4.ウエノ家の特殊性
もうすぐ手放すことになる現在の領地に帰って来たウエノ兄妹は疲労のあまり自宅に戻って来てからは丸一日眠り込む羽目になり、家中の者たちに驚かれた。その後、しっかりとした休養を取って目覚めたフミヤは鈍った体を起こすためにトレーニングに出る。
「おっ、フミヤもトレーニングか! どうだ? 一戦」
「うわ……」
先にトレーニングルームにいたのはウエノ兄妹の脳筋担当、フーシェだ。今日も見事な肉体美に汗を流して爽やかな笑みを浮かべている。だがしかし、フミヤはこのトレーニングルームにおいて彼とだけは会いたくなかった。そのため思わず嫌そうな顔を浮かべてしまう。
「おいおい、流石の俺でも傷付くぞ? いいじゃないか久し振りに。」
そんなフミヤの表情を読み取ったフーシェが苦笑しながら薄布の下の筋肉を見せつけてくる。見るからにタフな彼を見てフミヤは何とか言い逃れできるように言葉を探した。
「あー、ちょっとさ。まだ戻って来たばっかりで体が鈍ってるところにこの前の魔物戦で……準備が出来てないんだよね。また今度どうかな?」
「鈍ってるなら猶更どうだ? ここにあるような玩具じゃお前には効かないだろ?」
「効くに決まってるだろ……」
逃れようとして回り込まれた話の内容にフミヤはげんなりする。ウエノ家のトレーニングルームはご先祖様が創った不思議物質の集まりだ。一定範囲内において重力が変動する魔具に重量が変わる重りたち。そしてそれらが壊れても魔力を注入すればすぐに直る。目の前の脳筋がトレーニングしていい汗をかけるというのがこの部屋が優秀である証拠だろう。そんな彼でも鍛えられるというのにフミヤに効かないはずがない。
「まぁまぁ、ちょっと実践室に入るだけだから。魔力の10分の1程度でいいって。さぁさぁ。」
「やっぱり実践室……」
嫌がるフミヤ。ウエノ家のトレーニングルームにおいて現在フーシェに誘われているのは実践室での組手……と言う名の殺し合いだ。殺し合いだが、入る前に魔力を預けておけばその魔力分を超えるダメージを受けた瞬間に部屋から強制的に外に出され、預けておいた魔力で全快する仕組みになっている。
(だからマジで殺し合い仕掛けてくるんだよなぁ……)
この部屋を使えるのは近衛師団団長以上の人間かウエノ家の面々だけであり、その団長たちは同じ家の者が代々務めている。そのため、この部屋での訓練は当たり前のようになっているのだ。それに対し外に出たフミヤは同じような感覚には戻れない。
そのため、渋っていたのだがフーシェの方は別の意味でそれを捉えたようだ。
「分かった。トレーニングには付き合おう! それが終わったら試合な!」
「うえ……」
余計な作業が増えた。加減を知らない目の前の脳筋の感覚でフミヤはリハビリをするつもりだったのにいきなりハードメニューを行うことになる。嫌がるフミヤだが、フーシェの方はせっかくの申し出を無碍にされて軽く怒った。
「嫌そうな顔をするな! まったく……久しぶりに帰ってきた弟は反抗期か?」
「いつまで子ども扱いしてんだよ……」
次兄には成人として政略結婚の駒扱いで呼び戻されたというのに長兄の頭の中は子どものままだ。いや当人が子どものままなのだから多少は仕方ないが……
「はぁ……わかったよ。やるさ……」
「よし! それでこそだ! じゃあまずは軽くベンチ500㎏からな!」
「……軽くの意味を調べてきた方がいいよフーシェ兄さん……」
しかし、魔力を通したフミヤに持ち上げられないと言う訳でもなく。やり遂げたことでやっぱり大丈夫だったという認識を持たれてフミヤはこの日、リハビリどころか全身を酷使し、魔力も久し振りに大量に使うことで非常に重い倦怠感に包まれて動くこともしたくなくなる。
「はぁ……あ~疲れた。」
「ハッハッハ! フミヤは流石だなぁ……ロッシェの奴は付き合いが悪いし、ココは俺と父さんにだけ反抗期だから最近暇でな! 帰ってきてくれて嬉しいぞ!」
「あー……そう。」
「ということで今日最後のメニュー! 実践組手だ!」
