1(鬼に会った)
おにのはなし
母方の曽祖母の妹、真智子の葬儀のため家族四人、礼服と制服を着込んでタクシーに乗ったのは重たい雲が厚く覆う五月末のことだった。空港から地下鉄一本、駅前のホテルで慌ただしく着替えてのことだった。土日で執り行われるのは幸いだったが、中学一年、初めての中間テストを目前にして佳奈子は出かけに少し渋った。先日、締め直した歯列矯正のワイヤーの所為もある。助手席の父は行き先である斎場を母から説明させ、硬い表情のまま一言も発していない。後部座席真ん中に座らされ、右隣に座る姉の美奈子は、高校進学に併せて買い替えて貰ったスマートフォンを無言でずっと指先で繰っていた。左隣に座る母もまた、窓枠にもたれかかり、外の風景をぼんやり流れるままにしていた。佳奈子は俯き紺色のスカートについた白い糸くずを取る。本でも持ってくれば良かったと思う。
母の実家を訪れたのは数えるほどもない。両親が、と云うより母が距離を置いているのは何となく感じていた。祖父母が先に鬼籍に入ったこともあろう。その家は、今や母の兄である伯父の和彦がひとり、住んでいる。父方に親戚は無く、だから親族や従兄弟、伯父伯母だなんて疑うこともないが実感は薄い。
その昔、姉が消えた。
祖父母と大叔母の住む家へ母に連れられ行ったのは、決まって夏だった。父は仕事の都合で妻と娘たちを送り届け、一泊した翌朝早くに帰った。
生垣に囲われた広い庭と瓦屋根の木造平屋。黒くなった床板と茶色い畳。花柄の壁紙で囲まれたトイレ、冷たいタイル敷きの風呂場。夏草の青い匂い、蝉の鳴き声。虫刺されにキンカンを塗られ、重くて太い扇風機の風に当てる。夜は時々、薮蚊の羽音に悩まされた。母屋そばには枇杷の木があり、毎年、大叔母がその実を送ってきた。ある年、早くに起こされて蝉の脱皮を見せられた。真っ白でしわしわで、気持ち悪くも奇妙で、じりじりとしてなかなか飛び立たないのを目を擦りながら観察した。取り立てて感動はなかったが、物珍しい経験をさせてくれた大叔母に礼を云った。
自分と同じく大叔母もやがてひとつ繰り上がる。いつしか季節は届く黄橙色の実で数えていた。小さかった娘たちもその実を好んだ。数年後の初夏、彼女は自室を出て直ぐのところで倒れているのが見つかる。枇杷の木は変わらず実を付ける。枝についたままのそれを鳥たちが啄ばむ。
例年になく暑い夏だった。実家に帰った気楽さで母はゆったりした服で呑気に過ごし、時には祖母と共に娘たちを連れて街に出た。洋服を買ってもらった。本屋に連れていってもらった。ひとしきり買い物を終えた後は、休憩がてらに飲食街の軽食店に寄る。姉も自分も、ソフトクリームが好きだった。
別の日には仕事の休みに合わせ、大叔母が久方ぶりに会う子供たちを様々なところへと連れ出した。遊園地。動物園。海にも行った。
けれどもそれは毎日のことじゃない。午前中に宿題を片づけ、お昼にソーメンを食べ、午後は大叔母の所有する沢山ある漫画本を読ませてもらったり、昼寝をしたり、スイカを切ったり。そうしてやっと陽が傾いて、晩ご飯になる。盆の準備も子供たちがすることは殆どない。電気式の提灯を組み立てるくらいだ。火袋の中で模様の入ったアルミ筒が回転する面白い提灯だった。大人たちは仏壇を拭いて、線香や蝋燭を準備をする。その日が来れば迎え火を焚き、子供たちは浴衣姿になって近くの護国神社の灯籠を見に行く筈だった。
鬼に会ったのは陽炎のような午後だった。