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それはまさに誰もが思う悪夢だった。
ヴァンシーは決して森の中から出てこない訳では無い。
どこかの村が壊滅した話も、どこかの国がヴァンシーを討った話も聞く。
それでもまるで自然災害のようなヴァンシーの気紛れに人間達や他の種族が対抗できたのは、単にヴァンシーの種族的特徴に救われている事が大きい。
ヴァンシーは、複数で行動する事が無い。
1匹以上がその場に居合わせた場合必ずと言っていいほど共食いに発展するのだ。
理由は解明されてはいないが、戦いを好み常に強者への興味しか無い事が要因なのか。
1匹のヴァンシーであれば、犠牲を払い何とか退く事も出来ていた。
だが、目の前に広がる光景は今まで見た事がない地獄絵図だった。
何故なら、複数のヴァンシー達が住民を蹂躙しているからだ。
たった一瞬。
光が現れたかと思えばそれが赤い剣となり空を埋め尽くした。
そして、国を覆う魔障壁も何百何千という剣を前に壊され、残った剣が防壁を貫き、つい先程まで普段と変わらない日常を営んでた住民達に降り注いたのだ。
運良く剣に倒れなかった者たちが紅い影に頭や胴体を声もなく潰された時、ようやくそれがヴァンシーの攻撃だった事に住民の大半が気がついた。
それからは平和だった街は一変し、悲鳴なのか怒号なのか分からない叫び声、それとは反対に狂ったような笑い声が街中に響いている。
「動ける者は怪我人を連れて直ぐに城内へ向かえ!」
逃げ惑う住民にギースが叫ぶ。
城にはかつてのスタンピードを避けるために、初代国王であるファウストと多くの魔術師が発動した防壁が今現在でも残っており、非常事態の際には住民達を避難させる為の場所ともされている。
城に掛けられた防壁より薄いとは言え、国全体にも防壁はある。
それを一瞬で破壊するヴァンシーの攻撃にどれだけ耐えられるかは分からないが、ただ街中で逃げ惑うより少しはマシである事を願うばかりだ。
…3…いや、4匹か…
ヴァンシーと対峙した事がない訳では無い。だがあくまでも対1匹ずつでの話だ。
今までに無い厳しい状況にギースは思わず舌打ちをした。
城には転移魔法用の陣があるが、発動に時間が掛かる上に大きな魔力を食うため1日に何度も使える物ではない。
住民達には悪いが、ヴォルフやべフルベーズを逃す事を優先することになるだろう。
死地になるであろう濃密な魔力が流れているその場所に向かっていたその時、ヒヤリとする殺気が首元を撫でた。
首を傾けその場所に自分の愛刀を抜いたのは、今までの戦場での経験から来る咄嗟の行動であると言って良い。
その咄嗟の行動が無ければ愛刀で受け止めた紅い刃に間違いなく首を落とされていただろう。
「おぉ〜ぃ、今の普通防ぐかぁ?」
直ぐに後ろに距離を取り、紅い爪を伸ばした男の姿をしたヴァンシーと対峙する。
逆立った髪、目、肌にびっしりと生えた鱗は燃えるような深紅だ。
「人間にも中々の奴がいるんだな。…クク、こりゃ退屈しないで済みそうだ。」
そう言いながら雄のヴァンシーは攻撃してきたのとは反対の爪に刺さっている物を口に含んだ。
よく見なくてもそれが何か理解する。
「んぁ?あぁ、これはさっき俺に剣を向けてきた馬鹿な人間達の目ん玉だ。本当は餓鬼の目ん玉の方が柔らかくて好きなんだがな。」
ギースの視線の先を理解した雄のヴァンシーは笑いながらまた一つ爪に刺した目玉を食べる。
「まぁ、餓鬼の目玉は後の楽しみにしておくが…その前に、お前を喰ってやるよ!」
一気に距離を縮めたヴァンシーの爪が再びギースを襲う。
人間の剣が自身の硬い鱗を通すはずがない。
今までがそうだったからだ。
雄のヴァンシーは、一拍後には目の前の男の心臓を突き刺していると少しも疑わなかった。
「…ぁ?」
だが、心臓を突き刺されているのは目の前の男ではなく自分である事を理解した次の瞬間、自身の中に流れ込んだ膨大な他人の魔力によって、粉々に体が吹き飛んだのであった。
飛び散った肉片をギースが冷たい目で見下ろす。
「相手の力量を計れないのでは、人間のゴロツキとそう大差ない。」
恐らくこのヴァンシーはまだ若かったのであろう。
そこまでの魔力を有していない上に、愚かにも自分が負ける訳が無い疑っていなかった。
