40.北部戦役の決着
覚悟を決め、決戦のためにフェリルを見据えるウエノ家の4兄妹。対するフェリルは……
「む……ここで終いにするかの……」
戦闘終了の宣言をし、魔力を抑えた。急な行動にウエノ家の面々が攻撃を仕掛けるかどうか悩む間に彼女は告げる。
「流石に地響きが起きて気付いたじゃろうが……これ以上やれば母様が起きる。それは主らに絶望を与えることじゃが我にとってもまぁ、好ましい状況ではない」
「……だったら何だ? 大人しく引いてくれるとでもいうのか?」
「まぁそうじゃの。さっき、我に魔力が流されたのは気付いておるじゃろうから我に攻撃した場合、母様が起きるトリガーになるということは理解しておけ」
そんなことを言われても今死ぬか後で死ぬかであれば後で死ぬ方を選ぶため、フェリルに現時点で何らかの敵対意志が見られた場合には即座にフェリルへ総攻撃を仕掛けるつもりだ。
しかし、迸る魔力を抑えたフェリルから戦闘の意思は見受けられないため、相手が引いてくれるという言葉が真実である可能性もある。
(……出来れば、このまま引いてくれると嬉しいが……)
全体では勝利しているが、局地的に言えばまだわからない。特に、目の前の敵は予想をはるかに超える能力を有しておきながらまだ底が見えないのだ。
(それに、俺の予想が正しければこのまま戦って消耗すれば……)
「そこの小賢し気な小僧」
「……何だ?」
魔物たちの会話から想定する最悪の状況を脳裏によみがえらせつつロッシュがフェリルの出方を窺っていると彼女は魔力をしっかりと抑えて告げた。
「主、魔族が人間領に攻め入っているということは流石に察しておるようじゃが、どうかの?」
「だったらどうした? 少数の魔族どもが大軍を有す王国領に攻め入ったところですぐに鎮圧される。この地に来てる俺たちに影響はないぞ?」
「ん? 本当にそう思ってるのかの?」
フェリルの揶揄うような視線にロッシュは一瞬言葉に詰まってしまう。考えすぎかもしれない、この場には関係ないと思考を避けていた疑念が表層意識へと急浮上して警鐘を鳴らしてくる。
そんなロッシュに対してフェリルは一瞬、フミヤの方を見て愉快気に笑いつつ告げた。
「……少し前にそこの者には言ったが、魔族の信仰するモノは女神じゃ。そして、加護はその信仰先が有す属性に近しい者に授けられやすい……さて、主らが戦い続けた魔族の内、女性はどれほどいたのかの?」
「……その発言が、魔族の核は女であるという言葉が事実である証拠は?」
「ちょっと待っておれ……」
フェリルは胴の部分を梟の羽で覆われた状態にするとそれを逆立てて膨らませ、その中を探ってから古紙の巻物を取り出しロッシュに投げ渡した。
「ほれ、魔族が人間領に攻め入った際に我が主らを攻撃することを記した念書じゃ。我はよう知らんが王国の中枢にいた主らであればこの情報がどうであるかは分かるじゃろ?」
フーシェ、フミヤ、ココがフェリルから一切視線をそらさずに睨む中でロッシュはフェリルから渡された巻物を読み、思わず声を漏らした。
(メディシス、ラッツケンプ、元老院……馬鹿な、内容もさることながら、何故これほどまでに詳細な内部情報が……! まさか、人類の中に裏切り者が……?)
ロッシュが受け取った巻物には権力闘争によって内部で統制が取れていない状態に持って行くことに成功したという魔族側の優位を記し、助力を願う旨が印されていた。しかし、ロッシュが問題視したのはその情報の細かさだ。人間の中に入ってある程度生活し、噂話などにも神経を尖らさなければ理解できないであろう関係なども詳細に記されている。
(……まさか、あの勇者が連れている魔族か……?)
