46.メディシス
王国を出立したメディシス家の特使だが、幾つかの領主の領土を跨いで辺境の地、【竜の眠る地】と呼ばれるその入り口に立ってもまだ殆ど会話がなく、緊張したまま移動を続けていた。
……それが、功を奏したのかもしれない。まず最初に異変に気付いたのは同じ馬車に乗っているというのに終始無言だった王国でも指折りの魔力探知能力を持つネフィリスシアとナタリアの両名だった。
「……押し隠された魔力。ネフィリスシア、馬車を止めるぞ」
「……凄い速さで近づいて来ますね」
舞台の隊長であるナタリアが御者に命を下し、全体を止める。そして順次戦闘の構えを取った。
「来るぞ……全員、構えろ……待て、ネフィは下がっていろ。危ない」
「……わかりました。何かあればお呼びください」
少し思うところはあったが、ネフィリスシアは戦闘のプロの言うことに任せてその場は引き下がった。程なくして、敵性と思われる何かが砂塵を巻き上げてこの場に現れ、ナタリアはその姿を遠目に見て訝しんだ。
(……少女? いや、気配は魔族のもの……躊躇う暇はない!)
「標的襲来……放て!」
即時思考を切り替えて火炎魔術を放つナタリア。周囲もそれに触発されてほぼ同時に同系統の魔術を放つことで直進してきた相手を消し炭に変える。
はずだった。
「アツゥい!」
爆炎の中から聞こえる悲鳴。しかし、どこか愉しげに聞こえてくるそれはそのままナタリア目がけて歩みを止めることなく直進してきた。
「なっ……!」
「でもって遅ぉい!」
驚愕するナタリアの懐に迫る彼女はそれまであった少女の身体から同じ少女の物とは思えぬ凶悪な爪のある腕を振り上げ、ナタリアに凶刃を差し込む。
ガギン、と音がしたのはナタリアが自身の懐に何かいるということに気付いたのとほぼ同時だった。少女の攻撃を防いだのは王国でも名のある剣士、ルイス。重剣使いでありながらその動きは軽やかで、相手を軽快に叩き切る様は彼の出身から【地獄の料理人】とも呼ばれている。
その彼は、魔族の少女の攻撃を一度受けただけで彼の相棒である重剣を叩き折られてしまう。
「なっ……!?」
驚いたのは庇われたナタリアだ。魔族の少女の攻撃を防いだルイス自身は受けた手が痺れていることから驚く暇も与えられずに目の前の少女の次の手をどうにか凌ぐために集中している。
「じゃあまぁっ!」
「ぐっ……っし……ぇふっ……」
幸か不幸か、狙われていたターゲットではないからという理由かは分からないがルイスを襲ったのは刃の如き爪ではなく、かち上げ気味の裏拳だった。痺れて使い物にならなくなっていた両腕でクロスガードしてそれを受けると、吹き飛ばされて地面に転がる。
(腕が……!)
