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第一章 12. 「第三の嘘」

タイトルの「第三の嘘」は、アゴタ=クリストフの小説の題名からの拝借。

「まず手短に、この世界の仕組みについて」




 愉悦を含んだ表情で、チェシャ猫―――リュンヌは指を一本立てる。



「この世界は、現実世界の誰かのつくった空想のセカイって話は、聞いた?」

「ええ」



 言葉少なに、私は応じる。正確に理解できているかどうかは分からないが、白兎から聞いた、と話せば、彼は「そう、それならオッケー」と軽いノリで手をひらりと振る。



「つまり、俺たちは現実(そっち)のセカイの”Alice”さんが落ちてこないことには、成り立たないセカイに住んでるの。ここまでは分かる?」

「………」



 首肯する素振りだけ見せると、チェシャ猫はその鮮やかな尻尾を一振りし、「そこでだ」と、いたずらっぽくきらめいた金の瞳で、私の瞳を、身を屈めて下方から覗きこんだ。その表面に私の仏頂面が映り、余計表情が苦々しくなる。



「そんな大切な存在である”Alice”が、落ちてきたとして、みんな放っておきますか? おけませんよねー?」



 長い、立てたままの指を指揮者のように振りながら、彼はしなやかな動作で部屋をぐるりと一周し、ベッド脇に置いてある小さなサイドテーブルに腰かけた。「(セカイ)をあげての大歓迎ですよ」



 それが、”アリスゲーム”、だと、彼はささやいた。その声は、燈を灯していない暗くなり始めた室内に、妙に妖しく響いた。大きく傾き、没しようとしている夕陽の紅色を背に受けた彼は、そのまま喋り続ける。



「白兎から聞いたのはそこらへんまででしょ? あ、あと開催期間もか。一年くらい、って言われた? まあ、妥当だろうね。毎回そんな感じだって、文献にも残ってるし。

 でもね、アリス、」



 なんで「仕合(ゲーム)」なんだって、思わなかった?




 私は刹那躊躇し、少ししてから頷く。「………ええ。思っただけじゃなく、白兎にも訊いた。でも、答えは、」




 『ただの言葉のあやですよ。”ルール”らしきものはありません』―――――




「………へぇ」



 アイツらしくもないね、そんな曖昧なごまかし方、と、そんなことを言いながら、チェシャ猫は長い腕を形のよい頭部の後ろで組み、伸びをする。



「それには、三つ、訂正個所がある」



 ひとつ――――と言いながら、チェシャ猫はその立てた人差し指を顔の横に持ってきた。



「”ルール”は、明確に存在する。ただし、暗黙の了解の、ね」



 口に出すまでもない、皆が当然のように守る事柄。それはどこにだってあるだろう。私たちの現実(世界)にだってそれは、道徳とか、倫理観ということばに代用されて、存在する。


 それを守るかどうか、個人の考え次第だが。



「これは勿論、暗黙の了解だけあって、当たり前のことばっかり。たとえば、そうだなぁ――――――

 『”Alice”に危害を加えない』とか?」



 急に出てきた自分の名前に、驚いて思わず目を見開いた。「んま、これはトーゼン中のトーゼンでしょ。誰だって自分の住んでる世界をぶっ壊したくはないしね」続けたチェシャ猫は、「あとは、んー、まー、そうねー……」となぜか女々しい口調で思案する。



「これは結構あるからなー。意識してないから、とっさに出てこないわ。ごめんね」



 あっさりと謝られ、「いや、そんな、謝ることなんかじゃ」と私は思わずフォローしてしまう。完全に向こうのペースだ。



「二つめ」


 立てられた中指に、意識が吸い寄せられる。


「”ルール”には、もう一種類ある。こっちは暗黙の了解ではない。普通の住民は知らないし、また、知る必要もない。彼らにとって”Alice”という存在は、いわゆる高嶺の花? だし、姿を見ることもほとんどない。勿論、”アリス”がそれを望めば別だけど」



 過去にはいたらしいしね、住民と触れあうことの多かった”アリス”も、と彼は言う。その表情が、ふと遠くを見た気がして、私は一瞬目を奪われた。


 彼は、その”アリス”と逢ったことがあるのだろうか、と考える。言葉の上では「らしい」と伝聞の形だ。けれど私には、彼のその表情が、なつかしい人を思い出したように見えてどうしようもなかった。


 そして遅れて、ふと思った。



 「アリス」の発音に、違いがあった気がするのだ。最初の方から一貫していた”Alice”と、突然現れた”アリス”。感覚的なものだ、あるいは私の気のせいというだけの可能性が高い。でも、どこか気にかかる。



