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音の無い夜

作者: ともき

夜に歌ってはいけない。

イヴァはそう教わっていた。人間とは夜に休息を必要とする生き物だから、それを邪魔してはいけない。

何故、毎晩眠る必要が有るのかイヴァには不思議だったが、結局それを二人に尋ねる事は出来なかった。訪ねる前に、その元を逃げ出してきたから。

見事な満月を見上げながら、一人物思いにふける。過去を思い出すなど、平素しない行動であった。きっと先日、古い知人に再会した所為だろう。

彼女は昔と何も変わらず、イヴァには理解できない存在だった。しかし感情的で、情熱的、羨望さえ覚えるその様は決して不愉快ではない。そもそもイヴァが理解出来る存在など、そうそう居ないと言うのが事実だ。


「満月か」


声に振り返ると、そこには小さな人影があった。煌々と焚かれた篝火に、その姿が黒く映し出されている。先日再会した知人、ビルカである。小さな影は不安げに揺れ、静かにイヴァへと歩み寄った。


「休息を取らずとも宜しいので?」


 確か、彼女には毎夜の休息が必要だったはず。しかし少女は小さく首をふったのみで、天幕に戻る様子は無い。


「お主は……ほんに大きゅうなりおった」


 呟くとビルカはイヴァの隣に座り込んだ。其の小さな姿は別れる以前と少しも変わっていない。しかしイヴァには、もうビルカのつむじを見下ろす事が出来る。


「ビルカも形を大きくお執りになれば宜しい。ワタクシなどより余程上手くお使いになられるでしょう」


 ビルカは不満げな表情を浮かべただけで何も答えなかった。

ビルカは形を大きくする事が出来ない。

水が重宝される世界で、彼女のあるべき姿は地のジンであるイヴァよりも制限されていた。イヴァもそれを無意識に感じ取っているのか、それ以上は何も言わなかった。

 静寂の中にちりちりと火の爆ぜる音が聞こえる。

ぼぅとその明かりを見つめ、二つの影は暫く動く事は無かったが、ふと、ビルカがイヴァの膝へと頭を移した。


「堅いな…枕にもなりゃあせん」


「そうで御座いましょう。天幕にお戻りになるのが宜しいかと存じますよ」


太ももに感じる柔らかな感触に、不思議な感覚を覚えながら、イヴァは羽織っていた布をビルカにかけた。自分は寒さなど感じないがビルカは違うかもしれない。全てを自分の物差しで判断しては成らないという事に最近気が付いたが故に起った行動だったが、ビルカは随分と驚いた様子だった。


「ほんに…大きゅうなった。……のぅ、歌っておくれ、何でも良いから」


「夜に歌ってはならないのですよ。皆さんを起こしてしまいましょう」


ビルカはくすりと笑うと、ごろりと上を向きなおした。


「少しくらいなら平気じゃろ?一曲で良いのだ、聞かせておくれ」


そうしたら天幕に戻るから、と。そう言えば、四人で旅をしていた頃も、ビルカは度々こうして二人に歌を強請っていた事を思い出す。そして其のたびに、あの二人は見事な旋律を夜へと響かせるのだ。


「そうで御座いますね……この素敵な夜に、一曲捧げるのも宜しいでしょう」


「妾に捧げよ。全く、無粋な所は成長せんな」


「……無粋」


一体何が無粋だったのか、イヴァには全く理解できなかったが、聞き返すことはしなかった。下手に機嫌を損ねて水をかけられては堪らない。

夜空を見上げ、何を歌おうかと考えを巡らせる。

あぁそうだ、この歌が良い。満月の光を受け、思い出されたのは子守唄だった。

イヴァは喉を震わせ、静かに歌い始める。砂を震わせれば全身で歌うことも可能だったが、歌声とは口から響くものだ。

歌い始めてしまえば、もう俯く事は無く、只管に満月を見上げた。

静寂に憚って小さかった歌声が徐々に大きくなる。それは歌を強請るビルカへと、二人が良く聞かせていた歌だった。

イヴァはその情景をよく覚えている。イヴァの中でそれはとても心地よいモノとして記憶されていた。自らもその一部分になりたいとずっと願っていた。しかし二人が死んでしまった今、その夢は一生叶わないのだろう。

この日初めてイヴァは二人の下から逃げ出した事を後悔した。


子守唄も終わりを告げる頃、ごそり動く気配と共に、イヴァは太ももに鈍い痛みを覚えた。じんわりと広がる痛みと、伝わってくる相手の細かな震え。動いてはならないのだろうと感じられた。態々下を向かずとも、何が起っているのか理解できた。

俯くべきではないのだろう。満月を見上げたまま、静かな歌を歌い始める。

今度は、二人がイヴァをなだめる時に良く聴かせてくれた歌。


何故だか解らないが、イヴァの手はビルカの頭をやさしく撫でていた。

 徐々に広がる痛みに思わず眉を顰めたが、何も言うべきではないのだろうと感じていた。

 言葉にならないこの思いは、きっと歌声と共に響いているはずなのだ。


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