第一章 05. シンボリックなお茶会
帽子屋さんが登場します。
一年に一回だけ正しい時刻を示す時計と、一日に二回正しい時刻を示す時計とでは、どちらの方がよい時計だろうか? (そんなの答えは決まってる!)
「その娘は、誰だい?」
色素の薄い唇から、感情と呼べるものが一切含まれていない声が零れた。
「………いえ、その………」
絶句する。ええと……なんて言えばいい?
「"帽子屋"。彼女が、今回の―――"アリス"、です」
凍りつくほど美しい夜空の色の瞳が、ほんのわずか、見開かれる。って、また『今回の?』
「そうか」
あっさりと納得すると、その"帽子屋"さんはゆっくりと席を立ち、私の前まで来て突然深々と礼をした。シルクハットをとると、艶やかな黒髪が零れた。まばゆい陽光をきらめかせた、漆黒―――いや、深い深い紺青のような鮮やかな夜の色の髪。白兎ほどではないものの、ウェービーな髪質。人形のように無表情なその端正な顔は白く、髪との対比が鮮烈だ。
「我らが"アリス"。不思議の国へ、ようこそ」
突然のお嬢様扱いに戸惑いまくった私は、しどろもどろで視線をさ迷わせ最終的に「はあ、どうも……」などと情けない言葉を口にすることとなった。
「彼は、"帽子屋"―――クロシェです。見かけはそのう、アレですが、とてもいい人です」
アレってなんだ、アレって。
そう言われ、私は帽子屋―――クロシェを見つめる。
黒の燕尾服をきっちりと着こなした美青年だった。肩までのウェーブした黒髪とその服は非常にマッチしているがしかし、燕尾服は似合えばいいというものではない。ていうか動きにくい。ご丁寧に、胸ポケットにはアイロンの効いた白いハンカチーフまで整えてある。
さて、どうする。白兎よりはまともそうな外見をしているけれど(まず変な耳がない)、こんなところでティーパーティを開いて……開いてるんだよね? 開いてるような変人、否奇人に頼れるのだろうか。というかそれ以前に助けを求めても大丈夫なのだろうか。
見かけとしては、白兎より若干背が高い印象がある。大人びた顔立ちの所為かもしれないが、優美に組まれた足の長さや、座高から言って、恐らく隣の白兎よりは、高い、と思う。しかし、なんというか、白手袋をはめた手はいかにも繊細そうに長い指をしていて、労働などしたことがないような貴族のような手だ。一抹、いや二抹の不安。
あまり彼の面差しを観察していなかったような気がして、私は表情を読み取ろうと帽子屋さんの顔をよく見る。
ふと、違和感。
まるで、人形のような無表情。
確かに、薄っすらと紅みの差された唇も、白桃の表面のような肌理の細かい肌も、わずかにウェーブした黒髪も、勿論人間だ。けれど、どこか現実味がない。体温も匂いも、まったく感じられないように思えて、その陶器のように綺麗な白手袋につままれた取っ手のティーカップも、白磁のティーセットも、おとぎ話みたいに愛らしいティーパーティだって、まるで現実離れしていた。
現に、目の前にあるのにね。
自分に内心でそう言うと、夢だって素直に楽しめない自分の心に悲しくなる。猜疑心に満ちた心は、人を笑顔にさせることはできないのに。
と、自己嫌悪にうっかり陥ってしまっていたら、すっ、と彼は、その右手を挙げた。
「生憎と、他の二人は席を外しているが―――よかったら、参加しないか」
白いクロスのかけられたテーブルを示し、わずかに首を傾げる。「他の二人」が誰を指すのかよく分からないが、やっぱりティーパーティを独り淋しく開いていたらしい。隣に立った白兎が、首をことんと無邪気そうに傾ける。
「どうします、アリス? 女王様なら口八丁手八丁でどうとでも誤魔化せますが」
「お前、誤魔化しきれたことは一度もないだろう」
無情にも、白兎のせいいっぱいの提案に水を差す帽子屋。あ、クロシェさんだっけ?
