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第22話 吸血鬼、透明人間の捕縛任務を受ける

 野良吸血鬼との死闘から、丸一週間が経過していた。


 久我陽介は、本当に拍子抜けするほど、何事もなく普通の会社員生活を送っていた。


 月曜日は役員会議用資料の修正。


 火曜日は顧客とのオンライン定例会議。


 水曜日は後輩・佐藤の作業レビュー。


 木曜日は課長から飛んできた曖昧な追加要望の処理。


 金曜日は、総務の高橋による強力な援護射撃を受けての定時退社。


 仕事中、魔眼や内在時間は一切使わなかった。


 帰宅途中、野良吸血鬼に路地裏で囲まれることもない。


 夜の学校で、怪異がボールを跳ねさせて襲ってくることもない。


 休日に鳥カゴで、普通のおじさんに格闘技でボコボコにされることもない。


(……普通の一週間だった)


 久我は、自室のベッドで天井を見上げながら、深く息を吐き出した。


(普通の一週間というのは、こんなにも心安らぐ、ありがたいものだったのか……)


 三十五年生きてきて、これほどまでに『何事も起きない日常』を神に感謝したことはなかった。


 ただし、完全に日常へ戻れたわけではない。


 私用のスマートフォンには、八咫烏の専用アプリから毎日、細々とした事務連絡の通知が届いていた。


『【能力使用報告】先日の能力使用時における出力変動の追加確認事項』


『【物品補償】スーツの損害補償額が決定しました(※指定口座へ振込)』


『【事件進捗】捕獲した野良吸血鬼三名の身元照会中。海外の吸血鬼街からの追放者である可能性が濃厚』


『【防犯資料】久我様の遭遇事例の、新人向けマニュアルへの掲載が決定しました』


『【協力実績更新】先日の緊急現場協力について「対応適切」と記録されました』


「……普通に働いているだけなのに、吸血鬼としての行政履歴と実績だけが勝手に増えていくな」


 スマートフォンをベッドに放り投げ、久我は目を閉じた。


 そして、翌週。


 いつものように仕事を終えて御影坂高校の体育館へ向かうと、長机にタブレットを置いたかれんが、開口一番に告げた。


「本日は夜間警備に入る前に、久我さんへ『対異能力者任務』の基礎説明を行います」


「……俺、先週『しばらくは普通に働きたい』って言いましたよね?」


「はい。ですから、一週間は実戦参加を避けて、普通に働けたでしょう?」


「確かに働けましたけど、あの願いの有効期限が、たった一週間だとは聞いてませんよ」


「連続した実戦参加は精神衛生上よくないとの判断で、回避しました」


 横でストレッチをしていた剣持が笑う。


「一週間も休めたなら、新人としては十分すぎる休暇だろ」


「能力者社会の休養基準、労働基準法よりだいぶ厳しくないですか?」


       *


 ホワイトボードの前に立った剣持が、マーカーのキャップを外した。


「さて。これから対異能力者戦の基礎を教えるが、まず能力者と戦う時に絶対に覚えておくべきことが一つある」


「能力を、使わせないことですか?」


「違う」


「相手の能力を、事前に詳細に調べる?」


「それも大事だが、もっと根本的な話だ」


 剣持はホワイトボードへ、思いつくままに大量の単語を書き連ねていった。


『特殊能力、異能力、超能力、潜在能力、特異体質、術式、秘法、異術、加護、権能、奇跡、魔法、魔力、霊力、気、スキル、アビリティ、タレント、ギフト、パワー』


「……多いですね」


「これでも、ほんの一部だ」


「一部なんですか」


「地方や宗教、伝統的な流派、オカルト的な世界観、人外種族まで含めると、もっと増える」


 剣持はホワイトボードをコンコンと軽く叩いた。


「世間一般のフィクションじゃ、能力ってのは一つに括られがちだ。だが、これらに厳密な違いはないと思うか?」


「ええと……」


「あると言い張る奴もいるし、ないと言い張る奴もいる」


「どっちなんですか」


「両方だ」


「説明を始めて五分で、すでに理解が追いつかなくなってきました」


 頭を抱える久我に、剣持は笑いながら解説を続けた。


 学術的に最も大きく括れば、これらの現象はすべて『通常では起こり得ない結果を、何らかの力によって発生させる、局所的な因果律改変現象』という一つの分類に押し込めることができる。


