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手紙

作者: ケイ
掲載日:2026/02/06

また書いてみます。

実家の自室は、

時間だけが砂時計の底に溜まったまま、置き去りにされているようだった。


湿った埃の匂い。

カレンダーの跡が白く浮き出た壁。


押し入れの奥、積み上げられた段ボールの底に、

その「痛み」はまだ生々しく眠っていた。


一冊の教科書を取り出す。


表紙は無残に剥がれ、

得体の知れない油の染みが、死臭のようにこびりつき、

余白には汚物のような言葉が書き殴られている。


卒業式のあの日、

二度と開くまいと決めて、

自分の地獄をすべてこの間に封じ込めたんだった。


指先でなぞると、

紙のざらつきが、刺さった棘のように胸を抉った。


その教科書の間に、

場違いなほど白い封筒が挟まっていた。


経年で黄ばんだ紙に、

震える筆致で、こう記されている。


『未来の僕へ』


肺の空気が凍りついた。


こんなものを書いた記憶は、

とうの昔に霧の彼方へ消し去ったはずだった。


けれど、封を切る前から分かっていた。

これは、かつての僕が、

この世でたった一人だけ信じることができた「他人」——

未来の自分へ宛てた、呪いにも似た遺言だった。


手紙の文字は幼く、乱暴で、

ところどころ、ペン先が紙を突き破っている。



未来の僕へ


今日もやられた。


あの子がまたいじめられてたから、

僕が助けようとした。


そしたら急に、あの子、僕を指さして

「この人がやった」って、

先生の前で大声で嘘をついたんだ。


あの子の指先が、

寒気がするほど冷たくて、真っ白だった。


嘘だって分かってるのに、

僕が怒られた。


みんな笑ってた。

笑い声が、耳の中で今もずっと鳴ってる。


笑えって言われて、笑った。

笑わないとイジメになるだろって笑わされた。


服を脱がされて、

寒くてガタガタ震えてるのに、

笑えって言われたから、笑った。


写真のフラッシュが眩しくて、

目が焼けるみたいだ。


まだ、視界がチカチカしてる。


僕はもう人間じゃない。

人間じゃない。

人間じゃない。


ラブレターも、目の前で破られた。

誰からかも分からない。


誰かが僕のこと、

少しでも好きだったかもしれない可能性も、

全部、粉々になった。


制服のちぎれたボタンが、

床に転がってる。


あの子はもう、僕を見ない。


お父さんお母さんには、

死んでも言えない。


言ったら、もっと惨めになる。

もっと、消えたくなる。


未来の僕、まだ生きてる?


こんな僕でも、

生きていていいの?


お願いだから、幸せになっていて。

じゃないと、今の僕は、死ぬこともできない。


この手紙を読んでいるあなたが、

幸せな事を願います。



便箋の端は、

乾いた涙の跡で、ぐしゃぐしゃに波打っていた。


十五歳の僕が、家で一人、

どんなに震える手で、これを書いたか。


今の僕を幸せにするために、

当時の僕が、どれだけの血を流したか。


「……幸せなわけ、ないだろ」


自嘲が漏れた。


三十歳になった今も、

僕は他人との距離が分からない。


「君の心はどこにあるの?」

踏み込めない壁に絶望して、

去っていった恋人、友人の顔が浮かぶ。


眩しい光の下では体が硬直し、

夜中に目が覚めては、

「あの時、あの子を殴り倒して逃げていれば」と、

動けなかった自分を、何度も呪う。


僕は震える指で、

机の上の便箋にペンを走らせた。



君へ


三十歳になった僕が、今、これを読んでいる。


正直、吐き気がした。

胃が雑巾みたいに絞られて、

あの日のフラッシュが、目に焼き付いて離れない。


君は間違ってなかった、と言いたい。

誰かを助けようとしたことも、

笑うしかなくて笑ったことも。


でも、同時に、

どうしようもなく腹が立つんだ。


あの子の嘘に。

周りの笑い声に。


そして何より、

お前を一人きりにして、

誰も助けに来なかった、この世界に。


お前が弱かったせいで、

俺の今も、まだ歪んだままだ。


時々、

お前のことが、本気で憎くなる。


お前を殺して、

俺も終わりにしてやりたいと思う夜がある。


けれど。


あの時の、死にたいほどの絶望も、

指先の冷たさも、

破られた手紙の痛みも、

全部、本物だった。


誰にも否定させない。

あれは、君が生き抜いた証拠だ。


今の僕も、

相変わらず、眠れない夜を数えている。


他人を信じるのは、まだ怖い。

光の下に出るのも、勇気がいる。


でも、今日まで、

なんとか、泥の中を泳ぐようにして、

生き延びてきた。


だから、頼む。


もし今も、胸の奥で何かが震えているなら、

その震えを、捨てないでくれ。


周りが笑っても、

その震えている声だけは、

信じて歩いてくれ。


僕らは結局、

この消えない傷を、

全部抱えて生きていくしかないんだ。



手紙を畳み、

ボロボロの教科書と共に、箱に戻す。


箱の物理的な重さは、変わらない。

ただ、蓋を閉めたときの音が、

先ほどよりも少しだけ、硬く、乾いて響いた。


十五歳の僕が絞り出した叫びと、

三十歳の僕が絞り出した返信。


その最後に、

僕は祈りを込めて、

けれど、安易な救いを拒むように書き加えた。


——この手紙を読んでいるあなたが、

幸せでありますように。


……でも、もし今も、まだ苦しいなら。

それでいい。


その苦しさこそが、

君が今日まで死なずに、

僕まで繋いでくれた

「命」そのものだから。


ある曲から生まれました。それだけです。

ありがとうございました。

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