第一章 03. ブラックホールでアリスがおめざめ
テスト終わったので久々の投稿デス。相変わらず行き当たりばったりのgdgd文章……。
尚、作中で「白兎」の容姿について事細かに解説していますが、もし皆さんこの容姿が気に入らないのでしたら速攻で変えますので、感想などでお気軽に。
落ちる。
堕ちる墜ちる。
ちるおちるちるおちるおちるまいおちる。
朽ちる散る落ちる。
翅を捥がれた蝶々の様に――――
「うをォおををォォぉぇぇェァぁああアぁあアアっ!?」
まあ素晴らしい叫び声。
ああそうとも、私の二つ名は人間アンプリファイアーだ。窓ガラスが共鳴する程度の轟音ならば喉から出せる。自慢にならないが肺活量もある。
結果として―――
「にゃああっあアアあアああァいいイイィぇあああああっ!」
ああ耳が痛い。声帯は随意筋ではなかったのか。コントロールできない。
もしかして天国とかで「あなたの最期の言葉を確認させていただきます」とか言われてこんなの再生されたらどうしよう。まず間違いなく恥ずか死ぬ。いやもう死んでるんだけど。
さて、どうしたものだろうか。先程から私はかなりの距離を落ち続けている。かれこれ三時間前後は落ち続けているんじゃないだろうか。
なぜそんな時間が経っているのに私がパニックに陥っていないかというとなんのことはない、私は落下途中うとうとしていたからである。
ええと、空気抵抗を考えない場合三時間落ち続けるとなると―――
脳内で計算の歯車が回転する。
――――約五十七万千五百三十六㎞落ちている。
因みに、地球の直径は約一万二千㎞だ。
…………あれ? 計算が合わないゾ?
気持ち悪い。似合わない言葉遣いなどするもんじゃなかった。
ついでに補足すると、地球から月までの距離は約三十八万kmだ。私は脳内のそのデータを聞き流す。
きっと途轍もない空気抵抗があって、私の落ち方がおっそろしくのろいのだうんきっとそうに違いない。はい解決。
ふと、うつらうつらとうたかたに意識が持って行かれそうになった。驚いて両頬をはたく。眼は覚めたが、びっくりだ。こんな死の間際に、呑気に寝ている余裕が自分にあるなんて。
嗚 呼 。
唐突に理解した。
死ぬのだ。
私は、 こんなに呆気なく。
ばかみたいな理由で。 穴に落ちて。
十六年の人生の終わりがこれか――――
この私の。
末路か。
だんだん空間に光が満ちてきた。月光のようにあえかなそれを頼りに眼を凝らすと、どうも直径四mほどの円筒形の本棚の内部を落ちているような状況らしい。
周囲を取り巻く本棚が、恐ろしいスピードで上へ流れていく。この様子だと、先程の空気抵抗云々の仮説はまるで見当外れのようだ。このまま減速せず地に叩きつけられたら、恐らく痛みなど感じる間もなく脳が潰れるだろう。
私は柘榴という果実の割れたものを見たことがないから、例の伝統的な形容がどれほど正確なのかは分からないが、きっと誰かが私の墜死体を発見した時、その形容詞を思い浮かべるに違いはあるまい。
まあ、いいか。
十六年。それが短いのか長いのかは解らない。尺度は曖昧で、一瞬のうちに常識は融けて茫洋と薄れていく。
私に残された時間はあと何分だろう。地に激突する瞬間、何か痛みはあるんだろうか。あったとしても、すぐに終わるならば、そう恐れることはない。前兆はあるんだろうか、唐突に衝撃が訪れて、それで私は死ぬんだろうか。解らない。わからない。
姉さん、ごめんね。
帰ったら寄るって言ったのに。
ごめんね、ごめんね、ごめんなさい。許してなんて言えないよ。
でももう遅いんだ。
脳裏に浮かぶ姉の顔が、急速に薄れ消えていく。待って、どうして、私を残して消えていかないで。
私は恐らく仰向けの状態で、もう取り返せない破片をつかもうとするかのように空に手を伸ばす。けれど重力は私を引き寄せる、視界がぼやけて、暖かい何かが上空に取り残されるように、まるで私の記憶と共に消えていくように、私の涙は水晶のような粒になって散らばっていく。
風が冷たい。今までに経験したことのない、全身の何処にも地が触れていないという感覚が永らく続いているせいか、私の神経はだんだんと麻痺してきた。
と、こつっとか音を立てて、私の手に何かが触れた。
それを手にとってみると『マーマレード』と書かれたラヴェルが貼ってあるジャムの瓶。しかし中身は空。何のこっちゃ。
腹の足しにもなりゃしない、と、私は落ちながら上手い具合に本棚の隙間にその瓶をひょいとのっけておいた。棚に手をかけるなんてことはもうしない。この落下速度をたかが片腕で止められるはずはないし、なまじ止められたところで、ぶら下がった状態で出来ることは残されていないからだ。数十万kmをよじ登る体力なんて無い。
……ん?