その証拠にろくに魔力を使っていなかったのがその証拠であり、雄のヴァンシーの敗因である。
どうやらヴァンシーの中で離れていたのは今の1匹だけのようだ。
ギースは顔に飛んだ血を拭い、残りのヴァンシーがいるであろう目的の場所へと再び向かった。
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ザクと別れてから、歩きながら街の様子を確認してみるけど、何ともひどい有様だな。
家は勿論ボロボロだし、そこかしこに剣を受けて死んだ人間の残骸が散らばっている。
それでもこの国の人間達はすごいなぁ。一般人とは思えない統一された動きで城の中に逃げていったよ。
散らばっている人間達も最初の方の攻撃を受けたものが殆どじゃないかな。
あ、また空に剣が現れた。
「もー、鬱陶しいなぁ。」
降ってきた紅い剣を防壁で防ぐ。
定期的に攻撃してくるけど、街中にはもう殆ど人間いないんだっての。
ヴァンシーは基本的に力が全ての脳筋が多いから、頭が良いやつを見た事がないんだよね。(私は脳筋じゃないから!)
「あ…。」
何かを踏んだと思ったら、ぐちゃぐちゃになったバングだった。
そうか、ここは最初に来た屋台の場所だ。
よく見渡さないと分からないくらい跡形もない。
人間達がたくさん集まっていたから街の中でも集中して狙われたのかもね。
あんなにたくさん美味しいお店があったのになぁ。
4匹いたヴァンシー達はいつの間にか3匹になっている。
一番魔力が少ない個体が消えたみたいだけど、それでも倒したのはすごいね。
残りの3匹は固まって行動しているみたい。
動き回っていると言うよりは一箇所に留まって何かを待ちながら攻撃を仕掛けているみたいな…。
その3匹がいる周辺に現れては消える沢山の魔力があるから、多分人間達が応戦しているんだろう。
離れていた若い1匹ならまだしも、中々魔力が強い3匹だとなると殺すのは難しいだろうな。
ーーっ、
ーー〜〜、
ん?なんか、聞こえる?
〜〜〜、〜、
3匹のヴァンシーの所へ行こうかと思ったんだけど、どこからか小さな声…と言うか唸りが聞こえる。
ここら辺には生きている人間はいないはずだけど。
辺りを見回して微かに聞こえる音を追う。
「んー?ここかな?って、瓦礫の山じゃん。」
ーーうう…
あ、でもやっぱりここから聞こえるね。
大きな瓦礫を片手で持ち上げてどかしていく。全然違うけど少し宝探し気分もあったり。
ーーぐ、ぁ、…
「あ、お前生きてたんだね。」
一際大きな瓦礫をどかした下から出てきたのはバングを売っていた男だった。
腕の中には庇うように娘と言っていた若い女がいる。
「ぅぅ…た…すけ…。」
「えぇー?でもお前気づいてる?腹から下が無いから助からないよ。」
と言うより良くその状態で今まで生きていたな。男の下半身は千切れていて、多分まだ瓦礫の中。
内臓が出ちゃっている。
槍
剣が直接当たっていないから即死にならなかったけど、それが良かったのか悪かったのか。
「この…子を…、た、す…。」
「ん?自分じゃなくて、その女を?」
残念ながら腕の中に庇われているように見える女も男と同じ状態なんだけどな。
「マル、リ…、この子を…、…」
うわ言のように血を吐きながら男が言う。
男の涙を浮かべた目は段々と虚になってきているから、きっとあと少しで死ぬんだろう。
下半身が無いコイツらが生きられる方法なんか無い。
せめて苦しまないように殺してあげるのが良い。
“普通”ならね。
「お前、運が良いね。殺さないって約束してあげた後だったし。」
バング美味しかったし。
意識を集中させる。
皮膚、肉、骨、血管、細胞
あるべきものを失った場所にあるはずのものがあるように。
「う、うっぐぁ、あ!」
ギチギチと形成されていくソレに男が苦しげな悲鳴をあげる。
うんうん、だいぶ痛いだろうね。
一般的な治癒魔法では失った物を戻す事はできない。
私がしていることは、治癒では無く「増殖」の応用だ。
ヴァンシーが自由自在に爪を伸ばせるのは何故か。意識もせずできている事を突き詰めた結果、失ったものを全く元の状態に戻す事ができるようになった。
(ちなみに私は生まれたてのお腹ペコペコの時に回復を持ったドラゴンを美味しく食べたから、好きに体を修復できちゃう!)
