ウエノ フミヤという男
その日は朝から比較的に暖かく、寒い朝にあまり強くない俺でもすんなり起きることが出来る陽気だった。独り身の侘しくも広い部屋の大きなベッドから身を起こすと時間を確認。そして嫌な顔をする。
「……はぁ。」
時刻は5時少し前。外が白みかかり始まるくらいの時間だ。しかし、俺は仕事の準備に取り掛かる。まずはベッドから出ることだ。
比較的に暖かいとはいえ、寒い時期。寝具から出るのは躊躇われるがそれでも遅刻は許されないので意を決して寝室から出た。
目指すは洗面所だ。
顔を洗い、歯を磨く。見慣れている鏡の中の自分。同世代からどう見ても10代後半の学生と評され、若作りの魔法をかけているのではないかと疑われている俺の顔を変な所がないか鏡で確認し、髭を西洋剃刀でそりにかかる。元々あってないようなものと感じるほど薄いが、身だしなみとしてやっておくのだ。
それが終わるとミディアム程度の長さになっている俺の一族特有の黒髪を少し立てるようにセットし、軽く香水を振りまいておく。あまり好きではないのだが、職場ではそれなりに人気だ。
「……あー……ド畜生め……」
しかし人気だからと言ってモテるわけではない24歳。結婚適齢期終了をすぐそこに控えた俺は鏡の向こうにいる自分に悪態をついて洗面所を後にした。
そして向かうのは台所。職場から貰った物と前日の内に炊いておいた白米を食卓に準備すると無言で精霊鏡をつけ今日の天候を確認しながら咀嚼を開始。ついでに時刻と精霊たちの興味を引いた人間の話題を確認する。
そろそろ出かける時間だ。タキシードに身を包み、着替えを済ませると俺は俺の物でもない高級魔導車のコアに魔力を流して職場―――メディシス家のお屋敷へと向かった。
目的地に着くとマジックカーを所定の位置に止め、顔馴染みの門番の下へ足早に移動し、平安貴族の寝殿造りを思わせる広い屋敷の門の前でいつものように挨拶を交わした。
「おはようございます。ウエノです。」
顔馴染みになっているとはいえ門番には一応チェックを受ける。そしてチェックが終わると軽く今朝のニュースなどについての世間話を交えそれも終わると門を開いてもらい中に入る。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
流れ作業のようにメイドや家令の人たちに挨拶を交わしていくと俺は最終目的地であるドアの前に着いた。
少し強めに重厚なドアを4度ノックする。いつものことだが返事はない。
「お嬢様。」
声をかけてもまだ起きていないのは知っている。しかし、様式美という奴だ。もしかすれば起きているかもしれないといった希望もある。
「……失礼します。」
このまま外にいるだけでは永遠に埒が明かないので部屋の中に入り、扉を閉める。他の者がお嬢様と二人きりになるのは許されていないのだが、俺だけ別扱いらしい。触れれば即解雇という事実は変わらないのだが。
そんなどうでもいいことを考えながら豪奢なベッドだけが設えてある部屋の中を少し進むと毛布が規則正しく動いていた。
「お嬢様。お目覚め下さい。」
触れれば解雇なので声をかけるがお嬢様は起きない。毎回毎回この人は俺に何を求めているのか知らないが…
やっぱりこう言わないと起きないのか……
「ネフィお嬢様。」
使えるべき人の愛称を呼ぶという間違えてもやってはいけないことをし、なるべく親しげに声をかけると規則的な動きが一度止まり、大きく動いた。
「……ん……」
「ネフィお嬢様。学校の時間ですよ。」
「ん……」
まだ眠そうにはしているもののネフィリスシアお嬢様は上体を起こしになった。
いつも怜悧な目は朝の時点においては眠気によって随分と和らいでいる。しかし、その美貌は見る者の目を奪うであろう。
「はぁ……っあぁ……お早う。」
「お早うございますお嬢様。」
「ん。」
伸びをして俺を認めると軽い挨拶をされて、ベッドから降りられる。ここから先に俺は不要だ。すぐに外に出てメイドを呼び、入れ替わる。
出た後はお嬢様が学園へ向かう準備ができるまで特別に何かすることはない。表面上は真面目な顔をして思考を別の場所に飛ばす。
(……あ~今日はサロンの日だったな……あれには未だに慣れないな……ウチの領土での影響がなければ話は別だったんだろうが……)
今日の予定をなぞるとサロンが午後にあるようだった。衰退しつつある末端貴族のウエノ家である俺は非常に肩身が狭いが拒否権がある訳も無くお嬢様の側に控えるだけだ。
そして、居心地が悪いだけならまだいいのかもしれないが、俺にはウエノ家という非常に独特な領土で暮らしていた一般感覚がある。それは遥か昔に流れ者であるご先祖様が箔付けのためか、ド田舎ではなく異世界から来たとか騙り、ディティールに拘って日本とかいう変な環境を作り、基本的には皆平等という変な家風で過ごしていたことで形成された迷惑な感覚だ。
そして、異常なまでに鍛えるという風土。外に出るまで誰も違和感を覚えずに能力を育成したことに因る周囲とのズレ。
その感覚がサロンに俺を馴染ませないし、俺の人生にも大きく影響を及ぼした。
具体的なことはもうほとんど覚えていないが、ウエノ家に三男として生を受けた後、俺は這えば立て、立てば歩け、歩ければ走れ、そして空を飛べと無茶な注文を熟しまくりすぐに強くなった。その後、ご先祖様の英雄譚を聞いて成り上がるぞ! と色々やる気を出した。
炎と雷の魔法の才があったことから魔族と闘い成り上がるためにそれを伸ばし、近接戦にも対応できるように体術など本当に頑張った。この時点であれば俺の故郷の風土のままで俺も幸せに暮らせたのだろう。
しかし、俺が成人する前に魔族との大戦は終了。
俺の力は無駄になった。しかも、武門の出であるはずの父は功を立てられず大戦によって功を得た人物たちに爵位を与えるため降格されウチは衰退。
神童扱いだった俺だが、所詮戦闘に関してだけだ。俺の戦闘に対してだけ偏った知識では衰退する家をどうすることもできなかった。
そしてそんな俺が出来る手段として政略結婚があった。しかし、故郷の感覚、20過ぎてから30歳までに結婚できればいいんじゃね? という感覚のままの俺は15歳という結婚適齢期を迎えてもまだ子どもとしか思われずに結婚を避け、奉公に出ることになる。
そして24になったが……故郷の感覚では今から本腰を入れて結婚を考える年齢だというのに、現在住んでいる地域では行き遅れに近い……いや、完全に行き遅れの年齢だという。
幼少期に訓練ばかりしていた俺はこちらの世界の感覚に馴染めないのでもう行き遅れは独身のままでいいか……そう諦めた。
「フミヤ。」
そんな今から軽く死ぬのか? と思える走馬灯のような自分の人生の振り返りをしているとお嬢様の準備は済んだようだ。
これからお付きとしての一日が始まる。