりを発揮している。
そんな彼を前にしてメディシス公爵は仲睦まじさをアピールするかのように娘であるネフィリスシアを前に出して紹介する。ミヤケの視線はずっと彼女の方に向いており、わざわざ仕込みなどをする必要もないとわかりやすい状態で、これから腹芸について鍛えなければならないなと思いつつメディシス公爵は口を開いた。
「あぁ、これがウチの娘ネフィリスシアだ。親ばかだとは思うが美人でね。あまりに美人過ぎて貰い手が気後れしてしまい、この年まで相手がいなくてね。」
「わ、わかります……えっと、初めまして。魔王を倒した勇者のミヤケ マナブです。よろしく。」
「初めまして、メディシス家のネフィリスシアと申します。」
差し出された手は見ずに慇懃に一礼して見せるネフィリスシア。所在なさげに出された手は握られないとわかった途端に仕舞われた。
微妙な空気になったその場を盛り上げるために話題を提供し、娘の状態を理解したメディシス公爵はそのまま彼女の話題から逸らして領地経営についてのアドバイス、そして恩を売ることなどに話題を持って行く。百戦錬磨の宮廷貴族相手に異界の勇者は何の疑いもなくそれを受け入れ、情報を流出していく。
そんな場を冷めた目で見ながらネフィリスシアは早くこのパーティが終わることだけを願いつつ黙って食事を摂るのだった。