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第一章 14. カルーセルの夢:Eternally merry-go-round

「………――――――――」



 静寂。



 青き山々の向こうに没しようとする夕焼けの最後のくれないを頬に受け、意思を宿した強い眼差しで、私を射抜く。陰影のついた表情はひどく硬く、真一文字に引き結ばれた唇は、先程の言葉など嘘のように閉ざされている。



 ――――――――今、私はなんと言われた?




 目の前の彼から言われた文章を何度も反芻し、そしてその意味する答えに辿りつく。



 私はそれに言葉を返すべく、口を開いた。

















「――――――――――ラビ、いつもに増して不愉快なツラだがどうした。ゴキブリでもいたか」



 頬杖をつき、冷たい印象の貌を上げたロザリオは、手元のやけに嵩張って存在感を主張する翼つきのペン、俗に言う羽根ペンの動きを止め、静かに開いた扉の隙間から滑りこんできたしもべに問いかけた。




「………わかってもらえなかったようです」

「あ?」

「そんな罰ゲームで女装してる男子が道端で突然オッサンにナンパされたみたいな声出さないでください……」「殺すぞテメェ」



 ラビの、彼の年齢から言えば少し幼げな造作の顔に悲愴な翳りが落ちる。伏せられた目は潤み、俯いた肩はわずかに震えている。


 床のタイルに視線を落としたまま、彼はつっかえつっかえ、言葉を絞り出し始めた。




「わ、私は、”白兎”です」「んなこた見れば分かる」「で、ですから、私は、かのじょを、あ、”アリス”を、」「簡潔に話せ行数稼ぎと思われる」「陛下は私に冷たすぎるとおもいます」





 突っ込む時だけ毅然と眼差しを上げたラビに、ロザリオは手からペンを離した。眼を机上から上げ、その真紅の瞳と、視線を合わせる。磨き上げたルビーのような瞳は、湖水のようにたたえられた水で、漣を立てているようだった。


 深紅の光彩を細め、ロザリオは真顔でラビの方へ身を向けた。


 訥々と語るラビの言葉が、静かな部屋に、零れ落ちる。




「わ、私は”白兎(キャラクター)”である以上、”アリス”を愛さずにいられることなんて、できません。きっと、私でなくとも無理でしょう。ですから、私は、たとえ返ってこなくとも、彼女(アリス)を愛そうと、心に決めていたんです」



 その昔、”白兎”となった、その日から。



 そう続け、彼は乱暴にシャツの袖で目元を擦った。表情を引き締め、淡々と、感情を抑えようと努めて、言葉を紡ぐ。



「”登場人物(キャラクター)”であっても、”アリス”に愛されるとは限らない、”アリス”は帰ってしまうもの、単なる客人であると―――――わかっています。わかっているからこそ、私たちは彼女を愛そうと思うのです。アリスがいなければこの世界はない。アリス=世界。だから、私たちは彼女を愛さずにはいられない。

 ですから、私は、その思いを伝えました。真っ直ぐに、簡潔に、伝わるように。私はあなたを愛する、と。


……でも、今回は、それがアリスの気に触れたらしくて」



 そこで、気丈に保っていた無表情の仮面が再度崩れる。また潤み始めた瞳で、「……………言われたんです」



「…………なんて」



 問うたロザリオに、ラビは一度、洟をすすってから答えた。





「――――――――――――『あのごめんなさい私そうゆうの生理的に無理で』って………うっ…うわあああああああああああああああああああああああああああああああ」





「……………………………………」



 堰を切ったように号泣しだしたラビを放置し、ロザリオはそのままのポージングで無言を貫いた。



「……………………………………」


「ひっ、うっ、ぐすっ、だって、だってええええええ大事なことは言わないとわからないって教えてもらったんですもおおおおおおおおおんんんんんんんんでもまさかこんな逢った当日に嫌われるなんてえええええええええええええええええあと一年ぼくはどうやって生きていけばいいんですかああああああああああああああああああくそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお鬱だあああああああああああああああああああああ死のu」「待て、それ以上言うと色々問題が発生するからやめろ。……………さて、」




 ビクトリアの滝の如く滂沱の涙を垂れ流すウサ耳男から視線を外し、ロザリオはどうあがいても引き攣ってしまう表情で考えた。え、ちょっと待ってなにこいつアホなの? なんで逢った当日からいきなりそんなこと口走ってんの? もうちょっと段階とか踏めないの、え、もしかしなくてもこいつ相当のバカなんじゃね、しかも確実に人生失敗するタイプの、と、そこまで一瞬の間に思考を巡らせてから、真顔を装ってまだ泣き続けるラビに向き直る、棒立ちで号泣するその姿に口の端がぴくっと引き攣ったが、平静を装って声をかける。「とりあえず落ち着け、ラビ。一人称も戻せ」



「う、わああん、うっ、ひん、ぐすっ、…ぐすっ」



 すん、すん、とまだ少し洟をすすってはいるが、正しく兎のように真っ赤になった瞼を瞬かせ、ラビはとりあえず泣くのをやめた。よしよし、言葉は通じるな、などと思いながら、ロザリオは彼女にしてはまだ優しげな声音をつくって問いかける。「大丈夫だ、たとえアリスが貴様を電波男だとおもったとて、今の段階ならまだドン引きされる程度でおさまる。嫌われはしないだろう、多分」