この巻物を見てロッシュが最初に疑ったのは人間領で唯一公式にその存在を認められている魔族の少女だった。勇者がいる場所について行くこと、また斥候という役割を担っており周囲には言えない情報収集が可能であることから一番最初に容疑者候補に挙がった。
「もう、よいかの? 返してもらおうか」
「……待ってくれ。これは王国に届けるべきものだ。譲ってくれないか?」
「ん? そこの肉を我のモノにしていいならばそれはくれてやるが……」
「………………流石に、肉親を売る真似は……」
それにしてはちょっと考える時間が長かった気がするが。フーシェはそう思った。それにしても何だか話が講和の方向にまとまりつつあるのを聞いてフーシェは口を挟むことを決める。
「おい、ロッシュ! 親父はこいつの所為で死んだんだぞ? 何和気藹々としてんだ! 敵討ちだろ!?」
「……先代の敵討ちのために俺らに危険を冒して死ねと? 俺たちだけじゃない。領民も巻き込むんだぞ? 少しは物事を考えて喋るんだな……!」
空気を読めない発言と内部で意見を分けるかのようなことを言い始めるフーシェに苛立ち、ロッシュは静かに怒りを込めて告げる。ロッシュとしては父親が死んだということ自体初耳で、何故死んだのかも分からない。
しかし、犠牲となっているのは自分たちの身内だけではない。騎士団ではより多くの犠牲者が今も生まれており、ウエノ家の未来を託されている側としてそれらの犠牲を蔑ろにすることは出来なかった。理性的に考えて、仇討のためだけに新たな犠牲を生むことは許されない。
ただ、感情としてフーシェは収まらないらしい。このまま放置すれば後々面倒なことに繋がりかねないため、ロッシュは引き下がらないし、フーシェも不満げなままだ。
そんな諍いの空気の中でフェリルはあっけらかんと告げる。
「ん? 主らの父なら我が蘇らせたぞ。命を代償として面妖な儀式を始めておったからの、その命を引き戻すことで中断させようと思うてな」
今は完全に塞がっている右手の傷を見せびらかすかのようにしてそう告げるフェリル。竜が自らの意思で流した血には癒しの力があるという伝説が一行の頭を過る。
「……っ! な、なんだよ!」
まさか敵に親の命を救われているとは思わずに糾弾してしまったことでフーシェは顔を赤くし、殊更声を大にして何か言おうとした。それに対してロッシュが事前に窘める。
「自分の間違いを認められずに振り上げた拳を降ろす先を無理矢理作ろうとしない方がいいぞ? 素直に謝罪しろ」
「……ぅぐ、すみませんでした……」
「別に謝られることでもないがの……まぁ、後でそこの小賢し気な人の子に怒られるがよい。では、さっさと撤退するかの……」
そう言うと、フェリルは自らの口の中に手を突っ込んで牙を引き抜いた。血が口の中から滴り落ちるがそれに対して今度は羽を大量に被せる。
「あー、痛いのぉ……まぁよい……『大地に蒔かれし竜の牙よ。再び命を宿し形を成せ。スパルトイ、ソーサリー、ソーサレス再構築』、『大地に描かれし覇者が血液より描かれし文様よ。風の象徴たる我が羽を贄として再び彼の者を呼び覚ませ。ハルピュイア、マジリアン、ジヴィー再構築』」
瞬間、地面が輝くとウエノ4兄妹の内、次男と末妹がもう見たくもない骸骨の塊とハーピーの姿がこの場に甦った。
「……そんな顔をする必要はないぞ? 今日はもう戦わずに帰るからの」
『次は、勝つ……覚えておけ……』
余裕の表情を作ろうとして引き攣った笑みになるココと苦虫を噛み潰したような顔になるロッシュ。そんなウエノ家一行を尻目にジヴィーとソーサレスに指示を出し終えたフェリルは告げる。
「人と魔の境界線は、あの川じゃ。これを越えぬ限りは挑発行為でもしなければ我らが出てくることはないじゃろ。あぁ、それからあそこの龍脈が通っておる山脈は死にたくなければ弄るでないぞ? 母様が起きても知らんからの?」
一方的に告げられていく停戦条件。しかし、ウエノ家からすれば開発すべき地帯はそれこそ膨大にあるということに加え、中央での問題に巻き込まれた場合は元の領地に戻ることが出来るかもしれないという感情からそれほどまでに問題には感じられなかった。
「それと、あまりに下級の魔物は我の管理外じゃから知らぬ。川を越えた魔物は勝手に殺せ」
「……わかった。詳しいことについては後々決めていきたいんだが……どう、連絡を取ればいい?」
「む? 後でか……面倒じゃのぉ。ジヴィーを送るとするか……」
ロッシュとフェリルの会話の間に魔物たちが潮が引くように森へと流れていく。その奥では人間が鬨の声を上げていた。
「……追撃してくる気かのぉ? 早速、境界線が破られ「フーシェ! ココ! 止めてこい!」……まぁ止めるならいいかの。では、後でジヴィーを送る」
「頼んだ……いや、頼みました」
一応終戦したということで敵としての接し方を改めるロッシュ。フェリルは鷹揚に頷くと早口で詠唱して瞬きの間にこの場から消えていた。
その直後、強烈な疲労感と魔力の使い過ぎによる虚脱感に襲われるフミヤとロッシュだが、兵をまとめるために速やかに行動に移るのだった。