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蛇の目/Conservator  作者: ふゆはる


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第八話/墨絵の如く

 廃屋の中、課員たちは現場の惨状を前に、それぞれが冷静さを保とうと必死に努めていた。床には血痕が散乱し、壁や天井の破損箇所から湿気の匂いが漂う。だが、その視覚的衝撃以上に、口元に咥えられていたものの存在が、一同の心理に重く圧し掛かる。

「……口に咥えられているのは……?」片瀬が震える声で呟き、慎重に近づき端末で拡大画像を確認する。赤く光る解析座標が、まるで現場の恐怖を増幅するかのように瞬く。

 恵美は息を呑む。口元にあるものは、幼児のように見える生皮で作られた何か――明らかに意図的に形成されたものだった。皮膚の質感、縫合の跡、形状の不自然さ、すべてが犯人の冷徹な意図を示していた。恐怖と嫌悪感が脳裏を駆け巡るが、冷静さを失うわけにはいかない。

「幸い、これは幼児ではない……」恵美は小さく吐息を漏らす。唯一の救いは、それが実際には人体の一部ではなく、犯人の冷酷な象徴行為の一部に過ぎなかったことだ。心理的衝撃は減らせるが、犯人の残虐性と計算高さは想像を絶する。

 蛇の目が解析を開始する。赤く点滅する座標は、遺体の位置、口元の構造、血痕のパターン、周囲の痕跡を瞬時に認識し、犯行手口と心理的意図を分類する。

「分析開始。口に咥えられた物体は、生皮の加工による象徴物。幼児の形を模しており、心理的恐怖を最大化する目的がある」片瀬が低く報告する。

「血痕の飛散角度、周囲の痕跡、遺体の配置……すべて計算された構図だ」渡辺も続ける。

 恵美は解析端末の表示を凝視する。遺体の角度、口元の位置、皮膚の加工跡、血の飛散パターン――それぞれが犯人の計算された手口の痕跡であり、犯人像を再構築する手掛かりとなる。

「……犯人は、象徴性を極限まで追求するタイプだ。神話的イメージや心理的衝撃を最優先に置き、実際の殺害手段や対象は、心理操作の道具に過ぎない」

 秋山室長が冷静に指示を出す。「写真、化学分析、DNA、縫合痕、血液型……すべて記録。犯人像の再構築を急げ」

 課員たちは、恐怖心を押し殺しながら、現場保存と科学的分析に集中する。だが、それぞれの表情には深い葛藤が刻まれていた。

 片瀬は手元の端末を見つめ、顔を強張らせる。「……心理的圧迫指数が上昇しています。現場の惨状と象徴物の存在が、私たちの反応を抑制しようとしている」

 渡辺は唇を噛みしめる。視界の端で、遺体の口元に咥えられた生皮の形を思い出し、背筋が凍る。

 恵美もまた、深呼吸を強制する。目の前の惨状を前に、理性を保ちつつ、犯人の思考を読み解く必要があった。

「犯人像……推測される心理パターンは、冷徹な計算型、象徴的快楽志向、そして複数構図の計画性あり」恵美は低く呟く。

 蛇の目の解析によれば、この人物は単独犯ではあるが、模倣や心理操作の複雑さから、複数犯の関与の可能性も完全には否定できない。遺体の象徴的構図は、単なる殺害の証拠ではなく、次の行動や心理的ターゲットを予告する警告の意味を持つ。

 課員たちはそれぞれの心理的葛藤に直面する。恐怖と嫌悪感を押さえつつ、冷徹な分析を続けなければならない。目の前の惨状は、人間の心理を揺さぶるための計算された構図であり、感情に任せれば犯人の意図に飲み込まれてしまう。

 恵美は心を引き締める。手元の端末には、赤と黄色の座標が次の危機を警告して瞬く。心理的圧迫に負けるわけにはいかない。冷徹な計算と、人間の判断を交錯させ、次の被害を防ぐために、彼女は現場の惨状を正確に解析する。

