35.意地
「ほ、ほ……消し飛んだわけではないじゃろうが……そこの、どうなったのか教えてくれんかの?」
クレーターの中に突っ込んだフェリルはそこに何もないことを受けて即座にその近くにいた人間を睨みつけた。常人では身動き一つ取ることが出来ない、金縛りにも似た重圧を受けてその人間……ウエノ ヒグラはふてぶてしく笑う。
「何、最近倅はちょいと働き過ぎだと思って休憩させてやろうと思ってな……あんたの相手は代わりに俺が受けてやるよ」
「ほ?」
彼は矛を構えてみせる。熟練者の構えであり、隙がないことは武芸の嗜みもないその辺にいる魔物から見ても分かるが、【賢き魔物】はそれを見て哄笑を上げる。
「ほほ、ほほほほほほ! 笑わせてくれるのぉ。人間が……調子に乗るなよ?」
瞬間、ヒグラはフェリルによって地面に叩きつけられ、受け身どころではない勢いによって生命活動を停止する。フェリルは口ほどにもないヒグラから手を離して足置きに変え、考えた。
(……? 術者が死んだのに出て来ない……?)
何らかの固有術式かと思ってフミヤが回復する前に追撃を入れるためにも目の前の存在を瞬殺したのにもかかわらず、フミヤの影も形もない。念のため、金の目でサーチし……
フェリルが意識を遠くに向けたその瞬間、彼女がいた場所をヒグラの矛が貫いた。
「ほ……? 何じゃ、まだ生きておったのか。なれば今度こそ死ね」
完全に生命活動を停止させたはずであるのに生きていたことを受けて攻撃を難なく躱したフェリルは少し首を傾げる。しかし、生きているのであらば殺し直すだけであると倒れたままのヒグラの頭蓋を踏み砕き、殺し直した。
そして念のために今度は蘇らないかどうか確かめ……苦い顔をして心臓を抜き手で貫く。
「……しぶとい奴じゃったわ……大した肉でもない癖にのぉ……ま、それがいい肉に遺伝されたことはいいことじゃが。さて、今度こそ……」
フェリルが再び意識を遠くに向けようとしたその瞬間、またもフェリルの頭目がけて矛が迫る。しかし今度は、避けきれなかった。
「くそ……これでもダメか……」
フェリルの頬に僅かに掠った矛先を見て失意を隠し切れないヒグラ。彼の老いた身体能力ではフェリルにかすり傷を与えることが精いっぱいだった。ただ、フェリルの方もダメージは受けていないがヒグラが普通ではないと感じ取ったようで首を傾げる。
「何じゃぁ? お前は……もうよい。貴様は後回しで……」
「そういえば言ってなかったな……俺を殺さなきゃ、フミヤはウエノの真なる力を身に着けて、お前を殺しに来るぞ……」
「……ほ?」
ヒグラの声に、彼を後回しにして未だに押し切れていない前線を薙ぎ倒すことを優先しようとしたフェリルの足が止まる。そんなフェリルを見てヒグラは笑った。
「……この儀式を行うには大量の死による現世と冥界の接近が必要でな……神話の頃より生きるあんたなら、ウエノ……いや、この世界に起きた真なる魔王の伝説は聞いたことがあるだろ? それから、それを倒した勇者王の話も……」
フェリルの眼に一瞬の間ながら剣呑な光が灯る。しかし、それでも彼女は口元に笑みを浮かべながら否定してみせた。彼女には確信があったのだ。真魔王と勇者王の話を正確に知っている人間などいないということを。
「ほ、人間側に都合の良い脚色が為されたアレがどうかしたのかの?」
「ウエノ家は、あの勇者王の末裔だ……!」
一瞬の静寂。周囲の喧騒の中でレベルの違う戦いをしていたフェリルがもたらしたその沈黙だがそれは他でもないフェリルの笑い声によって破られた。
「ほー! ほー! この土壇場で笑わせてくれるのぉ! いきなり騙るか! 人の子よ! ん? まだ大人になり切れておらぬのか? 遅れて来た英雄病かの⁉」