「俺たち、重要な”登場人物”的な奴らしか、知らない―――知らなくていいこと。めんどーだから、”登場人物(俺たち)”についてはちょっと端折るよ」



 簡単に言うとね、俺たちは――――”登場人物(キャラクター)”であり、”役者(カード)”なんだよ、と、言う。



「どんな『アリス』作品にだって必ず出てくる、遅刻寸前の白兎、にたにた笑いのチェシャ猫()、イカれた帽子屋+αに、処刑大好きの女王陛下。他にもたくさんいるよね。そいつらみんなまとめて、”登場人物”」



 勿論”アリス(貴女)”も含めてね―――――言いながら、立てた二本の指を私の方へ向ける。その仕草に、眉をひそめた。向けられた指をやんわりとどける。


「ああ、ごめんごめん――――そんで、どこまでいった? あ、”登場人物”か。そうだなー……」


 私はため息をついた。ピースサインのまま、彼はその手首をくるりと旋回させて楽しげな微笑を浮かべている。正直、指差されるのは苦手なのだ。



「そんで、そいつらには一応、中の人物が入れ替われども、ある共通した役割がある。わかるでしょ? 白兎はいつだって、遅刻寸前で庭の兎穴に飛び込まなくちゃならないし、帽子屋はいつだってお茶会を開いてなくちゃならない。それと同じ。”役者(カード)”になれるのは”登場人物(キャラクター)”の資格を備えた人しか、なれない。しかも、一回につき、ひとりだけね」



 たとえば、俺、と言いつつ、チェシャ猫は自分の耳を指差した。目前で見過ぎてもはや慣れてしまいつつあるショッキングな色彩のネコ耳。次いで、長い尻尾をくねらせ、体の前面にもってくる。



「俺は、猫と人の半人半獣。もともとはフツーに猫だったらしいけど、時を経て、今みたいな半人半獣の―――まあ、獣人? になった。つっても、”役者(カード)”を持てるのは”チェシャ猫”一族の血を引いた者しかなれないけどね」



 親しげな微笑と共にそう言い、尻尾をひらりと背後に戻す。「”白兎”とか、外見に縛りのあるやつも同じ。”女王陛下”も、王族じゃないといけない。血は関係なくても、双子ちゃんなんかはなまじっかな血族指定より制限がキツいよね―――――まあ、最も縛りがキツいのは――”アリス”かもしれないけど」



 最後のことばに、「どういうこと、」と聞き返そうとした私の声を遮り、「やべ、無駄話しちゃった。ラビきたらヤバいからちょっとスピードアップ」と、チェシャ猫の野郎は二本の指を、私の目前へ持ってくる。



「そんで、本題はこっから。

 俺たち”登場人物(キャラクター)”は基本”役者(カード)”としてそれに沿った行動すんのが基本。っていうか、”登場人物(俺たち)”っぽい行動が”役者(カード)”ってことなんだけどね。

 それが第二(ウラ)の”ルール”。本当はダメなんだろうけど―――――”アリス”を奪い合える資格がある」



「奪……」



 その単語に、耳を疑う。奪う、だって? 冗談じゃない。どういう意味だ、きつく相手を睨む。「怖い怖い、アリス嬢、そんな表情しないで?」わざとらしく肩を竦め、怖がって見せる奴に、私は歯噛みした。この状況では、私は不利。そのことを再度自覚して、すこし舌鋒を鈍らせる。



「どういう意味? 奪い合うって、人身売買ではないでしょう。もしも”Alice”がこの世界に必要な存在だっていうなら、そんなことをなぜするのか、教えてほしい」


 もしも、その奪い合いとやらで、私含め、様々な人に被害が出るようなら、本当に冗談じゃない。



「あはは、大丈夫大丈夫。危害加えるとかそういうのじゃないから。正確に、且ポエミーに言っちゃうとねー……」




「『”アリス”の心』を奪い合える資格があるってこと」




 笑みを多分に含んだ声音が、私の鼓膜を打つ。脳に伝達された文章が一瞬本気で理解できず、この人何語喋ってたのアメリカ英語ですか? みたいな感想が脳内を駆け巡り、次いで単語一つ一つの意味が海馬に浸透し、何言ってんだコイツ脳に蛆でも湧いてんのか”アリス”の心って何それ美味しいの、まで考えたところで、やっと理性が本来の文章の構成を理解した。




「、は―――――――」




「ホントはね、”Alice”はみんな、っていうかこの世界の仕組みの一部なんだから、独り占めはいかんのよ。でもね、やっぱ”アリス”だって人なわけじゃん? 金髪で、青いエプロンドレスの、綺麗な少女。彼女が、午睡(うたたね)の間にみた、奇妙で楽しいワンダーランドの夢―――――――それに育まれた俺たちにだって、恋したり愛する権利はあるわけよ」



 まるでばかげた話に、私は唖然として立ち尽くすしかなかった。

 どういうこと? 心って――――つまり――――恋愛感情、という意味なのか?