「……誰も、犠牲にさせない」

 口元に咥えられた象徴物を見つめながら、恵美は心の奥底で決意を固める。恐怖に揺れる課員たちも、その決意を共有し、現場検証と解析に全力を注ぐ。

 蛇の目の冷徹な解析は、惨劇の象徴を数字に置き換え、心理戦の舞台をリアルタイムで更新し続ける。

 現場の恐怖は計算されたものだったが、科警研第二課の冷静な分析と行動によって、次の惨劇を阻止する戦いは、まだ始まったばかりだった。


 港区の廃屋での惨劇から戻った科警研第二課の面々は、課内に沈黙のまま集まった。空気は張り詰め、誰もが疲労と恐怖を胸に抱えながら、次の行動を思案していた。小林和樹は拘留中、取り調べ室で一切口を開かず、ただ薄ら笑を浮かべるのみだった。質問を重ねても微動だにせず、冷徹に時間を稼ぐかのように見える。心理的圧迫に耐えながらも、課員たちは解析の手を止めるわけにはいかない。

「……次は、彼の口を開かせることが必須ね」恵美は静かに言った。端末には、口を開かせるための行動パターンと心理誘導の予測が表示される。

 片瀬は眉を寄せ、声を低くして頷く。「拘留期限まで、あとわずか……情報を引き出すチャンスは限られているわ」

 渡辺は椅子に深く腰掛け、額に手を当てる。「……でも、あの薄ら笑……全然揺さぶられない」

 小林が唯一口を開いたのは、弁護士の要求と、自分が誤認逮捕されたことを証明することに関してだけだった。

「弁護士を……」「自分の身を守るためだ」彼の声は低く、冷ややかで確信に満ちていた。取り調べ班は、僅かな情報でさえ引き出そうと試みたが、心理的防御壁は厚く、整然として崩れる気配はなかった。

 課員たちは端末画面を凝視する。蛇の目は小林の心理状態、微細な筋肉の動き、呼吸の変化、瞳孔の拡張など、あらゆる兆候を読み取り、口を開かせる可能性の高い心理的誘導を提示していた。しかし、実行できる時間は拘留期限までのわずかな残り時間に制限されていた。

「……手がかりはあるけれど、時間が足りないわ」片瀬は唇を噛みしめ、端末の光に目を凝らす。現場の惨状の記憶が、微かに彼女の背筋を震わせる。

「いや、まだ可能性は……」恵美も低く返すが、時間の壁は残酷だった。

 小林は、課員たちの視線を一瞥し、薄ら笑を維持したまま椅子に腰を落とす。その表情は挑発的で、まるで「時間は私の味方だ」とでも言うかのようだった。課員たちは、その笑みに惑わされないよう必死に心を鎮める。

 拘留期限の時間が迫る。時計の針が無情に進むたび、課員たちの胸の奥には焦燥が募る。心理誘導の手法を試すも、小林の無表情は微塵も崩れず、解析の予測は次第に空回りしていく。

 そして、拘留期限は無情にも過ぎた。

「……釈放ね」片瀬が静かに告げ、課員たちは重苦しい空気の中、手元の資料を整理する。

 小林は椅子から立ち上がり、静かに、しかし薄ら笑を浮かべたまま拘留室の扉に向かう。釈放の手続きは事務的に進む。彼の瞳は冷静で、何もかもを見透かすかのようだ。課員たちは、悔しさと恐怖、そして無力感を抱えながら、その背中を見送るしかなかった。

 恵美は深く息を吸い、拳を握る。「……まだ終わっていない」

 秋山室長も頷き、課員たちに視線を巡らせる。「釈放は一時的な敗北だ。だが、次の行動に備える時間でもある」

 課に戻る道すがら、誰もが静かに、しかし内心では激しく動揺していた。心理的防御の完璧さ、冷徹な計算、そして象徴的犯罪の残虐さ――小林は完全に沈黙しつつも、恐怖と緊張の渦を課員たちの心に残していった。

 端末には赤と黄色の座標が残り、次の予兆を示している。恵美はその光を見つめ、冷静さを保ちながらも、胸の奥で新たな決意を固めた。

「……誰も、次は犠牲にさせない」

 小林の薄ら笑が脳裏に残る中、科警研第二課の戦いは、心理戦の新たな段階に突入したのだった。

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