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52.理解が及ばない内に

 部屋に戻ってきた時、寒気を覚えたのは気のせいではないだろう。確実に室内の温度が下がっており、政治や外交で鍛え上げられ海千山千の辣腕を発揮する鬼謀の主であるはずのロッシュでさえ入るのを躊躇う程だ。


「……遅かったね。お帰り」

「タダイマモドリマシタ……」


 ナタリアに冷たい視線で微笑みかけられてフミヤは挙動不審になりつつ席に着く。そんな兄のことを不甲斐ないと思うココ。確かにこの場は自身がいた時よりも気温が下がっているように感じられ、自分がいない間に何が起きていたのかは不明だが、これから話し合いを再開するに当たって進行役となるココが口を開かなければ話は進まないと気合を入れて彼女は口を開く。


「じゃ、まずは兄のロッシュからお二人に向けて話があるので……」


 心底嫌そうな顔を一瞬だけ浮かべたロッシュは誰にも気づかれないように溜息をついてそれを誤魔化すと神妙な顔になって告げた。


「まず、こんな辺境地帯までご足労いただき誠にありがとうございます。お二方のご助力のお蔭で魔族に関する情勢に変化が生まれたことがはっきりとわかり始めています。特に現在、地下に幽閉している魔族から様々な情報が手に入っていることからお二方の滞在期間が終わる頃にはそれなりの成果を挙げられるかと」

「それは先日の報告で聞いている。辞儀合いも結構だ。用件に入ってくれ」


 ロッシュの時間稼ぎはナタリアの言葉で打ち砕かれた。ロッシュは心底どうでもいいことだが、下手をすれば家が吹き飛ぶ可能性もある事象に頭を抱えたくなりつつも答える。


「この度、私の軽率な言論によってえっ?」


 ロッシュが腹を括って状況説明に入ろうとしたその時だった。ネフィリスシアが急に宙に浮いたかと思うと席を離れて窓を突き破り、窓とネフィリスシアを結ぶ直線上にいたナタリアと共に外に流された。


「えっ? ……と、取り敢えずォラァッ!」


 二人のコントロール権を取り返すために炎翼を展開して二人を片手ずつで掴み、外に出ようとする力以上の出力を出すことで二人を部屋に戻そうとするフミヤ。一応、フミヤの全力に勝つことが出来るほどの推進力ではなかったため、二人は室内に戻って来ることに成功する。


「……ッ。ネフィちゃん、ちょっと左手見せて」


 そして一行が部屋に戻って来るなり、ココが顔を何かに歪めながら重い足取りで急に浮遊したネフィリスシアの下に近づいて行く。そして上腕まで袖をまくり上げるとネフィリスシアの左腕に奇妙な文様が浮かび上がって光っているのが見えた。それを見てココは苦い顔をする。


「やっぱり、か……ナタリア様。ネフィリスシア様の体調が優れないようですので本日のお話はこれまでにしてもよろしいでしょうか?」


 否とは言わせない内容でココはナタリアに問いかけた。しかし、ナタリアは難しい顔をしたまま首を横に振って返す。


「待て」

「……はい」


 まさか止められるとは思っていなかったココが少しだけ苦い顔を面に出しそうになりつつもナタリアに応じた。それを見てナタリアは苦笑しながら続ける。


「そう身構えなくてもいい。退出自体は認めるさ。ただ……ナタリア姉さん、だろう?」

「……ナタリーネェサン、失礼します」

「待て、ココも呪いを受けてるはずだ。そんな苦しそうな顔の奴に任せられん。俺も付き添う」


 巧みにこの場から逃れるロッシュ。フミヤが気付いた時にはこの場にナタリアと二人きりという状態になっていた。それを十分に確認してナタリアは雰囲気を柔らかいものに崩す。


「……この色男ぉ。全く……若い娘を惑して……」

「身に覚えがないにも程がある……」

 

