9(取り違え)
「あの、」全員が顔を上げて自分を見た。声がかすれて、恥ずかしく思った。「あの子はいいんですか?」
伯父が係員に一言二言囁いた。母を挟んですぐ隣にいた父がそっと離れ、佳奈子の横に立ち、「いいんだ」佳奈子の手を握り、小さな声でひどくそっけなく云った。係員は何事もなかったかのように頭蓋のてっぺんを壺の中に静かに置いて収骨の終わりを告げた。
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食卓にちょこんと座っているちっちゃな女の子。妹のことを思うと、決まって見えるのがあの一瞬なんだ。
「美紗子は?」兄貴が云った。僕は「そこにいる」って応えかけた。けれども兄貴が口にしたのは「美紗子」であり、だからこの子は「亜希子」で確定した。叔父さんが歯型を取り違えた。叔母さんのお守りが逆だった。兄貴と最後に呑んだ晩のこと。「もしかしたら」なんて今更、云い出しやがった。「間違えたかもしれない」だなんて。バカバカしい。はっきりしたことは何もない。全てが推測の域を出ない。分らないなら、無いのと一緒だ。
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「どうしたって〝美紗子〟は連れて行かれたと思う」ソファーに浅く座り直し、和彦伯父は云った。「マチコばちゃんも分っていたと思う。それでも何もせずにいられなかったんだろうね。大分経って意趣返しされたってこぼしていたが、さぁてどうだろう。本人がそう思うのなら、きっとそうなんだろう。僕に分っていることは、偶然が重なることは全くないわけでない。清濁併せ呑むとは違うだろうけど、どんな家でも大なり小なり何かしらあるものじゃないかな」伯父は窓の外に視線を向ける。「ウチの場合は今日で終わりだ」ひとりごとのように云って、「来世が本当に在るのなら、あっちもそう悪いことでもないと思うよ。随分経ってしまったけれども、美紗子のことは本当の昔話になる。問題は難しくない。悲しくないと云えば嘘になる。悔しいし、運が悪かったとかそんな言葉で片づけたくはない。けれども生きていれば、どうしようもないことってのは沢山ある。とどのつまり、自分の気持ちの在り方次第なんだ」
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葬儀から暫くの後、伯父の和彦から荷物が届いた。佳奈子が帰りのバスで少女の姿を見なかったことに思い当たるのは帰宅してからだった。伯父の言は一部は正しく、一部は正しくない。佳奈子は少女の歯並びに気付いていた。ただ、自分のそれと違うのは可愛らしく見えたこと。少女の口元からこぼれて見えた八重歯は存外似合っていた。皆がやっきになって並びをブラケットとワイヤーで治そうとするのを滑稽に感じ、羨ましく思わなかったわけではない。
荷物の中身は不格好で不揃いの枇杷の実だった。出遅れて数は少ないが、と前書きに続き、「出来は悪くないはずだ。なにしろ鳥たちが存分に愉しんでいたのだから」
分量を均等にすべく、台所で姉とふたりで皮を剥いていると、「枇杷の花言葉って知ってる?」唐突に姉が云った。「あなたに打ち明ける」まな板の上で剥いたばかりのそれを包丁で半分にした。
「曽祖叔母」佳奈子が云う。「曾お婆ちゃんの妹はそう云うんだって」
「ふうん」
家族四人で鮮やかな黄橙色の果肉を楽しんだ。母の目が潤んでいるのを佳奈子は見たが、つとめて明るく、贈り物を喜んでみせた。
─了─