「引かれたって時点でもうアウトなんですうううううう」

「いや、引かれた程度なら、嫌われるよりはまだ挽回の余地はある。あると思う」

「いいえ、嫌いな人間を好きになるっていうパターンなんて王道中の王道じゃないですかあああああ引かれた方がむしろ難しいですよおおおおおおおおお」

「気を落とすな、それだって別に絶望的だってわけじゃないだろう、頑張れば大丈夫だ、大丈夫なはずだ。………………」



 ロザリオは、今までの”アリスゲーム”の文献から、彼を元気づけるようなデータがないか、脳内で必死に探した。うん、少なくともデータの上では、ほとんどの”アリス”は、”白兎”を嫌い続けることはなかった。つまり、挽回は可能。ただ、恋の相手としては、”アリス”は、大抵”白兎”は選ばないらしいが。


 ……………………。



「………ま、ちょっと覚悟はしておけ」「嫌アアアアアアアァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」



 叫び過ぎだ。


 ノックの音がして「女王陛下様、大丈夫ですか……?」と使用人の声がする。「いや、なんでもない。兎が発情期なだけだ」と返し、下がらせる。



 ロザリオは大きくため息をつき、ラビの絶叫をBGMに、数刻ほど前に逢った”アリス”の様子を思い返す―――――――綺麗な卵型の小さな頭部に、細く長い手足。自覚は無いようだが、スタイルは相当だ。ただ、少し痩せていたのが気になるが。表情は芯の通った清廉な印象で、青い瞳には確かな知性が見て取れた。年頃の少女らしい愛らしさや甘ったるさとはあまり縁がなさそうだが、そこが印象深かった。



「なあ、ラビ――――――」



 最早号泣を超えて慟哭の域にまで達している白兎の嘆きに、ロザリオは口を噤んだ。柄にもなく慰めてやろうと思ったのが間違いだった。そのまま無視を貫く。



 再度、此度の”アリス”の姿を、脳裏に描く。





 ――――――赤く染まるほど、唇を強く噛み締めた。




 八年、だ。










 喪失を封じ込めることで過去を清算したつもりだった。それが正しい手段だと信じていた。事実それは彼らのとれる最も有効かつ道理に叶った手段ではあった。しかしその方法をとることが、彼らにとって可能だったかは、少し考える余地があるだろう。


”登場人物”である我々には、物語に描かれていない動きはできない。チェスだって、宇宙の星すべてよりも多くのチェックメイトまでの道筋(ストーリー)が在り得るのに、私たちにそれは許されない。同じ軌跡をたどり、先人たちの痕跡をそこに見る。封じ込められた記憶は積み重なっていくのに、それを置いて、行くことはできない。


 ―――――違う、そうじゃない。



 基盤は常に同じである。現実を虚構で覆った、小説という虚構世界。それが俺たちの胎盤だ。




 けれども。






 ロザリオは苦々しい顔をして思考を打ち切った。駄目だ、こんなことを考えていたら脳が腐る。


 自分は”女王”だ。それが自分を表わす記号であり、生きる意味(アイデンティティ)でもある。”自分”が、この世界(ワンダーランド)で生きていくための符号だ。必要不可欠で、それでいて当たり前な”記号(キャラクター)”。”登場人物(キャラクター)”が役目通りに動かなければ、世界は枯れてしまう。喩えコペルニクスが現れて、世界の大転換を主張しようとも、我々の動きは変わらない。同じストーリーをなぞり、繰り返すのみだ。見方が変わったとてなんだというのだ。


 私たちに、自由(✻✻)はない。





 ロザリオは、ゆっくりと自分の黒髪に触れた。ちくりと手袋越しに指先を刺す、短い黒髪。男性と間違えられようと、伸ばすつもりはない。その行為を最後に、悔悟を打ち切ると、彼女は冷たい玉座から立ち上がった。

 まだ煩く騒いでいる白兎(ラビ)をねめつけ、喉の奥から全力の重低音を絞り出した。



「ラビ、その小うるさい声帯を今すぐ閉じて、俺に隷従し、即刻、明日の”御茶会(ティーパーティ)”の準備に取り掛かれ。今すぐにだ」



 ラビは弾かれたように立ち上がり、文字通り脱兎のごとく扉へ向かって駆け出した。まだいくらかの透明な滴が空に舞ったが、ゼンマイ仕掛けの人形にようにきびきびと働くだろう。指示を出すため、ロザリオも机の上のものを手早く片付け、後を追うように扉へ向かう。明日は”アリス”のための”御茶会(ティーパーティ)”を開くのだ。いつも、今までも、そうしてきた。皆でアリスの訪れを祝福する。春のささやかな祭典だ。


 背を向けた窓の外は、もう山際が紫棚引く程度の光しか残らない。彼女は振り返らず、冷たい銀のドアノブに手をかける。



 そう、アリスが「愛されない」物語(世界)があっては、いけないのだ。






   何故なら、アリスはこの世界の✻✻なのだから。

   生産性のない愛だけが永遠を刻んでいく

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