まぁ、あくまでも元が無いと出来ないんだけどね。
しばらく集中した後目を開けると、そこには無くなったはずの腹から下が戻った男がいた。
よし、よかった。
変な風に生えなくて安心!
そのまま腕の中の女にも同様に魔力を向ける。
あくまでも死んだ者を蘇させる訳ではないから、死んでたら体は戻っても生き返らないんだけどね。
服も元には戻らないから…うん、治って良かったけど何とも言えない感じになっちゃったな。
あ、何かの屋台の瓦礫にボロボロだけど布があったからそれを引っ張り出して2人に掛けてあげる。
私優しいね!
「…う…ん…、俺は…?」
「あ、起きた?」
痛みで少し失神していたらしい男が起きたみたい。
「あんた…っ、マルリ!!あぁ…マルリ、マルリ!!」
不思議そうに私を見た後、すぐに腕の中の女に呼びかける。
「んー、お!その女も生きてるみたいだね。まだ気は失っているみたいだけど、その内目を覚ますと思うよ。」
「どう言うことだ…?俺は…マルリを庇ったが、そのまま建物に押し潰されて…。俺も、マルリも、とてもじゃ無いが…。」
「うん、下半身が無くなってたよ!でも治したから。…あ、服までは直せなかったから布はどかさないほうが良いよ〜。」
信じられないかのように自分の足を撫でているけど嘘じゃないから!
「あ、あんたは…あんたは一体何者なんだ…?国の魔術師様か?」
驚きの中に希望と少しの恐れを抱いているように言う男の言葉に笑いが出る。
魔術師様?何とも可愛いじゃんか。
助けた私は救いの魔術師で、アイツらは化け物。
同じヴァンシーなのにね。
私を見ていた男がその目を見開く。
一瞬前にあった人間の姿は消え、今は本来の姿だ。
この姿に、希望を見出すことは出来るのかな?
「その目…その鱗…ヴァンシーなの、か…?」
「うん。お前達をこんな状況にした化け物と同じ。ヴァンシーだよ。…とは言っても街を襲った奴らは知らないヴァンシーだけどね。」
街を襲うヴァンシーと自分を助けたヴァンシー。
男は混乱しているのだろう、その顔に恐怖はなく困惑ばかりがある。
「な、なぜヴァンシーが…。」
「だって約束したでしょ。“殺さないようにする”って。お前のバングは美味しかったし、また食べても良いかなって思っただけだよ。」
運が良いね。
そう笑って立ち上がった。
「さてと!少し油を売りすぎちゃったから行かなきゃ〜。」
「ど、どこに?」
「ふふふ、グンシンサマの元に、だよ。」
私が2人を治している間にヴァンシー達がいるであろう場所に入ってきた魔力。
離れていても分かるそれは今もなお無くなることはなく、それどころか燃え盛る炎のようだ。
それでも3匹相手にどれだけ応戦できるかは分からない。
さてと。
いよいよヴァンシー狩りといこうじゃないか。