忘れてくれてればよかったのに……フミヤは項垂れつつ……今日、無理矢理ハードメニューをこなすことを強要された恨みをぶちまけるために引き受けてもいいか。という黒い感情を呼び起こす。
「魔力は……これくらいでいいか! ほらフミヤも早くしろ!」
「……オラァッ!」
「ハッハッハッハ! 元気があってよろしい! ではいくぞ!」
結構頑張って振り絞った魔力だが、元気があっていいという言葉で片付けられて両者、実践室の中に閉じ込められる。この中ではどれだけの能力を使おうとも周囲に被害が出ることはないため、思う存分やることができる……そう判断した時点でフミヤは己の身に紫電を纏い、更に外郭に焔の六枚翼を宿した。
「おうおう! やる気満々で嬉しいぞ俺は!」
対するフーシェは特に何かを纏うということはしない。ただ、己の鍛え上げられた肉体から発光して恐ろしいまでの魔力が素のまま剝き出しになっているだけだ。
「そうか……そうか……じゃあ、死んでも文句言うなよ馬鹿兄貴ッ!」
「ハッハッハ! 来いッッッ!」
初撃、フミヤの炎翼が槍となってフーシェを襲う。流星の如き速さで繰り出されたそれ。しかし、フーシェはただの拳の一撃で払いのけ、同時に突っ込んできたフミヤの一撃を防ぐ。
「むぅッンッ⁉」
しかし払いのけたところで手に激しい電流が流れ、フーシェの意思などお構いなく手が弾かれた。そこにフミヤの追撃が……
「甘いなぁっ!」
―――入る前にフーシェの膝がフミヤに叩き付けられる。一般女性の胴周りほどもある巨大な太腿に見合う威力がフミヤに襲い掛かり、フミヤは宙に舞い上がった。
「うん? フミヤ、お前軽くなったんじゃないか? もっと飯食え飯。」
「な、わけ……あるかぁっ!」
即座に空中で炎の翼を推進力として上空からフーシェに襲い掛かるフミヤ。先程の一撃は衝撃を殺すために自ら飛んだだけだ。あまりに速い一撃だったために飛ばざるを得なかったが上空を取ったことで相手に魔力による一方的な攻撃を……
「フゥーハハハ! フミヤ、お前がいなくなっていた間、俺が何もしなかったとでもぉっ⁉」
「んっだとぉ……!」
火炎の球を頭上から防ぎきれない量落とし、例え術を防いだとしても体内に入る空気を焼き尽くそうとしていたフミヤだが、その目論見は失敗する。
フーシェが、飛んだのだ。
「どうなってる……」
「ハーッハッハッハ! 気合入れて頑張ったぞ俺は……これで兄弟最弱とは言わせない!」
「意味が分からない……」
フミヤの知るフーシェは飛べない。いや、普通の人類が飛ぶなんてことはおかしい。尤も、彼の家族とそれに仕える者たちはナチュラルに除かれるが……
それはさておき、宙に浮く、ならまだ分かるし、その程度であればその辺の魔術師でも頑張ればできるだろう。
だが、フーシェは完全に制御して飛んでいる。縦横無尽に、緩急自在に。ここまで自在に動くとなれば4兄妹にもついて行けるだろう。
「驚いたかフミヤァ!」
「……まぁ驚きはしたかな。」
「ザマァ!」
「でも、地上で動いてる時程の脅威じゃないし……なにより、空中戦は俺の方が得意だ!」
「何ぃ?」
躰に纏っていた紫電を幾つもの球状にして自分の上半身周辺に円形に並べたフミヤはそれをフーシェにぶつけながら炎翼で距離を取る。
「むぅんっ! ハッハー! この程度、鍛え上げられた我が筋肉の前では無駄ァッ!」
「じゃ、効くまで……地面に落ちるまで続けるから。」
近づこうとするフーシェとの間に必ず雷の球を挟み、接近させないフミヤ。その直線状から逃れようとすれば炎翼が襲ってきて、炎翼に対処しようとすれば雷が襲い来る。
「オォォオオオォオォッ! 負けん! 俺は負けんぞ!」
「……いや、そろそろ止めようよ。どんだけ魔力入れたんだあんた……俺もうお腹空いて来たんだけど……」
「んならば、お前が負けだって認めて雷と炎を止めろ!」
「……それはねぇ……嫌かな。時間かければ勝てるって分かってるんだし……」
「オォォオオォオッ!」
この後、久し振りの兄弟バトルを止めに来たロッシュが介入してようやく戦闘終了することになるが、それは完全に日が暮れてからの出来事であり両者揃って戦闘馬鹿という言葉で片付けられた。