 何もない空間から炎を出す。


 三秒先の未来を見る。


 傷を一瞬で治す。


 他人の思考を読む。


 自分の身体を透明にする。


 結果として現れる現象は、すべて通常の物理法則や確率論への干渉だ。


 しかし。


「能力者本人の『認識』は、まったく異なるんだよ」


 魔術師はそれを『術式』と考え、複雑な計算と魔力で発動させる。


 宗教家は『奇跡』や『加護』と考え、信仰や神への祈りを引き金とする。


 武術家は『気』や『霊力』と考え、呼吸と肉体の鍛錬によって出力する。


 ゲーム的な世界観を持つ若者は『スキル』と考え、本人の信じるゲーム的な制約に縛られる。


 古い家系の者は『秘伝の血統能力』と呼んで誇る。


「能力者は、別の能力者と同じ『世界観』を共有しているわけじゃない」


 剣持が真剣な目になった。


「同じ『炎を出す能力』でも、一人は魔術だと思っていて、一人は超能力だと思っていて、一人は神様の加護だと思っている。出てくる炎の見た目が同じでも、発動条件も、止め方も、弱点も、まったく違う可能性があるんだ」


 魔術師の炎なら、詠唱を邪魔したり、魔力供給を断てば止まるかもしれない。


 加護による炎なら、本人の信仰心が揺らげば消えるかもしれない。


 スキル型なら、『一日に三回まで』という本人の強い思い込みによって、本当に三回しか使えない制限がかかっている場合すらある。


「能力者本人の認識や思い込みが、能力の実際の仕様に影響するんですか?」


「影響する奴もいる。まったくしない奴もいる」


「統一してくださいよ」


「因果律改変現象のルールが完全に統一されてたら、俺たち現場の人間も、こんなに苦労してねえよ」


 剣持はさらに言葉を続ける。


 同じ系統の能力でも、出力の規模や、その発生源によって名称がコロコロと変わる。


「小さな幸運を起こす程度なら『ギフト』。広範囲の確率を支配して絶対的な結果を出すなら『権能』。人を少し治療するなら『治癒能力』。死者を蘇らせるような真似をすれば『奇跡』。指先で火花を起こすなら『発火能力』だが、都市を一つ焼き払うなら『災害級異能』だ」


 ただし、これも厳密な共通基準ではないという。


「弱い能力をあえて『スキル』と呼んで、強い能力を『権能』と呼んでマウントを取る文化もある。逆に、本人が『これは全部魔法だ!』と頑なに言い張る面倒な場合もある」


「つまり、相手の能力の『名前』を聞いても、強さや仕組みは正確には分からない?」


「そのとおり」


「じゃあ、何のための名前なんです?」


「現場で、とりあえず便宜上呼ぶためだ」


「分類としての役に立ってませんよね?」


「だから、本部の学者連中が毎年毎年、新しい分類表と専門用語を増やしてんだよ」


「言葉を増やして解決する問題なんですかね、それ」


 剣持が、不意にマーカーで久我を指した。


「ちなみに、吸血鬼も広い意味じゃ『能力』の一つだぞ」


「吸血鬼という、独立した種族ではなく?」


「種族でもあり、能力でもあり、特異体質でもある」


「また複数の答えが出てきましたね」


 吸血鬼化という現象は、身体能力の向上、超再生、夜間適応、日光への弱体化、血液への依存、一部の個体が持つ魔眼や霧化能力、そして長寿化など、複数の因果律改変が一つにまとまった状態だ。


