第二話
ある朝のことであった。緑豊かな村プレーリルからわずかに離れた所にある森、その中から一人の少女のため息が聞こえてきた。
「はぁ〜...何でこんなことに...」
腰まで伸ばした金の真っ直ぐとした髪、そして深い紫色の瞳をした少女だ。名はアスラ・トーステッドと言う。彼女は十年前、この森で倒れていたところを運良く偶然通りがかった夫婦によって助けられ、育てられたのだ。子宝に恵まれなかったその夫婦は、彼女の事を天からの授かり者だといって大切に、深い愛情を持って育てたのだが...いつまでもそうしているわけにはいかなかった、彼女にとって大切な目的を果たすために。そして、今さっき泣く泣くその夫婦や、村の人たちに暖かく送り出され旅立ったのだが、不運にもあの黒ローブの男達に出会ってしまったのだった。
「わぁ...なんか最近やたらと多くなったんだよねぇ〜。なんでだろう?」
アスラは森の茂みに身を隠しながら、彼女の姿を探している黒ローブの男達の様子をそっと見ながらつぶやいた。十年前、プレーリルの村に来て暮らすようになってからしばらく黒ローブの男達は彼女の前に姿を現さなかったのだが、十五になってから急に現れたのだ。母との約束が守られているのだと信じていたというのに...母は命と引き換えに彼女の命を守ったのだ。それなのに今更現れて、約束を破るとは...そう思うとなんだか腹立たしかった。
(それにしても今回はがんばるなぁ〜...でもいつまでもこうしているわけにはいかないし..)
何かを決意すると、アスラは茂みから立ち上がると手を真上にかざした。そして、瞳を閉じじっと立ち尽くす。彼女は古代種..生まれつき強い魔力を持ち、心で精霊などに呼びかけて力を借りることができる能力を持っている特殊な種族の生き残りなのだ。
(風の精霊さん...力を貸して...)
アスラは心でそう精霊に呼びかける...すると..黒ローブの男達の周りに突風が巻き起こる。
それは土埃を上げ、草木を激しく揺らした。無論、急に起こった突風の嵐に囲まれた彼らはなす術もなくただそれに動揺していた。その隙をついて、彼女は再び奥へと走り去った。
「ごめんなさい...」
アスラは突風の嵐によって吹き飛ばされて行く様子をちらりと見ると小さくそう誤った。少しやりすぎたかもしれない...そう思ったのだろう。
「あ〜...でもこれからどうしよう?仇をとるって決めたのはいいけど...私あの人達について何も知らないし。こんなことならちゃんと聞いてくればよかった...さっきの人達に。」
黒ローブの男達の気配もなくなったので、アスラは川辺で一休みしていた。勢い良く旅立ってきたのだが、敵の情報も全く知らないままと言うのはあまりにも無謀であった。そのことに今になって彼女は要約自覚し始めたのだ...遅すぎるが。
「トレクさん、ミレルさん...私これから自信ないよ...」
旅だって早々、アスラは挫折と疲労を感じ地面に寝転んで目を閉じた...トレクとミレルというのは、彼女を助けてくれたあの夫婦のことである。いつも元気で若々しいミレル、そして穏やかで優しいトレク...二人とも本当に可愛がってくれた..彼女は感謝してもし尽くせない程の思いがあった..そして本当に二人とも大好きであった。懐かしく思いながら、彼女は深い眠りへと入った。
「村を出るですって!?」
アスラが旅立つことを二人に話したのは、今から三日前のことだ。急にそんなことを言われたミレルは、驚きのあまり声が上ずってしまっていた。
「アスラ...私達はあなたのことを本当に愛しているのよ?だから、気にしなくていいの。それとも誰かに何か言われたの?」
ミレルはアスラの肩に優しく手を置くと、美しい顔を曇らせた。彼女は四十前後だと言うのにいまだ若々しく美しい...肌には艶と張りがあり、いかにも健康で活発そうだ。アスラはそんな彼女の笑顔が大好きであった。それを見るとどんなに落ち込んでいてもすぐに立ち直ってしまうから...
「違うよ。村の人達はそんなこと一度も言ったことない。」
「じゃあ、何か気を使っているの?そんな必要はないってあの時言ったはずよ?」
「違う...」
「じゃあどうして?理由をちゃんと言いなさい。」
ミレルは腰に手を当ててそう言った。彼女は普段優しいが、厳しくもある。
「ミレル。そんなに一方的にアスラに質問するのは良くないぞ。」
「でも!」
アスラは床に目をやり、ただ黙っていた。そんな彼女に、トレクは目をやると...