「んー、話し過ぎたかな? でもま、簡単に言っちゃえばそゆことだから。そんで、この”奪い合い(ゲーム)”に於いては――――極稀にだけども、死人が出る」



 息が止まった。そんな、と思う裏で、やはり、という気持ちも確かにあった。

 ゲーム。試合。仕合。

 そこには、どうしても”戦い”という概念が付きまとう。


 しかしそれが、



「それは、”アリス()”の所為(せい)ってこと……よ、ね」



 きょとん、と、チェシャ猫は、その吊り目がちの瞳を瞬かせた。長い睫が二、三度上下し、驚いたように「え?」と言った。



「その諍いの原因は”アリス”……つまり、私にあるということになる、のよね。――――――私の所為で、人が傷つくということ?」



 私の科白が本当に予想外だったようで、チェシャ猫はわずかに口を開いたまま、眼をしばたたかせた。「あー…」と、喉から声が漏れる。「そっか」



「アリス嬢、けっこうそういうのダメなタイプ? てゆーか、ゴメンゴメン、そんな頻繁にあるわけじゃないよ、争いなんて。まあ、ごくごく稀に、”アリス”の魅力に取り憑かれちゃったような奴が出るくらいで。そーなると、面倒なんだけど、そんなキチガイいないよ。マッドハッターは基本キチガイじゃないと務まんないけど、恋愛沙汰(そーいう方面)でのキチガイじゃないしね」



 わずかに胸をなでおろした。だとしたら、心配はない。私を好くようなモノ好きはほとんどいないだろうし、私だって誰も好きにならない。私にそんな資格があるとは思えない。というか、自分のせいで他人が傷つくのが嫌じゃない人間なんているのだろうか。まあ、嫌われるようなことさえしなければ、また戻れるのだろう。一年後、に。




 ―――――――あれ、そういえば、どうして私は、戻りたいのだっけ。




「そして、”第三のルール”――――――――」



 落とした声に、自然、耳をそばだてる形になる。





「―――――――――なーんて、ね」





 散々ひっぱった沈黙の後に、チェシャ猫は、ぱちっと私の目前で指を鳴らした。驚いて少し身を引くと、「ごめんごめん、勘違いしてた。”第二のルール”に、”第三のルール”も含まれてるんだ。いや、ごめんね。俺が言いたかったのは、”登場人物”は”アリス”のために戦うのもOK、ってことなんだけど、考えてみたらこれ”奪い合う資格がある”っていう一文に意味含まれちゃってるもんね。いやもーホントごめんごめん」



 立て板に水、という風にまくしたてられ、私は面食らって手を顔の横に上げる。「ちょ、ちょっと待って。どういうこと? つまり、裏のルールは、まとめてしまえば二つってこと?」


「うん、そゆこと。細かく言えば、この世界で”Alice”に危害を加えることは御法度だけど、”登場人物(キャラクター)”たちにだけは特別に”アリス”の心を奪い合える資格がある―――どんな方法を使っても、ね」


 最後の一文に合わせ、切れ長の艶やかな片目を瞬かせる。その軽やかなウィンクに、しかし私の心は重く沈む。まかりまちがって、嫌な展開にならないといいけれど。


 まあ、私が気をつければすむことか。



 若干の拍子抜け感を持って、私は頷く。「分かった」これさえすめば、もうこの青年に用はない。穏便に立ち去ってもらおうと、交渉に入る。「ありがとう、これで―――――」


「んー、でもこれ(二つ)だけじゃ、アリス嬢の払ってくれた代金の割に合わないかな。いじゃ、一個だけ、特別サーヴィスで俺だけが知ってること、教えちゃおっかなー」



 絶対に、他の奴らには言っちゃダメだよ―――――と、悪戯めいた表情で、彼はお道化たように身を屈めた。長い指を、また一本だけ立てた。










「 アリス嬢。”アリスゲーム”の中に、貴女の帰る方法(わすれもの)があるよ。 」










(おとぎばなしのお姫様は、じつになにかを得ることに長けている!

 なぜなら彼女たちは、なにかをかわりに失うことに長けているのだから!)

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