 そのため、学術的には『能力複合体』または『種族型因果律改変現象』として扱われる。


「正式名称は……なんだっけな。吸血系統樹なんちゃら依存型、とかだった気がする」


 剣持が頭を掻くと、横からかれんが即座に訂正を入れた。


「『吸血系統樹・外部血液リソース依存型身体改変群』です」


「そう、それ」


「剣持さん、正式名称を覚える気がまったくないですよね?」


「現場じゃ『吸血鬼』の三文字で全員に通じるからな」


「学術文書や、海外の組織への国際照会では正式分類が必要です」


 かれんが冷たく言う。


「俺も、八咫烏の書類上では、その長い分類名で登録されてるんですか?」


「久我さんの一般用登録証には『特殊体質・吸血鬼型』と簡略化して記載されています。正式分類は、内部のデータベース情報へ紐づいています」


「窓口では分かりやすく簡略化されてるんですね」


「一般の利用者へ、毎回その正式な系統樹分類を読み上げる必要はありませんからね」


「というわけで、細かい能力の名前は全部覚えなくていい」


 剣持が、ホワイトボードの文字をイレーサーで消しながら言った。


「……じゃあ、今までの長い説明は何だったんです?」


「能力者ごとに、呼び方も、信じている常識も、発動のルールも違う。絶対に一つの定規で測れない。……それだけ覚えておけってことだ」


「ずいぶん長い尺を使って、最終的にそこへ着地しましたね」


「で、対異能力者戦で一番大事なのは、これだ」


 剣持が、綺麗になったホワイトボードの中央に、大きく一文を書いた。


『能力者は、何をするか分からない』


「吸血鬼なら、まだ一定の共通点がある。身体能力が高い、再生する、血を求める、日光に弱い、心臓や頭を潰せば止まる。個体差はあっても、基本的な対策マニュアルは立てられる」