今の件、どっかで見たような。というか読んだような。
「あ、れ?」
聞き覚え、というか読み覚えのあるこのシチュエーションに、私の頭がすうっとクールダウンする。
これは、もしかして――――
「もしかしなくてもそうだよッ!」
突然頭部に激突しかけた金の如雨露を払い飛ばし、私は声も限りに絶叫した。
これじゃまるであの有名な物語だ。詳しい話は覚えてないけど、断片だけなら思い出せる、そう、これはかの有名な――――――――
「ゆ、床ぁぁぁぁぁぁっ!?」
赤、黒。チェス盤のような正方形を組み合わせた円形の床が目前に迫る。くるり、と空中で体が一回転する時の、頭部に一瞬だけ重心が移る独特の感覚があって、私の両足は軽い衝撃と共に赤いマスに降り立った。
がくん、と視界が揺れ、慌てて眼をきつく瞑る。殆ど衝撃がなく、かえって奇妙だ。まるで鉄棒から下りたときのよう。平衡感覚が元に戻るのを待って、薄く瞼を上げる。
「―――ああん?」
喉から、我ながら非常に低い凄味の利いた声が出た。
目前には、深紅の瞳。
大きめの眼は、紅玉をはめ込んだガラス玉のように白眼の部分も青く透き通り、人形より精巧。
白人という言葉の意味を初めて理解できたというような白皙に、氷色の銀の絹絲。男性にしては少々長めと思われるその髪の合間からは、二つの―――
「……耳、どこで買いました?」
ウサ耳男に向かってそう言うと、余程私のその台詞が応えたのかそれとも別の要因か、ぴょこっと耳を揺らして―――あれこれ本物なのか―――視線を少しさ迷わせた。
糊の効いた真っ白なシャツの立て襟に届くか届かないかの銀髪が、どこからか分からない光にきらめく。色素が薄い金髪なのかと思ったがそうではない。どれほど目を凝らしても色彩は見えない、純粋な銀髪。くるりとカールしたサイドヘアと真っ直ぐな前髪の対比が愉快だ。その前髪の下で、ガラス玉のような赤色の瞳が濡れて宝石のように光る。
………まつげも白いのね。
私はしげしげとその容貌を観察した。髪に負けず劣らす白い、きめの細かい肌。無意識に自分と比べてしまい、若干落ち込んだ。鼻筋は通り、嫌みでないくらいに高い。大きなアーモンド形の眼の位置や薄い綺麗な形の唇の配置は、少し童顔といえるかもしれないが完璧で、有体に言えば美形だった。
「少し待ってくださいお嬢さん。私は怪しい者ではありません」
少しずつ距離をとっていたのがバレて、彼は一歩私の方へ踏み出した。うん近づくな。ウサ耳生やしといてなにが怪しくねーんだゴルア。言ってごらんお姉さん怒んないから。
「―――貴女は?」
唐突なその質問に、一瞬言葉に詰まる。
私は。
「私は―――私は、アリス」
そう、呼ばれていた。
「名前はアリス。でも、純粋な英国人じゃない。クォーターなんだよ」
蜂蜜色の髪も、群青の瞳も、本当の母からそっくり受け継いだ。けれど母は半分、極東の島国の血が流れていたらしい。私がどことなく、今の生活になじめないのはそのせいなのかもしれない。
純粋な血統である義母も、だから私を嫌うのだろう。
長い絹糸のような髪が嫌いだったが、切る暇がなく、伸ばしていた。おかげで腰ほどまでもある。眼は、二重のくせに吊った、奇妙なほどに青い瑠璃玉のよう。私の容姿はこんな様子。異様なほどに鮮烈な色彩が、私の外観を、人に印象付けるらしい。誰もが、私の髪を、目を、人形のようと言う。
