13.15年前のやり取り
突然現れた黒髪の男の子。ナタリアが取ろうとした行動は悲鳴を上げることだったが、彼女にとって幸か不幸か、その日はいつもより喉が痛く、へばりつくような感じだったため叫ぼうとして酷く咳き込んでしまうだけだった。
「大丈夫……じゃないよね? 治すから動かないでね?」
「お、おみず……」
「これ? はい」
酷くしゃがれた声で不審者である男の子に助けを求めることになってしまうナタリア。しかし、この一連の行動のお蔭でナタリアが持っていた警戒心というのは少しだけ薄れた。
そこで、ナタリアは目の前の少年が一体誰なのかについて尋ねてみることにする。病魔に侵されている頭で話すにしても通報するにしても自己紹介を受けてからでも遅くはないだろうという悠長な判断をしたからだ。
「あなた、だぁれ……?」
「俺? ん~……どうしよっかな……」
名前を問われたフミヤは少し考えた。ここで名前を言うと父親に怒られる可能性。しかしこれから勇者になろうとしている自分がそんなしょぼい冒険の幕開けでいいのかということについてだ。
「……誰にも内緒だよ?」
結果として選んだのは折衷案。一応名乗り、そして父親にバレないように秘密とすることだ。フミヤの子どもの考えに幼いナタリアは熱で仄かに赤い顔を上下に動かしてフミヤに応える。
「うん」
「俺、勇者なんだ……ウエノ フミヤ、覚えてた方がいいよ」
宝物の在り処を話すようにひっそりと、そして誇らしげに告げたフミヤ。それに対してナタリアはぼんやりした頭の中からウエノと言う名を聞き取って勇者というワードにつなげる。
「ほんと……?」
「そう! だから、今からその……なんて言うんだろ? とにかく治すね! 『正しく秩序付ける聖なる火の主よ、天則に従い彼の者の乱れを正し給え、【アシャ・エーテル】』」
室内に温かな炎が舞い、ナタリアの頭と胸、そして腹部の身体に触れない位置で回り始めて何かを吸い上げて燃える。黒い靄のようなものが吸い込まれ、光の粒子が周囲に舞うその様は神聖な儀式を思わせる荘厳なものだが、その術者は雰囲気に対して全く興味を示していなかった。
「どう? 凄いでしょ」
「……すごい。のど、いたくなくなったもん」
お医者さんでも治せなかったのに。そう呟くナタリアにフミヤは更に得意げになる。
「ふふーん! そうだろ。……あ、でも俺が治したってことは今は内緒な? 最近、父さん機嫌悪いから余計なことしたってバレたら怒られるんだよ……」
「え? 勇者なのに?」
「……何だよ。馬鹿にしてんの?」
病魔が抜けてきたことで生来の活発さが戻り始めたナタリアに痛いところを突かれて幼い勇者は不機嫌になる。そんな彼を見てナタリアは彼女にとって本物のヒーローであったのに変なところで弱さを見せるギャップに何となく笑顔になった。
「んふふ……馬鹿になんてしてないよー」
「してるだろその顔! せっかく人が助けに来たのに……」
「してないってばー私はちゃんとフミヤが勇者って思ってるって!」
「……勇者だと思ってるのに呼び捨てだし、絶対思ってない……」
挙句の果てに不貞腐れ始めた彼女の小さな勇者にナタリアはそう言えば自分が誰なのかきちんと言っていなかったなと思って大分元気になり始めた体を起こし、元気だった時に教わった通りの作法に則って名乗りを上げた。
「王女を蝕む脅威を退けたこと誠に感謝するぞ勇者、ウエノ フミヤよ。我が名、キングスエン・パル・ナタリアの名において汝が勇者であることを認めよう」
「……王様の名前勝手に使ったら不敬罪で…………え?」
そう言えば、ここは王城だったなということを今更ながら思い出すフミヤ。彼の思考は秘密基地を作ろうとしていたところで何かの陰謀を暴く冒険譚に移動しており、ここに来た理由などについては完全に空の彼方へ向かっていたのだ。
「ふふーん! 4番目だけど、本物の王族だよ? フミヤが勇者でも呼び捨てしていいってわかった⁉」