 だが、一般の能力者には、その共通点が存在しない。


 見た目がごく普通の十九歳の青年でも、触れた物を爆弾へ変えるかもしれない。


 視線を合わせた相手を即座に眠らせるかもしれない。


 自分の受けた傷を、他人へそのまま移すかもしれない。


 三秒先の未来が見えているかもしれない。


「事前情報があっても、それが相手の『全能力』とは限らない。隠している可能性が常にある」


「本人も気づいていない隠し能力が、土壇場で追い詰められて出ることもあるんですか?」


「ある」


「戦闘中に、少年漫画みたいに新能力へ覚醒することも?」


「ある」


「最悪ですね」


「だから、最初から『こいつは透明になる奴だから、透明化だけだ』と決めつけてかかるな」


 久我は、すっと目を細めた。


「……今回の対象は、透明になる人なんですね」


「話が早いな」


       *


 ここから、かれんが説明を引き継いだ。


「捕縛任務の具体的な説明へ入る前に、八咫烏の『役割』を改めて明確に確認しておきます」


 タブレットの画面をプロジェクターに接続し、八咫烏と警察の役割分担表を投影する。


『八咫烏の主な業務:因果律改変者の登録、能力の確認と分類、危険度の評価、生活・医療支援、能力訓練、異空間および怪異の管理、警察等への専門情報提供』


「よく一般の方に勘違いされますが、八咫烏は警察ではありません」


「これだけ現場で物騒な戦いをしていて、軍用ナイフまで支給してくるのに、かなり警察や軍隊に近く見えますけどね」


「本質的には、ただの行政機関です。役所です」


「役所」


「はい」


 八咫烏は、能力者同士が集まって団体を作ることを禁止していない。


 サークル、会社、宗教組織、互助会、武術道場。


 結成は、原則として自由だ。


「因果律改変者が徒党を組むこと自体は、犯罪ではありませんから」


「……俗に言う『不良能力者集団』みたいな輩でもですか?」


「ただ集まって活動しているだけなら、問題ありません」


「では、彼らが明確な犯罪を犯した場合は?」


「犯罪の捜査、逮捕、起訴、および処罰は、すべて警察と司法の管轄です。八咫烏が独自に裁判を行い、裁くことはありません」


 八咫烏は、犯罪を黙認するわけではない。


 しかし、捜査の主体にはならず、犯罪者認定を独自に行う権限もない。


 警察のように、一般犯罪の防止を目的として街中を巡回し、日常的な治安維持を担う組織でもない。


 八咫烏が行う警戒活動は、あくまで怪異、能力災害、人外種族、指定区域など、因果律改変現象に関係する分野が中心だ。


「能力を使った万引きでも、基本的には通常の窃盗事件として警察が捜査します」


「能力で人を殴って怪我をさせても?」


「暴行、または傷害事件として、警察が扱います」


「じゃあ、八咫烏は何をするんですか?」


「犯人の能力情報を提供し、警察が『安全に逮捕するため』の装備や人員を手配し、支援します」


 能力者犯罪では、拳銃と警棒を持った普通の警察官だけでは、対応が困難な場合がある。


 そこで警察から八咫烏へ『協力要請』が入り、八咫烏は登録協力者の派遣、捕縛任務の公示、協力報酬の設定、専用拘束具の貸与などを行うのだ。


「八咫烏が出すのは、厳密には賞金首の懸賞金ではなく、行政上の『捕縛協力報酬』です」


「現場じゃ、みんな分かりやすく賞金って呼んでるけどな」


 剣持が口を挟む。


「俗称です」


「……つまり、役所が警察の依頼を受けて、賞金稼ぎみたいな能力者に業務委託で仕事を出しているように聞こえますね」


「登録済みの協力者へ、専門業務を委託しているだけです」


「言葉を変えただけで、一気に行政の事務作業感が出ますね」


 かれんがタブレットを操作し、次に対象者の顔写真を表示した。


 黒髪で細身。


 年齢よりも少し幼く見える青年の、無表情の証明写真と、コンビニの防犯カメラ映像から切り出した荒い画像が並んでいる。


『氏名:御子柴翔太みこしば・しょうた


『性別:男性』


『年齢:十九歳』


『八咫烏登録:未登録』


『警察による逮捕状:発付済み』


『捕縛区分:生存確保優先』


「十九歳。……かなり若いですね」


「高校卒業後、定職には就いていません。約半年前に、因果律改変能力へ覚醒したと推定されています」


 確認されている能力は、以下のとおり。


『透明化』


 自身の身体、着衣、および手に持った小物を一定範囲まで透明化する。


 監視カメラにも映らない。


 壁抜けなどの物質透過は不可能。


『消音』


 自身の足音、衣擦れ、呼吸音などを消す。


 他人の声や周辺の環境音までは消せない。


『基礎身体能力強化』


 一般の成人男性を上回る瞬発力。


 ただし、鉄扉を破壊するほどではなく、吸血鬼の身体能力には及ばない。


「能力を複数所持し、基礎的な身体能力の強化も確認されています。典型的な複合型因果律改変者ですね」


「透明人間、ですか」


「現場での認識としては、そう考えて構いません」


「有名な能力だな」


 剣持が言う。


「昔から、透明人間の怪談やSF小説は山ほどあるだろ」


「透明化の能力者が、そうした伝承や物語の原型になった可能性は十分にあります」


「透明化なら、俺の魔眼で体温や血流を見れば、簡単に発見できるんじゃないですか?」


 久我が尋ねると、かれんは少し首を傾げた。


「御子柴さんの透明化が、学術分類上の『どの種類』に該当するかによります」


「……透明化にも、種類があるんですか?」


「当然です」


 かれんはタブレットに、透明化能力の学術分類表をずらりと表示させた。


『特定知覚領域遮断型・能動的五感偽装種』


『物質透過・肉体結晶化型・完全光学的透過種』


『精神干渉・認知阻害型・自意識伝播阻害系』


『位相ずれ・次元狭間型・異次元定着個体』


「……もう一度、分かりやすくお願いします」


「必要ありません。詳細な定義は手元の資料に記載されています」


「正直、漢字の羅列すぎて何も頭に入ってきませんでした」


 久我の泣き言に、かれんは小さく息を吐いて要約した。


「簡単に言えば、御子柴さんは『光と音を能力で打ち消し、人間や機械の視覚・聴覚から自分を隠している』タイプです。肉体そのものがガラスのように透明なわけでも、別次元へ移動しているわけでもありません」


