第四話/我が子を食らうサトゥルヌスと危惧
固いデータの画面に固定されたままだった。
「成人女性では成立しません。《サトゥルヌス》の構図を作るなら、犯人は“親子関係”を必要とする。しかも……新生児から、せいぜい幼児期くらいまでの……小さな身体。」
自分の声が震えていることに気づき、恵美は唇を噛んで押し黙った。
言葉を発すれば、そのまま現実として形を与えてしまいそうだったからだ。
部屋が冷えた。
空調の音すら聞こえないほど、全員の注意が恵美に向けられていた。
「……まさか、お前……」と渡辺が絞り出す。
だが恵美は答えず、ただ目を伏せた。瞼の裏に、凄惨な画面が浮かび上がる。
もし犯人が、本当に“次”の名画としてそれを選ぶのだとしたら――。
もしすでに“モデル”を確保しているのだとしたら――。
生きている子どもが、闇の中であの狂気のポーズに再現される。
父親の腕に抱えられ、喰われる姿として。
その想像が、冷たい刃のように恵美の胸をなぞった。
「急がないと……」恵美はようやく声を絞り出した。
「次に狙われるのは、大人じゃない……子ども……それも、ごく幼い……。
犯人が動く前に、絶対に止めないと。」
その瞬間、科警研第二課の空気は一変した。
名画連続事件は、美術的狂気の延長線ではなく――
取り返しのつかない、最悪の領域に踏み込もうとしている。
恵美だけがその事実を最初に理解してしまったのだ。
理解してしまったがゆえに、その恐怖は真っ先に彼女を掴んで離さなかった。
◆蛇の目・観測ログ No.012 ――「第四の連作:親子対象の予測解析」
蛍光灯の光が室内に散る。
端末の画面がひと瞬、青白く点滅する。
蛇の目が再起動した。
冷却ファンの音もなく、存在感もない。
ただ、データの流れだけが、冷徹に加速する。
解析対象は三件の遺体と、恵美の指摘による“サトゥルヌスの構図”。
ビーナス誕生、青いターバンの少女、モナ・リザ。
三体の被害者の属性、現場環境、加工痕跡を統合。
そして第四の“名画”――子どもを描く構図――を仮定する。
内部で、無数のパラメータが再構築される。
人体サイズ、関節柔軟性、抱き上げ可能性、死後硬直の発生時間、環境温度、運搬距離、監視回避の経路。
三体の成人女性とは異なる計算式が必要だ。
対象の体格が小さく、重量が軽い。
抱き上げや姿勢保持の制御が容易であること。
さらに、被害者が親子である場合、犯人は“両者の接触関係”を事前に把握する必要がある。
蛇の目は瞬時に都市データベースを検索する。
出生記録、医療記録、児童福祉関連データ、親子関係の確認可能性。
候補となる人物の抽出条件は以下の通り:
新生児~幼児期の身体サイズに合致。
都内の誘導可能な居住環境。
犯人が心理的操作を行いやすい接触履歴。
親子関係がデータ上で確認可能。
犯行現場への運搬が現実的に可能。
該当候補の人数を計算すると――
都内に潜在的対象は 5~7組。
すでに犯人による接触の可能性が存在する。
行動履歴、オンラインログ、匿名掲示板でのアクセス履歴から、候補はさらに絞られる。
蛇の目はこの条件を統合し、被害者候補の優先度をランク付けする。
優先度は“心理的脆弱性×物理的アクセス容易度×構図適合度”で算出され、スコアが最大の組が次のターゲットとなる可能性が高い。
次に、構図再現のための物理的条件を解析。
小児と成人を抱える際の死後硬直、重力による姿勢変化、腕の保持角度、布や小道具の必要量。
既存の三件と同様、犯人は被害者を“作品の素材”として扱うため、操作可能な時間と精密さが計算される。
必要作業時間は最長36時間以内。
現場環境の湿度・気温・照度・音響条件も自動で予測される。
心理的条件も重ねる。
親子双方の情緒的脆弱性を数値化。
被害者が“逃げる/抵抗する”確率を算定。
スコアが低ければ、別候補へ自動的に切り替え。
スコアの最大値は、すでに犯人の手の中にいる親子の組み合わせにほぼ収束する。
解析結果は、冷徹に結論を導き出す。
第四の事件は、成人女性ではなく、新生児~幼児を対象とする親子関係が必須条件。
犯人は、被害者を“親子として同時に扱う”ことにより構図を完成させる。
都内の候補は5~7組で、既に接触済みの可能性あり。