そしてルイスは立ち上がろうとして両腕に走る痛みを遅れて感じ取る。それと同時に腕が全く動かないことも知り、彼がようやく首だけを起こして腕を見ると両腕が陥没していた。
「何て力だ……!」
すぐに弾き飛ばされたルイスに駆け寄って来たヒーラー、キサラが彼の傷の状態を見て驚愕の声を漏らした。治療を受けようとしていたルイスだが、自身では戦いのレベルについていけないであろうことを伝えると痛みを感じないようにさせるだけで済ませてキサラには戦線に戻るように告げた。
その直後、ルイスの胴体には風穴が開くことになる。その風穴から生えた凶悪な腕が引き抜かれると代わりに血液が湧き水の如く零れ落ち、彼は物言わぬ死体に変えられた。
「んっふっふっふ~……皆殺しだよん♪」
「何者だお前は……」
ルイスを貫いた腕に付着した血を払い、指先の血を舐めて笑う少女にナタリアは思わず問いかけた。すると思いがけないことに彼女はルイスを殺した時よりも一層楽し気に前のめりになって問い返してきた。
「聞きたい!?」
「あ、あぁ……」
「そんなに!? じゃあ仕方ないなぁ~あたしはねぇ、サリー! 次期クイーンだよ!」
嬉しそうに、愉しそうにそう告げる少女だが、聞いていた人間側からすればそれは驚愕の事実だった。魔王の復活。目の前の少女がそうであると言うのならば勇者の一時的な敗退などで争っている場合ではない。
しかし、何はともあれ今はこの場を脱すことを考える必要がある。目の前の少女の言うことが本当のことであるかどうかは不明だが、重要な情報を持ち帰るにも、ウエノ家と連携を図るにも生きていなければ実行することは出来ない。
ナタリアは、覚悟を決めた。
「ふぅ……」
「あれあれ? 時間稼ぎはもういいの? 何だか気合い入れたみたいだけど大して変わってないよ?」
(……これもお見通しか。だが、やらねばなるまい!)
決して覚られぬように行ったはずの状態変化だが目の前の存在には即時看破されてしまった。あまりに格が違うのだろうと最早苦笑するしかないその状況でナタリアは自身以外の部隊にハンドサインでネフィリスシアを連れて逃げるように命を下す。
(もう少しで掴めた幸せがあったのに……)
悔しいし、泣きたい気分だが王家として……そして騎士団長としての己の矜持に掛けてそれは出来ない相談だった。ナタリアは深く息を吐いて相手を睨みつける。
「あれ? みんな逃げちゃうの? この弱っちいお姉さんおいて? ねぇねぇ、あなた。置いてかれたみたいだよ~? 可哀想だねぇ」
憐憫の表情交じりに揶揄する少女だが、そこから一気に満開の笑みを咲かせて続けた。
「でも大丈夫。あたしのお腹の中でまた会えるからね!」
それはまったくもって悪いことをしているという感情の見当たらない無邪気な表情だった。その笑顔の敵にナタリアは裂帛の気合を込めて斬りかかる。
「おっそ~い! そんなだから置いて行かれるんだよ?」
そんな生き死にを賭け、全霊を以て行ったナタリアの攻撃は……苦も無く魔族の王女に真正面から受け止められた。
(ダメか……)
振り下ろした両手は剣を止めた腕とは逆の少女の手によって手首の辺りで掴まれ、びくともしない。失意の表情を隠し切れないナタリアを見てサリーと名乗った少女は邪悪な笑みと共にその口を人間の物とは異なる位置まで開き、振りかぶった。
「ぁん? ふぎゃっ!」
その間一髪。裂けた口の中に鋭い氷柱が生み出されるとナタリアを喰らおうとしたサリーの顔が苦痛に歪む。それが生み出した一瞬の隙にナタリアは窮地を脱した。
「痛い……」
相手が怯んだ一瞬の間に状況把握を行うナタリア。そしてその表情を再び歪めた。
(逃げろと言ったのに!)
視界に入ったのは逃がしたはずの馬車。そしてその御者台でこちらを見ていたネフィリスシアの姿だった。時を同じくしてサリーも食事を邪魔した不届き者を睨みつけている。
「怒った! 面倒そうだから後にしようと思ったけどあっちから先に食べちゃお!」
「ま……!」
待てとナタリアが言う前にサリーは不可視の速度でこの場を脱し、ナタリアが気付いた時には彼女は既にそれなりに離れた馬車の下にたどり着いていた。
そして響く金属音。ナタリアが一気に虚無感に襲われる中で彼女は違和感に気付く。
(金属音……?)
更に続く破砕音と宙を舞ったサリーを見て彼女は驚愕する。
「ネフィリスシア……?」
地上で空に舞い上がったサリーを見上げつつ睨むネフィリスシア。彼女は更に何か呟いたようでサリーの上空から氷塊が降り注いだ。