 周囲の可視光を相殺し、背後の映像に近い光を再構成する。


 そして、自身が発する音波を相殺する。


 そのため、裸眼だけでなく監視カメラにも映らず、マイクにも足音が入らない。


「しかし、体温、匂い、重量による床の沈み、足跡、空気の移動。そして魔力や生命反応、血液の流れまでは消えていない可能性が高いです」


「つまり、完全にこの世から存在が消えているわけではない、と」


「はい。視覚と聴覚に対する、高度な擬装です」


「でも、透明人間だからって、壁を抜けられないとは限らない。そこを間違えるなってことだ」


 剣持の忠告に、久我は深く頷いた。


 御子柴は、覚醒直後からその能力を犯罪へ使用した。


 最初は、コンビニでの食料品の万引きや、漫画喫茶への無断侵入といった軽いものだった。


 誰にも見つからないという成功体験が、次第に犯行を大胆にしていった。


 高価なワイヤレスイヤホン。


 スマートフォン。


 ゲーム機。


 ブランド品。


 そして、レジからの現金窃取。


「能力へ覚醒して、まず万引きから始めたんですか」


「そういう奴は珍しくない」


 剣持が答える。


「急に誰の目にも見つからなくなったら、とりあえず悪いことを試したくなるのが人間の心理ってもんだろ」


「本人は、窃盗ではなく『見つからなければ誰も損をしない』と、知人に語っていたようです」


「お店側は、普通に在庫が減って大損してますよね」


「はい。認識の歪みです」


 決定打となったのは、数日前に起きた家電量販店での事件だった。


 御子柴は閉店直前に透明化して店内へ残り、高額商品の窃盗を試みた。


 しかし、警備員が床に残った足跡と、陳列棚から商品が不自然に消えていく様子から、侵入者の存在に気づいた。


 警備員が取り押さえようとした際、御子柴はパニックになり、身体強化の能力を使って警備員を激しく突き飛ばした。


 警備員は転倒し、右手首を骨折。


 さらに後頭部を打撲し、全治一か月の怪我を負った。


「これまでは軽犯罪が中心でしたが、ついに明確な負傷者が出ました。これにより、窃盗、建造物侵入、傷害などの容疑で、警察が本格的な逮捕へと動きました」


「能力を使った傷害事件へ発展したので、八咫烏へ捕縛の協力任務が下りてきたわけですね」


「はい」


「でも、どうして俺なんですか?」


 久我は、もっともな疑問をぶつけた。


「透明人間を探すなら、もっと捜索や探知に向いている専門の能力者が、他にいるのでは?」


「もちろん、候補は他にもいます」


 しかし現在、強力な透視能力者は別件の広域事案へ対応中。


 探知能力者は地方へ出張中。


 そして、高位の霊視能力者を、軽犯罪を重ねている未登録能力者一人へ投入するのは、コストと日程の面で過剰だった。


「御子柴さんの活動範囲と、久我さんの生活圏が近いこと。久我さんの魔眼が、体温や血流を観測できる特性を持っていること。吸血鬼の身体能力なら、御子柴さんの身体強化へ対抗可能であること。……そして、久我さんには、すでに野良吸血鬼との実戦経験があること」


 かれんが理由を列挙する。


「久我さんの役割は、御子柴さんと戦って倒すことではありません」


「……見つけることですか?」


「はい。透明化中の対象を発見し、正確な位置を警察へ伝える。逃走を試みた場合は、警察官が拘束できるまで一時的に足止めする。それだけです」


「透明だからって、全部一人で格好つけてやろうとするなよ」


 剣持にも釘を刺される。


「俺一人で捕まえる任務ではないんですね」


「今回は、警察との合同任務です」


       *


 任務当日の深夜。


 久我は会社を定時で退勤し、指定された都内の中古家電買取店の裏口で、二人の警察官と合流していた。


 一人は、四十代の落ち着いた雰囲気の刑事、榊原警部補。


 もう一人は、三十代で逮捕術に精通している女性の宮下巡査部長だ。


 二人とも、八咫烏から貸与された熱源センサーや特殊ネット、能力者用の拘束具を装備している。


「八咫烏から派遣された、久我陽介さんですね。本日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。警察の方と合同で現場仕事をするのは初めてなので、ご迷惑をかけないようにします」


