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静かな廊下を赤銅の男、ギースが歩いている。
足音も無く歩くその顔はまるで表情が抜け落ちたかのような「無」だ。
感情が無いわけではない。
自分の中に流れるものに支配されないようにしているだけだ。
眠れない程の頭の痛みも関係ない。ただ下された命令を遂行するのみ。
どの国も喉から手が出る程深淵の森の資材を欲しているのに、意味の無い話し合いが長引いたのは単純な理由でしかない。
収穫も確約されておらず、死ぬかもしれない任務に自国の先鋭を使いたくないだけ。
だが、出さなければ出さないで収穫があった場合それを平等に配当されるかは分からない。横取りされる可能性が高い。自主的に他国が調査すると言うのであれば援助くらいはしても良い。
そんな思惑があっただろうが、それももう終わる。
彼の主君は各国から先鋭達を出す約束を取り付けるだろう。平等に、公平に。
「ギース」
自分の部下達の中で今回の任務に適しているだろう人物を頭の中で出していた男に掛けられる声があった。
振り返ると、古くからの友人でありバドルデレ帝国第一王子ヴォルフリートが立っていた。
陽の光を受け、彼が持つ色彩に薄暗い廊下が明るくなったのは気のせいではないだろう。
彼がそこにいるだけで、どこであってもまるで舞踏会のように華やぐのだ。
「ヴォルフ、王子が共も付けずに待ち伏せか。」
何日も前から彼がこちらの様子を窺っていたのは知っているが、それにしても早い登場だ。
「私も連れて行ってくれ。」
ギースの皮肉をものともせずに言う。
彼はあれこれと難しく考えがちで交渉術にも長けているが、感情はいつも真っすぐだ。
「駄目だ。」
そんな彼を、わざわざ危険を伴う場所に連れて行く理由もない。
「…と、言うと思って、既に許可は得ている。許可証はこれだ。」
そう言って見せたのは確かに国王陛下の直筆の署名がされた協力調査許可証だ。
ご丁寧に王子直々の騎士団を動かす事も許可されている。
「陛下は元々深淵の森へ調査団を派遣する事を決めていた。お前が意見しなくても、行く事になっていただろう。そして、私がお前についていく事を直談判するという事も見込んで、最初からこれを用意していた。私も、陛下が許可して下さるだろうと思ってはいたけどね。」
美しい顔立ちに浮かべる微笑みは絵画の様だが、まさしく彼とこの国の主君は血が繋がった親子だ。
「あの森にはただの魔物だけじゃない。ヴァンシーもいるんだ、死ぬかもしれないぞ。」
「そうなればそこまでだったと陛下も思っているのだろう。私に何かあったとしても、ベルフェゴールもいるしな。」
ヴォルフリートは優秀な男だ。だが、ワイト国に留学している弟であるベルフェゴールは神童と言われている天才だ。
幸い、兄弟の仲は非常に良いが、派閥を作らんとする人間も一定数以上はいる。そして、それを放置している国王陛下は自分の後継者になる人間に対して生まれの早さではなく、優秀さを重要視する厳しい人間だった。
「そうなったらお前の元以外に就こうと考えていない俺は職を失う事になる。」
いくらヴォルフリート本人が優秀であり国民から絶大な人気があると言っても、賢王と名高い国王陛下と神童と崇められているベルフェゴールに囲まれ、消化しきれない感情を抱いている事も分かっていた。
今回のこれは、その反動であると言えるのだろう。
「ははっ、…そうならないように頑張るさ。」
ギースの珍しい軽口に笑ったヴォルフリートは幾分明るさを取り戻して答えた。
目の前の軍神と恐れられている男がここまで言ってくれているのだ。
「その為に誰を連れて行くのか、私の部隊の編成を相談したい。」
自らの我儘で志願したのであれば自分の身をしっかり守り、任務を成功させなければならない。
ヴォルフリートは再び歩き出したギースの隣に並び、先程のギースと同じように自身が所有する騎士団の名簿を頭に浮かべた。
まだ山には雪が残っているマルリ月2-3日、6か国それぞれが出した先鋭部隊が調査団として深淵の森へ入っていった。
総勢120名余り。
当初10フィートの範囲のみで行われるはずだったその調査は、一部のテイハレム国とドルテアナ国の者の独断と反乱により森の中心部近くへ歩を進めた事で犠牲者が出る結果となる。
国の判断では無いにせよ、テイハレム国とドルテアナ国の責任は大きかった。
そして、独断者の捕縛だけではなく他国の先鋭達を指揮し最小限の犠牲でその場を収めたバドルデレ帝国最高軍司ギース・レンツァルトが、今後の深淵の森に関する調査及び資源回収の責任者となる事が決まる。
それは、100年続いた平等とされた6か国の均衡が崩れた出来事となったのであった。