「私..いろいろな場所を見てみたい。世界を知るって事はそんなにいけないことなの?」
「..本当にそうか?」
「そうだよ...だからお願い!気が済んだら戻ってくるから!!お土産も買ってくるし!」
「いや..そういう問題じゃ...」
アスラは、二人に頭を下げると必死でそう言った。正直に言うわけにはいかない...言ったらきっと反対されるだろう。けれどこれは昔から自分で決めていたことなのだ。だから誰になんと言われようと、彼女はそれを実行するつもりだった。
「わかったわよ...気が済むまで行ってらっしゃい。」
ミレルはため息をつくと、呆れたようにそう言った。アスラの性格は良く知っている...一度決めたことは何がなんであろうと譲らないし、絶対にあきらめない。
「ちゃんと帰ってくるのよ?」
「うん!」
アスラは顔を上げると満面な笑みを浮かべた。その様子を見て、トレクも苦笑をした。
「お前の性格は父親譲りだな...」
トレクはそう言うと、はっと口を噤んだ。言ってはいけない事をつい口走ってしまった...ごまかそうにももう遅い。
「お父さんのこと...知ってるの?トレクさん!?」
「ま..まあな。さぁ、それより旅立つには準備が...」
「教えて!お父さんは今どこにいるの!?生きてるの?会ったことあるんでしょう!?」
「...それは教えることが出来ない。」
「どうして!?」
「旅立てばわかる...いつかきっと。」
トレクは悲しそうな笑みを浮かべると、アスラの肩を叩いて促した。それっきり、彼女も父親のことを尋ねることはなかった。なぜか、それ以上聞いてはいけないような気がして...
「君!?」
心地の良い眠りの中、アスラは誰かに揺さぶられるのを感じた。懐かしい夢を見て頭がぼんやりとしていたが、彼女はゆっくりと瞳を開いた。
「大丈夫?もしかして怪我でもしているのか?」
「へ?」
アスラはぼんやりとして、まだ視界がはっきりとしていなかったのでその相手の顔をうまく見ることが出来なかった。ただ、それは優しく穏やかで、それでいて品のある男の声であることは理解した。今は何か勘違いして心配しているようだ。
「えっと..あの...」
アスラは視界をはっきりさせるため目を擦ると、再び相手の顔を見た...そして、言葉を失ってしまった。
(綺麗な人...女の子?いや..でも声が違うし...それに良く見れば男の人っぽいような...)
アスラを心配して覗き込んでいるのは、マリンブルーの瞳に金髪の肩まで伸びた髪を一つに結った品のある優しげな少年であった。その容貌は美女のように美しく、女に間違えても無理はなかった..が、背丈は結構高いようだ。年のころは彼女とさほど変わらないだろう...
アスラはなぜこのような状態に自分がなっているのか全く理解できていなかった。つい敵から逃れ安心して眠ってしまったのは覚えている...しかし、なぜこの美少年に心配されているのだろう?
「あなたは一体...」
アスラはようやくはっきりとしてきた意識の中、何とか声を出してそう聞いた。すると、その美少年は彼女が無事だということを確信し安心したのか、笑顔でこう言った。
「ああ、僕はクレイン・ヴィンセント。良かった、怪我はないみたいだね?」
「怪我?私はただここで寝ていただけで...ああ!?すみません...急いでいたのに私がここで寝ていたから邪魔だったよね?ごめんなさい!でもつい安心しちゃって...」
アスラは勝手にそう解釈すると、慌てて起き上がるとクレインに頭を下げた。彼はきょとんとして、そんな姿を見ていたが..やがて笑い出したのだ。
「ああ、そうだったのか?僕はてっきり君が気を失っているんじゃないかって思ってしまって...」
「ええ!?そうだったの?」
アスラもつられてそう言うと笑い出した。そして、しばらくして自分がまだ名乗っていないことを思い出した。
「私、アスラ・トーステッド。なんだか足止めさせちゃってごめんなさい。」
「そんなこと...僕もせっかく昼寝をしていたところを起こしてしまったみたいで...」
クレインが申し訳なさそうにそう言うと、アスラは忘れかけていたことを思い出した。
「あ!私すっかり忘れてた!!」
「何を?」
急にアスラが大きな声でそう言ったので、クレインは驚いた。さっきまでずっと黒ローブの男達に追われていたのだ...一体どれほどここで眠っていたのだろうか?それほど時間がたっていないとなれば、まだ彼らがここにいるという可能性は高い。彼女はちらっと彼の背後に目を凝らし様子を伺った。
(大丈夫かなぁ...)
不安な面持ちでアスラはそう心の中でつぶやくと、クレインは不思議そうに見つめた。
「何かあったのか?」
「う〜ん...実はさっきまで黒ローブの人達に追われてて...」
「黒ローブ?」
アスラはつい口を滑らせてそんなことを言ってしまったのだ。まだ信用して良いかもわからない出会ったばかりのその少年に対して...