4(糸切り歯)
叔父夫婦には子がおらず、だから帰省するとふたりして姉の子供たちをことさら可愛がった。診療時間後に検診をして、歯型を取る。
「成長の記録だよ」
石膏取りしたそれを受付そばのガラス棚に並べていた。まるでトロフィー。四人分のむき出しの歯が並ぶ。時間外で明かりも落ちて、たとい診療所でも不気味に思えた。
「矯正が必要になるかも」叔父は云った。
それを聞いて母は暫し迷う。「口を開けて」
あーん。
「よく分からない」
叔父は紙にペンでマルを半円状に並べて描き、「こっちが前歯。一番」左上のマルをペン先で指し、「ここ。四番に押されて三番が歪んでる。このままだと二番が巻き添えになるかな」
「今、決めないといけない?」
「成長期だから特に注意した方がいいよ。抜歯の必要もあるかもしれない」
「あんたじゃダメなの? 頼めない?」
叔父は首を振る。「矯正はやってないんだ。近所で探したがいい。長丁場になるし」
「知り合い、いる?」
「調べておくよ。誰か近くで開業してるかもしれない」
叔父は丁寧な性分で、それは仕事でも同じであったが経営には直結しなかった。後年、小さな診療所は畳まざるを得なくなる。同時に、それまで連れ添った妻と離縁した。
「この三番って八重歯って云うんでしょ?」
姪の言葉に、叔父は首を振って微笑む。「八重歯ってのは重なった歯のことだよ。確かに三番に起き易いけどね。この場合、四番に押され、二番に阻まれ、三番は外側に出ちゃうかな。内側に入っちゃうこともある。いわゆるガチャ歯ってヤツだね」
「ならこの三番って、」
「犬歯」 叔父は自分の口に指を入れて頬を横に引っ張った。「ほら、尖ってるだろう?」
「糸切り歯とも云うわね」母が云う。
*
髪についた羽毛は払ったが、シャツの背にはフンがついていた。礼儀知らずの鳩のにおいが染みついた格好で帰宅すると、奥の自室から大叔母がちょうど出てきたところだった。
ふたりを見るや否や、「入るな!」鋭い一喝。片足が敷居を跨いだところだった。
いつもの大叔母でなかった。一歩も動かぬようにと厳しく云い残し、床板を鳴らして歩き去り、酒の一升瓶を抱えて戻ってきた。母も祖母も玄関口に姿を現し、娘たち同様、そんな大叔母に困惑していた。
大叔母は瓶を逆さにして真横に払った。酒が飛び散る。三和土を濡らした一本の黒い線は、子供たちを締め出すかのようだった。
午後の熱気に強い酒の匂いが混じる。大叔母はその場で子供たちに服を脱がせ、すっかり裸にすると今度は頭から酒を振りかけ、何度も塩水でうがいをさせては吐き出させ、舌と咽喉がピリピリして嘔吐き、ついに姉がしゃがみ込んで泣き出す段になって、やっと家の中に入ることを許した。直ぐに母がバスタオルで身体を包んでくれた。ふたりは暖かなショウガ湯を飲んで、風呂に連れられた。
大叔母は子供たちの服を手で触れぬように木の枝で引っかけ、庭先で用意した一斗缶に全てを入れると、マッチを擦って、放った。
風呂から上がると、大叔母は頭を垂れ、謝った。「怖い思いをさせて悪かった」
恐怖より、不快が勝った。
*
すっかり大きくなったね。最後に会ったのはこんなに小さかったのに。ウチの娘も生きていたら佳奈子ちゃんのひとつ上だね、中学生かぁ。月日ってのは加速するなぁ。
どうにも葬式ってのは嫌だね。やっぱり妻と娘を思い出してしまう。いや、いいんだ。過ぎたことには違いなんだから。今更何が出来ると云うのかってね。それとこれは別。儀式と云うか様式かな。あ、座りなよ。まだかかるからね、戻っても気疲れするばかりで退屈だろう? 俺も少しサボらせて貰うさ。