「でも……」
不安げな眼差しで、私の方を見遣る。っておい、そんな眼で私を見るな。
私はしばし思案する。ここで参加するといえば、逃げるチャンスが増える。しかし、逃げたところで何になるというのか。
見る限り、帽子屋さんは私に危害を加えそうな様子はない。二人きりになったらどうかは分からないけれど、そう疑ってばかりではきりがない。
「ここにはまた来よう。せっかくのお誘い、申し訳ないけれど」
「いや、気にしていない。白兎、寿命が伸びたじゃないか」
「ま、まだ殺されるとは決まってませんよぅ!」
「もう午後三時二十六秒前だ」
「うぞっ」
あまりの驚愕に濁音化した台詞を叫びつつ、白兎は懐中時計を取りだした。
「とか会話している時点で既に十七秒経過しているが」
「ぎゃああああ!」
殺されるかのような悲鳴を上げて(あ、本当に殺られるのか)、白兎は右往左往し始める、かと思いきや、私をがばっと抱え上げ――――思いっきりジャンプした。
「な、何よいきなり! 下ろせ! 今すぐ下ろせ!」
私がわめいた瞬間、真剣な表情で私の顔を覗き込む白兎。思わず、息を飲む。
「ダメです! 貴女僕のジャンプについてこれますか!?」
「無理」「なら大人しくしていてください!」
そうはいってもお姫様だっこって、膝と背の二点に体重がかかっているから意外とキツいんですが。しかも、耳元で風を切る音が響くし、頬に冷たい風が当たる。怖くて、眼は開けられなかった。
――――二秒くらいしか、経っていなかったような気がする―――私は、急激に高度が下がる時の、内臓が浮き上がる様な吐き気がする感覚を一瞬だけ味わって、続けて軽い衝撃が伝わる。
「口を閉じていてください、舌を噛みます」
言われなくても口を開きはしない。というか恐怖で開けるかこの野郎。
覚悟を決める間もなく、もう一度私は浮き上がった。
数秒―――恐らくもう三時になったのだろうが、今度は先程よりも長い距離を跳躍したらしく、着地した白兎はさっきよりも深く身体を沈めた。器用に関節のバネで衝撃を吸収したらしい。さすがウサギ。
「…………………………」
吐きそう。
「アッ、アリス! 大丈夫ですか、大丈夫ですかぁ!?」
「ありす――――――――ッ!!」
「だ、だからだいじょ……うっ」
――――やっぱり、身体には動揺が残っていたらしい。いつもなら、絶対にこんなことで体調を崩したりしないのに。
「も、もうすぐお城ですから! ここからは歩いていきましょ、ね?」
もうどうせ三時は過ぎてしまいましたし、と慰める白兎。うん、それならお前の首が落とされることを祈ろうか。
よし、毒舌が出てくるくらいには回復した。私は腰を上げると、白兎の方は見なかったが、頷いて見せた。
しかし、一度城に入ってしまった場合、容易に出られるとは思えない。それは、監禁とまではいかないだろうが、監視はつくだろう。そうなったら、帰ることが格段に難しくなる。
「…………嫌だなぁ」
これ以上、私の脳を乱さないでほしい。
「その……」
声をかけたら、「はい?」と、まあなんというか異様に弾んだ声と共に白兎が身体ごとこちらを向く、いやあの、そんな反応されても……。
「えっと、……お城に行ったら、私……」
口ごもったら、突然白兎が足を踏み出す。思わず一歩下がってしまう。「心配しないでくださいっ」うん、なんか笑顔が無邪気で引いてしまうくらいなんですが……。
「アリスはこの世界の客人です! あなたが望めばなんでもするし、あなたが願えばなにもしません! あなたが心配することなんて、何もないです! ですから、行きましょう? 城へ」
お城? 思い出すのはでんでんでんとウェディングケーキのように積み重なった建物と、オプションで金色の魚の付いた、東洋の城である。もう城なんて死んでるら城、違ったシンデレラ城しか思いつかないんですけど悪いですか。
とりあえず洋風の城を思い出せ、私。アレだ、フランスのアレだ、ベルサイユ。ベル薔薇。
自らに暗示をかけていた私に、白兎は非常にムカつく視線を送ってくる。捨てられた仔猫を見る眼差し………おい。
こちらからもじとっとした視線を送っていたら、彼は早々に視線を胸ポケットから取り出した懐中時計に移し、ため息をひとつついてそれを同じポケットに戻した。
「今日は特別ですので、裏門から入ります。普段、けして表門には近付かないようにしてくださいね?」
「………なんで?」
「おいおい説明します」
今しろよ!
叫ぼうとした私の声は、喉の奥に飲み込まれた。
壮大な――繊細な。
黒い、蔓草のような門。
刺々しくて、美しい門。
綺麗だ。
夜を切り取ったような、黒い門。結構大きいが、これが裏門らしい。
いつ辿りついていたのだろう。森の梢に隠れて見えなかったのだろうか。
思わず目を奪われた私をおいて、白兎はその門に手をかける。
鉄が軋む音を響かせて、―――扉は、開かれた。
紅の薔薇園。
艶やかな、翠。
鮮やかな、華。
「さあ、――――行きましょう。アリス」
招かれた、客。
私は、広大な庭園に、足を踏み出す。
迷い込んだ、少女―――――
一寸先は闇。
一歩先は×××。
真っ白な蝶が、私の横をひらりと舞った。
タイトルのシンボリックっていうのは、このお茶会のシーン、何気なくこの不思議の国のきらびやかさの裏の空虚な感じを表わしてみたからです。えっと、あの、分かりませんよね、すいません(-_-;)
作中の帽子屋さんの容姿は、とりあえず俺的にこんなん(仮ですが
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お気に召さなかったら言ってください、すぐ変えます……ていうか自分天パ好き過ぎだろ
ノートに鉛筆落書きなので閲覧注意、です(-_-;)