人形のように、冷たく、凄烈な色だと。
春に咲く薄紅の薔薇のような姉とは、何もかも違う。冷たくて硬い、夜の雰囲気を色濃く纏った、私は愛を持たない少女だ。
なのに。
「アリス――――アリスですね」
微笑みながらそう言う青年――――その笑顔の殺傷能力の高さったらなかった。もしも私が普通の女子だったなら一瞬で撃沈されていただろう。だがあいにく私は普通の女子ではない。悲しいけどない。ないったらない。ってこれさっきも思ったよな。
――――――あれ。
この青年は、さっき、私の名前を呼んだのではなかったか。
微笑した口元がわずかに動いたのを見てとり、意識を集中させる。「やはり」という風に動いた気がしたが、正しくはどうだったのだろう。考える間もなく、次の質問が繰り出された。
「アリスは、どうしてここへ――――」
「貴様を追いかけて、穴に落ちた」
いっそ開き直った私の台詞に、青年の笑みが引き攣る。「貴様って……」と呟く。いやでも貴様ってさ、字面だけ見ると相手敬っているとも考えられなくないかな?
若干現実逃避にも近い思考を自覚しながら、私は眉を寄せてせいぜい強気で言い放つ。
「そもそも最初に貴様が私を呼んだんだから、仕方ないだろう」
「えっ?」
とぼけるな白々しい。貴様が「おいで」と無声音で言ったから追い掛けてしまったんじゃないか。しかもその後「なんで追いかけてきてくれないんですか」とかなんとか―――思い出すだにイラっとくる。責任とって賠償金とか払ってくれないものだろうか?
「そうですか。では、この世界の住人ではないのですね?」
「そういうことになるな。――――この世界?」
答えてから、気付いた。いや、世界って、くくりでかくね? 国ってんなら分かるけど。だってこいつの髪白いし。どこの国の人だろう。あ、いや、脱色?
私は思わず目を細める。なんだろう、違和感がある。白髪だからとか、赤い瞳だからだとか、そういうことではない。なんだか、そう――――――――屋敷の庭で、私を問い詰めた人とは、違う感じがあるのだ。まさか双子ではないだろうけど。
まるで、なにかに操られているような。
「では、改めて――――」
あら。自己紹介かしら。
「ようこそアリス、不思議の国へ」
わんだーらんど。
ワンダーランド。
Wonder rand. 違った、Wonder land.
そんな国、地球上にあったか? 無い。自問自答。
Wonder land. ――――不思議の国。
そんなことよりも、この展開。私の理性はとっくに理解している筈だ。ただ、感情が認めたくないと騒いでいるだけで。こんなに理性と感情が乖離した事態が今まであっただろうか、いやない(反語)。
「私は『案内人』、"白兎"のラビです」
「そのまんまな名前だな」
言った瞬間、白兎の表情がビシッと凍りついた。あれ、地雷踏んだ?
まずい、落ち着け私。表情は動いていない筈だが、頬が熱い。どくどくと速い速度で鼓動を刻む心臓は、運動量に見合わない血液を全身に拍出している。そうよ私、落ち着け。忘れていたがこいつは変質者だ、頭の上の耳を見ろ。変質者を刺激しちゃいけないんだ。
「貴女は――――"アリス"。それが"役"」
私に聞かせようとしているわけではない、まるで自分に問いかける、確認するかのような口調。独り言?