「……俺の能力は水。加護は沫那藝神、司る権能は泡沫「もうよい黙れ」」
揶揄うような口調から急に冷たい顔になったフェリルから発された水の槍がヒグラを貫き絶命させる。しかし、今度のヒグラはノータイムで蘇り、余裕の笑みを浮かべてお返しにフェリルを嘲った。
「水面に浮かぶ沫を消したいと石を投げ入れるのは無駄なこと。新たな泡が生まれるだけだ」
「付き合いきれぬが、主を残して前線に向かい、妙な噂でも流されるとなれば士気と統率に影響するからの……水面を消せぬならば水底まで消してくれる!」
灼熱の炎を身に纏う溶岩魔人がフェリルより生み出され、ヒグラを取り囲んで潰し始める。それでも、ヒグラは笑っていた。
(……ククッ、この命で、この痛みだけで民も、臣下も、仲間たちも……そして何より家族全員救えるなら安いもんだ……)
死んだら生き返る。だがしかし、死ぬまでの痛みもあれば、蘇ることで感覚もリセットされて慣れることはない。そしてフェリルは殺すための手法としてあの手この手で責めてくる。それはまさに地獄の責め苦だ。
だからこそ、バレてはいけない。ヒグラにはフェリルに対してもうこれ以上、打つ手がないことを。全ての能力を込めてフミヤたちの保護をしており、ヒグラではどうしようもないのだ。だから、後を託すしかない。
(……ふっ、カッコつけてもこの程度しかできねぇ俺の背中なんざ誰も見てやしねぇが、それでいい。あいつらはもう、俺の背中はとっくの昔に超えてるからな……こんな情けねぇ親で悪い……後は任せた……)
絶え間なく攻め来るフェリルにもはや意識を絶え絶えにしながらそれでも余裕の表情を無理矢理作り、ヒグラは彼の役目が終わるまで耐え続ける。
「起きなよ」
「っ、は!」
意識を失っていたフミヤは我を取り戻した瞬間に迫り来ていたはずの脅威に対して迎撃に出る。炎翼の一撃。しかしそれは苦笑した男が手を翳しただけで大量の水蒸気へと変貌した。
「なっ……お前は⁉」
「……一応、君のご先祖様だよ」
彼はそう言って手を顔に翳す。すると、彼の顔はフミヤの自宅にある肖像画そっくりに老け、一応その肖像画の表情そっくりになってみせた。
「まぁ、こんな感じで真面目な顔してたけど……」
顔が変わったことで声すら変わった彼だが、再び手を翳すとフミヤが意識を取り戻した時の若々しい顔へと変貌し、笑顔を見せた。
「本来はそんな堅苦しいの苦手だから……気楽にね」
「……はい」
現状がよくわからない。そして、情報源は目の前の男しかいない。この状況で一刻も早く戦場に戻るにはフミヤは相手の言うことに従わざるを得なかった。
「それで、ここは……」
「うん? 君のお父さんが命を懸けて作った代替わりの式場だ。火と雷、それから水……おっと、噂をすれば」
「フミヤ! お前がいたのか! ここはどこなんだ⁉ おぅわ、何だ敵か⁉ こいつを倒せば!」
「……やれやれ。落ち着きのない……」
現れるなり騒々しいフミヤの兄、フーシェを見て溜息をついて襲い掛かって来た彼を軽くあしらう男。その振る舞いを見てフミヤは驚いた。
「強い……」
「まぁ、一応借り物の力だけど……神様の加護を少し貰ってるから……」
あまり嬉しそうではない、というよりも後ろめたそうな仄暗い笑みを浮かべる男。彼は少し離れたフミヤには聞こえない声量で何か呟くと襲い掛かって来たフーシェを縛り上げ、フミヤの前に転がす。
「君から説明してあげて。そっちの方が早そうだから」
そう言われてもフミヤも事情を呑み込めていない。仕方がないので話している間に空いてからも説明を加えてもらえるということを願いつつわかる範囲で説明を開始するのだった。