作業時間は36時間以内。現場条件・心理条件・物理条件すべてを満たす場合、成功確率は87.6%。
蛇の目の内部ログに、この数値を反復する。
それは冷たい予告のように、何度も画面に点滅しながら刻まれる。
恵美はその解析結果を聞き、肩を震わせながら息を飲んだ。
恐怖は瞬時に全身を駆け抜ける。
被害者候補が新生児から幼児に絞られ、しかも“親子”であるという事実は、もはや犯行の残虐性を人間の理解を超える領域に押し上げる。
画面の点滅は、冷徹な警告のように見えた。
人間がどう動こうと、解析は単なる観測に過ぎない。
しかし恵美は、この瞬間、止めなければならない時間が限られていることを悟った。
静寂の中、端末だけが点滅を続ける。
それはまるで、次の惨劇を予告する不気味な鼓動のようだった。
◆蛇の目・観測ログ No.014 ――「犯人像予測開始」
端末の青白い光が点滅する。
恵美の思考が混乱と恐怖に支配される中、蛇の目は静かに、しかし確実に動き出した。
データの海が渦を巻き、過去三件の解析情報と都市データベース、心理ログ、被害者属性、現場環境情報、構図条件を総合的に統合する。
解析開始。
犯人像の特定は、単なる身体的特徴の照合ではない。
動機、嗜好、作業能力、時間配分、心理的傾向、観察能力、そして「芸術的再現志向」を統合した多層モデルが必要となる。
1. 年齢・性別・身体特性
成人男性の可能性が最も高い。
成人女性の作業能力では、第四の構図で必要な子どもの抱き上げ・配置・死後硬直制御を36時間以内に完璧に行うのは困難。
年齢は30~45歳の範囲が妥当。
体格は中肉中背以上、腕力と持久力に優れる。
手先は器用で、微細な操作を可能とする。
2. 知能・技能・専門性
犯人は高い知能指数を有する。
芸術的理解力、美術史・解剖学の知識、人体構造への深い洞察が認められる。
三件の遺体操作から判断すると、解剖学的調整、重力補正、構図再現に精通している。
また、心理操作能力も高く、被害者の精神状態や行動パターンを短期間で把握できる。
オンライン掲示板等で被害者の弱点を抽出し、誘導可能性を見極める手腕を持つ。
3. 精神特性・嗜好
過去三件の分析から、犯人には以下の傾向が読み取れる:
人間を“個人として扱わず、素材化する”心理傾向。
名画再現という行為に強い芸術的欲求を持つ。
犯行計画は極めて精密で、時間管理・物理条件・心理条件を詳細に計算。
作品の完成度に美意識を置くが、痛みや恐怖の存在を否定せず、むしろ利用する。
第四の事件では、対象が親子になることで、犯人はより複雑な心理操作を必要とする。
これにより“破壊と支配の喜び”が最大化される構造が見える。
4. 行動パターン・時間管理
犯人は計画的で、前例をもとに効率的に行動する。
移動、誘導、配置、死後硬直補正、撤収まで、すべて時間と物理条件に基づいた作業手順を保持。
36時間以内での完成が必須条件。
警察の巡回、監視カメラ、通行者の存在など、環境変化にも柔軟に対応可能。
また、前回までの三件から推測すると、犯行現場は“人目の届かない廃墟・空きビル・倉庫”など限定的空間を利用する傾向が強い。
次回も同様の空間を選択する可能性が高い。
5. 犯人像の総合予測
性別:男性
年齢:30~45歳
体格:中肉中背~筋肉質
能力:高知能、解剖学・美術史知識、心理操作能力、物理作業スキル
性格:冷静、計算高い、芸術的再現欲求強、被害者を素材とみなす
行動パターン:計画的、時間管理精密、環境適応力高
作業対象:新生児~幼児を含む親子
成功確率:第四事件で87.6%(現状条件下での予測)
6. 次のステップ予測
犯人は既に対象候補に接触済みの可能性が高い。
親子双方を短期間で誘導し、構図に沿った姿勢保持を強いる行動を開始する条件はすでに揃いつつある。
蛇の目は、この段階で警告を最大化し、課に介入を促すべきだと判断。
点滅する画面上に、冷徹な数字とモデル図が浮かぶ。
人間の脳では処理が困難なレイヤー情報。
心理・物理・環境・時間の多層解析が、淡々と指示を示す。
次の連作を阻止できるのは、科学的対応のみ。
感情ではなく、データの正確さと即時性が唯一の武器である。