 疲労感を滲ませてフミヤの隣に座り直すナタリア。ナタリアが動き、近くに来たことで薫香が鼻腔をくすぐりフミヤの鼓動を揺らし、誤魔化すようにフミヤは座り直した。


「ふふっ……」


 まるですべてお見通しの様に優しく笑って見せるナタリア。そして不意に口を開く。


「ネフィはいい子だな」


 フミヤにとってそれは非常に反応に困る言葉だった。現在対立している二人の間柄は先程まで嫌と言っても見せられている。ここで首肯するのは誘導尋問の可能性があると曖昧な態度のままになるフミヤだがそれに苦笑してナタリアは続ける。


「そんなに固まることはない。私自身がネフィを個人として見た場合、普通に好きだからね……それにさっきまでの対応を見てたら嫌いなんて言えないさ」

「そうですか……」

「……何だ、今日は豪くノリが悪いな? やはり体調が悪いのか?」


(……いや、何て言ったらいいか分からないだけだが……)


 フミヤはそう思ったが口には出さずに飲み込んだ。そんなフミヤの内心を知ってか知らずかナタリアは言った。


「ネフィは……いや、ネフィも私の命の恩人になったんだ。なのに、一切その話題を出さずに正々堂々と私に食って掛かってきた」

「……失礼だけど、ナタリア。君死にかけすぎじゃないかな?」

「……いや、流石に君と同じ頻度で助けられた訳じゃないわよ? ここに来るまでに魔族と……魔王と戦ったのはもう知ってるよね?」


 ナタリアは王女の割に危険な目に遭い過ぎであるというのは事実だと思ったが、フミヤは論点はそこではないと首肯してみせる。


「そこで、私が囮になる代わりに皆を逃がそうとして……ネフィは戻ってきてくれたんだよ。何の当てもないのに。私を見捨てて逃げた方が彼女にとってはよかったはずなのに、だ」


 少々裏事情を知るフミヤには思わず喉元まで出て来かけた言葉があったが黙って飲み込み、ナタリアのするいい話を聞いておく。そこにはナタリアからネフィリスシアに対する助けられたことへの感謝の言葉と、助けたことを鼻にかけることのない態度に対する感動の思いがあった。


「ホント、君に惚れるには勿体ない女の子だよ」

「そうだよなぁ。何がどうなってこうなったのか俺にも全然分からないんだ……勿論、ナタリアも含めて俺には勿体ないと思ってる」

「そうか……まぁ私と君とでは丁度いいカップルで釣り合ってると思うけどね」


 微妙に対抗して来たナタリア。それは兎も角として話は再開する。


「なぁフミヤ、ちゃんと君から言葉にしてあげないと彼女は諦めないと思うよ」

「そうか……ただ何を言ったらいいのか……いや、正直何がどうなってるのか分からないから見当違いのことを言いそうなんだよな」

「……あぁ、まさに今、見当違いも甚だしいことを言ってるから想像も容易いなぁ」


 ただ想いに応えられない、好きな相手がいると言えばいいのに何か難しいことを考えているように見えるフミヤに溜息をつくナタリア。正直、ここでナタリアのことが好きだから諦めてくれ位のことを言ってくれれば合格点だったのだがこれでは及第点どころか赤点もいいところだ。


「……これは補習授業をみっちりとしておく必要があるねぇ……ま、今やると下手なことになりそうだから執行猶予つけておくけど」

「何の話?」

「……まぁ色々言ったけど、この件に関して私が引く気はないってことだ。無論、軍部の意向抜きにして、私の考えでだぞ? ネフィはいい子だがそれはそれこれはこれ、だ」


 急に至近距離で微笑みかけられて何が何だかもわからずにときめいてしまうフミヤ。最近は理解が及ばない内に話が進むことが多いと思いつつ、急に雰囲気を変えて元気よく立ち去ったナタリアを茫然として見送った。




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