「我々も、透明人間を逮捕するのは初めての経験ですよ。お互い、分からないところは確認しながら進めましょう」


 榊原の穏やかな対応に、久我は少しだけ安堵した。


 能力者だからといって、厄介事をすべて丸投げしてくるわけではないらしい。


『警察もプロですから』


 かれんの言葉を思い出す。


 警察の分析によれば、御子柴は完全な計画犯ではない。


 生活費が尽きると、透明化したまま持ち運べるスマートフォンやゲーム機などの小物を狙って、犯行に及ぶ。


 そして数日前、この中古家電店の周辺を下見している姿が、透明化する前の防犯カメラに映っていた。


「今夜、御子柴が狙う可能性が最も高いのが、この店です。見つけるのは久我さん。逮捕するのは我々です」


「御子柴が抵抗した場合も、まず私たちが対応します。久我さんは、対象の位置を見失わないことを最優先してください」


 宮下も力強く言う。


「無理に格好よく捕まえようとしなくていいですからね」


「最近、別の人たちからも、まったく同じようなことを言われましたよ」


 閉店後の暗い店内。


 照明は落とされ、非常灯の薄緑色の光だけが、陳列棚を不気味に照らしている。


 久我、榊原、宮下の三人は、息を潜めて店の中央で待機していた。


 床には目立たない足跡確認用の特殊な粉末が薄く撒かれ、出入口には熱源センサーが仕掛けられている。


 待機開始から三十分。


 何も起こらない。


 一時間。


 何も起こらない。


 久我の足が、少し痺れてきた。


(異能力者の捕縛任務と聞いて緊張していたけど、実際の警察の捜査って、ただ待つ時間の方が圧倒的に長いのか……)


 しかし、榊原も宮下も一切焦る様子はなく、無言で入り口と計器を確認し続けていた。


 午前一時を過ぎた頃。


 裏口側の熱源センサーに、ごく小さな反応があった。


 しかし、警報音は鳴らない。


 ドアが開く物理的な音も、御子柴の『消音』能力によって完全に消し去られている。


 久我の肉眼には、暗闇の向こうには何も見えない。


 宮下が一瞥で、久我へ合図を送る。


 久我は遮光グラスを少しだけずらし、魔眼を低出力で起動させた。


 暗闇の視界が、鮮明になる。


 棚の輪郭。


 警察官二人の体温。


 床を這う配線。


 空調による、微かな空気の対流。


 最初は、何も見えなかった。


 だが、さらに意識の焦点を絞り込む。


 誰もいないはずの床へ、僅かな『圧力』がかかり、撒かれた粉末が不自然に沈み込んだ。


 空調の空気の流れが、まるでそこに『見えない人型の障害物』があるかのように乱れ、避けていく。


 さらに深く。


 空中に浮かぶ、薄い熱。


 人間の胸の高さで脈打つ、温かい血液。


 透明な皮膚の内側を流れる、心臓から伸びた血管の網。


 完全な人間の姿としては見えない。


 しかし、何もない空間の中で、『血液の集合体』だけが、確かにこちらへ向かって歩いていた。


(……いた)


(本当に、透明だ)


 対象は、暗闇に潜む久我たち警察側に気づいていない。


 無音のまま、高額なスマートフォンが並ぶガラスケースの棚へと近づいていく。


 久我は声を出さず、事前に打ち合わせていた警察のハンドサインで位置を伝えた。


『右前方。距離八メートル。棚の裏』


 榊原と宮下が、音を立てずに素早く配置を変える。


 しかし、その瞬間。


 透明な血流の動きが、ぴくりと止まった。


 御子柴の心拍数が、跳ね上がるのが見えた。


 久我たちの僅かな気配の移動に、気づいたのだ。


 透明な人影の顔が、久我の方へ向く。


 本来なら、久我から御子柴の姿は見えないはずだった。


 だが御子柴は本能的に、自分を見透かしている何かがそこにいると悟った。


 久我が静かに、だがはっきりと告げる。


「……見つけましたよ」


 何もない空間から、若い男の震える声が返ってきた。


「なんで……俺が見えてるんだよ……!」


 直後。


 透明な血流が、一気に店の裏口へ向かって、爆発的な速度で加速した。


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しばらく=1週間。う~ん、ややブラック・・・。
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