「え~……証拠あるの?」
「そうだなぁ……あ! じゃあ、明日未来の勇者様宛に私の病気を治してくれたお礼を父様から送ってもらうっていうのはどう? 分かりやすいでしょ?」
フミヤの発言にちょっとした悪戯心を湧き起こしたナタリアが小悪魔めいた笑みを浮かべるがフミヤの方は難色を示す。理由は、単純なものだ。
「さっき秘密って言ったじゃん……そんなことしたら説教から逃げてたのバレる……」
「えー? 大丈夫だよ、褒められるって!」
「褒められはするかもしれないけどさぁ……それはそれとして怒られるのが面倒くさい。ん~よし決めた。ナタリアが本物の王女様かどうかはどうでもいいや」
「え~? 本物の王女なのに……」
フミヤの判断に不満げなナタリア。しかしフミヤの方はこの話は終わりということで元の冒険譚の話に頭を戻した。
「それでなんだけどさ、ナタリア。病気って思ってたそれなんだけど……驚くかもしれないけど毒のせいなんだよそれ」
「えー? 嘘」
「本当本当、庭の植え込みの中に光が全く当たらない場所があるからそこを調べてもらったらすぐに分かるよ……すぐにかどうかは知らないけど」
フミヤの言葉にナタリアは恐怖した。まだ幼いナタリアには自分を苦しめる人がいて、それが誰かもわからないという恐怖を抑えることは出来なかったのだ。ましてや犯人が王城内にいて今現在も自分を殺そうとしているところで声を上げるなど出来そうにない。身の危険を感じ、人の悪意に触れたナタリアの目は次第に潤み始めた。
「やだぁ……こわいよぉ……」
「……! そうだな! ここは勇者の役目だった! お姫様を助けるのは俺の役目だ! ナタリアは俺が絶対に守ってやるから!」
怯えるナタリアを何とか泣き止ませようとフミヤはナタリアの分まで元気を見せる。そんなフミヤを見ていたナタリアはフミヤをじっと見て尋ねた。
「……フミヤ、私のこと、守ってくれるの……?」
「任せて!」
「ホントに?」
「うん。」
「絶対?」
何だこいつしつこいな。フミヤは内心ではそう思ったがとりあえず約束したことは守るとナタリアの問いに頷いておく。ナタリアが元気になるのが目に見えて分かるから一先ずは大体のことに同意しておくべきだろう。
(勇者ってのも、楽じゃないんだなぁ……)
皆に元気をあげる存在だとウエノ家の初代の奥さんが書いていた半絵本仕立て、ウエノ家の領地では漫画と呼ばれるそれの叙事詩にあったのでフミヤはナタリアを元気づけるために聞き逃せないこと以外は適当に頷いておく。正直、どうせ忘れてるだろう程度の認識だ。それよりそろそろ帰ってもいい頃なので子兎を派遣して退路の確保と拠点の確認を行う方に忙しい。
「じゃあ、フミヤは私の勇者になってくれるの……?」
そのため、これくらいのナタリアの質問は適当に流されていた。
「しょ、将来のこととかは……」
「それは勇者になってからじゃないと分からないし、割と父さんたちが決めるから……」
「むー……何で急に真面目に返すの……」
質問の流れでは一緒になるとかそういう類の話の流れでしょ? と拗ねるナタリア。フミヤは急に不機嫌になってどうしたんだろうと思ったが、【アシャ・エーテル】の炎も消えたことだしそろそろ暇乞いの時間だと気にしないことにした。
「じゃあ、また明日からよろしく!」
「……うん。明日からも、ちゃんと来てね? よろしくね?」
フミヤはそう言って塔から飛び降りて飛んで逃げた。塔の中で一人だけ残されたナタリアだが、彼女はもう自分一人ではないとにへーっと笑い、誰が来るかわからない中で怪しまれることがないように仮病を使い始める。
しかし、その軟禁生活はフミヤの暗躍によって暗殺者が炙り出されてすぐに幕を下ろすことになりナタリアは晴れて自由の身になってから……
……勇者が帰還してウエノ家の衰退が始まることになるのだった。