間を保たせるために問う。
「此処はどこ?」
「不思議の国ですよ」
そんなことは訊いてない。此処はどんな世界だ、と訊いているんだ。
私は周囲を見渡す。
いつのまにか、闇は消えていた。緩慢に、波が引くように、穴の底の闇は、黒を浚って、代わりにあさやかな色彩の世界を描き出していた。どうして気付かなかったのだろう。降り注ぐ陽光は、先ほどまで私がリデル家の屋敷で浴びていたものと同じもののようだ。それに、少しだけほっとする。足元の柔らかな草地は、芝生のように手入れされたものでなく、自然の野だった。うつくしい新緑。なにひとつ非の打ちどころのない、光の世界だった。
私たちの周りを彩る木々が揺れて、梢を渡る風の音がする。それに混じり、鳥の啼声も聞こえた。
ここは、私のいた、あの家の庭じゃない。
要するに―――――
夢だ。
これは夢だ。
夢はいつか醒める。
アリスはやがて帰る。
その刻は、何時来るのだろうか?
いつしか私は、転がる真珠のように、殻の内で、この春の景色に飲み込まれている。
浮遊感。酩酊感。聴こえるのは青年の声。声。ことば。
客席も見えない真っ暗の舞台で、私たち二人だけが演じている。さあ青年のターンだ。
「ではアリス。案内しますから、城へ行きましょう」
「城?」
「ええ。女王陛下の"ハートの城"です」
ふむ。
「連れて行ってくれるのかな?」
「勿論です」
超絶美麗笑顔で頷く。
「さあ、行きましょう。―――"アリス"」
白手袋をはめた手が、優美な動きで持ち上げられる。私はその手を、
「いったたたたただだだッ!?」
思いっきり捻り上げて駆け出した。
手首の関節がズレる感覚がしたからしばらく悶絶するだろう。それくらいの代償は払って然るべきだ。
夢の世界―――不思議の国を、観光しなければ!
アリスは城へ行く前に、不思議の国を遊び尽くしている。だったら私だってそのくらいいいじゃない!
真紅の花。翡翠の森。青蒼の空! これを楽園と言わずなんという!
現実に戻ればただ過酷な日々が待っている私として―――神様がくれた休暇を楽しむべきだ!
………神様、ごめんなさい。
無論、私は自らの行為が現実逃避だと、自覚はしてました。
でも、そのときはそうしなきゃやってられなかったんです。
わけが分からない状況下で、とにかく、私は走った。靴越しに伝わる感触も髪をなぶる風も、まぼろしでも、ゆめでもなく、現実のもの。脳内は物語の断片が行き交う。全力疾走しているのだから、普段と同じ思考はできない。パズルのピースのようにちらつく、遠い昔に教えてもらったおとぎ話のストーリーを、なぞった。なぞりながら、走った。
時間に追われる白兎。三日月となぞなぞ。鴉と書き物机が似ている理由。白い花を赤く塗る理由。ファン・ファー・レと裁判。融ける鏡。喋る花。割れる卵。追いかける、アリス。
私は、走っている。
迫りくるなにかから、逃げるように。
ようこそアリス、不思議の国へ。
此処は不思議の世界。
其処は夢と幻の世界。
さあアリス、君は此処に来てしまった以上、
誰にも戻れず
誰にもなれない
誰にも代われず
誰にも帰れない
貴女はアリス
貴女がアリス
もう何処へも戻れない
そんな澄んだ夢のような
何も知らないひとり遊び
ようこそアリス、不思議の国へ。
さあ、遊戯をはじめよう。
愛に満ちたこの世界で。
『It is a start of a happy, pleasant tea party!』
―楽しい愉しい御茶会の始まりだ!―
「……あは」
小さな笑い声が、わずかに響いた。
「変わりませんね、アリス。昔のおてんば姫のままです」
その瞳は赤くて赤くて、その奥にまるで誰かがいるかのように、焔を宿して揺らめいた。
呼気に紛れてしまうかのような淡い声が、闇に融けた。
「さあ君、往こうじゃないか。愛しい君。世界が君を待っている。(ここからが、始まりだ)」
序章の白兎の台詞、登場しましたね(^_^;) いや、意外と早かった……




